第5話 変容
翌日、希榛は自分の街づくりに精を出そうとしていた。だが作業もそれほど進まないうちに、他のことが気になった。
「フィーユ、他の世界、つまり体験者はどれくらい存在するんだ?」
「ええと、正確に算出するのには少し時間がかかりますが」
「ざっとでいい」
「では、五万人ほど、というところです」
予想以上の数だ。それだけ多くの日本人の手に渡っているということなのか。
「しかし、ネット上には噂話以上の具体的な話は出ていないな。これだけ奥深いコンテンツなら発信したくなる奴もいるだろうに」
フィーユはにっこりと微笑みながら答える。
「あまり具体的なお話はしたくないのかもしれませんよ。世界がしっかりと形を持つにつれて、その世界はその体験者の内面そのものになってしまいますから」
『中学生がよく書く妄想ノート的なものってこと? まあノートよりよっぽど具体的だもんね、これ。だけどさ、ネットが普及し始めた時代から、自分の日記を写真つきで公開するのが当たり前だったのに、Spiegelはそうじゃないのかなあ』
希榛の疑問を健吾が口に出していた。テトラがそうだったように、自分の世界を自慢に思っている体験者も多いはずだ。それなら、その世界をもっと多くの人に知ってもらいたいと思うのも自然なことのはずだ。
希榛にはその気持ちは分からないが。希榛は自分がただ思ったことをネット上で共感してもらいたいという心理自体がよく分からなかった。
「うーん……。悪いが、今日はここまでにする」
「えっ、私、何かお気に障ることを申し上げましたでしょうか」
フィーユがあたふたとする。つくづくよくできているな、と希榛は思った。
「いや、少し考えたいことがあるだけだ。考えがまとまったらまた来る」
そして希榛は思わず、慌てるフィーユを宥めた。自分の案内役である、ただのプログラムに。その行動に自分で驚きつつ、ログアウトした。
「どうしたの、希榛。何かおかしなところがあった?」
「いや、Spiegelの全体像は中からだけでは分からないな、と思って。昨日は内部で他の体験者に会ったが、やっぱり現実世界で他の体験者に会う必要もあるんじゃないかと思ってな」
「まあそりゃ、そうだろうねえ」
そのことは最初から考えていた。しかし他の体験者からの手渡しという方法で広がっているこのコンテンツが、まさか五万人もの人間に広がっているとは思わなかった。
一応、掲示板にも体験者とコンタクトを取りたいと書き込んでみたが、匿名性とSpiegelの都市伝説じみた側面のせいで、直接コンタクトを取ることは難しそうに思えた。
「こうなったら、地道に捜してみるしかないな」
「どうやって?」
「手始めに、大学から。もしかしたら、大学内に体験者がいるかもしれない」
「聞き込みだね。探偵部のときみたい」
健吾は久しぶりの探偵部の活動にウキウキしているようだ。
「じゃあ、僕はサークルとか講義で一緒になってた子に連絡してみるよ。希榛はどうするの?」
希榛は大学でも友達作りをしていなかったので、連絡先を交換している友達がいない。高校と違ってクラスもないので、タブレットでクラス内の連絡をというわけにもいかない。
「まあ、俺はなんとかする」
「珍しいね、ノープランなんて」
見透かされていた。少し恥ずかしいがどうしようもない。本当に何の手段もないのだ。
翌日、希榛はとりあえず大学へ行き、講義に潜り込んだ。内容は聞いていない。何か変わった様子はないか、どうすればいいかずっと考えていた。
「何か見つかった?」
「いや」
そもそもどういう観点で観察すればいいか分からない。健吾の顔も冴えない。
「こっちも何もないよ。訊いてはみたんだけど、みんな知らないってさ。いや、もちろん聞いたことはあるみたいなんだけど、オカルトだとしか思われてないね」
むしろどうしてそんなことが気になるのか、逆に質問されたという。それはそうだろうな、と希榛も思った。健吾は面白いこと好きだが、オカルトとは対極に位置するというイメージがある。
