第七章:人間なんて信じたいのに


 屋敷の持ち主は御祓。元から赤蜘蛛から己をボディーガードとして扱い、身分を匿うよう言われていて素性も知っていたが、目的は知らなかった。御祓は目的を知り、王族の隠し子を見つけて尚かつ今危ないと聞くと、屋敷を提供したが、その屋敷の本来の持ち主は椿だった。

 椿はこの上なく不服だった。

 殺しを依頼したはずなのにその依頼された者は庇護していて、大好きな赤蜘蛛おじさんは陽炎を治そうと必死で、自分の所有物の屋敷も陽炎の星座達で五月蠅いし、唯一陽炎に誇れるであろう家柄も、彼の母国の方が有名な上に王族の隠し子ときた。

 椿は不服を通り越して、少し陽炎が憎くあった。

 皆に囲まれ、皆に愛され、その上家柄もちゃんとある。

 以前もう耐えられないと思い、父親にこれ以上自分の家に居させるのは嫌だと訴えても父親はうんとも言わず、馬鹿者と叱った。

「あの赤蜘蛛様が頼ってくださってるのだぞ。後でどれ程の報償が得られようか。家名もあがる。恩を売るチャンスなんだぞ」

「それほどまでに言うならば、父様の屋敷で彼を預かってください」

「お前の屋敷の方が、フルーティや赤鬼金棒が出入りしやすいだろう。彼らは治療に必要な人間なんだと、赤蜘蛛様が仰っていた。何も一生居る訳じゃあるまいし、大人しくしてなさい」

 家柄が自分より上だとこういう事が起きる。

 だから、陽炎の家柄なんてなかったらよかったのに、と椿はため息をついた。

 どんなに自分の不平も通されず、誰も自分に見向きもしない。

 赤蜘蛛は、時折構ってくれるが、治療に専念したり、母国に連絡を取ったりと忙しそうで邪魔するのも悪い気がして、接触するのを遠慮しつつあるうちに、どんどんと不満は溜まる。

「何で僕が、あんなのを僕の領地に入れなきゃならなくて?」

 椿が顔を顰めながらも、自分の部屋で不服をぼそりと呟いたときだった。


「ガキ、そんなにあの男が要らないなら、オレにくれよ」

「誰だ?!」

「……お前の救世主、もといあの男をここから連れ出してやる盗人だ」

 そう言って現れたのは赤と青の髪の毛がごちゃまぜになった、メイド達が少し騒ぎそうな男。

 人と人でない者の雰囲気は、これでも武芸をたしなんでいるので判るつもりだ。

 何より非常に危険な香りのする男で、これも一種の色香というべきかと戸惑うほどそれは目に見て取れる。

 椿は即座に、陽炎を庇護する者たちが遠ざけようとしている星座だと判った。

 人を呼ぼうとした刹那、自分の頬に彼の指がすっと触り、その指が徐々に刃物に代わり、自分の肌を傷つけるか傷つけないかぎりぎりのラインで触れていた。


「救われたいか、死にたいか?」

 男は静寂な場に似つかわしい声で、選択肢を二つ与えた。


 その言葉は、甘美だった。

 それに頷けば憎い陽炎を追い出せる理由が出来る。脅されて仕方がなかったのだと言い訳も出来る。父親にも怖くて立ち向かえなかったと言い訳が出来る。だから赤蜘蛛も仕方がないと思ってくれるだろう。

 椿は、少しだけ震えながら微笑んで、それは勿論、と言葉を続ける。

「救われる理由を作ってくれるなら」

「お前はオレに脅された。それでいいだろ。ほら、証拠にこうしてやるよ」

 そう言うなり星座は自分の頬に三本の傷をつけた。見かけからは痛々しいが案外そんなに痛く感じないのは、きっと陽炎を追い出せる高揚感の所為だろう。

 男は低く笑い、自分の机に腰掛ける。

「今、あいつはどうなっている?」

「禁断症状が出ても、魚座が似た成分の水を少し与えて、その水を減らしていって、依存性を減らそうとしています。時折、百の痛み虫が暴れますが、それは赤鬼金棒が押さえつけて、フルーティが彼の自我に呼びかけて、止めて、それでも止まらなかったら、獅子座が負担をかけないように秘孔をついて、気絶させます」

