第四章:朝焼けに戸惑う夜の皇子


 ――陽炎ちゃん、貴方が何をしようともあたしたちは恨まない。人間だってそう怖いものじゃない。だから、あんまり人に怯え過ぎちゃ駄目。時によっては人外の方が恐ろしいんだから。


「っていう夢を見たんだ」

「そう」

 冠座は陽炎からまた相談を受けながらも、やはり夢の最後の言葉だけは覚えるのかと学習した。

 今度大犬座に教えておこうと思いつつも、今は皆から非難囂々のデート、昨日約束した喫茶店のケーキをご馳走させてもらっていた。

 陽炎はケーキに夢中の冠座を見て、微笑ましいのか、にこにことして水を飲んでいた。

 お茶は金を取るし、どうもあの渋みは合わない。砂糖を入れても何処か苦く感じるのが嫌で、陽炎は飲み物で一番好きなのは、果実酒の次に水だった。

 だが水瓶座から貰う水と違ってあまり美味くないのは、あれが癒しの水だからだろうかと感じながらも、水を口にした。

「ねぇ、ところでさ、陽炎」

「何、冠座?」

「……さっきからさ、こっち見てる人がいるんだけど、ケーキ食べたいのかな」

 その言葉に顔を顰めて冠座の視線の先を行くと、薄汚れた暗い赤のマントを身に纏った中年が立っていて、確かに此方を見ていた。

 視線があうと中年は親指をくいっと動かして、外へ出ろと合図をした。

 ……陽炎は、挑発的な相手に苦笑しながら、「いってくる」と冠座に告げて席を立つ。お会計用のお金と彼女を喫茶店に残して、外へ出た。

 中年は此方を見ずに、歩を進める。

 進められた歩の先は路地裏で、成る程やはり裏家業か? と思いつつ一定の距離を保ちながら、陽炎は歩いていた。

 男は立ち止まり、くるりと此方を向く。

 睨み付けてくるかと思えば、いきなり名前の確認をされた。

「陽炎、百の痛み虫――そうだね?」

「うん、そうだ。それで、何の用?」

「……昔、セイラウド河に辿り着いて、ええとその後……」

「――盗賊に拾われて窃盗してとちって囚人暮らし。その後、奴隷になって奴隷生活送った。それがどうかした?」

 陽炎は嫌な過去を突然思い出させられたので、不機嫌な顔をそのままに中年を見やったら、中年は涙ぐんでいた。

 ただの通りすがりの同情の目ではなく、そしてもしも裏家業ならばそんなことで涙ぐんだりはしない。そういう生活があるというのは少ないわけがない、この国は。

 その突然の反応に驚き、陽炎は眼を瞬かせて、何となく一歩後退った。

「……何」

「探しました。探しました、皇子――ッ。貴方と巡り会うために、赤蜘蛛という名を作って良かった……!」

「へ。お、皇子?」

 中年は自分へ跪き、恭しく頭を下げるが、それは鴉座のするものと違って本格的に王室に仕える者のような振る舞いで。相手は自分が何か言うまで、否この調子だと言っても立ち上がらないのかもしれない。


(何が何だか分かんない――)


 陽炎はパニック状態の頭で必死に情報を整理しようとするが、まともに考えられないので、赤蜘蛛へ数十秒経った後問いかけようとした刹那、鴉座が現れ、自分の視界に鴉座の背中だけ映さなくさせた。

「鴉座?!」

「……嘘はおやめなさい、赤蜘蛛。貴方は立派な貴族に雇われたボディーガードではないですか」

「それは世を忍ぶ仮の姿です! 手がかりが、裏家業系と聞いたので……あの店を作って、彼を発見したのです。自分は皇子の行方を捜すために送り込まれた、ユグラルドという国の第二王妃の側近ですッ」