そんな身のない調査が四日目に達した日のことだった。昼休み、ラウンジでパンとコーヒーの昼食を摂っているときのこと。
「……気になる子がいる」
「――えっ? 今なんて?」
「気になる子がいると言ったんだ」
健吾は椅子から転げ落ちた。希榛は人が椅子から転げ落ちるところを初めて生で見た。
「な、何それどういうこと?」
「何をそんなに驚いてるんだ。いきなり落ちるなよ、びっくりするだろ」
「僕のほうが十倍びっくりしてるんだよ! 何、急に。まあ恋って急だからね。それで、相手は誰なの?」
会話がかみ合っていなかったことに、希榛はそこで気づいた。
「そういう意味じゃない。調査で気になる人物が浮上したんだ」
「なんだ、そういうことか。――えっ、誰かと話す機会があったの? なんか普通に講義受けてただけに見えたんだけど」
希榛はただ講義を受けながら周りを観察していただけだった。誰かに積極的に話しかけるなどやったこともないし、話しかけられるようなきっかけもなかった。
「今、文化人類学の講義に潜り込んでいるんだが、そこに前とは明らかに印象が変わっていた奴がいた。
「誰だっけその子……。いきなり名前だけ言われてもなあ」
健吾は目を宙にさまよわせつつ首を傾げている。無理もない。希榛も名前を思い出すのに苦労したのだ。
「お前も会ったことがある――というか、俺とお前と高森は一年と二年の基礎演習で同じ班だったぞ。ほら、長い黒髪で、メガネの」
「ん……? なんか、そう言われてみればいたようないなかったような……」
「まあ、地味だったしほとんど発言しなかったからな、覚えてないだろう。俺も忘れていた」
健吾は頬杖をつき、ニヤニヤし始めた。恋に関することを喋るときの、希榛の苦手な顔だ。
「で? その地味子ちゃんがどうしたのさ。気になるってことは、可愛くなってたとか?」
「そうだ」
健吾は飲んでいたオレンジジュースを吹き出しそうになり、むせ返った。
「えっ、いや、マジで? 冗談で言ったんだけど、やっぱり恋愛方面の話なのこれ!?」
「違う。茶化したいのは分かるがちゃんと聞け」
「茶化してないよ、恋愛方面なのが意外で、驚いてるだけだってば。むしろ真剣だよ」
ニヤニヤはしていない。健吾はいくぶん真剣な表情になっていた。
「可愛くなっていたのかどうか、評価は分かれると思うが、前とは明らかに趣味が変わっていたな。俺も気づかなかった。教授に指名されて高森だと分かったくらいだ。しかもあいつとは思えないくらいハキハキと喋っていた」
高森のことがほとんど記憶にないのは、彼女がほとんど何も喋らなかったからだ。喋ったとしても、か細い声で自信なさげに少し話すだけで、いつも俯いていた。
無口無表情について他人にとやかく言えない希榛ではあるが、高森は希榛よりもさらに暗かったように思う。
「ど、どんなイメチェンしてたの?」
「……ゴスロリだった」
「は?」
「ゴスロリだったんだ」
ゴスロリ。ゴシック&ロリータの略称で、ファッションの一つだ。フリルやレースをふんだんに使ったロココ調のような服装。それだけならロリータと呼ばれるが、ゴスロリの場合はそこにゴシックの要素が入る。退廃的でダークな雰囲気が足されるのだ。色は基本的に黒か白黒のモノトーンで、十字やスカルなど宗教的でオカルティックなモチーフが好んで使われる。
「本格的なドレスを着てきていたわけじゃない。ブラウスとスカートがゴスロリっぽいものだっただけだ。なんというか、そういうバンドの奴が着るような」
「ゴシックパンクってやつ?」
「多分な。あと髪もただの黒髪ストレートじゃなくて、ツーサイドアップだった」
ツーサイドアップとは、基本的に髪を下した状態で頭の高い位置に二つくくりを作る髪型のことだ。
「女の子のファッションについて詳しいね」
「複雑な服や髪型がどういう名前なのか気になるだろう?」
希榛はマンガに出てきたよくある髪型の名前を調べたことがあった。ゴスロリのこともそのときに知った。
「メイクも全然違った。いや、前がどういうものだったか全く覚えてないが、今は紫や青のアイシャドウをして、アイラインもマスカラもしてカラーコンタクトまでつけていた」
