第一章:ただ星空がいつでも見たいだけ

 

 街の裏路地を駆け抜ける二つの足音。一つはどてどてと重ったるく聞くだけで地震の余震かとでも錯覚してしまう音。一つは、通常の人間が持ってるより少し足を前に出すのが早い所為か早めのリズムの足音。

 ばしゃばしゃと地下水路まで辿り着いたら、「百の痛み虫」は獲物を狙うだけ。

 眼は眼鏡と髪に隠れ、髪は風に抵抗することなくなびいて弄ばれる。

 相手は怯えて、相手の姿をよくよくと観察する。観察すればするほどこれからどうなるか、という恐怖心だけが心を満たしていくのに。

 薄暗くて見えにくいがきっと太陽の日を浴びたなら、明るく輝くであろう茶色の髪の毛。

 眼は暗くて夜のような闇色をしているが、何処か光っていて、眼鏡の奥には熱情を感じる。

 服は動きやすさを選んだのか、オレンジ色の胴衣でこの時世、年々と寒くなってきているからとマントが流行っているのに、そういった部類を身につけては居ない。

 だが寒いと思ってないわけではなく、微かに寒さでそいつは震えていた。金が無くて未だに服が買えないのだろうか? それとも買う時期を逃したのだろうか?

 意外と背丈は標準男子で、噂で恐れられている「百の痛み虫」とは思えない。

 男はごくりと生唾を、じわじわと迫る恐怖と一緒に飲み込んだ。この怯む心ごと飲み込んで、尻から出て行って全ての恐怖心が出て行ってしまえばいいと思って。

 男は忘れている。飲み込むという行為は、体内に取り込むと言うことを。

 恐怖は体内に取り込まれ、益々怯えて金棒を持つ手が震える。自分の体内の免疫もとい、痛み虫は相手の攻撃を知っているだろうか。寧ろ知っていることを男は脳裏に棒人間でしか想像できない神に祈った。


 この世界には不思議な現象があって、何かしら痛む感覚があったりすると、それは「痛み虫」と言われて、体内にその痛みを覚えたときに宿る。怪我をした際には、覚えのある痛みならば、体内に侵入した「痛み虫」が同胞を食べるので治りが早い。

 通常、常人の「痛み虫」は最高でも三十だと言われ、武術の達人でも五十ぐらいだろうと言われている。

 だが、目の前のこの男は「百の痛み虫」を体内に宿しているということで恐れられ、ハンターや裏家業達は、彼を相手にしたがらない。

 百も痛みを覚えているならば、致命傷をあげても、もしかしたら覚えてる痛みかもしれないので、「痛み虫」が治してしまうかも知れないからだ。

 「痛み虫」は決まった期間で治してくれる訳ではないので、中々、奇襲を狙うタイミングが判りづらい。それに瞬時で治すときもある。

 「痛み虫」が多ければ多いほど、医者いらずと言われている。不死身や、神になることもできるだろうとも。


 ――嗚呼、こいつがあの「百の痛み虫」の男か。

 男は、死を直前に感じたが、それでも最後の抵抗と言わんばかりに、己の武器を、先ほど負けたにもかかわらず、負けて逃げていたにもかかわらず、取り出し、金棒を振り回す。


「死ぬわけにはいかんのじゃっ!」

 「百の痛み虫」は避けたが、そこで思いがけず殺気が一気に消えた。


「……――劉桜るおう?」

 相手はハンターだから、当然自分の、賞金首である自分の名を知っていて当たり前なのだが、何処かその己を呼ぶ名の中には親しみが込められて、劉桜と呼ばれた、まるで赤鬼のように横幅も立て幅もモンスターのように図体のでかい男は首を傾げた。

「劉桜……え、もしかして……」

 この反応はもしかして、知り合いなのだろうか。

 囚人時代もあった己のこと、かつての同胞がハンターとして活躍しててもおかしくはないのだが、どうあっても己の知る昔の顔ぶれの中には、こんな有名になりそうなハンターは居ない。

「誰じゃ、おんし」

 劉桜は訝しげに尋ねた。その質問は、自分がその名であってることを肯定している。

 すると突如その声と影は、喜びに満ちて、武器を捨てて劉桜! と親しげに叫んで、己の懐に入ってこようとする。

 男を懐に入れる趣味もないし、ハンターを懐に入れたら首をカッ切られる。劉桜は警戒心そのままに武器を振り回そうとしたが、一瞬だけ光にぼんやりと照らされて見えた顔は一番ハンターとしてあり得ない、昔の囚人仲間で、一番の親友だった男だ。

 男は、昔、名がないと嘆いていた親友に己が名付けた名前を数年ぶりに口に出し、その親友を眼が抜け落ちるのではと思うほどに開眼して見つめる。


陽炎かげろう!?」

 思わず劉桜は武器を振り回すのも忘れて、棒立ちしていたが、陽炎と呼ばれた男は再会を喜び、今日、敵と味方だったことも忘れて抱きついて、劉桜だー! と喜び、涙した。

 戸惑って相手をもう一度確認しようとしたところ、声が聞こえた。

 此処には己と、陽炎しか居ない筈だったのだが。誰か居ても、ハンターと賞金首のやりとりは黙認されてる街なので、見なかったこととされ、早々に何処かへ立ち去られる。

 だから、普通ならば誰も声なんてかけたりしないのに……――。

「ちょっと、我が愛しの君、どうされたのです? この男は、今日の貴方の獲物で、貴方が持ってない痛み虫を持ちそうな相手なんですよ?」

「敵よ! 敵なのに、何で陽炎ちゃんってば、抱きつくの?! まさか一目惚れ?! ええっ陽炎ちゃん、そういうのが趣味? うっそーどうしてアタシ、巨体にうまれてこなかったの!?」