「……ふぅん、まだ暴れると言うことは、今あの水を大量にあげれば、また此方へ戻ると言うことか……否、以前より強くこっちを願うだろうな」

 星座はくつくつと楽しそうに笑い、それは闇の中では一際美しく見えた。

 この星座も陽炎の虜だと知っても憎くはなかった。この男は、自分の屋敷から陽炎を連れ去って、災難を減らしてくれるだろうから。そう、まさに彼の言うとおり救世主なのだと判ったから。

「初めて、あいつに入れ込んでる奴に感謝します」

「……――っふ、此方も感謝しよう。あいつの周りに、まだあいつを嫌う人種が居たとはな。否、これが本来の姿か」

 闇の似合う綺麗な男は綺麗に嘲り、綺麗な刃物の指を綺麗な長く白い指に戻す。

「さて、では詳しくこの家の構造や、今のあいつの生活リズム、人の来る時間帯、誰が居るか、を聞こうか?」



 ぼうっとした意識のまま目を開けば、そこには柘榴と鷲座しか居なくて。

 先ほど暴れたのだと思い出し、二人に謝れば「しょうがないことでしょー」と柘榴は笑い、鷲座は「少しずつは無くなってます」とフォローしてくれた。

 鷲座はずっと側にいてくれて、見張りのようだったが、それも今の状況ならば仕方がないと陽炎は苦笑していた。

 柘榴は側にあったバナナを手に取り口にしながら、最近の自分の傾向を教えてくれる。

 少しずつは回復しているようだ。陽炎はそう聞くとほっとする。

「あとねぇー獅子舞が、褒められたいみたいでさ、可哀想だから褒めてあげて。また狂った愛属性になられるのも困るから、偶にはそうやって愛情表現をあげてやってぇな」

「んー、嘘をつくみたいで、何か媚びを売るみたいで嫌なんだけど」

「じゃあ何かされてそれが自分にとって利益になることだったら、褒めたげなさい。わっしーだって、褒められたがってるかもしんないじゃーん?」

 柘榴がちらりと見やり笑いかけるが、鷲座は自分に話題がいっても、否定もせず笑いもしない。

 それは肯定と受け取って良いのか、陽炎は何となく鷲座の頭を撫でてみるが、鷲座は此方をちらりと見やって頬を少し赤らめるだけで、何も言わなかった。

「わんこにはいつも通りで平気。あの子はまともな星座だって今回判ったから。魚座の女王が暴走したらあの子ね。んで、獅子舞が暴走したら王冠。それで大丈夫」

「何で?」

 陽炎が問いかけると柘榴はバナナを全て口に入れ終えて、苦笑いを浮かべて、引きつった顔のまま理由を教えてくれる。

「魚座の女王と、わんこってば猥談で盛り上がるんだよ……それで、気が合うみたいで。仲良くなっちゃってさ。……んで、獅子舞は王冠のファッションセンスを認めちゃって、師匠! って仰いでる。んでもって、やっぱり反則技したからか、呼び出せる限度がなくなったから。仕組み、ちょっと変わって、獅子座と魚座と鷲座はおいらの命令を、他の星座より聞くみたいデスヨ。おいらには大体忠実みたいっす。これで、もう誰がどうなった時は誰を呼べばいいか、判っただろう?」

 嫌な理由だらけに陽炎は苦笑して、だけど何だかほっとしてしまった。

 確かに暴走してしまったときに誰を呼べばいいか分かり、頷ける。そして、それと同時に少しだけ寂しさが溢れるが我慢をしなくては。

 何故柘榴がこんな話をしているかと言うと、もしかしたら陽炎は母国へ戻るかも知れないからだ。

 あれから赤蜘蛛に会ってよく話し合ってみると、本当に自分が第二王妃の息子であることが分かり、第二王妃は自分に会いたがっていると知った。

 その話を聞いたとき居合わせた柘榴が少し寂しげな顔で「ほら、世界は暗闇じゃない」と笑いかけたのを覚えている。

 柘榴は自分が居なくなっても大丈夫なように対処法を教えているのだろう。

「柘榴、でも赤蜘蛛は、一回会うだけでいいって言ってたから、俺、此処に帰ってくるよ。お前、この街にずっと居るだろ? 劉桜も」

「ん、だけどさ、賞金首だからいつ死ぬか分かんないし? 俺は賞金首やめるつもりないからさ」

 その言葉は何処か悲しい響きを持っていた。そして、何か重みも。

 一緒に行かないか、と誘いかけるのは陽炎はやめておく。柘榴はきっと他にも救いを求めている者がいれば駆けつけるし、陽炎は自分のような奴を見かけたら柘榴に助けて欲しいと願うからだ。