「……へ? だ、だいに…?」

「我が愛しの君、この方は頭をおかしくなさってるようです。逃げましょう」

 情報に信頼のある鴉座にそう言われると確かに、と頷けるが、その赤蜘蛛の目があまりにも真剣だったのを覚えてるので、陽炎は頷くことが出来なかった。

 いつもだったら自分の返事を待ってから自分を誘導する鴉座が珍しく、自分を強引に引っ張り駆けだして逃げ出す。

 背中から皇子、と言う声が聞こえたので振り返ろうとしたが、鴉座が切ない声で「後ろを見ないで」と言ったので、鴉座の自分を誘導する背中を見やる。

 「……鴉座? どうしたんだ?」

 一通りその中年をまいた後、陽炎は改めて鴉座に問おうとするが、鴉座は先ほどまでの不安そうな声は消し去って、にこりと綺麗な形で微笑んだ。

 それは、とても作り物っぽくて。

 違和感を感じた陽炎は目を細めて、鴉座を見つめて、ぺちぺちと頬を叩く。

「鴉座? お前、変だぞ?」

「それはきっと愛しの君が、例え相手の妄想でも皇子と称されて少なからずとも興奮してるのでしょう。私としたことが。身分が例え変わろうとも、貴方への愛は変わらないのに」

 やれやれと己へのため息を鴉座はついて、すみませんと謝った。

 陽炎はそんな鴉座に、苦笑して、変な奴、と称した。

 それから先ほどのことは忘れたように笑いかけてから、歩き出す。それに鴉座は安堵した。


(――まさか、妾が今や第二王妃の地位にまでなっていたとは。……異国のことだからと、無視していたが、まさか家来を変装させて陽炎様を捜させていたとは――だが……)


「冠座は、ケーキちゃんと食べ終えたかなぁ」

 目の前の主人は、やはり現実から逃げている。人間よりも自分の言葉を信じている。

 それを確認するなり、鴉座は、微笑んで、食べ終えたのを見てから来ました、と教えて安心させてやる。

 (――だが遅かったな、我が神の親族よ。この方は、とうに親族ですら拒否するような性格になったのだ――。我々にだけにしか、心開かぬ――)