「………世の中の美形だけではなく、同じ不細工までもが敵だなんて……世の中の男どもは全員死んでしまえばいいんだ……」

 いっぺんに聞こえてきた、幻聴のような、明るかったり甘ったるかったりネガティブだったりする声。

 それらが不思議で、そして恐怖で辺りを見回すと、完全に戦意をなくした陽炎が、劉桜が声に怯えているのだと気づき、苦笑を浮かべた。

 その苦笑の暖かさは、何年経っても暖かいままだ、と劉桜は少し安心しながらも、声に驚いて誰だーと水路で叫ぶ。

 返事は、帰っては来ないで、くすくすとした先ほどの全員の声が笑っている、自分を。木霊してそれらは反響し合い、不気味に思った劉桜は眼を細めて、きょろきょろとしてしまう。

 そんな声を嗜めるように、こら、と陽炎は声を出す。

「もう敵じゃねーよ、この人は。それと何度も言わせんな、俺は男色趣味はない」

「じゃあ何で抱きつくのよ、陽炎ちゃーん」

 きゅーんとまるで子犬が鳴きそうな響きで、幼女の声が聞こえた。

 陽炎に反応し、そしてこの声は陽炎にまとわりついているようで、よく見ると、暗い地下水路の中で陽炎の周りだけが、きらきらと光っていて、それらはまるで陽炎を中心とした蛍のようだった。

「……陽炎、お前、妖術使いになったんか?」

「まぁ、似たようなものかね。……な、劉桜、とりあえずここから出ねぇか? 俺はもう、殺す気ねぇしさ。誰がお前を殺せるものか」

 その言葉に周りの蛍は非難囂々ひなんごうごうの連発。それに五月蠅そうにしながらも陽炎は、ほら行こうぜ、と劉桜に手を差し出した。

 劉桜は思わぬ再会と、思わぬ「百の痛み虫」の正体を知り、馬鹿笑いしながらも、手を受け取らずたたき落とし、機嫌良さそうに表へ出るのだった。


 久しぶりの再会を祝して、裏家業の人物でも安心して飲める酒場で二人は乾杯した。

 オレンジの灯りが室内を照らしている、乱雑なテーブルが並んでいて、カウンターでは各々が好き勝手に料理をしている。

 中には金儲けや情報戦略のために、食材を持参してつまみを提供してる輩もいる。

 そこは店主など居なくて無人なのだが、ちゃんとお金を払わなければ酒は飲めないという裏家業達の思いやりと野心を見抜いたシステムで、この酒場には法律などない。

 ハンターや、裏家業、賞金首などという職業も、此処では互いに問わない。

 それならば自警団に狙われそうなのだが、誰もが恐れるという「赤蜘蛛」というボディーガードのついた貴族がこの店をかくまっているので、誰も手出しは出来ない。この店に手を出すと言うことは「赤蜘蛛」は勿論、此処でつかの間の平穏を望む皆を敵に回すことになるからだ。

 厄介な集団が、厄介に団結することほど、厄介なことはないと、自警団はこの店を見ないふりをしている。


「最初、名前を紙で見たとき、どっかで聞いたことあるなぁって思ったんだ」

 陽炎はげらげらと笑いながら、リンゴ酒を口にして、一気飲みした。

 一方劉桜は極上のビールを口にして、口に白ひげを作りそのままに陽炎へ笑った。

「まさかあの頃のガキが、こんな大層な有名人になっちょるとはな!」

「どうせ、あの頃は貧相だったよ。しょーがねぇじゃん? 飯なんて一日に一回出るか出ないかだったしさ?」

 昔の酷い食生活を語ってるも語る方も聞く方も、懐かしげに笑い、それからまた乾杯と祝うだけ。

 昔、劉桜と陽炎は囚人時代を過ごした。

 劉桜は暴力で、陽炎は窃盗で収容所の牢屋に入れられて、その時に仲良くなり二人は無事同じ時期に刑期を終えて、さよならをしたのだった。再会の約束などせずに。

「わしですら八しか痛み虫を宿せんのに、まさかなぁ……」

 お前が? と未だに疑わしげな眼を、無遠慮に陽炎へ劉桜はやるが、陽炎はそれに半目でにやりと笑いかけて、頷くだけ。

 記憶の中での年があってれば、この男はもう二十代前半の筈だが、少し子供っぽいと思って劉桜は、ふんと鼻で笑い、また酒を煽った。

「お代わりなど如何でしょうか、我が愛しの君」

 美しいとまではいかないものの、物腰が柔らかめで顔が並より上という程度の、黒髪を持ったウェイターが現れた。

 黒い髪の毛に、黒い瞳。東洋系かと思ってしまいそうな、「黒の美しさ」に包まれた男。

 闇、そういう言葉を身にまとって生きているような男に見えた。

 かといって暗いわけではなく、静かに人を包み込み安らぎを与えそうな空気を身に纏う。益々闇を連想させて、闇と言えば夜空、一言で言えば夜空のような男だった。

 ウェイターなど居ない、この店には。

 突然現れて、陽炎に親しげに、しかも変な呼び方で微笑む。

 その笑みだけを見ればきっと第一印象は優しい人、で終わるのだが、その後に続く言葉に、嗚呼この男は……

「代金はいりませんよ、私が払っておきますので、後で貴方の愛でお返しを」

 気障きざでナンパ師でそして、腐ったれたホモ野郎なのだなぁと劉桜は思った。

 男が現れて幾分か嬉しそうな笑みをした後、呆れてる劉桜に気づいたのか、陽炎は男を殴り、金を渡して酒を持ってくるよう頼み、男が殴られた箇所を押さえながら苦笑を浮かべ酒を取りに行ってる間に説明する。