「そりゃあ別人だね。似合ってたの?」
「ああ」
「そんなのが似合うなんて、相当美人じゃん。ほんとにいるんだねえ、磨けば光るタイプって。マンガみたい」
希榛もそんな服装の人を見るのは新鮮だった。しかし高森琴音にはそれが似合っていた。
「――って、それただ講義で可愛い子を発見したって話だよね。調査結果じゃないじゃん。まあ面白いけどさ」
「いや、三年になってまだ半年しか経っていないんだぞ。この短期間に、かなりの心境の変化があったということだろう」
健吾は背もたれにもたれかかり、ふんぞりかえるようにしながら言う。
「心境の変化くらい、誰にでもあるじゃん。それこそ恋すれば、地味な高森さんだってイメチェンするよ。もしくは好きなヴィジュアル系バンドができたとかさ。女の子って結構簡単にファッション変えるよ。むしろ日々変わってるよ」
「しかしゴシックパンクの女が好きだとかいう男がいるだろうか」
「そりゃ分かんないよ……っていうか偏見だよそれ」
「だが気になるんだ。Spiegelの最終目的は理想の自分になることだ、とフィーユも言ってただろ。ゴシック趣味を表に出して堂々と振る舞う自分が理想だとしたら――」
「Spiegelによってその願望に気づき、実行できるようになったってこと? そうかなあ。そうは思えないけど……」
健吾は残っていたオレンジジュースを一気に吸い込み、飲み込んで一息ついた。
「まあ織部探偵の直感はだいたい外れないからね。助手としてはその方針に従うよ」
調査対象だということは理解してもらえたようだ。恋愛対象として気になるだけだと言われてこれ以上茶化されたら面倒だと思っていたが、そこは長い付き合いで分かっているらしい。
「それで、どういう切り口で聞き込むの?」
「問題はそこだ」
事務的な用事があればいくら希榛でも他人に話しかけられるのだが、今回はそうではない。怪しげなソフトの調査で、今までほぼ接点のなかった女子に話しかけなければならないのだ。これは希榛にとっては前代未聞の難題であった。
「俺一人じゃ、相手は心を開かないだろう。一緒に来てくれ」
「どうかな。案外一人でもいけると思うよ。頑張りなよ、これも勉強だよ」
健吾ならそう言うとは思ったが、こういうことは失敗が許されない。あとで取り返すのは至難の業である。
「お願いだ。どうしてもついてきてほしい」
だから素直に、まっすぐ健吾の目を見つめながら頼み込んだ。
「そんな目で見られると……仕方ないなあ」
やれやれと肩をすくめる健吾。断られたらどう懇願しようかと思っていたので内心ほっとした。
「希榛から『お願いだ』なんて言われるとはねえ。なんかいい気分」
翌日、民俗学の授業終了後に、高森琴音に話しかけることにした。健吾も隣の席で講義を受ける。
「あっ、あの子が高森さんだね」
琴音は中央の列の一番後ろに座っていた。希榛たちは右から二列目の、中央より少し前だ。階段教室なので琴音の顔を見上げるように見ることができる。
黒髪のツーサイドアップで、長さは肩より少し下まである。ボタンを留めるラインと袖口にフリルがついた白いブラウス、首元には黒いリボンをして、黒い薄手のジャケットを着ている。スカートはここからでは見えない。アイシャドウは紫。濃いアイラインとつけまつげで、カラーコンタクトで紫色になった目を大きく強調している。化粧のせいか元々白いのか、肌の白さに口紅のピンク色が映えている。
「思ったよりすごいメイクだけど、やっぱり似合ってるね。あの恰好とメイクが似合うなんて……。努力したのかな。まあ似合うと分かっても、なかなか実行しようとは思えないけどね」
変わったのは見た目だけではなかった。髪を明るい茶色に染め、流行の邦楽バンドのシャツを着た女子が、ゴシックな琴音に親しげに挨拶をしている。琴音は手を振ってにこやかに言葉を交わしていた。
「友達、いたんだ」
「地味だったころの友達じゃないんだろうな」
