第二章:喧嘩なんざ買わねぇよ


 ――とにかく私たちはお互い仲が悪いですし、むかつくし、顔も見たくない。だけど、願いが同じなのは判っているでしょう?

――痛み虫を集めさせて、誰もが人と認めない程の強靱にして人々に疎外させて、僕らだけに依存させる。

――そのために奪われない、奪わせられないように、こいつを守る。


「って三人が企んでる夢を、見たんだよ」

 次の日、服屋で服を選びながら陽炎は、かんむり座に話す。

 冠座はショートカットのつり目の可愛らしい女の子で、黒い衣服のまま、自分の衣服も探しつつ、主人にあいそうな服を探す。

 スタイルに自信のない冠座は、スタイルの良いマネキンに嫉妬しながらも、主人の話を聞いて、ふぅんとだけ答えた。

 その返答に、「それだけかよ」と陽炎はため息をついた。

 もっとこう真剣に答えてくれそうな者に言えば良かっただろうか、と相談する度に繰り返す後悔を少ししながらも、陽炎は冠座に投げ渡された服を手に試着室へ入る。

 冠座は衣服選び担当なのだ。本人はセンスと言い張る抜群の色彩感覚が能力。

 ――ただし、そのセンスは全く対象者には抜群に外れている衣服へと働くのだが。

「だって、陽炎。あの三人は、愛属性なんだから何があってもおかしくないよ」

「……だからって、まさかあの水瓶座と鴉座まで……」

「気になるんだったら本人に聞けばいいじゃない。蟹座なんて案外、嘘がつけないんだから正直に言ってくれるかも知れないよ」

「馬鹿ッ! あんなのを用事がないときに呼び出したら、またぶん殴られてヴァイオレンスの始まりだぜ!!」

「陽炎がマゾだったら、丁度いいのにねー」

「冗談やめろよ!!」

 少しムキになって試着室からばっと出てきた陽炎。その服は、きっと若い子ならば誰もが選ばない、おばちゃん好みの衣服で、センスのない二人は似合わないということに気づかない。陽炎にもセンスはなかったので、オシャレと言う冠座を信じている。

 冠座は自分はオシャレだと思っているので、その衣服を見て、うん上出来と頷く。

 その言葉に思わず出てきてしまったのは、大犬座の幼女。

「ちょっと、冠ちゃんやめてよ!! 陽炎ちゃんには、もっとシンプルな服を着させなきゃ!」

「わっ! 大犬おおいぬ座、勝手に出てくるなよ……」

 そう言われると、幼女はつぶらで大きな緑の瞳にうるうると涙を溜めて、陽炎を見上げる。

 見かけの年は九才ぐらいだろうか。生意気盛りだと言われそうな年頃に見える。

 髪の毛は焦げ茶で、ポニーテールにしていて、少し猫っ毛でふわふわとしているのが幼女の自慢だ。

 自慢になったのも陽炎がその髪の触り心地を気に入ってくれているからで、それまではただの面倒な髪だと思っていたが、大切に扱うようになった。

 大切に大切に伸ばして、早く大人に見えるように髪を大切にしている。

 幼女の夢はいつか子供が出来るくらい成長して、お色気で陽炎に迫って子供を作って子供で陽炎を縛ること。

 なんとませた子供で、凄まじい愛属性だろうか。

 蟹座が乙女座で困るという理由は、こういう輩が出てこられると困るからと言う理由なのも含まれている。幸い、大犬座は子供で陽炎の好みの範疇外だったが。

 一方好みの中に入ってる冠座は、忠実の属性だ。大犬座に言われて一番陽炎に似合わないと思うものを持ってくるように言われて探している。

 冠座が衣服を渋々選び直している間に、大犬座は陽炎へ説教をしだす。

「陽炎ちゃん、衣服っていうのはね、外見とそぐわなきゃ駄目だし、外見以上に変なのも駄目!」

「俺の外見が変なのは知ってるよ」

「違う! 陽炎ちゃんは、外見じゃなくてセンスが変! おばちゃん服は着ちゃ駄目だし、かっこいいのも駄目だし、へそだしルックも駄目! だってあの三人みたいなホモ野郎が増えちゃうじゃない……ッ!」

 その言葉に陽炎は呆れながら苦笑い。大犬座は本気で、恐ろしいッと震えて、いやあああと陽炎にモザイクがかかりそうなことを想像して戦慄わなないている。

 陽炎はそんなことを想像している幼女が予測つくので、そっちに戦慄き最早もはや引きつった笑みを浮かべることしか出来なかった。体中には勿論鳥肌。

「第一、何で二人とも服のセンスがないわけ?! もっと鳳凰ちゃんを見習いなさいよ!」

 あれは逆に似合いすぎて怖い、と心の中で陽炎は呟いた。

 まぁそれはおいといて、大犬座にも先ほどの夢の話をしてみると、大犬座はまたしてもいやぁああと震えて、頭を抱える。

「本気で、本気で狙いだしてるッ! 本気で手を出そうとしているッ! 奴らが本気になり始めてしまったのね……! 蟹座っちが愛の時点でおかしいと思ったけど……! 陽炎ちゃん、もうこうなったら、あいつらより先にあたしと……」

「お前は、もうちょっと自分を大事にしなさい。それとガキは範疇外。大人に乗り移っても駄目」

 陽炎は大犬座の言葉を予感だけで当ててからそう言ってから、大犬座の文句も聞かず彼女が先ほど口にした言葉を反芻する。


 本気になり始めた。

 それは、……やはり、そういう意味で?