 何より、柘榴には柘榴の狙いが、賞金首という生き方にあるような気がして。

 でなくば、こんなにも平凡でただ優しい人間が、わざわざ名が上がればあがるほど危険になる賞金首なんてものになろうとはしない。

「まぁ、お互い頑張って生きていこうじゃねぇの」

 柘榴は肩を竦めてそう言った。

 その言葉に鷲座が反応して、読んでいる本のページを捲りながら、言葉を投げかけた。


「綺麗な別れ方をしようとするんですね、二人とも。お互い感情をさらけ出してもいいと思うんだけど」

 鷲座は本を読んではいて文字を目では追ってはいるが、脳にはいるのは二人の会話だったようだ。

 鷲座の言葉に二人は一瞬きょとんとしてから、少し苦笑を交わす。

「……わっしーってば、何言ってるの。おいらたちゃいい大人なの。感情をさらけ出すだけむなしいって判ってるんだよ」

「じゃあせめて、友情の握手とかそういう臭いのぐらいしてみては? 今読んでる本に丁度、綺麗な別れ方をしようとして堅い握手をしてるシーンがあります」

 それを鷲座が教えると、陽炎と柘榴は視線を真正面からかちあわせて爆笑した。

 それから互いを見やって、お互い柔らかな視線を向け合う。

「だって、なぁー? 俺ら、もうそんな形だけの友情じゃなくなったし?」

「れっきとした悪友になったかんね」

「それはそれは。じゃあ小生とこの方が養子縁組したときは保証人になってください、柘榴」

「真顔で言うなよ、鷲座」

「……思いを否定してはいけない、そう言ったでしょう、小生も柘榴も」

 げんなりとする陽炎へ、鷲座は本を閉じて、判りづらい視線を向けて様子にため息をつく。

「じゃーどう反応すりゃいいんだよ! いやなもんは、いやなの! 俺ぁ、可愛い女の子と家庭を持ちたいわけ」

「その時はその時です。それにその頃にはプラネタリウムを捨ててるかも知れない」

 鷲座の言葉は淡々としているが、嘘も励ましもないので、少し清々しい。

 柘榴は苦笑して、それじゃまた明日、と部屋から出て行った。

 部屋から出て行っても手をひらひらとふっていた陽炎は、手をおろし、少し経ってから一人くすりと笑った。

 それに鷲座は少し驚いて改めて開いたばかりの本から目を離して、陽炎の方を向く。

 陽炎の夜色の瞳が自分を映したので、少しどきりとしたがそれは無視してどうした? と問いかけてみると、陽炎は微笑んだまま答える。


「俺にも、まだ運が残っていた、本当に柘榴の言うとおり世界は暗闇だけじゃないんだなぁって思って」

「……囚人生活、奴隷生活、それをしてきた君だから、余計に世界を暗く感じていたのだろうね。人の人生は、一人一人、一本のドラマになっている。終わりのないドラマ。そのドラマは恋愛ドラマだったり、青春ドラマだったりする。君の場合は、暗いドラマだっただけ。暗いドラマにはハッピーエンドが待ってる。……そう言ったら、救われます?」

「救われるね、有難うよ」

 陽炎が俯きながら笑うと、鷲座はこくりと頷いて、本へと視線を戻そうとした。

 だが一瞬で眼をきらりと光らせて、陽炎を隠すように抱き寄せて、耳元で他の星座を呼び出すように命じた。

 ……――奴らが来たのだろうか。

 だが来たのはこの屋敷に仕える人間で、鷲座は片眉をつり上げた。

 安堵した陽炎は呼び出すのをやめて、ベッドにぼすんと横になろうとしたが、その人間にお風呂の時間ですと言われて、嗚呼、と頷き立ち上がる。

「んじゃ、風呂いってくる。あいつらの気配はないんだろ?」

「……――断言できないのだけれど。十分ごとに様子を見に行く」

「ばっか、風呂なんて三十分ありゃ足りる」

 その陽炎の言葉に、気丈は完全に回復したのだなと鷲座は安心するも、何処か落ち着かない空気を、身に感じていた。

 ……柘榴を呼び戻すべきだろうか、そう迷ってる内に時間は過ぎていく。


 体を洗って浴槽に浸かると、湯が体に染みて疲れを癒す。

 はぁーっと息をついて、体を伸ばしたところで何だか変な感覚を覚えた陽炎。

 ぐらりと目眩のような感覚を感じるが、意識ははっきりとしている。こんな短時間でのぼせるわけがないし、今湯船に浸かったばかりだ。

 この水は。

 普通のお湯ではない……色をしていた。何処か、透明の海のような少し青みがある色で。

 入浴剤かなにかだろうと、そんなものを入れた経験が無い陽炎は、色だけでそう判断していたのだが……これはもしや。


 (――水瓶座の水を沸かしたお湯?!)