しかも一人だけではなく、数えたら五人も挨拶を交わす友達がいた。
「ねえ、希榛もイメチェンすれば、友達なんてすぐできるんだよ」
「俺のことはいいだろ。友達作りのためにあそこまで自分を変える必要も、俺にはない」
それから普通に講義を受け、終わるとすぐに健吾が琴音の席へ駆けつけた。
「ねえねえ、高森琴音さんだよね」
慌てて希榛が追いついたときには、健吾はもう琴音に声をかけていた。
「なに?」
琴音の周りに集まっていた友達たちがざわつく。
「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、この後って暇?」
「時間のかかることなの? この後も講義があるのだけど」
琴音の声は少し低めで澄んでいた。迷惑そうではないが困惑した表情を浮かべている。
「うん、時間はそれなりにかかるかもしれないねえ」
「先に要件だけ言えない?」
「ちょっと、みんなには聞かれたくない話だからなあ……」
またざわついた。健吾がナンパしているようにしか見えないので当然だが。
「変な話じゃないんだよ。っていうか、質問があるのは僕じゃなくてこっち」
希榛は急に肩を掴まれ、前に出された。自分で話せということだろう。
「ええと……。俺は、織部希榛だ。覚えているか? 基礎演習で、一緒だったんだが……」
琴音はきょとんとして首を傾げた。やはり覚えていないらしい。
会話が途切れた。どうすればいいか全く分からなくなったので、後ろの健吾に視線で助けを求めた。
「頑張って。こっち見ないの」
「――あ、あの……」
こちらのことを覚えていない相手に、時間を割いて話を聞いてもらうにはどうすればいいか。それも周りに内容を知られずに。確実で効率的な言葉が見つからない。
迷っていると、琴音が急ににっこりと微笑んだ。
「分かった。次の講義はサボるわ。お話、聞いてあげる」
「いいのか?」
「もちろん」
優雅で余裕のある笑み。暗く俯いていた印象しかない琴音だとは思えない表情だった。
「ありがとう……。場所は、二号館のどこか適当な空き教室でいいか?」
「その前にさ、飲み物買いに行こっか。好きなの言って。奢るよ」
三人はまず売店へと歩いていった。自然に、和やかに談笑する健吾と琴音の少し後ろを、希榛も歩いた。健吾に頼み込んで正解だった、と希榛は思った。
希榛はお茶、健吾はオレンジジュース、琴音はエスプレッソ入りカフェオレを買って、二号館の空き教室に入った。そこは机が固定されていて、回転椅子が並んでいる教室だった。琴音が適当に席につき、希榛と健吾はその前の席について椅子を後ろに向け、向かい合う形になった。
「あら、三人で話すの?」
「質問があるだけだからな」
「そう。私はてっきり……」
「ごめんね。告白イベントとかじゃないんだ。ほら希榛、頑張って」
お茶を一口飲んで、希榛が口を開く。
「お前……ずいぶん変わった、よな」
「そう?」
「変わった。覚えてないだろうが、基礎演習で一緒だったときとは別人だ」
「ああ。あのときと比べれば、まあ変わったかもしれないわね」
琴音は長い髪を掻き上げ、右の耳にかけた。
花園麻由とはまた違うタイプの美人だ。服装とメイクからのイメージで、ミステリアスというのが一番適格な言葉に思える。
つまり分かりにくい。手強いかもしれない、と希榛は思った。
「変わるきっかけになったことを、教えてほしい」
「インタビューして卒論の資料にしたいの?」
「違う。質問に答えろ」
「『質問に答えろ』なんて……なんか尋問みたい。ちょっと怖いわ」
「すまん……つい」
琴音は少し身を引いて、怯えるような表情を見せた。
必要最低限のことをまっすぐ言う癖だ。円滑に会話したければ雰囲気とクッションを考えるようにといつも健吾に注意されているのに。
それはいつものことだったが、今はまずい。相手を怯えさせてそのままにしておくわけにはいかないのだ。
「どうして私がイメージチェンジしたことがそんなに気になるの? しかも去年まで同じ基礎演習のクラスにいただけで接点もなかったのに」