 それとも、主人を一人に統一させて、そろそろ本気でプラネタリウムの完成を狙いだしたと言うことか?

 プラネタリウムの力は凄まじく、破壊兵器という言葉は或る意味当たっている。

 黄道十二宮を揃えれば、きっとありとあらゆる刺客からは逃れられるほど強靱にはなるのだろう。防御も攻撃も治療も、そういった面に強いのを知っている。

 蟹座が良い例で彼のお陰で、瀕死体験は何度もしたが、それでも今日までこうして生きているのは蟹座が己に乗り移って敵へ攻撃すると、大抵相手は死ぬからだ。

 蟹座の機嫌が良くても、体の一部は必ず失うくらいまで攻撃する。とりあえず、黄道十二宮一人でこの威力とは、凄まじい。全員が揃ったときは。

 それ故に前の主人は急に怯えて――爆弾を抱えてるようなものだから――、一切の星座を最初から作り直すように封印してから、捨てたと聞いた。鴉座から。

 だから己が手にしたときは、何の星座もなかったようだ。

 何故覚えているかと聞いたら、星座には以前の主人の記憶が誰だかはなくとも、情報だけは脳に残っている星座もいるという返答を貰った。

「ふむ……」

「ふむ、じゃないの!! 陽炎ちゃん、もうこうなったら、肛門塞ぎなさい! 肛門さえ塞げば、男同士は……」

「馬鹿、便が出ないだろ! って、何でお前、どっからそんな知識得てるの! 俺の教育法が間違ったように見られるから、人前では猥談はするな!」

「あら、教育法が間違ってるように見られてもあたしは平気よ。間違って育てた責任をとってよ、体で」

「……愛属性な奴って、変態ばかりな気がしてきた」

 ため息をついて、陽炎は大犬座から離れるように衣服を選んでいる冠座の方に歩み寄る。

 一生懸命に一番似合わなさそうなものを選んでいる冠座。だけど他の者が見たら、それは素晴らしく陽炎にはぴったりと似合うであろうセンスの良い物。

 彼女の能力は確かにあるのだから、彼女が選ぶのとは逆を目指せばそれは己のために生まれた衣服のような存在感になる。

 それに陽炎も冠座も気づかない。

「冠座、服決まった?」

「一番似合わないっていうのが、結構難しい注文よ。私、ほら、センス良いから」

「うん、だよな」

「それで? 果物と赤蜘蛛、どっちを優先するの?」

 その言葉にむぅと唸る陽炎。

 星座は見たいし、新しい仲間とも話してみたい。だがそれをしてみると、蟹座からのドメスティックバイオレンスが待っている。蟹座に力で勝てる者は今のところ居ない……。

「あー、でもいざとなったら、大犬座の力で逃げればいいか」

 大犬座は交通を操ったり、逃げやすくしてくれたり、乗り物になってくれる。

 なので、長距離行動や、逃げるときには重宝されるものなのだ。

 陽炎の呟きに、「じゃあ果物?」と、冠座は首を傾げて、服を押しつけて試着室へ陽炎を押しやる。



「いいや、両方にするよ。そしたら、赤蜘蛛の周辺もやったじゃんって言えるからね。同時進行でいこう」

「陽炎、余計なお節介かも知れないけれどね、二兎を追う者一兎も得ず、っていうよ? それに、あいつら三人が何か企んでるっぽいことがさ、星座関連なら……集めるのやめてしまえばいいのに、って思う。陽炎は、十分やったよ。百も痛み虫を集めて、頑張ったよ」

 冠座の言葉に何か考えにふける様子が、試着室越しから感じられる冠座は陽炎の返事を待つ。

 陽炎は数分経って、着替え終えながら、返事をする。

「でもさ、俺、鴉座作ったときに、あんなに感謝されたの初めてなんだ。まさか自分を作ってくれる人がいるなんて!! って、泣かれたんだよ。……きっと、他にもそういう星座はいると思う。だから、……なるべく、作って、そんで俺も昼に完璧なプラネタリウムを見てみたいんだ」

 そう言って試着室から出ると、陽炎の衣服は陽炎の眼鏡に見合う上品な装いになっていた。

 その上にはマントではなく、コートを選んでみた冠座は、陽炎を半目で見やり、ふぅんと頷いた。

「陽炎はそういう知られていない星座を作りたいの? 黄道十二宮じゃなくて。黄道十二宮なら強い力持ってるよ。鳳凰を見てみなよ、鳳凰には何も力がない」

「力がある、ないだったら最初に十二宮作っておしまいじゃね? ……なんつーかなぁ、誰にも見つからない場所に閉じこめられて、見つけてくれたときの嬉しさって言うのは分かるからなぁ。鳳凰はあれでいいの、あの子で俺は癒される。愛だったらもっとよかったんだけどね、あの変態三人じゃなくてさ……!!」