「あれ、さっきの声の正体」

「は?」

「主人には忠実か、愛を抱く、それがこの道具の傾向なんだよ」

 そういって陽炎は、机の上にどすんと占い師が使いそうな水晶玉サイズの、真っ黒とした不気味な塊を置いた。

 所々に点々が入っていて、その点々からは穴が開いていた。一瞬宝石などの鉱物の類で出来てるのかと思いきや、それは意外と弾力があり、そして艶やかさが一切無く何だかゴムの塊のような気がした。

 触って良いか、と尋ねるが、陽炎は触るのをよしとはしなかったので、見るだけで劉桜は満足し、一体どういうことなのかを問いただす。

「昔、プラネタリウムっていう施設があったのを知ってるか?」

「ああと……なんじゃ、そりゃ。わしゃ学がない! 知ってるだろ、おんし」

「俺だって学はねぇよ! これでも頑張って調べたんだ。……いつでも夜空が見たい人のために、昔は偽物の空の空間を作った施設があったんだ。それがプラネタリウムっていって、どんな季節でもどんな偽物の星を見ることが出来たんだ」

「……その、夜空がどうかしたんか?」

 陽炎の説明によると、いつしかその施設は廃れてどんどんと廃業になっていき、世界で一番夜空を愛した人間が、いつでも夜空を見られるように簡易的なプラネタリウムを作れる装置を作ろうとした。

 だがそこに妖術などが好きな者が混じってきて、悪戯をしかけてしまい……。

「痛み虫が出来ないと、星が作れないようになってしまったんだ」

「……それで、百も集めてるのか? おんし、夜空が好きなのか? おんしが作ったのか?」

「夜空は好きだけど、俺はそれを偶然拾っただけ。それでこれについて調べたらそういうことだったから、そう、集めてるの!」

「痛み虫による星が集うと、星座になり、創造主もちぬしを愛でるのですよ」

 リンゴ酒のお代わりと、劉桜を気遣ってかビールをもってきた男はそう陽炎の説明につけたして、リンゴ酒とビールを机に置いた。

「その星座がどうした?」

「さっきご覧になったでしょう? あの光を。あの声を聞いたでしょう? さぁ目の前に、私が居る。私は誰でしょう?」

 にこり、上品に微笑んで劉桜に問いかける男。陽炎は酒を持ってきてくれたのに有難うと言いながら、劉桜の返答がどんなのか楽しげににやにやとしている。

 劉桜は首を傾げてそれから、むぅと唸った後、考えながら返答をしてみる。その返答が間違っていたら彼らに馬鹿にされるのを恐れながらも、少しずつ口にする。

「……その黒いのが星座の妖術結果で、黒髪の坊主が妖術で産まれた星座の守護神?」

 劉桜の言葉に、わぁと嬉しそうに男は眼を輝かせて、にこにことして陽炎に「素晴らしい方ですね」と微笑んだ。

 陽炎は賞賛をさも当然だといった風に受け取り、それでも嬉しげに頷いた。

「守護神……うん、正解。ただ、彼らにとって神は俺らしいんだけど。創造主だからね、痛み虫作って星座作ったから。星座は、様々な能力を持っていて、色々手助けしてくれるんだ」

「ほう。それなら、よわっちい筈のおんしが百も痛み虫を集められた理由が頷ける。星座から力を借りたんじゃな?」

 にや、と劉桜は笑って改めて黒い物体を見やる。

 旧友の言葉に機嫌悪くならず、陽炎は笑い、「だろ?」と首を傾げた。

 劉桜はくくと喉奥で笑ってからふと疑問に思ったので、これは星座が居るのに無神経かもしれないが一つ聞いてみることにした。

「しかし何でまたわざわざ痛い思いをしてまで、星座を? プラネタリウムを?」

 痛み虫は、色んな種類がある。病気、怪我、麻痺、等。

 だが色んな種類があっても、覚えられる痛みには限度がある。それに、似た痛みは、体の中の虫が以前の虫だと思いこみ覚えなかったりする。

 それを百も集めるなんて、余程痛い思いをしないと集めは出来ないだろう。

 その質問に答えたのは陽炎ではなく星座の男の方で。

「それがね、我が愛しの主は、誰よりも寂しがり屋で甘えん坊で誰かが側にいないと……って、痛い。痛いです。地味に痛いですから、コップを頬に押しつけないでください」

 にやにやとしながら男は答えていたが、少し苛つきが眼に見えるちっぽけな世界の創造主によって、にやつくのを強制終了させられた。地味な攻撃は、結構痛いものだったようで、頬に赤い痕が少しつく。