 慌てて出ようとしたが、普段ならば見張ってくれるはずの人間が自分を湯船に押さえつけていて、混乱する陽炎。

 陽炎は一気に恐怖感が心を満たし、離せと大声でわめき、必死に暴れる。

「陽炎様、人を信じやすくなってしまったのですね。哀れな方」

 鴉座の声が聞こえてびくりと震えた陽炎は、悪くない。責める人物は居ない。

 彼は星座へ、屋敷の持ち主から売り渡されたのだから。

 陽炎は慌てて混乱する頭を落ち着かせよう深呼吸するが、それが余計に悪い。

 湯気はまだ水瓶の水の成分が入っている、湯気が鼻から口から入っていく。

 いきなりの大量摂取に、陽炎は再び目眩がして、湯船に沈んで溺れそうになったがそれを見計らってか、鴉座が自分を救い出す。

「さぁ、陽炎様、参りましょう? 貴方の嫌いな人間の居ない、道具の世界へ」

 もう、陽炎は何も言えなかった。

 人間は、嫌い。

 こうして、裏切るから。

 それを見抜かれた気がしたが、もう信じるだけ傷つくからどうでもいいような気がして。

 久しぶりに大量に摂取した水への乾きが、ただただ体内に宿っていた。


 ――陽炎の意見を聞き入れながらも己の意見の合間、ということで二十分経った頃、浴場に行くと、そこには陽炎の姿は無くて。

 迎えに来た人物に問いかけると、禁断症状が現れてここから出て行ったと告げられた。

 ……禁断症状は、お風呂の時に出るなんて初めてのことで。

 何せ水というものに浸かることで少なからず安堵は得るはずなのだから。

 それなのに陽炎は湯船から脱出し、服を着替えて出て行ったと。


(――服を着替えて?)


 禁断症状の時に、そんな余裕があるのだろうか?

 精々バスローブを羽織って出て行くくらいになるのでは、と考えた鷲座は一旦は出た浴場に戻り、湯船の水を確かめようとするが、もう水は換えられて、洗われていた。

 ――何かが変だ。そんなすぐに水を取り替えるなんて。それも湯船を見る隙もなく。

 得体の知れない不安を感じて、慌てて浴場から出る。もしかして、また攫われてしまったのではないかと、プラネタリウムを確認しに。

 プラネタリウムが保管されている部屋に行くとそこには、椿が立って、プラネタリウムを持っていた。プラネタリウムは昼間だというのに、薄く室内に星座を描いていた。

「どうされました?」

「……――君こそどうしたの、その頬の傷」

「嗚呼、これね、実は脅されてしまいまして」

 にこりと微笑みプラネタリウムを手放して床に捨てる少年に、瞬時に陽炎が彼によって売り渡されたのだと知る。鷲座は糸目を見開き、少年の胸ぐらを掴みあげる。

 鷲座の背はあまり高い方ではないので、少年と同じくらいか、それよりも少し小さいくらいなので、少年は前のめりになりかける。

 少年は少し苦しそうな顔を一瞬はするが、にやにやとしていて、それが鴉座を思い出させる。

 鷲座の頭に、嬉しそうに話していたあの人の言葉が蘇る。


 ――俺にも、まだ運が残っていた、本当に柘榴の言うとおり世界は暗闇だけじゃないんだなぁって思って。


 あんなに嬉しげだったからこそ余計にこの少年が憎くて。漸く勇気を持てた発言を聞いたすぐあとだからこそ悔しくて。

 きっとあの人は、人間に裏切られて、また信頼できなくなってるだろう。疑りやすいのが、星座の愛する彼だから。


 (――どうして苛つかせてくれるんだ。どうして平穏を彼にはやらないんだ?)