「実は変わったきっかけに心当たりがあるんだ。俺が調べているそれに、お前が関係しているんじゃないかと思ってな」
琴音は答えない。ただ薄く微笑んだだけだった。言ってみろと言わんばかりだ。希榛はお茶を一口飲む。
「――Spiegelというソフトを知っているか」
「知ってるわ」
健吾がストローから口を離し、琴音を見つめた。
「そうね。織部くんが考えてる通りよ。私はあのソフトで変わった。あれのおかげで、理想の自分になれたわ」
当たりだった。可能性は低いと思っていた。健吾の言う、恋や好きなバンドの変化のほうがまだ考えられると思っていたのだが、勘とでも言うようなものが、どうしても琴音を調べるべきだと囁いたのだ。
「織部くんもあのソフトを使っているの?」
「ああ」
「織部くんが理想とする自分って、どんなの? 女の子にも自然に、もっと感情豊かに話せる自分かしら」
それは常々健吾に言われていることだ。健吾が隣でくすくすと笑っている。
「違う。俺は理想を追い求めてあれを体験しているわけじゃない」
「理想の自分を追わずに体験だけする人も、いなくはないものね。でも大丈夫よ。続けていれば、いつか絶対に理想の自分を発見し、それになることができるわ」
フィーユのようなことを言う。大丈夫、という言い方が少し気になった。
「そういえばさっき、調べているって言ってたわね。Spiegelのことを調べるために、体験しているの?」
「そうだ。偶然手に入れたんだが、あれがどういうものなのか気になってな」
「そう……」
一瞬、琴音の表情が曇った。その表情の意味は気になったが、そろそろ講義時間が終わる。
「Spiegelの中の名前を教えてくれ」
「《ルシリア》よ。銀色の髪をしているわ。衣装は今の私の服より少し豪華な感じね。よかったら私の世界にも遊びに来て。世界の名前は《ハイデントゥーム》」
そのとき、講義の終わりのチャイムが鳴った。琴音は右手を前に出した。
「握手。まさか大学でSpiegelの体験者に会えると思っていなかったから、嬉しかったの」
他人と握手するという感覚に慣れない希榛は、ぎこちなくそっと手を握り返した。琴音の手は冷たかった。
「納得のいく調査結果が出たら、私にも教えてね」
琴音は小さく手を振って、教室から出て行った。教室のドアが閉まって、健吾に強く肩を叩かれた。
「凄いじゃん、まさか希榛が女の子とあんなに長く喋れるなんてさ」
高校のとき、探偵部を立ち上げるきっかけとなった花園麻由とも、こんなに長くは話さなかった。
「どうして何も言わずに黙って見てたんだ。おかげで変な緊張感が出てしまったじゃないか。尋問みたいとまで言われたぞ」
希榛としては、健吾がどこかで助け舟を出してくれると思っていたし、それを当てにしてあまり慎重にならずに話していた。
「そうだねえ、実際、尋問みたいだったよ。探偵と容疑者って感じだった」
それは自分でもそう思っていた。健吾なら、この雰囲気をいくらでも改善できるだろうに、と。
「それにしてもさあ、高森さんってクールな子だったねえ。なんかさ、目が紫なせいかお人形みたいだったし。前がどんなだったか思い出せないけど、クールな美人さんが彼女の理想だったんだね」
外見が変わったのは一目瞭然だった。性格まであの恰好に合わせているのか、先に性格のイメージを決定してからあの恰好をするようになったのか。
「最後に握手をするほど、あいつは嬉しいと言っていた。だが、質問をしている最中は、あまり嬉しそうじゃなかった」
「そうだね。なんとなくテンション低めだった。だけどテンションの低さについては、希榛だって人のこと言えないじゃん」
「俺がSpiegelのことを調べていると言ったとき、一瞬表情が曇った。まるで調べてほしくないようだった」
あの毅然とした態度は、希榛に全てを明かさないように何かを隠すかのようにも見えた。
「まあフィーユちゃんも言ってたじゃない。自分の世界は自分そのものだから、こだわるほど関係ない人には見せたくなくなるものだって」
「でも、『よかったら遊びに来て』と言ったぞ」