 そう鴉座がくつくつと影で笑っていたのもつかの間、今度は別の方向から人間の陽炎を呼ぶ声が聞こえる。

 柘榴だ。

 陽炎は警戒心を露わに、鴉座は綺麗に作られた笑みのまま振り返る。

 振り返ると柘榴は、手をひらひらとふって、少しまばらにいる人の群れの中、陽炎の居る場所まで、身軽な足音で駆けてくる。

「な、何だよ」

「嗚呼、今日は見たことのない星座と一緒にいるんだぁな」

「……初めまして鴉座です」

 柘榴は陽炎に挨拶をする前に、隣にいる人物に気づき、陽炎と居るのだからきっと星座だろうと推測してみたら、それは当たっていた。

 当たっていたことに柘榴は、嬉しいような虚しいような何とも言えない感情を抱き、鴉座をまじまじと見る。己寄りかは背が高いだろうか、それとも同じくらいだろうか。

 鴉座は、これが、柘榴という人物か、と鴉座は昨日の女衆の会話を思い出しながら、愛想の笑みを相手に浮かべる。

 すると相手は愛想の笑みを受け取って、笑う。

「かげ君、こいつはどういう星座?」

「んー、主に情報収集」

「じゃあ別に許可は要らないよねー。許可なんて貰うつもりもなかったけどなぁ?」

 柘榴はけけっと意地悪そうに笑うと陽炎の手を掴み、鴉座にばいばいと手をひらひらとふった。

 「蟹座と違って、あんたは人間同士の親交を邪魔しないよな?」

 全てを分かり切った笑み、そう鴉座は感じながらも、自分もうわべだけの笑みを浮かべて頷いた。

 そう、自分はそういう位置でないと、陽炎からも警戒されてしまうのだ。

 なので自分はあくまで邪魔も束縛もしないという姿勢を保たなければならないことを、この男は一目で見抜き、容易く陽炎をかっ攫っていく。


 その場に残された鴉座は、ため息をつく。


「どうして、計画が進行し出すと貴方はもて始めてしまうのでしょう。こんなにも早く手に入れたいと切に願うのに。星座達の行動は、見抜きやすいのに――」



 陽炎は目の前の男に不信感を抱いていた。

 この男は賞金首でありハンターである自分とは敵だ。そして、椿という貴族に依頼されて自分を殺しに来たという。

 でもそれは昨日までの話、と言わんばかりに柘榴は陽炎をつい最近気があった友達のように気軽に接してきて、プラネタリウムを奪うと言ったのにプラネタリウムの話なんかしないで、ただ露店をからかったり、一緒に武器屋へ行って武器の口論をしたりした。

 それに混じらない自分を見ると笑いながら、反論しろよ店主に! と、口論に巻き込もうとしたりしていた。

 狙いは判っているのに、よく読めない。親しくなってから奪うつもりか、そう思えば思うほど陽炎は警戒心を強めていこうとするが、柘榴の嘘のない人間らしい笑みや、感情がはきはきと見えやすく判りやすいのを見ると、徐々にそれはほぐされかける。

 だがそう簡単に警戒心をとかないから、一部の星座は安心する。

 昔受けた人々からの仕打ちは陽炎に、根強く残っているのだ。

 奴隷生活では虫けらのように扱われ、囚人時代のような仲間などなくて、お互いがお互いこの生活から抜け出そうと、蜘蛛の糸のように我先に我先にと裏切る者たちを見てきていた。

 肉奴隷にされかける前日、プラネタリウムを拾い、そこから昔から受けていた痛み虫による星座が生まれて、鴉座と出会い、奴隷生活から逃げ出した。



(助けられたのは、俺なんだよ、鴉座――)


 ぼんやりと思い出す夜空に、苦笑を浮かべる。今頃は、あの闇鳥は情報の何を集めているだろうか?

「かげ君?」

 今はちょっと広場の色々な店通りの中央にある噴水で休憩していた。

 陽炎は、遠い昔をふりかえっていた自分に気づき、柘榴へ何でもない、と苦笑を浮かべた。

「かげ君はさ、友達はおるのかね?」

「あーっとね、一人親友がいるんだ。賞金首の劉桜ってんだ。赤鬼金棒って言えば分かるか?」

 唯一自慢できる友達話、だからか陽炎は嬉しそうに劉桜を語る。

 知っていたら嬉しい。もし怖いイメージで知ってたら、もっと怖いんだぞとからかってやろうかと思ったが、劉桜の額では無理だろうと残念だった。

 その笑みを見て、柘榴は少し安堵したような顔をしたが、愛嬌のある表情に戻る。

「嗚呼、赤鬼君か。前からちょっと金棒見せて貰いたかったんだ、丁度良い、紹介してくンね?」

 

 ――この男は、プラネタリウムだけでなく、友人も攫っていくつもりだろうか。

 柘榴の言葉に、自然と陽炎は睨んでいて冷たい声も出していた。

 それに柘榴は、「やーよ、怖いわーかげ君ー」とオネエ言葉で頬に手を当てからかう。

 陽炎は、その仕草にげんなりと、してしまう。

「……どうして、紹介しなきゃいけないんだ」

「ん、共通の友人は作りたいデショ。それにおいらだって、友達は増やしたいさ。同じ裏家業ならば余計に仲良くして損はないデショ」

「損得とか考えるわけ?」

 陽炎はため息をついて、馬鹿にするように柘榴を見やるが、柘榴はそれで気分を害した様子もなく、うん、と頷いて、それが何か? と首を傾げる。

「損得、利害一致してこその関係じゃん、最初って。親交が深まっても、それは関係してくると思うし。それがないって言ってる奴のがおいらは信用できんよ。少なからず、相手に癒しとかそういう得を求めてるはずだし?」