 それを眺めて、半目で睨んでから陽炎は、ふんと鼻で嘲る。

「俺はプラネタリウムが見たいだけだ」

 陽炎は、そう言い切る。その答えを疑わしげに劉桜が見ていたのに気づいた陽炎は、信じられてないと、むっとし、言葉を続ける。

「昔の神秘がこの眼で見られる、そして完成させられる! 凄いじゃないか。いつでも何処でも夜空が見られるんだぜ? そりゃ確かに今の星座は少ないけどさ……」

「百集めても、少ない方なのか」

 その言葉には、劉桜は驚き、はぁーと感嘆の息をついて、改めて賞賛の言葉を贈る代わりに拍手を贈った。

 それに照れて、陽炎は有難う、と微笑む。

「で、これが鴉座っていう星座で、情報収集の役目」

「これとは失礼な。我が愛しの君は、つれないんだから。通じないのなら、何度だって愛を囁いてご覧に入れましょう?」

「……お前はさ、本当どう間違って、忠誠心から愛の感情のほうになっちゃったわけ? もう説明終わったからお前、この中に戻りなさい」

 男――からす座は少し絡みつく熱の籠もった眼で陽炎を見つめて口説こうとするが、呆れた顔を陽炎はして愛属性を否定するなり、黒い物体を指さしてから大事にしまう。

 だが鴉座は首をふり、にこにこと紳士っぽいだが嘘くさい笑みを浮かべる。

「いいえ我が愛しの君のご友人に正式な星座代表のご挨拶もまだですし、それに他の痛み虫の情報が必要でしょう? 私を戻して、情報手に入れられなくていいんですかー?」

「……じゃあ挨拶は水瓶座に任せるから、情報手に入れて来いよ」

「嗚呼ッ、そこで何故あの人生も根性も後ろ向き野郎を出そうとするんですか?! 我が愛しの君は、時折厄介な事を言い出す。困りましたね、動けないじゃないですか」

 鴉座は憮然とした表情を浮かべて、どかっと椅子に座る。

 陽炎は今、挨拶してすぐに行ってしまえばそれで済むことだと思ったのだが、鴉座は今挨拶して去ろうとはしない。自分が保護者代表だと思われたいのだろうか、と陽炎は鴉座の思考回路を読み取ろうとしてみる。

 ――確かに鴉座は最初に作った星座だから一番古株だし、一番お世話になってる。

 ならば、今とっとと済ませればいいのに、行かないのは水瓶座が嫌いだからだろうか。

 (――嗚呼、そういやあいつも愛属性だったっけ)

 思い出した陽炎は、げんなりとして、早く行けと言わんばかりに無言で鴉座へ手を払うが、鴉座はその手をとり、口づけをして殴られるだけ。



 それを見た劉桜は情報と聞き、何の情報だろうかと思考を巡らせて、嗚呼そうか自分の攻撃が痛み虫に繋がるのかと頷き、それで他の痛み虫を集めようとしているのかと納得した。

 折角見逃して貰えるのに、そして何より久しぶりの旧友との再会だから、劉桜は、情報を与えようと口にした。

 それに対して陽炎は嬉しそうな顔をし、鴉座は己のポジションを奪われたからか複雑そうな顔をしてから「お心遣い痛み入ります」と礼を告げた。

「わしゃ賞金首の中じゃ弱い方じゃがな、情報通としては有名なんじゃよ」

「へぇ、それは知らなかった。賞金首ルートでの情報通? 成る程、なら情報は手に入りにくい」

「ええか、ニュースソースはわしじゃと明かすなよ。この店、に時折来る奴が居てな。そいつは、フルーティーって名称なんじゃが、何故だか判るか?」

 その質問に今度は陽炎が思案する番で、悩む。

 鴉座は即座に判ったが、悩む主人の顔は好きだし、下手に教えると機嫌を損ねてしまうので、助けを出さないで黙ったまま主人の顔を眺める。とても柔らかな眼差しのまま。

「……香り?」

「いいや、果物のように人の皮を剥いて殺すのが特徴だからじゃ」

「嗚呼、そりゃ確かに今まで無い、痛み虫っぽいな」

 おおお、と拍手を今度は陽炎が贈って、それから虚空を見上げて、ふむと陽炎は考え込む。

「それなら、何か今度は大きな星になるかもしれないし、いいな」

「どんな痛み虫になるかは知らん。じゃがな、おんしの噂同様、中々に恐れられてる人物じゃから、気ぃつけるんじゃよ」

「……私は、皮を剥かれる我が愛しの君なんて見たくないんですがねぇー、我が愛しの君の願いのため、そいつの情報収集に出かけましょうか……。嗚呼、挨拶ならば水瓶の馬鹿はやめてくださいよ、話してて落ち込んで死にたくなりますから。そんな目に遭わせるのは些か可哀想だ。そうですね、……こういう場は鳳凰の姫がふさわしいのでは?」

 そう言って鴉座は立ち上がり、やれやれとため息をつき、薬草を噛んだような顔をする。

 それでも主の為に働こうとしている姿を見ると、劉桜は成る程、主に尽くすというのは嘘ではないのか、と納得した。

 鴉座は改めて劉桜へ微笑みかけて、丁寧にお辞儀をして「それでは失礼いたします」と去っていこうとした。

 出口への途中で、ウェイターに間違えられて女性に声をかけられたので、一言二言口説いて成功していたが、主人は既に鴉座から眼を離していて注目されてない。

 その様子を少しちらりと鴉座は振り返り、やれやれと言わんばかりにため息をついた。劉桜と目が合うと少し寂しげに笑って、別の一点をちらりと見やってから今度こそ去る。

「……おんしも、わしの知らん世界に入ったかぁ。どうせなら、ケツの痛みで痛み虫でも住まわせばええんじゃなかろうか」

「……劉桜、今すぐ首を切り落とされたいか?」

「冗談じゃ。おんしは、きれるのが早いのー」

 げらげらと笑う劉桜とは対照的に、陽炎はため息をついて、眼鏡をくいっと人差し指親指で摘みあげた。

「……どこでどうして間違って、忠実じゃない方に走ったんだか。ほんっとうさ、聞いてくれよ! 水瓶座も男なのに忠実じゃない方だし、可愛い俺の好きなタイプの猫っぽい冠座は忠実! 幼女の大犬座はませてる愛だし、色っぽい鳳凰座姉さんは忠実でしかも無垢ときた! お前、蟹座の奴なんか男なのに思いっきりサドで忠実じゃないほうなんだよ……俺が攻撃されて喜んでるんだよ……戦うの手伝わないんだよ。乗り移って攻撃とかさ、攻撃力あげてくれる唯一の攻撃向きの味方なのに、殺そうとするんだよ」