彼女の真意がよく分からない。緊張感があったのは希榛の口調のせいかもしれないが、それだけだったのだろうか。
「もう。本当に容疑者を疑う探偵みたいだよ。別に殺人事件の捜査をしてるんじゃないし、トラブルを早く解決するために動いてるわけでもないんだから、そんなに急いで考えなくてもいいじゃん。もっと気楽に、ゆっくりやりなよ」
言われてみればそうだ。特になにか被害が出たわけではない。ただ気になることを知りたいだけだ。
「――《理想の自分》か。あれの開発者は、なぜ体験者にそんなものを提示し、そうなるように仕向けているんだと思う?」
フィーユは、希榛が理想の自分と理想の世界を早く見つけられるように励ましてくる。まるでそれが、希榛に課された義務であるかのように。
「仕向けてるって……。なんだか悪いことみたいに言うね。むしろ、すごくいいことなんじゃないの? だって理想になれるんだよ。体験者がそれぞれの理想になれるんだったらさ、社会的にもいいことじゃない?」
確かに、どこにも悪意があるようには見えない。
「そんなことをして、開発者に何のメリットがある?」
「だから……」
「体験者のためにも社会のためにもいいなら、それを全面に出してメーカーと一緒に売ればいい。多分売れる。どんな配信サービスよりもな。それなのになぜそうしない? まさか慈善事業でやっているとでも言うか? 明らかに、開発費に見合わないだろう。というか、あれだけのものを開発するのに一体誰が金を出しているんだ。出資者の意図は?」
「そんなこといっぺんに僕に言われても、分かるわけないじゃん……。また口調が怖くなってるしさ」
健吾は呆れかえっているようだった。
「すまん」
「まあでも、確かにそうだね。事は秘密で進んでるようだけど、そうするにはそれなりの理由があるはずだね。お金のことを完全に度外視するほどの理由が」
「――信念だろう。人が利益を度外視するときは、利益を上回るほどの信念があるものだ」
「社会をよくするために立ち上がった、ものすごーくいい人たちなのかもね」
「あるいは、その社会を変えるために立ち上がった、革命家たちなのかもしれない。例えば、自分の信じている神だけが正しいと思い、その教えを知らしめるために大国に戦いを挑んだ集団のように。彼らには悪意などなかった。標的とした国の人々を痛めつけようとは思っていなかった。自分の信じる神に救わせるという信念に従い、市街地を攻撃し、自分の命を度外視して自爆し、周辺の人を巻き込んで死ぬ。そんな類の強い信念があるのかもしれない」
健吾は突飛な希榛の想像に吹き出した。
「ええ? それって大昔のテロリストの話じゃん。その結果、彼らの故郷は更地になっちゃったけど。そんなテロリストと、Spiegelの開発者が一緒だっていうの? さすがにそれはないんじゃない?」
「たとえ話だ。なにも彼らがテロリストだとは言ってない。だが、あのテロリストたちの信念に同調した連中が資金や兵器を提供した。信念が強烈で、分かりやすかったからな。Spiegelの開発者も、人を集め協力させるような強烈で分かりやすい信念を持っているのかもしれない」
「でもあれは、純粋に信念に同調した人だけが協力してたんじゃないじゃん。戦争をビジネスと捉える国が、兵器を売ったり気に入らない国を潰すためにテロリストに入れ知恵したり、便宜を図ったりしてさ。やっぱりそんなのとは一緒にできないと思うなあ」
「そうだな。Spiegelを違う視点で見ている奴もいるかもしれない。そいつの話も聞きたいところだ」
健吾は飲み干したジュースのパックを潰し、大きくため息をついた。
「なんかすごい陰謀論みたいな、大事に捉えすぎてない? 気楽に考えなって言ったじゃん……」
現時点ではただの希榛の想像にすぎない。なんの根拠もない。だが希榛には、どうしても健吾が言うほど気楽には考えられそうになかった。
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