 陽炎は顔を俯き、もう嫌だと言わんばかりに首をぶんぶんと振って、気苦労の多さを見せつけてくれた。何だかこう育児に疲れた主婦を見ている感覚だった、冠座は。

「はいはい、泣かないの。ねぇ、大犬、これでどうかしらー?」

 冠座曰く全くセンスが伺えない衣服に、大犬座はOKを出した。

 それに二人は首を傾げて、こういうのが本当にいいのだろうか、と疑問に思った。



「嗚呼ッ我が愛しの君、何て今日は魅力的な装いを。悪魔の囁きが聞こえてきそうです。それを実行してしまわないように、今日は気をつけるので、そのために手をお繋ぎ、悪さをしないおまじないをしてください」

 店の外に出ると、鴉座が現れて、手を取って握ろうとしたので振り払う。

「理由になんねぇ。却下。フルーティと赤蜘蛛の周辺を今日は探っておいてくれ。それと……」

 陽炎は言いかけて、鴉座の顔を見て止まった。


 (――夢は、あの夢は)


 陽炎は言おうか言うまいか悩んだ。口の動きが、最後に発した「と」のまま止まり、だるまさんが転んだのように、体も口も止まっていた。

 己より少し背丈が高い鴉座を見つめる。鴉座は首を傾げて様子が何処か変な陽炎に気づいたのか、気分を楽にさせようと、手の甲に口づける。

 それに強張った体が溶けて、怒鳴り鴉座を殴ったところで、陽炎は何だか変なもやもやとしたものがとれたような気がした。


 (……――まさかな)


 陽炎は夢のことを問うのを止めて、情報収集しにいく鴉座へニィと微笑み、いってらっしゃいと肩を叩いた。

 その間、己は武器の手入れでも頼もうかと街をふらつくことにして、叩いた手をポケットへと忍ばせ歩く。

 その背を見て、鴉座は手をふって、姿が見えなくなると、苦笑を浮かべた。

 必死に嬉しさを隠してるような、だけど何処か恥ずかしくて笑えないような、苦笑。

「……私が泣いていたこと、覚えててくださってたのですね。そんな貴方だから、私は貴方を手に入れるため、何処までも残酷になれるのですよ……」

 呟いて、先ほど主人の手の甲に触れた己の唇に指先をあてて、なぞり、ふっと幸せそうに微笑んだ。その姿は人混みに飲まれ、誰かが瞬きをしたら消えたと錯覚する居なくなり方をした。



 武器屋に行くとそこにはハンター達が居て、色々な声が聞こえる。

 自分は何処の誰だから安くしろ、自分はこれほどの腕前なんだから上等な武器にしろ、自分は――と喧噪が聞こえる。

 自己主張が激しくて嫌になるねぇと苦笑しつつも、陽炎は以前に研いで貰ったとき満足のいく仕上がりをしてくれた鍛冶屋のコーナーへ歩み、声をかけると、今主人は外に出てるから待ってくれと言う声が聞こえた。

 陽炎は判ったと返事をして、そこらにある武器を適当に眺めていた。

 シミター、ナイフ、大剣、ランス。様々な物がごちゃまぜに並んでいる。

 値打ちのありそうな物が、ごちゃまぜの中に紛れていたので、この値打ちがありそうな武器を見つけた奴は運が良いんだろうな――と陽炎は笑いたくなる。

 陽炎自身は今は必要ないので、購入しない。

 外から馬の蹄の音が聞こえて、恐らく馬車が表通りを通ったのだろうと思えば此処が目的地だったらしく、此処で止まる。馬車から現れたと思わしき人物は陽炎の居るコーナーへと来る。

 その装いが自分以上に上品かつ高級そうな装いで此処には似つかわしくなかった。

 何処かの貴族だろうかと思うほどに、優雅な立ち振る舞いは見れば見るほど此処にふさわしくなくて。

 だけど優雅さには年齢が見合わない。何処かのお坊ちゃんに見える、十代後半といったところだろうか。

「マダム、マスターはご在宅で?」

 陽炎に旦那は今居ないと言ったおばちゃんは、貴族の少年に同じ言葉を言う。

 すると、少年はどうしたものかという視線をしてさまよわせたところで、陽炎の目とかちあった。

 陽炎は眼をぱちくりとして、いきなり愛想笑みを浮かべるほど愛嬌があるわけではないので、すぐに陽炎は視線をそらして武器を見やる。少年は陽炎の手の中にある武器に興味を持ったらしくて、話し掛けてくる。