 その言葉は、ただの惚気か家族自慢のようにしか聞こえないが、本気で悩んでいてしかも後半とんでもない言葉が聞こえたので、劉桜は心底同情した。

 嗚呼、おんし昔からそっちに受けがよかったもんな、と。

 それを言ったら、きっと首を落とされるから言わないのだが。


 鳳凰座を見せてから、また今度会おうと劉桜と約束した陽炎。

 劉桜はあれ以外にも、鴉座の見えないルートの情報を持っていそうで、二人の情報をあわせたら完璧な気がしたし、何より親友に会える理由が出来たので、陽炎は上機嫌だった。


「陽炎様、嬉しそうねぇ」

 美しい金の縦ロールに、豊満な胸元が開いた簡素な赤いドレスは女性のスタイルを現していて。白いマラボーは背中から腕へとかけられていて。眼は垂れ眼の青眼で、口は真っ赤な口紅で彩られている。

 肌は浅黒く、何処か妖しい雰囲気で、思いっきり娼婦姿の女性は、艶やかに微笑んだ。本人は至って普通に微笑んだだけだ。

 この隣で歩いている星座が忠実じゃなかったら、どれだけよかっただろうという普段の思考は今の陽炎には抜けている。

「これ、凄い奇跡的な運命だよな! いやぁー、まさか劉桜に会うなんて思わなかった!」

「劉桜、は、……ええと、何の痛み虫でしたっけ?」

「……あーっと、確か金棒のえぐり取る肉の痛み虫」

「……ご自身じゃ弱い方っていってらしたのに、凄い痛ませ方法を持ってらっしゃるわ」

 ふふと、もう一回鳳凰座は笑った。

 それと同時に、少し立ち止まり振り返り、あら、と少し戸惑った声を出した。

 鳳凰座の声に気づいた陽炎はどうした、と問いかけ振り返る前に、背中から衝撃を喰らい、眼鏡を落とし、壁にがっと頭をぶつけさせられて、手は後ろ手に押さえられていた。

 痛みに涙を堪えながらも、正体が誰だか分からないので、鳳凰座をすぐに消えさせて、戦闘態勢に入ろうと思ったため蟹座を呼ぼうとするが、プラネタリウムからの反応はない。

「おい、蟹座! 蟹! カニ男! 鍋にするぞ、この野郎ー!」

「……オレがその蟹座だが、お前ごときがこのオレを鍋に?」

 くっと加虐的な笑い声が後ろから聞こえるなり、全身に鳥肌が立ち陽炎は慌てて星座を消そうとしたが、どうも愛傾向の星座は自我が強いらしくて、願っても消えないことがある。

 特にこの、鋏男には。

 反応が無くて当然だ、既に出ていて主人に危害を与えているのが蟹座なのだから。

 彼が自ら現れるときはいつも脳内の警戒音はレベル最大だ。

 体中に「苦手」の二文字が現れているのを蟹座は鳥肌を見て、それを悟り、やけに妖しげな軽笑を浮かべたが、それはすぐにかき消えたので、陽炎はただ威圧感だけを蟹座から受け取る。笑ったことなど、声でしか気づけないだろう。先ほどのような、笑い声でしか。

「前に、鳳凰ほうおう座が出来たとき、オレは言ったよな、陽炎」

「覚えてないね! 言うこと聞かない蟹の言葉なんて。何て言った?」

「次にまた星座を作ったら、精神的な殺しをお前にしてやると。これ以上、お前の保護者は増えなくて良い」

「蟹男ー……、お前は、何でそうやって反抗的なんだよ……。殺したきゃ普通に殺せよ、人に乗り移ってよぉ」

「……馬鹿か、お前。お前を殺したら、オレだって消滅するんだ。またいつ誰があの不気味で不吉な黒玉を拾うか、オレを作るか、判らないだろう? お前、気づかないふりしているが、あれは破壊兵器だ」

 蟹座はそこでようやく手を離したかと思えば、陽炎の頭を片手で鷲掴みにして軽い動作で、壁へと叩き付ける。ただ手の位置を直しただけだった。

 がんっと物凄い衝撃と音に目眩がし、額が割れるが痛み虫のお陰で出血は思ったより少ないし、割れてもすぐにくっつき痛みも徐々に引いていく。

 蟹座へと無理矢理向き直らせられる陽炎。

 蟹座は、青と赤い髪をしていた。どっちもごちゃまぜになったような。

 いつだったか、変な頭だなとコミュニケーションのつもりで軽くからかったら、半殺しにされかけたっけと鬱になりながら、それをうっすらと陽炎は思い出した。

 瞳も青と赤のオッドアイで、それは苺とブルーベリーのパフェを連想した。死ぬまでに一回は食べてみたい憧れの食べ物だ。

 流石に殴られるのが判っていたので、連想したものは言わなかったが、こうした暴力は日常から結構受けているので、どうせなら初対面で言っておけば良かったと昔思った。

 服装は今流行のマントに身を包ませていた。蟹座の衣服を見て陽炎は、明日にでも服屋に行くかと思いついた。寒いし、お金もそろそろ大丈夫になってきただろう。

 ぼんやりとそんな思案できるくらいには余裕なのか、現実味を感じないからか、陽炎は現在とは全く関係ない物思いをする。



 蟹座はやけに壮麗な顔で、今にも己を殺しそうな残酷な笑みを浮かべた。

「一つ教えてやろう、これでもオレとて星座だからな、お前に作られた。偶には下僕らしいことをしてやる」

「……なんだよ、情報なら鴉座から……」

「黙れ。空を飛ぶ者に、地を這う生き物のことなど判るか? ……一応、お前を心配はしているんだよ、陽炎?」

 その言葉とは裏腹に、酷く楽しげに陽炎から滴る血を見やり、片方の手でその血を掬い、口に含んだ。

 口に含むと、その指を軽く噛んで、再びそこから陽炎の血の味がしないだろうか、と己でも馬鹿だと思う子供じみた仕草をする。己がその名残惜しく思うような出血をさせたかと思うと、蟹座は満足して、こくりと頷いた。




