2-3 口から火を吹く(終)

 その夜、岡山県下の8割ほどの成人済みGARDEN所属者がある居酒屋を貸し切りにして陣取っていた。その真ん中の席には白桃がいた。その左右にガーネットと矢鳥が座っている。

「じゃあ、支部長の帰還を祝って乾杯しましょう! せーの……」

「「乾杯ー!」」

店の至るところからグラスをぶつける音が鳴り、男たちのガサツな笑い声が聞こえるようになった。

「ガーネットもお酒飲めばいいじゃないッスか?」

「いやいや! 私は中学生なのに、絶対ダメだって!」

「もー。真面目なんスから」

「子供はワインじゃなくてブドウジュースでいいんだよ」

「久しぶりに意見が一致したね。美作は?」

「帰って寝てるッス。お酒に興味持たれても困るッスから。あ、自分、オレンジジュースおかわりで」

「お前は飲めよ」

それぞれ酒やジュースを浴びるように飲むガーネットたちの前の席に、支部長が座った。支部長はワイングラスを片手に、赤面した顔を笑顔にして話しかける。

「ちょうど良かった。3人とも、私を救ってくれてありがとう」

支部長は投げキッスをそれぞれに飛ばした。一緒に飲みに行くことの多い白桃は見慣れているが、酔った支部長を見るのが初めてであるガーネットと矢鳥は、普段の堅い彼女からは想像できないほどだらしない姿に顔をひきつらせる。

(噂には聞いてたッスけど、めちゃくちゃッスね。支部長……)

(この姿を写メにして普段の支部長に送りつけたいよ)

「そこの二人! 何をコソコソ話してるの! 酔ってるからって甘く……」

「子供の前だってのに、いくらなんでも飲み過ぎだ。半分寝てるじゃねえか」

「こらー。ガーネットさん、子供がお酒なんか飲んじゃダメだぞー」

「飲んでないですよ!」

「これ以上は子供の教育に良くなさそうッスね……」

「そうだな。ちょっと悪いが外をブラブラしてこい。ほら、金やるからよ」

と、白桃はガーネットに五千円札を握りしめさせる。

「うぇ、五、五千円!?」

ガーネットにとっての五千円は小遣い一ヶ月分であり、大金である。そのため、臨時収入にしても大きすぎる額をあっさり渡されたガーネットは動揺を隠しきれずにいた。

「こんな夜に、お金を片手に外出させるとか色々危険な香りがするッスよ」

「そうだ、五千円だ。お前だってたまにはいいだろ……? いや、五千円……?」

(こいつ、酔ってやがる!)

(ガーネット、今のうちにトンズラしたほうがいいんじゃないッスか?)

(よし、そうしよう!)

白桃と支部長の意識が朦朧としている間に、ガーネットは店の外へ出ていった。シラフの矢鳥は店に一人残された。

「自分は何やってたらいいんスかね……」

「酒飲みなさいよ! 私のワインあげますからー!」

「やっぱそうなるッスよね……」

「しまった! 千円札と間違えて五千円札渡しちまった!」

「ガーネットはさっき出ていったッスよ」

「ちぃっ! ちょっと取り返してくる!」

支部長が、ふらふらと立ち上がった白桃の足をガッシリと両手で掴む。アルコールが回ってきた白桃はバランスを崩して転倒する。

「今夜も逃がさないよー?」

「ドンマイッス」

「やっぱアルコールなんか飲むもんじゃねえな……」

白桃はガーネットを追うことができないまま、支部長に連れられて4次会まで付き合わされた。矢鳥は2次会が終わった瞬間に大空に飛び立ち逃亡した。


 「とは言っても……どこに行けばいいんだろう?」

ガーネットは五千円札を握りしめたまま居酒屋の入り口付近で立ち往生した。仕方がないので汚れてなさそうな地面に座って、通行人を一人一人眺めて暇を潰そうとした。居酒屋帰りらしき顔の赤いサラリーマン、大声で騒ぐ学生たち、道の隅っこを歩く浮浪者など、色んな人間がごったがえしている道で、運悪くガラの悪そうな男2人組と目が合ってしまった。ドレッドヘアだったり無駄に長すぎる金髪のチャラ男だったりと、中学生のガーネットから見てみるとまさに"ヤバい人"っぽさを感じさせる風貌をしていた。瞬時に目をそらしたが、見逃してはくれなかった。