「綺麗な刃先ですよね、重さは?」

「持っただけで判るわけないだろ。帰ってきたとき店主に聞いてみたら?」

「……それもそうですね。貴公も此処で店主をお待ちに?」

「うん、まぁね。……敬語で返さなくても、怒らないんだな?」

 そう陽炎が首を傾げて武器を置くと、相手の少年はだって年上っぽいからと上品に微笑んだ。

 貴族というのは大抵、敬語で返さねば怒るので、陽炎は喧嘩を売って脅して金でも取ろうかと思ったので普通に喋ったのだが、返って上機嫌にさせてしまっただけで、何だか損した気分だった。

 そんな心中を予測していたように、少年はくすりと笑い、陽炎が今棚に下ろし、先ほどまで手にしていた武器を手にする。

「僕はそこまで短気じゃないです。そんなことでいちいち怒っていたら、家の質をさげてしまうでしょう。家名に傷が付いてしまいます」

「成る程。立派な精神だこと。それで、その立派な精神の坊ちゃんは何処の誰?」

「僕は、椿ちんとでも呼んでください、百の痛み虫様」

 ――自分のことを知っていた。以前、見かけたかな、と思考を巡らす陽炎の手間をとらせないように少年は言葉を続ける。

「ハンターの顔と名は一通り、覚えるようにしておりますから」

「……何故? 何、ボディーガードが必要だとか?」

「自分の身は自分で守りますよ。ただの興味本位です。この二つ名はどこから来てどういう人なのか、そういうのを考えるのが好きなのです。リストを見ていて、とても面白い。でも貴公の二つ名はすぐに想像出来てつまらなかったです」

 つまらないと言われて、陽炎はああそうと笑った。

 だが笑った瞬間、少年が持っていた武器の切っ先が自分の喉を狙っていて。

 その瞬間、陽炎に咄嗟に蟹座が宿り、陽炎は眠りにつく。

「――何のつもりだ、ガキ」

 陽炎の癖に、陽炎とは思えないほど邪悪な笑みを浮かべて、蟹座は切っ先を人差し指と親指でつまみ、ぐぐっと力任せに切っ先を自分から外す。力任せといっても、さほど力は込めては居ないのだが。本気で込めたら武器を破損して、弁償せねばならない。

「あれ? さっきの貴公じゃないみたい」

 椿は、眼をきょとんとさせつつも、何か物珍しいものを見るような目で嬉しそうな声を発して、切っ先をずらした相手を見やる。

「行きずりのお前にはどうだっていいことだろう。何だ、自分の二つ名がつまらないと言われて納得して笑うことの何がおかしい」

 その言葉に一番苛立っていたのは蟹座だった。




 百の痛み虫。

 それは常人には真似が出来ない。痛みがどれほどか、なんて想像ですら出来ないはず。

 同じような痛みでも痛み虫として体内に入れるために何回も同じような怪我を負ったこともある。病気だって、流行病だって――。

 痛み虫が体内に入らなければそれは、ただの怪我や病気とされて治る時間だってかかったり、下手したら命を落としていたりするのに。

 それなのにこの目の前の子供は想像しやすいと言い、そして自分の主は納得して笑った。


(どうしてお前にはプライドがないんだ。お前は劣っていると言われたようなものだぞ……――)


 後で腹をボコ殴りにしてやろうとうっすら想像しつつ笑みを浮かべて、少年に眼差しだけは睨み付ける形で問いかけた。

「だって、自分を見下げる奴って僕は嫌いなのです。名はつまらないとはいえ、腕は生き残ってるなら本物じゃないですか。……それなのに、他人に馬鹿にされても納得してしまうその誇りのなさに、むかついてしまったんですよ。貴公の作戦ですか?」

 少年は、だって僕と喧嘩するつもりだったでしょう、と続けてくすくすと笑う。

 蟹座は少年の言葉に全くだと心の中で頷きながらも、陽炎としてはそこで別の言葉を言っておかなくては矛盾してしまうので思ってもないことを言ってみる。

「そう、わざとだ。でなくば、自分を卑下することはしまい?」

「……――なぁんだ、そうだったんですか。つまらないの、案外貴公と喧嘩してみるの楽しそうだったのに」

 視線だけで何故だと問うてみる。先ほどは興味の欠片すらもなかったようだったのに。

 そうすると少年は、武器の切っ先を己に向けず天に向けて見せてみる。

 よく見ると曲がっている。それも、己の手は刃の切る部分には触れずにいたので、手が切れていることはない。

「人のなせる技ではない。腕前は、流石百の痛み虫ですね。それともそれは痛み虫が治したのですか?」

「知らん。気分が悪い、さっさと去れ。貴族のお前ならば、金を出せばどんな上等な鍛冶でもやってくれる奴がいるだろう? 此処は金のない奴が来る場所――痛いッ! おかみ、何をする!!」

 文句あるなら来るんじゃないよっと店主の嫁は、恐ろしいことに機嫌の悪い蟹座の頭を殴って掃除に戻った。

 ここで一般人を殺すのは、陽炎とは違う行動なので出来やしないし、陽炎の武器を一層美しく研いでくれる店なので、蟹座は不承不承ふしょうぶしょう許してやることにした。

「……とにかく、何処か別の所へ行ってくれ。オレは此処に用事がある」

「此処を贔屓にしているのは、貴公だけではないんですよ。僕は武器を引き取りに来たんです」

「ままごと武芸か?」

「そのままごと武芸に、喧嘩売ろうとしたくせに。話せば話すほど、貴公は腹が立つね。卑下するかと思えば今度は高慢。その癖にそれなりに見合った腕前。……殺し屋に頼んで貴公を殺して貰おうか」