「人の血は、美徳だ」

「お前の美徳はどうでもいい、何だよ、情報って」

「……あの店で、赤蜘蛛と呼ばれる者がずっとお前を見ていたから、殺そうと思ったがやめた。騒動はあの店では起こしてはいけないのだろう?」

 どういうことだと問われる前に、蟹座は血をもう少し掬って、また口へと運んだ。

 血がまるで、栄養摂取のためのもののように。

 念のために言っておくが、蟹座は吸血鬼ではない。だが彼にとって、この行為は鴉座が陽炎を口説く台詞の代わりのようなものなのだ。

 蟹座は、何の手違いか愛属性で生まれたのだから。スプーンに写る景色や人の顔よりも歪みきった愛属性なのだ。

「もう少し血を見せるのなら、情報をもっと与えてもいいぞ? 嗚呼、それとも別のものがいいか?」

 血を見せるイコール暴力行為の合意。却下だ、そんなのは。陽炎は即座に思った。

 蟹座の言う別のものは何か考えるだけで悪寒がするので、考えないとして、くらくらする頭を押さえながらも、陽炎はどう文句を言おうか考え込んでから、鋭利な眼で蟹座を睨み付ける。

 それは己が主人であるぞと言わんばかりの眼光で、その強い眼差しが気に入らない蟹座は、眼を半目にしてただでさえ痛みのある頭の出血部分を、撫でる程度の力で殴った。

 蟹座の力は星座の中で攻撃力をあげるものと言われるのも頷けるぐらい、人以上の力がデコピンだけでも自然と込めずともある。

 そんな力で殴られて飛ぶと、後ろは壁。また後頭部に出血を負った。これで、彼の望みは叶えられてしまったわけだ。だから、望みが叶った蟹座は、それがさも当然なことであるようにフンと鼻で嘲笑っていた。

 躾をちゃんとしないと、と思いながらも、陽炎は痛み虫で早く痛みが治って、まともな思考回路を得られることを願いつつ、蟹座の言葉を耳にする。

「あの不吉の玉を見ていたぞ。奪われないように、大事にするんだな。奪われれば、鴉座の言うとおり、甘ったれで寂しがりなお前はまた一人だ。それも、何も力のない非力な男だ。誰に隠そうがオレには判る、お前は所詮一人になりたくないから手にしているのだと」

 その言葉には、頭の二つの傷よりも痛みが走った、心へ。

(嗚呼、こいつ――どうして、心に痛み虫を作らせようと。星座では痛み虫は作れないと知っているのに、痛みを与えるんだ)

 そんな思考、知らんとでも言いたげに蟹座は自分の言いたいことを言って、主人をいたぶる、言葉で。



「非力な男になったら、誰も見向きはせん。嗚呼、でも敵として出会ったときはオレが可愛がってやろう。お前の血は、誰よりも見ていて楽しい。オレだけは覚えてやろう」

「……このサド全開変態ホモ。それって敵に回ったら殺したいって言ってるんだよな?」

「言葉は選べ。オレはお前から生まれたが、お前を主人としてなど見とらん。……ただの愛玩動物だ。お前に自由を与えてるだけでも有難く思え。そこまで愛しい動物をどうして殺したいだなんて言える? オレはただお前の血と青い痣が見たいだけだ。紫色でも黒い痣でもいいがな」

 そう蟹座は真顔で言った後、後頭部の傷を触り。傷口を確かめてから、傷口を抉るようになぞり、痛みに反応した陽炎を見て純真な笑みを浮かべる。

 無邪気な子供のような笑み。似合わない。果てしなく似合わない。

 その笑みは彼にはとても不釣り合いで、彼を知ってる者が見たら青ざめるだろう。事実、陽炎は、こんな状況なのに、「笑顔、怖ッ!!」と口走り、向こうへ行けと蹴ろうとする。

 その様を眺めてから、蟹座はその笑みのまま言葉を残し、消えた。



「お前が何の痛み虫を得るかは、オレが決める。精神的にも肉体的にも死にたくなければ、果物よりも、赤蜘蛛の周囲を優先するんだな」



 夜の道に、血の臭いを漂わせたまま、少しの間、陽炎はその場に座り込んだ。

 一気に安堵感と震えが訪れて、少しののしる余裕が出来た陽炎は、蟹座の消えた夜空へ声を静かに押し殺しながらも、怒りを露わにする。

「この、ドメスティックバイオレンスが……何であんなのが愛属性なんだよっ! 俺の周り、変態ばかりか!」

 でもきっと、忠実だったら忠実で怖いだろうと諦めながらも、陽炎は水瓶座を召喚する。


 美しい銀髪に、長いまつげ。唇は潤んでいて何か化粧をしたものじゃないから、驚きだ。瞳は大きく、何処かとろんとしている中性的な愛らしい瞳。その瞳も、髪と同じ銀色で、純銀のアクセサリーを思い出して、磨かないと錆びるだろうか、と不安になる程美しい瞳。