「じゃあ、お前は何で俺に関わろうとする? 俺に関わった得って何だよ」

 そう問いかけると、柘榴は少しだけ真剣みを出した顔で、自嘲気味に笑った。

「昔プラネタリウムで自滅した馬鹿を救いたかったのに救えなかった。その罪滅ぼし代わりを、あんたに求めてるんさぁ」

 その言葉には重みがあったのを陽炎は感じ取ったが、気づかないふりをした。

 気づかないふりは、得意なのだ。それに例え重みがあったとしてそれを指摘したとして、己を傷つけたり星座を傷つけるような言葉を返すのならば聞きたくはない。

「んだよ、代理かよ、俺ぁ」

「そ、代理。あんたは、もしも事前にあれがどういうものか知っていて救えていたら、こうなっただろうなっていうおいらの、希望。……これで、安心できたか? おいらがあんたに構ってる理由が見えて」

 そう言われれば確かに何処か安心できるものができた。

 理由が見えてくると安心できるものがあるというのを知り、陽炎は信頼関係や友情にもそういうものが必要な場合もあるのか、と少し目から鱗だった。

 柘榴は素直に頷く陽炎を見ると、素直で偉いなーとがしゃがしゃと頭を撫で回すので、自分のが年上である筈なのに、と陽炎は少しむっとした。

「頭撫でンなよ」

「撫でてるんじゃないの、髪の毛乱させて髪型崩す嫌がらせー」

「……地味な嫌がらせだなぁ」

 陽炎は、警戒心を少し緩めて、心からの笑みを見せた。

 一部の星座が嫉妬する一瞬。

 鳳凰座は言われたとおり蟹座を追いかけてるからか蟹座は現れなかったが、代わりに水瓶座が現れた。

 人目を惹く美しさ。だから人々は彼を凝視するが、彼はそれは自分があまりに変で醜くて浮いているからだと思いこみ、あまり外に出たがらない。

 それでも出ているのは、他にプラネタリウムへ執着させようとしている二人が動けないからだ。

「陽炎様」

「あ? 珍しいじゃん、水瓶座。お前が昼間に人通りが多いところに出るなんて」

「嗚呼、やっほー水瓶座。久しぶり、覚えてないよな、昔の主人の友人のことなんて」

 陽炎は水瓶座を見て、目を見開き、それから微笑む。その笑みはやはり、愛しくて。

 続く挨拶の声に、視線を向ける。柘榴は、手を一回だけふって、口元だけで笑った。

 柘榴のことは覚えてないが、何処か自分たちにとって危険な香りがするので水瓶座は眼に涙を浮かべて、水瓶をぎゅっと腕に抱えて、陽炎に視線で訴える。

「陽炎様、陽炎様はそんなに人間が良い? 人間と一緒だからそんな笑ったりするの?  それとも、嗚呼僕が不細工だから遊んでくれないんだね……」

「お前がネガティブだから、遊んでも後ろ向きなんだもん」

 いきなり現れてネガティブ発言をされて、陽炎は辟易とする。

 でもその言葉の中に、「やはりお前も他の人間と同じか」という意味合いが聞こえたので、陽炎はひやりとするものを感じながら、水瓶座に提案をしてみる。許しを乞うごとく。

「一緒に遊ぶか?」

「一緒は嫌です。その人間とは一緒に遊びたくないです。その人間、ちょっと顔良いから」

「あいっかわらず、自分の顔に気づいてないのな、あんた」

 柘榴は己の容姿にコンプレックスがある水瓶座を、それは個性だろうかと考えながらけらけらと笑い、己は立ち上がる。

「さて、おいらもそろそろ稼ぎ時だから、帰るよ。かげ君、いいかい、水瓶座の水は危険時以外飲むんじゃないよ? んでもって明日、夜に此処で会おう。劉桜っての紹介してくれよ、んで酒飲もうぜ!」