「オレを殺せる奴がいるとでも?」

 はっと鼻で笑って蟹座は、今のが素の自分だったことに気づくがやってしまったものは仕方がないので、もう煽り続けようと覚悟した。

 どうせ、どの刺客が来ても自分が殺してしまえばいいのだ。

 それに仮にも認めては居ないとはいえ、主人を侮辱した罪は死で購って貰おうかという、恐ろしい思考が軽くあったりした。



「じゃあ、フルーティに頼んでみようかしら」

「……ッそ、そいつは駄目だ。そいつ以外、そいつ以上を頼む」

「何故?」

 予想外の刺客に思わず蟹座は眼をゆっくりと開き、狼狽える。

 まさか、それで星座が出来てしまうから、など言えまい。それに信じても貰えないだろう。信じて貰えたとしてもプラネタリウムを欲しがられてしまうかもしれない。貴族というのはそういう厄介なのに興味津々だからだ。

 ところが少年はフルーティを恐れているからかと思ったからか、その人物に決めたようだ。

「いつも狙わせてあげるから、明日から期待してくださいね。それでは、さようなら、百の痛み虫」

 少年は笑みを浮かべて、さっさと去ってしまった。

 嗚呼、墓穴を掘ってしまった。すぐさま自分は陽炎の体から離れて、具現化する。

 そして項垂れてため息をつく。

 そんな彼を目の前に、寝ぼけ眼で頭をふって、陽炎はどうした、と問いかけると同時に蟹座からドメスティックバイオレンスを受けた。


「貴様が余計な事をやるから――ッ!!」

「痛い痛い痛い!! やめっ、ぐぅ!! な、何だよ、何が起きたんだよ?!」

「……明日から、果物が刺客でやってくる。さっきのガキに依頼されてな」

「おお、マジで? って、痛いー! げふっ!」

「喜ぶな、この軟弱! 折角人がお前の身にわざわざ乗り移ってやって危機を回避してやろうとしたのに、このくそガキがッ!」

「ちょっと、どうしたの! 喧嘩なら外でやってくれないかい!?」

「了解した」

「え、ちょっと待って、何でお前、俺以外には忠実なんだよ――ッ!!」

 蟹座は店のおかみに言われると、陽炎を脇腹に抱えて、暴れたら流行病を持ってくると言いつけて陽炎を大人しくさせる。

 流行病は以前、一つだけ体験して痛み虫を手に入れたがあの時は本当に辛くて死ぬかと思ったから、出来れば流行病は避けたいのだ。

 蟹座は路地裏に陽炎を連れて行き、腹を中心的にボコ殴りをして楽しんだ。

 笑い声と、反比例して己の鈍く殴られる音は響かない。壁などにぶつけられなければ、早々目立つことはない。ただの喧嘩で、例え通りすがりが見たとしても済まされる。


 (こいつ、いい加減にしろ――ッ)

 そうしているうちに、鳳凰座を召喚してひとまず対蟹座避けをした。

「あ、蟹座様……」

「何だ、鳳凰。オレは今忙しい。こいつを躾けて居るんだ」

「躾けている……? あの、でも陽炎様はご主人様で――」

「五月蠅い。お前もオレに殴られたいか?」

 蟹座は暴力行為に溺れていたからか酷く興奮していて瞳孔が開いていた。

 そんな興奮状態だからこそ、自分でもうっかりとした言葉を鳳凰座にかけてしまった。

 かけられた言葉に鳳凰はきょとんとした後に、うっすらと濃艶に微笑んで、頷いた。少し頬を赤くして。

「……はい、蟹座様からの痛みなら喜んでお受けいたします」


 甘んじて傷みを受け入れ喜ぶ女――君が悪いと、虫酸が走る。

 蟹座はぞくっと鳥肌が立ち、その鳳凰の熱っぽい瞳に耐えられず、後退り瞬時に姿を消した。

 その間に陽炎は漸く呼吸を整えて、痛み虫からの治療を受けた。

「嗚呼、本当、お前にはいつも助かるよ、鳳凰座姉さん――」

「――? 私、何かしたの? 蟹座様、消えちゃったわ……」

 鳳凰座はしゅんとした様子を見せた後に、陽炎に水瓶座を呼んでみてはどうかと尋ねるが陽炎は首を振る。

「痛み虫が治療してるから、大丈夫だよ。自然治癒能力なくなったら、困るからな」

「そう――。陽炎様、いたいいたいとんでけ、する?」

「痛み虫飛んでいったら困るでしょう、可愛いなぁ鳳凰はーっ」

 けらけらと笑っているところに、鴉座がやってきて、鳳凰座に跪く。

 いつも陽炎に浮かべている笑みを鳳凰にも向けて、恭しく頭を下げる。

「嗚呼、鳳凰の君。まさか今この瞬間、この場で出会えようとは。我が愛しの君の心遣いに感謝致しましょう。ですが、愛しき人が二人いるというのは大変心苦しい。とりあえず、久しぶりの鳳凰の君との邂逅を喜び祝しましょう」