 鴉座が闇ならば、この女性のような男性のような星座は、月だろうか。

 神が例えばこの世にいたとして。最高の芸術品を人間の姿で作ろうとしたら、この男になった。そんな気がする、と思いながら水瓶座にへらりと笑いかけてみた。

 水瓶座は美しく白い肌を青ざめさせて、己の手の内にある水瓶を斜めに傾けて、頭から水を被せる。少し勢いがいいが、呼吸が出来る程度に。

 水はとめどなく、でもこの水には癒しの成分がたっぷりと含まれているので、心地良い。

「陽炎様……ッ、どうして蟹座なんか……ッあれですか、やっぱり美形だからですか!? 美形は皆死ねば良いんだ…!! 美形だから性格悪いんだッ」

 己の容姿に酷く自信の無い逆恨み体質の美形はそんなことを口走る。

(それなら、お前も性格悪い奴ってこと決定な――)

 水を被るのを止めさせて、それから水の寒さに震えながら、陽炎は水瓶座に笑いかける。

 ネガティブ思考が相変わらずだなぁと、思わず笑みが漏れた。

「あいつが勝手に出てきたんだから、しらねぇよ。情報はくれたから、まぁ何とか損が七割で得が三割かなぁ……」

「得なんて何処にもないですよ。嗚呼、嗚呼、陽炎様、陽炎様が死んだらどうしよう。まずお葬式で弔辞を僕が読んで、それから火葬場に。それで骨をぐしゃぐしゃと潰されて、僕が泣いて、その骨を海に流すんだ……嗚呼、風向きをちゃんと確認しないと大事な陽炎様の灰が海に流されない。その日が嵐だったらどうし……」

「お前はッ、後ろ向きに考えすぎ! まだ死なない! あいつからのダメージ回避するためにも痛み虫集めてるんだからな!?」

「そうですけれど、でもその前に痛み虫が体内に入らなければ、蟹座に殺されてしまう!」

「そうならないよ。お前がこうしてすぐに駆けつけるし」

 水瓶座は陽炎にそう言われると、眉根を下げていた顔にぽっと赤みをさして、照れてしまう。照れたあまりか、それとも主人の怪我がもう治りつつあるのがはっきり見えたからか、徐々に消えていく。

 陽炎は照れ屋だなぁと笑った後に、空を見上げる。


 月夜の晩に浮かぶ、闇鳥やみどり

 それは、最初に出会ったときのように自分の窮地に駆けつけてくれる。本音を言うと、少し遅いのだが。

「それに、お前も駆けつけるし」

「……我が愛しの君、あまり無茶はなさらないように」

 鴉は地上に降り立つと先ほどのような人の姿に化けて、鴉座として現れる。

 それから傷の具合を診ることはなく、蟹座のつけた周囲の主人の血で汚れてしまった通路を気にした。

 主人は自分の傷を気にした様子がなかったし、水瓶座の水を浴びたので大丈夫だろうと思ったのだろう。過度な心配は、主人を不機嫌にさせるし、不安にもさせよう。

 内心は蟹座への苛つきが募っていたが、陽炎の前で怒りを露わにするのは自分らしくないし、それは自分には求められている性格ではない。

「これ、掃除とかいりませんよね。今回は公共物破損はない、ですね」

「大丈夫だろ、多分。どっかの誰かが仕事で綺麗にして、儲けたってなるだろ」

「ならば宜しい。……水瓶の馬鹿は覚えてないんですねぇ、蟹座の習性を」

「……ちなみに、俺もあいつの習性なんて凶暴でサドくらいしか知らないんだけど、教えてくれないか? 弱点を教えてくれるなら尚更」

 そう言ってげらげらと笑う余裕のある陽炎を見て、鴉座は心の中で安堵を感じたがそれを表に出すことはなく、座りっぱなしの主人を立たせて、水に濡れて寒いだろうと帰り道、誰かを口説いて貰ったマントを主人に羽織らせる。

「あいつはね、黄道十二宮。だから今までのあのプラネタリウムの主人の末路を知っているし、あれを育てれば何が待っているかも知っている。水瓶座も十二宮なのに覚えてないのは、多分主人の末路を忘れたいのとプラネタリウムの仕組みの所為でしょうね。こうしてお話ししている私自身、もしかしたら貴方の手元から離れたら貴方を忘れるかも知れません。何せ私は作られるのは、貴方が初めてですので体験はしたことがない。見たことはあっても」

「……プラネタリウムは一時間以上別の奴に持たれた瞬間、その持ち主である奴のことしか覚えないからな」

「だけどね、蟹座は覚えている。誰がどうなって、かつての主人と敵対したこともあるでしょう。それだけに貴方が心配なのでしょう。……私は、マイナーな星座なんでね、生まれたことがない。だけどプラネタリウムの中から見ていて思うことはありますよ」

 鴉座はごく自然に帰り道をエスコートしながら、いつも塒にしている場所へと帰って行く。

 少しデートのようで他の星座に怒られそうだな、と鴉座は思ったが他の星座に怒られようとも、主人をいつまでも無知なままではいさせられないし、勘づいているとしても気づかないふりをしているので、気づかせる切っ掛けを与えなければ。