 柘榴はじゃあなぁと手をひらひらと振って、人混みの中へ身を投じて紛れる。

 星座と居れば、星座に依存しているので星座が何かしら手放せさせようとしている人間には失態させる。あるいは、主人の心の影を抉る。

 それを柘榴は知っているから、自ら陽炎から離れた。

 (――水瓶座、もう二度とあいつの二の舞は踏ませないよ)


「柘榴、いっちまったなぁ……」

「いいじゃないですか。嗚呼、それとも僕と一緒にいるの嫌ですか? 僕が……ブサ男だから。だから、あの人も僕の持つ水が汚れてると思って、飲ませたくないんだ」

 ネガティブになる水瓶座を陽炎はため息をついて、先ほど柘榴がしてくれたように髪の毛をわしゃわしゃと撫でてやる。

 それは少し元気になることだと知ったからだ。

「水瓶座、お前はもうちょっと前向きになろうぜ? な? お前の持つ水、俺は好きだよ。美味しいからな」

「じゃあ飲んでくれる?」

「んー、ほら、美味しい飲み物って、こう縁起良いときに飲みたいじゃん?」

 そうですか、と水瓶座は微笑んで安堵する。

 よかった、水へ警戒されてない。心から安堵する。


 ふと陽炎は夢を思い出す、大犬座の言葉。人間だってそう怖いものじゃない。

 そう、何が狙いかなんて判ってしまえば、さほど怖くない。ような、気がする。

 「水瓶座、人間ってもっと怖い生き物かと思ってたよ――」

 陽炎は何となく、水瓶座へぼやいた。

 だが水瓶座はそのぼやきこそが警戒心が緩んだ証であり、依存が少し抜けてる証拠だと悟り、泣きそうな顔をする。

 その泣きそうな顔を見ることもなく、陽炎はただ水瓶座の頭をあやすように撫でて改めて人について考え出す。


 夜、――陽炎は今日こそは起きていようと思っていたが、睡魔に負けて寝てしまった。

 それを確認するなり鴉座と水瓶座と大犬座が現れる。

「あれ、蟹座は?」

「嗚呼、朝から晩まで鳳凰ちゃんに追っかけられて疲れてる見たいよ」

「それで、大犬が来て邪魔しにきたわけ?」

 水瓶座の言葉に、子供には似つかわしくない邪笑を浮かべて大犬座は頷く。

 そんな大犬座にくすくすと鴉座は笑い、勇ましい小さき姫だと賞賛した。

「勇ましき小さな姫は、陽炎様が欲しくはないのですか?」

「何、同じ愛属性だからって勧誘するつもり? 残念ね、あたしは貴方達みたいに非道じゃないから、真っ当な暖かい愛でもって陽炎ちゃんを包み込むの」

 鴉座の誘惑に心動かないかといわれたら嘘ではないが、それでも自分だけでもしっかりしないと愛属性の名が折れると大犬座は意志を示し、ふん、と鼻で笑う。

 それに鴉座は手を合わせて目を伏せながらも、残念ですねぇと言葉を返した。

「非道とは手厳しい。否定は出来ませんけれども」

「非道じゃないの。あの赤蜘蛛ってやつ、嘘ついてる風にも、頭がおかしいようにも見えなかった。それに陽炎ちゃんには本当に、どっかの国王の妾腹って言う過去がある。折角、故郷へ帰ってお母さんやお父さんに会える機会を、貴方は踏みつぶしたわ」

「ええ、踏みつぶしました。その機会とやらの上で、タップダンスをしましたよ」

 こうやってね、と鴉座は得意げに少しだけやけに似合うタップを見せつけて、からかってみせる。それが大犬座を苛つかせて声を荒げさせる行為だと、鴉座は知ってて挑発してみせた。