「……カァーちゃん、あの、さっき蟹座様が……」

「……何かあったのですか?」

「詳しくは陽炎様から聞いてね、私、蟹座様が心配だわ。何だか青ざめていきなり消えてしまったんだもの」

「うん、鳳凰座姉さん、プラネタリウムの中で追いかけちゃって。きっと寂しがってるから☆」

 にたりと人の悪い笑みを浮かべて陽炎は、蟹座が鳳凰座が苦手なのを知っているので、仕返しとばかりにそう命じた。

 そう言われると鳳凰は素直に蟹座を心配しているのだなぁと主人に感心して、微笑んでそれでは、と消えていった。



 鳳凰座が消えると、ふぅとため息をついて、鴉座に視線も向けず陽炎は腹を押さえた。

 あざになっても今痛み虫に治療されて、消えて居るであろう箇所を。

「お前はタイミングがいいなぁ」

 己を見る目がいつもより温かく幾らかの安堵感を宿している。

 それに気づいた鴉座は、眼を少し見開き、真面目に問うた。

「? 我が愛しの君、どうされたのです、本当に。また蟹座が何か?」

「んー、明日からフルーティが狙ってくるらしいっす。蟹座がそういって八つ当たってた。勝手に人の体に許可無く乗り移ったのにね」

 げらげらと笑いながら言う陽炎にあわせて、鴉座は微笑んだがそこで事態を飲み込んだ。


(――恐らくは、この方の命が本当に危うそうになったのだろう。そうでなくば、あいつは傷つくこの方を見て楽しむだけだ。それか、この方が貶されたか――、両方だな)


「鴉座?」

「いえ、何でも」

 暫く黙り込んで微笑んでいた鴉座は陽炎へ首を振って、今度は陽炎へ跪くがすぐに陽炎に文句を言われて跪くのをやめさせられる。

 つれないなぁといつもの口癖と共に、赤蜘蛛のことを報告する鴉座。

「どうやらね、劉桜殿と一緒に居たあの曜日に毎回訪れてるようなんですよ」

「何処の誰に雇われてるんだっけ?」

「貴族です」

 嗚呼、此処でも貴族が出るのか、厄介だなぁと陽炎はくすくすと笑った。

 現状を楽しめる余裕のある主人には、此方がため息が出てしまう。鴉座は息をついて、陽炎を少し睨み付けるように見やる。

「貴方はもう少し命の大事さを自覚しなさい。それとも痛み虫を百も集めて、麻痺してしまいましたか?」

 鴉座の言葉は保護者らしくて保護者が居ない陽炎には暖かい情を感じられて、ふと柔らかく微笑む。笑みに鴉座は少し面食らって照れて、陽炎を叱るように呼んでいるが別に馬鹿にした訳じゃないことを述べる。

「さぁ? これでも命は結構大事に扱ってるんだけどね。どうもそう見えにくいみたいね、俺。多分蟹座がいつもドメスティックバイオレンスしてくるからじゃない? 或る程度の暴力にゃ慣れちまったよ。痛いことは痛いけど」

「おや、では我が愛しの君はあの、狂気の愛を受け入れるおつもりで?」

 陽炎はマゾなのだろうか、だとしたら自分のスタイルも改めなければと鴉座は考えつつもそれは必要のないことだとすぐにくる返答で判る。

「それとこれとは話は別。つかね、俺は、お前ら変態三人の愛は受け入れん。いや、四人か。友情ならば、大歓迎」

「それは誰と誰?」

 その返答に自分は好きな人をひたすら愛でたいタイプなのでスタイルを変えなくて良いと分かり、安堵しながら聞いてみる。見当はつくが。

「お前と、水瓶座と、蟹座と、大犬座」

「私を筆頭にするとは、何たる屈辱でしょうか。これも愛の試練ならば、私は耐えて見せましょう」

 そうやって揶揄すると陽炎は馬鹿と笑い、再び武器屋に訪れて今度こそ武器の手入れを頼む。

 武器はその間、代わりのメイスの一種モーニングスターを借りたが、メイスなんて使ったことがないので、どうやって使おうかと武器を手に持ちながら、鴉座と歩いていた。

「で、貴族は誰? 赤蜘蛛の方は」

「御祓(みそぎ)という名を代々受け継がれる方で、この国の王族遠縁の血を受けているとか。結構な位ですね」

「ふーん。俺らには無縁の話だね」

「……無縁じゃないでしょう。貴方はだって……」

「無縁なの」

 鴉座の言葉を制して先に言っておく陽炎。まるで、それは自己防衛のために先に前もって言っておくように感じられて。

 陽炎の表情を伺うと、陽炎はメイスの方に夢中で鴉座には目もくれてなかった。

 (――プラネタリウムはね、陽炎様)