「君ー。ホストとか興味ない?」

「ないですよ」

ガーネットは中学生がお金を持ってないことくらいわかるでしょ、と言わんばかりに拒絶する。だが、男は引き下がらなかった。

「だったらお兄さんがいいバイト紹介してあげるよ。君みたいなカワイイ子にピッタリなバイトがあってね」

「お金も間に合ってます」

「いいから来いって!」

面倒くさい事になったなあ……と思うのもつかの間、男たちはガーネットの両腕を掴んだ。一人ずつが片腕を持って連れていこうとするので傍目からは強制連行されている犯罪者のように見えなくもなかった。ガーネットたちに気づいた通行人もいたが、助けようという勇気あるものは現れなかった。

「離してください!」

足を踏んばってその場に止まろうとするが、女子中学生の力では男二人の力には敵わなかった。いくらオーダーと言えど能力を使わなければ少し強い人間止まりである。一般人を相手に能力を振り回すのは褒められた行為でもないし、下手に騒動になってしまえば警察沙汰になることだってある。しかし、このまま男についていけばロクでもないことに巻き込まれるのはガーネットでも目に見えていた。

(はあ……多少殴ってでも逃げるしかないかなあ。恐いし強そうだけど……) 

と、ガーネットの腕に力を入れたのとほぼ同時に、その背後、居酒屋の入り口側から聞き覚えのない女性の大声が聞こえた。

「Hey!」

「へ?」

ガーネットは後ろを振り向いた。ミディアムショートカットの黒髪、身長はガーネットより8センチほど高く、女子高校生くらいの歳であろう日本人が、居酒屋の入り口からガーネットたちをクールそうな吊り気味の目で睨みつけていた。男たちは自分たちが話しかけられていると思っていなかったので彼女を無視してガーネットを引っ張り続けた。彼女はガーネットを追いかけ、右側にいたドレッドヘアの男の右肩をポンポンと叩いた。

「This girl is my colleague so I hope you to release her.」

「「???」」

彼女がガーネットを放そうとしているのはなんとなく伝わっているが、中学英語までしか知らなかった三人は無言でクエスチョンマークを浮かべるしかなかった。その後も彼女はペラペラと英語を話していたが、意味はわからないので呆然と話が終わるのを待った。

「こいつ、なんかヤベえな……」

「クソッ。コイツもコイツもいい体してんのに……」

「話が通じればコイツも連れてって金になったのに」

(やっぱり金か……。この人も何言ってるかわからないし。逃げたい)

ガーネットと英語を畳み掛ける女性を交互に見ている金髪の言葉を聞いて嬉しさと悔しさの感情が交互に押し寄せた。女性はさらに大声で続ける。通行人の視線はほぼ全てガーネットたちに向けられていた。

「Are you kidding me?」

「チッ。ガン見されてる。逃げるぞ」

「邪魔しやがって。クソが」

男たちはガーネットを解放し、舌打ちしながら女性をギロリと一瞥して、夜の町に消えていった。女性がそれを見送ると、小さく深呼吸をしてガーネットへ振り向いた。授業でしか英語を習っていない当のガーネットは冷や汗とひきつった笑顔でハロー、ハローと小声で連呼していた。