 挑発にのった大犬座は血が頭に上り、カッとする。

「――何で、陽炎ちゃんの人生を貴方が奪う権利があるの? あたしたちは、ただの道具! 分をわきまえなさいよ!」

 大犬座は今が夜中であることを無視して大声で、その名の犬のように吠えた。

 吠えられても鴉座はにやつくだけ。にやついて、しぃーっと人差し指を立てて静かにさせようとするだけ。己が五月蠅くさせたというのに。

「我が愛しき小さな姫、仮に陽炎様が母国へ行ったとしましょう。そこではどんな扱いが待ってるでしょうか? 父君、母君が今更彼を捜す理由は? 城に仕える者たちは陽炎様の陰口を目の前でひそひそとやって、彼を傷つけるのではないでしょうか?」

 そこを言われると大犬座は弱いのか、うっとつまる。

 つまった大犬座を見て、水瓶座はくすくすと笑った。

 笑い声に反応して大犬座は水瓶座を見上げるが、水瓶座は麗しい冷笑を浮かべてまた提案をもちかける。

「陽炎様をより傷つけるのは、君も願いではないでしょう? ねぇ、そこは協定を結ばない? 赤蜘蛛に関わらせないっていう」

「――ッふざけないで。貴方達と一緒にするなって言ったはず。あたしは、例えそうなったとしても、その道を選んだのなら陽炎ちゃんの選んだ道ならしょうがないし、陽炎ちゃんが傷ついたときはあたしの体で慰める!」

「子供も産めない体で?」

「どっかの人間に乗り移っちゃえばいいのよ、ばれないように!!」

「君も中々、黒い性格してるじゃないか。偽善者」

 黒い性格と言われてそれは逆だ、と大犬座は思ったが言葉にはせず、片眉をつり上げた。

「黒くないわ、あたしは貴方達と違って少し人外より、人間寄りなだけ! 幸い、今関わろうとしてきてる人間は柘榴ちゃんと劉桜ちゃん。……二人とも、陽炎ちゃんにとってはプラスの人間だわ」