「……貴方がそう仰せになるならば」

 鴉座は小さく、陽炎には聞こえない声で呟く。



(プラネタリウムは、陽炎様、主人となった方の過去を皆作られた星座は知るんですよ、例え貴方の記憶にないことでも――。だから、貴方が遠い昔、こんな小さな国より強大な国の妾腹故に川に流された孤児だってことも、私達は知って居るんですよ。そして貴方がそれを知らないままでいようとしているのも――)


「何、鴉座?」

「いえ、ただ我が愛しの君が此方へ振り向いてくれないかなと思っていたのですが、振り向いてくださいましたね?」

 鴉座がにこりと微笑む。茶化すと相手は己を否定する。そして否定することによって安心する。そのために、茶化す。

「……お前の中には愛しの君が、何人いるんだか。他の星座にも、愛しの君~って口説いてるし、人間にも口説いてるじゃん」

 げらげらと陽炎は笑い、思惑通り安心しながらメイスを上機嫌に手の中で弄びながら、歩みをふと止める。

 それから、街の中に居る昨夜再会した旧友に手を振って犬のように駆け寄っていく。

 その姿を後ろから微笑ましく見守りながら、鴉座は呟いて消える。



「それは貴方が本命ではないと貴方が思って安心出来る為にですよ。貴方があまりにも、否定するから――私だって傷つくのは嫌ですもの」



 気づけば、微睡んでいた。

 劉桜と会って、それからお酒を飲んで。はしゃぎすぎて、果実酒以上のアルコールの高いお酒を飲んでしまって、それから……?

 気づけば、いつもの塒の中で、小さな小屋の中。

 真っ暗闇だから、今は夜なのだろうか。それとも、プラネタリウムが発動して偽物の星を見せるために暗闇を作っているのだろうか。

(酒を飲んで、ええと――?)

 そこから先が記憶がない。いい加減、記憶が無くなるまで飲む癖を止めなくてはと思いながら起きあがると、小屋の中には星々が輝いていて、これは人工的な闇の中だと思い、陽炎は無意識に安心する。何故そこで本物の夜空ではいけなかったのかは判らない。

(どれがどの星座か判らない――)

 少しは勉強でもしないと怒られるだろうか、と皆の顔を思い浮かべて苦笑をする陽炎。

 痛み虫を何処にどう集めるか勉強するだけで、星座が何を作れるかも判るのにしない己は怠惰で面倒くさがりで。

 でも一つ言い訳をさせてもらうならば、狙った星座ではなく偶然出来る星座を作れるのが嬉しいから己は勉強しないのだ。何が事前に作られるか知ってしまうのは楽しみが半減してしまう。十二宮以外は。

 流石にそろそろ蟹座の対抗勢力が居ないと、このままではDVの餌食だ。


 ――ふと気づくと、隣に水瓶座が居た。

 水瓶座はどうやら、酒に溺れていた今の自分を気遣ってか起きていたようで、眼があうと、誰もが見とれてしまうのでは無かろうかと思うほどに艶やかな笑みを浮かべて、起きましたかと安堵の息を漏らした。

 欠けたお椀に水瓶の水を注いで、水瓶座は酒さましに飲ませようとする。

 それを飲むと嫌に鼻につく酒臭さが一瞬で無くなる癒しも含まれている。

 陽炎はそれを受け取って飲むと、何だかもっとその水を飲みたくなってしまう。水なのに逆に喉が渇いてしまうような。

 いつもこの癒しの水を飲むとそうなるので、自然治癒能力がいつかなくなってしまうのではないだろうかと心配になるのだが誘惑に負けて、もう一杯と水瓶座に頼むと微笑んで水瓶座はもう一杯入れてくれた。

「……有難う」

「いいえ。陽炎様。この水は陽炎様のためだけの水なんですから」

「ええー、俺、その水使って、偶に怪我治療しますよーって怪しい商売しようかなぁって思ってたんだけどなぁ」

 本気ではない。癒しの水は小さな痛み虫を消してしまう効果もあるから、自然治癒能力は消えて、擦り傷でも大変なことになってしまう。

 だから、そんなことをするわけがないのに――。

「他の方になんて飲ませたら駄目です。絶対に」

 水瓶座の眼は真剣で、その眼にはいつものネガティブさが消えていて、そして陽炎の眼には何処か色っぽく見えてしまう。


 (――あれ、何、何で。いつもと水瓶座は変わりないはずなのに)


「陽炎様、お水もっと飲まれますか?」

「いや、要らない……俺、何か変だから、寝て酒冷ますよ」

 そう言って陽炎は横になり、健やかな寝息を立てる。



 水瓶座はそれを見て、くすりと笑う。



(――後、少し。もっともっと水を飲む機会がくれば、この方は僕しか目に入らない。だから、水を使っても良いんだったら、もっともっと――)