「さ、さんきゅー、べりまっち?」

「どういたしまして。日本語喋れるから、心配しなくていいよ」

「喋れたんだ」

「うん。GARDENの人で合ってる?」

「そうだけど……どうして知ってるの?」

「飲み会に参加してて、君が出ていったのが見えたんだ。それを追いかけてみたら悪質な客引きか何かに引っ掛かっているのが見えて」

「そうなんだ。助かったよ、ありがとう。あなたもGARDENの人なんだ?」

「一日目なんだけどね」

「今日が初めてなの?」

「本当は昨日の予定だったんだけど、支部長が誘拐されたとかでちょっと見送られていたんだ」

「あー……」

「それで、用事があるからと何か仕事をするのかなと支部長について行ったら」

「飲み会でしたと」

「僕はまだ高校生だからね。お酒は飲めないんだ」

「やっぱり女子高生だったんだ。私もまだ中学生だから飲めなくて」

女性は先ほどガーネットが座っていた場所のほぼ近くに座った。少し崩した正座だった。ガーネットもその隣で体操座りになった。

「君は何年間GARDENに所属しているんだい?」

「5年くらいだったかな」

「大先輩だったんだ。敬語を使ったほうがいいですか?」

「いやいや。歳で言ったらあなたの方が上だし、気にしなくていいよ。こっちこそ敬語使ってなかったけど良かった?」

「もちろんだよ」

「じゃあ、タメ口で話すね」

ちょっと前まで金髪の男たちに絡まれていたガーネットに目を向ける人は既にこの場を去って、初めて見た顔の人たちが二人の前を通りすぎていっていた。

「ちょうど良い機会だし、飲み会に参加しないなら僕とどこかへご飯を食べに行かないかい?」

「良いよ。戻ってもやることないからね」

よし、と息を吐いて、女性は起立した。

「紹介が遅れたけど、僕はウィスタリアと名乗らせて貰っているよ」

「私はガーネット。よろしく」

ガーネットは先行して歩くウィスタリアの右斜め後ろをついて行った。


 2人は少しお洒落な食べ放題店でディナーを食べることにした。ショッピングモールの高層部のお手頃価格な店の、夜景がそこそこ綺麗な窓際の席に座った。夜の町を照らすネオンの足元を、明るく黄色い横長の光が次々に通りすぎていく。

 ガーネットは小皿に焼き肉やハンバーグで山を作り、その頂上からは見るからに辛そうな赤い液体を溶岩のように垂らしていた。その周りに小さなシュークリームを円状に並べていた。一方のウィスタリアは何種類ものサラダやパスタに肉類を小綺麗に盛り付けていて、少し豪華な学校給食のお手本のようなチョイスだった。互いに未知と遭遇しているので、互いに互いの皿を見て感心しあっていた。

「GARDENに僕と同年代くらいの女の子がいると思ってなかったから、ガーネットみたいな僕より年下の子がいて驚いたよ」

「当たりだよ。小学生が一人いるけど、このへんで中高生と言ったら私くらいかも知れないなあ」

「小学生か。僕には想像がつかないよ」

「かくいう私も小学生からだけどね。気になってたんだけど、『僕』って?」

「念のために言っておくけど、女性だからね。それこそ僕の小学生時代の話になるけど、少し長い話になるかな」

「うーん。じゃあまた今度聞かせて?」

「わかった。覚えておくよ」

「もう一個気になってるんだけど、留学みたいなの、やってたの?」

ガーネットは客引きに絡まれていた時にウィスタリアが英語で何かを言っていたのを思い浮かべていた。ウィスタリアも一瞬きょとんとしたが、何について聞いているのか理解した。

「英語はちょっと得意なだけだよ。留学もやったことないし、外国人と話せって言われても、おそらく話せないだろうね」

「だったら、なんでさっき英語で怒ってたの? 日本語じゃないから誰にも伝わってなかったみたいだけど」

「それでいいんだよ」

「え?」

「言葉が伝わらない相手に意味不明な言葉でまくし立てられると、逃げたくならないかい?」

「あー……」

ウィスタリアの言う通り、ガーネットは二重の意味で逃げたいと思っていた。

「勉強は基本的に役に立つとは思ってないけれど、本当に意外なところで使えることがあるんだ。僕はその瞬間が訪れる瞬間を楽しみにしているんだ」

「はっきり言って、変わってるね」

「同じ言葉を君にも返すよ」

「いやいや。私なんて普通の人間だよ」

ウィスタリアはニヤリと口元を緩ませて、半分ほどが切り崩された肉とシュークリームの火山を指さす。ガーネットはその一部を箸でつまみ、ウィスタリアの口元に近付けていく。

「……食べないといけない?」

「いけない」

タバスコで真っ赤になったハンバーグを恐る恐る口に含む。6回ほど噛んだところで顔が徐々に歪み始め、店内に悲鳴が響いた。

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