 彼はいつも、平穏から遠ざかっていた気がする。それは彼自らかも知れないし、星座達がかもしれないが、少なくとも今は彼自らではない。


「……テメェみたいな下等生物がいるから、強くなろうと頑張ってる奴でさえ傷つくんだ」

 鷲座は今までに誰も聞いたことがない程鋭い声で、吐き捨てるように椿へ睨み付けた。

 椿は下等生物と聞くと、けらけらと笑い、嫌だなぁと否定する。肯定する人間はいないだろう。

「下等生物はどっち? 道具に頼ってばっかでないと生きていけなかったあいつと、ちゃんと自分の身は自分で守って生きて、人と接触することも拒まないで生きている僕」

「病を治そうとしている患者を突き落とす医者と、病に嘆く患者、どっちがどう見える?」

 茶化すような口調の相手に、瞳を冷淡に射抜いたまま低く問いかけると、相手は頬をかっと赤く染めて、睨み返してきた。こんな年端もいかない少年の睨み付けなんて怖くないので、鷲座はただ苛立つだけ。少年は苛立っている様子の相手に、恐怖を底知れず感じる。

「……――あいつが、あいつが全部奪っていくから悪いんだ!」

「最初から全て揃っていたテメェが言って良い言葉じゃない。両親も生まれたときから居た、故郷もあった、家もある、社交辞令でも友達は居て暴力なんか受けたこともない、飯にも不自由したことがない、悪い意味での差別されたことがない、生まれながらの貴族のテメェが言って良い言葉じゃない。初めて奪われそうになったからって何だよ、陽炎どのはいつも奪われていた」

 鷲座の言葉に弾かれたように椿は反応して、耳も真っ赤にして怒鳴る。ただ鷲座はそれを冷たい目で見やって静かに怒りを押し殺した声で諭すだけ。

「そんなのただの運だろ?! 運の所為だろ! 人をやっかんで、奪うなよ!」

「――それなら、今テメェがしてることは何だ? 漸く運を掴んできた人間から、テメェは全部奪おうとしている。友達も、故郷も……ドラマ全部、奪おうとしてるのは、どっちだ?」

 それに対して何か言おうとしていた椿を無視して床からプラネタリウムを奪い――これ以上はただの八つ当たりで時間の無駄だと判っているから――、鷲座は屋敷から出て行く。鷲の姿になり、柘榴の元へ向かう。


(柘榴、君しか居ない。人間に裏切られたあいつが、また人間を信じるようになるには君がプラネタリウムに入るしかない。幸いにも君はあいつの悪友で、小生の第二主人だ。君に、小生の愛する人を任せるから、どうか人間の立場を代表して、また人間を信じさせてあげてくれ――)



 柘榴は路地裏で人殺しをしてから、賞金首の相手の首をきりとって裏ルートでハンターに売り渡していた。それからハンターに念を押すように、自分は「フルーティ」だということを告げておく。これで、「誰かが」引っかかればいい――。遠い昔から願ってる「誰か」が。

 手に入れたお金で何を買おうか、陽炎へまた見舞い品でも買おうか、星座が好きな彼なら星座について書かれた本を買うか、星形クッキーでも土産に渡して嫌がらせをしてみるか、とくすくすと笑いながら街を歩いていると、この街では聞き慣れぬ鳥の声が聞こえた。

 この街では見かけたことのない大きな鳥で、遠い空で頭上を旋回している。それを凝視して鷲座なのだと感じると、とりあえず人がいなさそうなところへ行くつもりなのか鷲座は自分を誘導するように旋回をやめて、別の方向へ羽ばたいた。

 柘榴は胸がざわつきながら、人混みをかき分けて、空を見上げたまま歩く。


 よく見ると鷲の足にはプラネタリウムがあって、その瞬間柘榴はまさか、と呟き一気に血の気が引いた。瞬時にそれは怒気となって、血の気盛んに戻るのだが。


 ひとまず、前に陽炎が塒としていた小屋につくと、鷲座は人の姿に戻り、事情を説明してくれた。事情を説明された柘榴は、拳に力を宿そうとしても宿らなかった。やるせない、そんな感情が胸を占めて。


「……――あんまりじゃないか。何で、何で人と関わる勇気を持ちだした途端に……」

「あの少年に報復は後でしましょう。とりあえず今は、どうするかが先だ。人間に裏切られたのだから、人間でまた信頼させればいい、人間が助ければいい」

「だけど、星座よりも影響のある人間って――ッ」

「魚座どのは黄道十二宮だからプラネタリウムへ招く力があります。だから、魚座どのを呼び出して魚座どのに頼んでプラネタリウムの世界に来て……――否、どうか来てください。お願いします、柘榴様……。貴方にしか頼めません。貴方は、きっと誰よりも小生らを悪い意味でも良い意味でも理解していて影響がある――」