「もっと、怪我させてもいいよ、蟹座。それに、他の人間方。陽炎様を殺したときは、全員水浸しにして、魅了した上で狂わせて地獄を見せるけど」

「物騒なこと呟いてるな? お前に言われずともこいつは勝手に扱うが、怪我はお前には治癒させぬ――それは、許さない」

 蟹座は闇から抜け出るように、現れて、陽炎を見やってから水瓶座を見やる。

 水瓶座は蟹座の常人よりかは麗しい容姿に嫉妬しながらも、睨み付けて笑ってやる。

 その睨み付けた凄惨な顔も美しいのは己だというのに、それを自覚もしないうえにマイナスとしてしか受け取れない水瓶座は、水でしか誇れない。

「便利な水だな。依存性のある惚れ薬。それが治療ならば、飲んでても気づかない」

「この水は誰にも渡さないよ。陽炎様も。でも奪われそうになったときは、水責めにして吐いても吐いてもこの水を飲ませてあげる。この方はありのままの僕を好きにはなってくれないから、盲目的に嫌な部分も見えないくらい僕を好きになってくれるまで」

「……或る意味、一番のサドだよな、お前は。でも無意識にそいつは気づいてるみたいだな? 今までの主ならば、痛み虫の消滅などに気づかずに五杯は一晩で飲んでただろう。それに昼間オレに殴られた時も頼るはずだ。だがそいつは自然治癒を選んだな?」

 蟹座は色艶やかなのに闇にも紛れた瞳を輝かせて、ははっと快活に笑う。その顔は心底楽しそうで。

 それとは正反対に美しいのに醜い感情を表す顔で、水瓶座は蟹座を見やる。

 蟹座は視線を受け止めて、片眉だけつり上げて、口だけで笑う。

「……それを今まで見てて止めなかった君のがサドだと思うんだけど、何で今回に限っては構ってくるんだ?」

「それは決まってるだろう。こいつを嬲って良いのは飼い主のオレだけだからだ。それに盲目的になるぎりぎりまで誰かに夢中になってる獲物をかっ攫うのはとてつもなく、楽しいことだ。別の奴を映していた瞳が、自分を映す楽しみ、教えてやりたいよ――」

「そこのサド二人」

 偽りの夜闇を切り裂くような声が聞こえた。

 それは、その夜闇を姿に映し出す黒い生き物、鴉座。黒い髪は闇に紛れても可笑しくないくらい漆黒なのに、それは紛れることはなく、何故か存在感を示していて。

 鴉座は、冷たい目線で二人に声をかける。


「昨夜の言葉はこの方には聞こえていたようだ。企むなら、この方の前では慎め」

「おや、聞こえていた? じゃあ昼間にお前のように愛とやらを囁いて、また流血させてやろうか。頭にショックがいけば、忘れるだろう」

「馬鹿カニ。痛み虫がそんなの治しちゃうよ。嗚呼、昨夜の言葉が聞こえていたなんてッ。益々嫌われてしまう。もっともっと水を飲ませなければならなくなったじゃないですか。君たちの所為だ」

「――まぁメジャーなお二人には悪いですが、私は信頼されてるようですよ? 私は何があっても痛くも痒くも無いですね」

 その言葉にはその場が凍えて、ひんやりと冷風が漂うのではないかというぐらい、張りつめた。

 その場の空気に鴉座はくすくすと笑みを零して、教えてやる。この優越感を。主人は彼らには見向きもしないという事実を。それには己も含まれてはいるが、そこは見ないふりをした。

 なぜなら、あの隠れた場所に、という例え台詞はきっと自分を当てはめて言ってるからだ。

 見つからない場所なのに、底なし沼の水中なのに、救ってくれた大好きな人。

 愛しさを感じつつ、その愛しさを己にだけ宿したいとも思うが、今は本来の能力を見せるのはやめなければ。あれは同時には出来ないのだから。

「この方はメジャーな黄道十二宮には興味がないようです。

加えて、私は彼にとって初めて作られた星座。そして、彼は同情を誘うような方には弱いみたいです。嗚呼、水瓶、お前のような意図的な同情ではなくてな?」

「……ッ! 僕は、別に同情されたいからとかじゃ……」

「違ったのか? オレは同情されたがりだと思ったがな。昔からな? それで昔の主人どもは騙されて水を飲んで、お前に溺れていったか。よく覚えている」

 蟹座は攻撃には治療、という具合で毎回作られていたのを覚えている。

 作られた場にいつも彼がいることを覚えている。だからこそ、その同情心を引き出そうと魂胆見え見えの行動には今の歪んだ蟹座には、腹がよじれるほど楽しい笑い話だ。

「まぁとにかく、水だけに頼っていてはお前ではオレと鴉には勝てんよ。オレはどんなに離れたくても唯一の攻撃力がオレだから離れられまい。こいつは自然治癒の有効さも知っていて、痛み虫ももう百だ。お前なぞいらんだろう?」

 そう蟹座が笑ったとき、陽炎が寝返りを打つ。

 それにぎくっとした三人だったが、やはり寝息のままで安心したがまた会話を聞かれては大変だと言うことでお互い姿を消した。


 だが別の人物が騒いだ。


「あんたらホモには、絶対陽炎ちゃんは渡さないんだからーっ!」



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