「……柘榴。そうだね、大犬の狙い通りに動くね彼は。依存が少し抜けている……」

 依存が抜けていると聞いて、鴉座は片眉をぴくりと跳ねさせる。

 それから、ふぅんと呟いて、何かを考え出す。

 その仕草を見て、大犬座は鴉座が何かを企んでいるのだと気づく。

「……絶対、絶対邪魔してやるんだから」

 大犬座の言葉に、鴉座はやれやれと大げさにため息をついてから、大犬座にとって不利になる現実を思い出させる。それは少しだけ、相手をするのが面倒になったから。

「小さき我が君、貴方の彼の人への愛は貴方の体のように小さい。先に私と水瓶座、それに蟹座が現れてしまいましたらどうしましょうね?」

「……ッう!」

「嗚呼、貴方の愛が少ないと言ってるわけでは御座いませんよ? 貴方の陽炎様への思いは知っておりますから。ただ、体と力が比例してしまってるのが哀れなところ、ですね」

 鴉座が「体が大きくてごめんなさい」と微笑むと、大犬座は二人を睨み付けて、このホモ変態衆ーと叫んで消えた。

 その消える瞬間に泣かせてしまったのは、少し鴉座としてはやってしまったなぁと苦笑してしまうところ。

 誰かを泣かせるのは彼の狙いではないからだ。例え敵対していても、主人を思う彼女の姿は可愛らしい。

 ただ、本命が同じでかわいさ余って憎さ百倍、なだけだが。


「……キャパシティは増えましたよ、現れたらどうですか、暴力男」

「……ぜぇっ、はぁっ」

 現れた蟹座は珍しく衣服を乱しながら呼吸を荒げていて、本気で青ざめていた。それは鳳凰座と対峙しないでひたすら逃げていたことを示している。

 その姿に水瓶座と鴉座は大笑いして、蟹座は本気の畏怖の残った眼で二人を睨み付ける。

「笑うなッ!」

「我が愛しき霊長に迫られるなんて羨ましいことこの上ないのにお前と来たら、何故逃げてしまうのだ? 彼女を虜にして操ればいいのに」

「馬鹿ッ。お前、精神年齢が幼いのに、体が凄い奴って本当厄介だぞ! 行為の意味も、その先の意味も知らない赤ん坊のような相手に、そんなことできるかっ!」

 青ざめたまま怒鳴られても何ら怖くないので、二人は逆に笑い声をあげてしまう。

「女性には優しいんだね、あ、それ以前に確か蟹って、女性恐怖症だったっけ?」

「違う! あいつ以外の女なら、普通に抱けるわッ! あいつは、……何かこう得体の知れんもんがあるんだ」

「それは多分貴方に足りない、純真さ、ではないでしょうか? 純真な子供を目の前にすると人は後ろめたくなると聞きますし」

 鴉座達はからかう姿勢をやめないので、自分から本題を聞き出すことにした蟹座。

 衣服も呼吸ももう整え終わったので、いつもの自分に戻り、二人を冷徹な瞳で見やる。

 多少はまだ青ざめているが血色は外に出たからか徐々に、良くなってくる。

「だから赤蜘蛛の周囲を探れと言ったのに」

「ただ星座を作りたくなかっただけじゃなかったのですね。そこは反省しております」

「赤蜘蛛を早く殺しておけばあんな言葉は聞かずに済んだ。それこそ死への恐怖で頭が狂ったのだと思うだろう、陽炎ならば。……今からでも間に合う。あいつを狙わせろ。お前の情報の信頼度、それに今は柘榴は休戦状態なのだから容易いだろう、し向けるのは」

「いいや、かえってし向けた方が危ないと思うけどな、僕は」

 二人は水瓶座を振り返り、どうしてだと瞳だけで問いかける。言葉はあまり、短い問いかけにはいらないのかもしれない。

 案外瞳というのは、口ほどに物を語るのだ。

「だって、多分接触しちゃうとより陽炎様の詳しいこととか話すでしょ。そしたら、陽炎様は確信しちゃうわけ」

「でもあいつは親と向き合う勇気などないし、向き合えたとしても否定で終わるだろう」

「――二人とも、忘れていない? 今の陽炎様は以前とは違う。少しずつ周りの環境で、依存が抜けつつあるんだよ? 劉桜という人間、柘榴という人間を通じて世間と関わろうとしている。そこで赤蜘蛛が関わってご覧よ」

 ――想像するのは二人とも容易かったので、息をついて考えを改める。

 あの人間さえ居なければ、と二人は苛つく思いの中、脳内で抹殺しておく。蟹座に至っては今実行してもいいような気分なのだが。

「もうそれなら、あの二人は放っておきましょう。此方により依存させることを考えましょう。あの二人の行動を利用するのも構わないです」

「蟹、鳳凰に迫られても君は現れるんだ。君が唯一、暴力や罵りで陽炎様を捕らえられる。僕は水で、鴉はその信頼度と姿勢で彼は安心するだろう。鴉は蟹を少し貶しながらもフォローしないと」

 水瓶座の言葉に二人はそんなこと百も承知だと分かり切った顔をするので、何だか水瓶座は自分を見下されていると感じ、少し怒りを感じた。

 ……だが腹の立つ二人だが今は手を組まねばならない。それを痛感してるからこそ余計に腹立たしく、それを確認するなり水瓶座は消える。大嫌いな奴の顔をいつまでも見てやる義理はない。

 鴉座は消える水瓶座ににこりと微笑んで手をふってから、蟹座を見やりため息をつく。

「全く、貴方は最低な男かと思えば、意外にも純粋だ。私ならば、鳳凰を虜にして逆に利用して此方側に引き入れてしまうね。自分を取り合う姿を見るのも面白い――」

 そう呟くと鴉座は消える。

 蟹座はその言葉にはため息をつき、ぼそりと呟いた。


「…………あいつ見てると、何かまな板の上の死んでる魚見てる気分になるんだよ」

「いや、それは変だから」

「大犬、黙れ!」



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