 鷲座はまっすぐと柘榴を見つめて、一礼をする。それでも戸惑ってるようなので、願いを聞き入れてくれるのならと、鷲座は柘榴に跪くが柘榴は慌ててそれをやめさせて、プラネタリウムの世界に入ることを承知した。だが、入った後をどうするか、を悩んでいた。

「こういうときさ、いつもだったら、わんこが泣きながら来てたと思うんだけど、何で今回は来ないの?」

「……――狂った愛属性、というのは考えられない。ここのところ、大犬座どのはあの人に甘えていて、あの人も甘やかしていたから満足していた。何か邪魔が入って居るんだ」

「だけど、邪魔って? 星座の世界に、邪魔って……」

「……それぞれの宮に閉じこめられているとか、ですかね? 本来、宮は一人一人にあるのですよ。とりあえず、君は魚座どのの力で共に先に水の宮に行っててください。小生は他の星座の様子を見に行きます。魚座どのの力でこれなかったら、小生も力を貸します」

 鷲座の言葉に、柘榴はプラネタリウムを少し恐れながらも睨み、こくりと静かに頷いた。

「出来れば一番に助けてやって欲しいのは、わんこ! あいつは、今居る星座の中で一番鴉座に対抗できるよ! 本人自覚無いけど! あと鳳凰座には多分何か蟹座が苦手とする力が眠っている! 星座に力がないってありえないんだ!」

「……――承知。では、いいですね、覚悟は?」

 確認するように慎重に鷲座は柘榴を見やると、柘榴は手にワイヤーを巻き付けて、短剣が腰にあることを確認してから頷く。

 鷲座が何かを唱えると、プラネタリウムは小屋の中で輝きまた夜空を作り出す、小屋の中に。

 夜空は醜いものを覆い隠すためにあるのだと思ったのだが、一番醜いのは夜空だったか、と柘榴は嘲り笑った。


(――だから、だから妖術にまつわる物にはろくな事がないんだよ。あんたは、妖術の怖さを知らないんだ、かげ君。綺麗に見えても、ほら、星の足りないあれは何処までも滑稽で逆に恐ろしい――)


「水瓶座、水……水……」

「陽炎様、まだ足りない。僕のことは?」

「好き……大好き……」

 うっとりと見やる眼、だけどその中にいつもの彼らしい強さは最早宿っては居ない。うっとりというより、虚ろと言った方が正しいのかも知れない。

 陽炎の自我は急に摂取された水によって、崩壊した。

 彼は最早、水に踊らされる人形状態だった。水の糸で操られて、水瓶座の側でぼんやりとしている。

 それを見ていて苛立っているのは蟹座、にこにことしているのは鴉座。

 水瓶座はもう少し水を陽炎へ飲ませようと動いたとき、蟹座が水瓶を壊して水を無くさせた。我慢の限界がきたようだった。

 でももうそんな水がどうでもいいぐらいに、陽炎はプラネタリウムに依存し、水瓶座にべったりと抱きついていた。

 水瓶の力は利用できた、だから水瓶座はもうこの場には必要ないし、水瓶さえなければ彼には力はない。

 蟹座はにやりと笑ってから、水瓶座から陽炎を取り上げて、水瓶座を蹴って、水の宮に閉じこめた。

 水瓶座は文句を言おうとしていたが、水瓶の力を失った彼は人よりもか弱い。

 水の宮の中には他の星座一同が居る。

「まさか、自分の巣窟を檻にするとは思わなかった。確かに五月蠅い奴らを此処に閉じこめておくのは好都合だ」

 賞賛の言葉を鴉座にくれてやり、それからくくっと喉奥で笑った。鴉座はそれに礼を言う代わりに、恭しく一礼を。そしてその時に、彼はご苦労様でした、と何故か労いの言葉を蟹座へとかけた。

 蟹座は首を傾げて、怪しむ。そして、刃で出来てる指を鴉座に向けようとした。

 その瞬間、心臓の辺りがどくりと波打った。

 鴉座を見やる。鴉座は自分から陽炎を奪い、目隠しをさせて頭を撫でていた。その態度はまるでこうなる昔からの、愛で方と同じで。

 そして愛しそうに抱き上げながら、蟹座へ言葉をやる。

「蟹座、貴方本当に私の能力が――情報収集だと思ってましたか?」

「……――情報収集ならば誰にでも出来るからな。薄々何か別の物だとは思った。空を飛ぶ者が、地を這う人間のことなど判るわけがないからな、能力で」

「――なら話はお早い。私はね、嘘つきなんです。鴉というのは嘘つきなのですよ。人を惑わすために嘘をつくのです。ねぇ、貴方のその属性が偽物だとしたら? 私の能力が、属性を操ること、だとしたら?」

 鴉座はにこにことした笑みを向けて、初めて蟹座へ友好的に心から笑う。蟹座はその笑みを見て、何かを感じるよりも心臓の鼓動のが気になった。

「……どういうことだ」

「貴方は本来忠実なのに、私が属性を操った。そう言えばお分かり? それとも仮に愛属性だとしても、今忠実に戻したら、貴方は今までの振る舞いを、どうお考えになられるでしょうか?」

「……どのみち、愛属性だっただろうよ。だがな、今、忠実に戻すのは止めろ」

「――ねぇ、蟹座。昔から貴方は主人思いだという姿を見てきましたよ、私は。誰にも作られたことないから、覚えて居るんですよ。絶対忠誠であった――そんな貴方は酷い自己嫌悪に陥り、この方への恋慕どころではなくなります。ねぇ、そんな面白い光景、どうやって見逃すことが出来ましょう?」

 ずっとずっとこうすることが楽しみだったような口調で、鴉座は戯れにくすくすと笑う。それに最後でも怯えないのが、流石蟹座というべきか、不敵に笑い、負けを認める。

「……――最初から独り占めが目的だったか? だとすれば、最初から手を組もうとしていたのが納得いく。お前は……狡い奴だからな…ッぐああああ!!!!!」

 蟹座は膝を折り、心臓を押さえて、肩で呼吸をしながら、大きく叫ぶ。

 鴉座はそれを酷く楽しい劇のように暫し見やってから、それから満足したのか興味なさそうに飛び立つ。

 自分の宮へ、鴉座の眠る場所へ向かって飛び立つ。

 陽炎のうつろな、水瓶座を求める声が聞こえるので、此処に居ますよ、と鴉座が返事をすると、陽炎は鴉座の首根っこに抱きついて安堵の息をついた。

 それに満足して、かつての陽炎に言ってみせる。今はもう居ない彼へ。

「言ったでしょう? 目的のためなら、手段も人選も厭わないと。例え貴方が私を求めていなくても、誰だか判らなければ私を求めているのと同じ。ねぇ、陽炎様、愛しておりますよ」


 水に囲われた洞についたら、他の星座の様子を見に行くと言っていた鷲座がそこにいて。

 中を伺って悔しげに見やっていて、その隣には、頭を抱えて叫んでいる蟹座がいた。

 柘榴は首を傾げて、鷲座を呼ぶと、鷲座は中を指さす、洞の中を。水の壁で中へ行けないその洞を。

 鷲座は糸目で穏やかに見える顔とは裏腹に剣呑な声で、冷ややかに皮肉の賞賛をする。

「鴉座どのはよく考えたようですね。確かに水の中に閉じこめてしまい、水瓶座どのから水の力を奪い、もう一人水の力を持つ蟹座を狂わせてしまえば、この洞は開かない。誰も開けられない、鍵を無くしたから。あの時の不意打ちとは違う……魚座どのの力も通じないでしょう」

「魚座の女王の力も届かないのか……――って、え、狂った? 蟹座が?」

「正確に言うと、正気に戻った、でしょうか?」

 そう言うと、鷲座は蟹座を指さし、無言で、知りたければ彼に話し掛けろと示した。

 柘榴は蟹座の肩を掴み、蟹座をゆさぶった。

 蟹座は暫く焦点の合わない眼をしていたが、柘榴が己を揺さぶっているのだと知ると、益々叫び、ひたすら謝罪をした。

 混乱する柘榴はとりあえず、蟹座を落ち着かせようと陽炎の話を避けて、鴉座がなにをしたかの状況説明を問うてみた。

「あいつは、あいつは皆を集めて、水の宮へオレと水瓶の力で閉じこめて、己は陽炎を抱えて、自分の巣窟へ戻った……嗚呼、オレは何と馬鹿なことを!!」

「……――もしかして、これが忠実のかに男さんの姿?」

 鷲座に問いかけると、鷲座はこくりと頷く。

 鷲座は、鴉座に属性を操られていたのさ、と一言言った。

「……もしかしたら、本当の属性かもしれないし、今一瞬だけ忠実にされてるだけかもしれないけれど」

「一瞬だけの正気でもいい、謝罪させてくれ、頼む!! オレは我が主人に何たる高慢な態度と暴力を……!!」

「……うーん、ラスボスがいきなり、ヒノキの棒で倒せるようになっちまった感じだなぁ」

 柘榴は頭を掻いて、とりあえず謝罪するつもりがあるならば水の宮の封印を解くようにさせようとしたのだが、それは無理のようだ。

 愛属性と忠実属性の星座は、同じ星座でも別人なので、今の彼には封印が解けないらしい。

 どうしたものかと柘榴は辺りを見回していると、あれ、と目を疑った。

 それから、呟きを声にすると、鷲座も自分の視線の先を辿り、目を見開く。

「鳳凰どの……!」

「あ、果物ちゃん、わしちゃん、……蟹座様」

 泣きそうな表情で此方を見やり、それから此方へ彼女は駆け寄ってきた。

 そして、蟹座に抱きついて泣き、蟹座は青ざめたまま固まって、自己嫌悪に陥ったままだ。

「ちょっと、鳳凰ねーさん、どうやって出てきたの?!」

「あの、穴があいてたから何かしらって思って見たら吸い込まれて、気づいたら外に出てて、穴があいてるのはいけないと思ったから閉じようと……」

「……――わっしー、これって……もしかして…」

「……――彼女の、眠ってる力だろうね」

 鳳凰座の力は、きっと封印と解除、なのだろう。結界に関する力なのだろう。

 無意識にそれをやってのけたのだろう。それを悟るなり、どうやって意図的にさせるか悩む。

 柘榴は少し焦りながら考え込んだ後、そうだ、と呟き蟹座へ向く。蟹座は柘榴の視線に怯えながらも、罪を償いたいのかまっすぐと見てくれた。


「鳳凰ねーさんに、あの水壁壊したらキスしてやれ」

「……勘弁してくれ。それだけは頼む」

 蟹座は目を細めて首をぶんぶんと振ったが、柘榴は容赦なく忠実属性の彼に対して後悔の念を刺激する言葉をかける。

「――かげ君の今まで培った人生壊したのは、あんたらなんだけど?」

 その言葉にはぐぅと蟹座は唸り、判ったと呟いて、己に抱きついたままの鳳凰座へ耳元にささやきかける。それはもう、げんなりと嫌そうな顔で。

 すると鳳凰座は一気に顔を赤らめて、頬を押さえつける。

「そんな、そんなはしたないこと……」

 とか鳳凰座は言ってるが、行動と思いは別のようで、真っ赤に彼女がなった途端、水の宮が破られていた。

 水の宮が破られるなり、熊のごとく猛烈な勢いで出てきたのが大犬座と獅子座。

「蟹座っちぃいいいいいい!!!! この外道畜生DVホモ伯爵があああああ!!!」

「死にかにぃいいいいいい!!!テメェ、サドバロンか! サドバロンなのか?!!!」

「二人ともすとーっぷ。バロンは男爵です」

 柘榴が鷲座に大犬座を抑えて止めさせて、獅子座は柘榴の言うことは聞くので不満そうな顔で急ブレーキがかかったように止まる。

「今の蟹座は何もやってない。怒るのは鴉座こらしめて、鴉座が愛属性に戻したときにしましょ。そんときに、色々としてやりましょー」

「……柘榴……――」

 柘榴の提案に、蟹座は目を見開き、眉を情けなさそうに八の字にした。

 それから、何か言いたげな顔をしたが、言葉を飲み込んでいる。

 蟹座がそんな表情をするだけでも大犬座や、獅子座には鳥肌ものだったが、それが余計に忠実である彼はとても後悔していて、陽炎を助けたいのだと柘榴は感じた。

「蟹座、少なくとも今はかげ君を助けたいんだろう? なら、何処へやられたか、判るよな? 教えろ、それが今の君に出来る罪滅ぼしだ」

「だが、鴉座に対抗できる星座がいるのか? 黄道十二宮の今居る奴らのなかで対抗できる奴は……」

「星座じゃないやつ入れても三人あわせりゃ文殊の知恵ってね。……――わんこ、わっしー行こう。おいらとあんたらでどうにか出来るはずだ」

「任せて、柘榴ちゃん! あんな奴に負けるもんですか! ノーマルラブの力を見せてやるわ!」

「……大犬座どの曰く男色野郎だそうですが、それでも努力は致します。参りましょう。案内しろ、蟹座」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る