 自分の役目は、彼の道を照らす光だから。……表向きは。



10

「プラネタリウムは、痛み虫を集めれば集めるほど星座は出来ます。大抵、プラネタリウムを手にした人は黄道十二宮を作ります。そして、その十二宮で攻撃出来ます。だけど、それが敵の手に入って一時間以上経った瞬間、プラネタリウムはかつての主人が主人だった記憶を忘れ、痛み虫を攫って新たな主人に渡して、敵の従者となられます。これ以上育てて貴方が傷つくのを恐れているのでしょうよ。それに星座が増えれば増えるだけ人より遠くなります。私も勿論嫌ですし。ねぇ、私だって貴方は愛しいのです。蟹座のフォローだけはご勘弁。私の我が君への思いも聞いてくださいな、愛しき人」

「何で忠実じゃないんだよー。男相手にさ……」

 鴉座の言葉を噛みしめるように脳内で反芻しつつ、口では軽口を叩く陽炎。

 否、半ば本気なのだが、鴉座には虚勢にしか見えず、それが可愛らしくて、口元が綻ぶ。

「主人のプラネタリウムを使う理由が、純粋であればあるほど、星座の属性は愛となります。貴方の願いが、悲しいほどに純粋な願いだからでしょう。私は蟹座が主人へ絶対忠誠じゃない姿なんて、プラネタリウムで眠る中でも見た覚えがありませんよ」

「……そんなに、純粋じゃないと思う。寧ろ、言葉通りだよ、願いなんて。星座を作ってやりたいことなんて」

 陽炎は寒さに思わずくしゃみをしてから、鼻を啜る。

「朝日なんて上らせないでプラネタリウムだけ見てたいだけ。引きこもりじゃーん?」

「じゃあ何故偽りの夜空を選ぶのです?」

「……――さぁね。ただ何となく今の夜空よりも、黒い闇に見えて心地良いからじゃねぇ?」

 それは嘘でもなく、心からの願いも混じっていると知ってるから鴉座は、苦笑した。


(今まであの玉から見てきた主人達は、ただ不死身に近い人種になりたいからとか、強い力が欲しいという理由ばかりだというのに、貴方という方は何処まで純粋なのでしょう――本当は貴方は一人になりたくないから、この玉を手にしている。その姿は何といじらしい――)


 愛しい主人の手を取り甲に口づけて、鴉座は鴉の姿に戻り、主人の頭に乗っかる。

「ねぇ、その闇の世界の使者第一号に、私を偶然だとしても選んでくださったのが嬉しいので、私は鳥目でも貴方の眼となりましょう。その眼となって、願いを叶えましょう」

「ということは、何か情報が出たんだな、鳥目の眼から」

「貴方にはどんな甘い言葉も通じないのですね。ええ、情報は出ましたし、フルーティの痛み虫が何の星に繋がるかも予測がつきました、蟹座のお陰でね」

「はぁ? 星座が……出来るって事か? 嗚呼、それで赤蜘蛛のほうを優先しろっていってたわけか」

「それもあるでしょうし、赤蜘蛛がプラネタリウムを狙っていると考えられる理由もあります。フルーティはきっと、黄道十二宮に入る星座を作り出すと思います」

「……ふぅん」

 それを聞いたときの陽炎の顔は、やけに嬉しそうで輝いていた。闇夜に輝く、月のように鴉座は陽炎に照らされ、塒へと辿り着く。

 塒は今にも倒れそうな小屋で、乱雑な風を防ぎ寝る為だけの小屋だった。

 そんな小屋でも、借りるのに一月ひとつきに銅貨十枚は必要だから、困る。

 塒に辿り着けば、明日昼に起こしてくれと陽炎は頼み、眠りに入る。


 鴉座は、くすくすと笑い、頷いた後、眠りに入った主人を確認してから、――他の星座を二人、呼び出す。

「……余計なことを、水瓶、蟹座」

「……――何が? 馬鹿鴉」

「何だ、オレは寝ている。用があるなら、そいつが死にそうなときにしろ」

 一方はきょとんとして、一方は欠伸をそのままに、ちゃっかりと陽炎の隣に眠ろうとしていたので、それを制しながら鴉座は陽炎に向けるのとは違う種類の笑みを浮かべて、冷たい目を二人に向ける。

11

「蟹座、この方は聡いのだからお前が動けば、何に繋がるか私が説明して星座が出来ることを言わなければならなくなるじゃないか」

「流石に黄道十二宮が出来るのはまずい。他にも理由はあるが。黄道十二宮の大抵はきっとこいつの願いならば愛属性になる。それでもし乙女座だったら、嫌だろう? それに……オレは嫌がらせが好きなんでね。そのにこにことした顔の中には、オレと同じもんが隠されているのをオレは知っている。支配欲だ。それをさらけ出すチャンスをくれてやったんだ。水瓶、お前にもだ」

 蟹座は制されて少し不機嫌そうに、それでも隅で背中を壁に預けて欠伸を。それから鴉座へ視線をやり、水瓶座へも視線をやる。

 水瓶座はその視線にふんと鼻を鳴らして睨み付けて、水瓶を抱き込む。

 水瓶は綺麗な色をしていて、高級そうな文様が刻み込まれている。その文様はきっとプラネタリウムを作った者の国にある古代の文化だろう。

 水瓶を抱き込むと、中にあるいつも満杯の水がちゃぷんと音を立てた。

「僕を性格の悪い君たちと一緒にされると、汚れて水が真っ黒になって陽炎様を癒せなくなって、この方は死んで、僕は天国までお供をしなくてはならなくなるよ」

「水瓶、お前はその癒しの水に依存成分と微妙に惚れ薬の成分があるのを知ってて、あんなに水をかけているんだろう。天に愛された美の酒童は、何と醜いことか。何もしなくてもその水は、薄汚れている」

 鴉座が揶揄するように笑うと、尤もだと言わんばかりに蟹座は噴きだし、哄笑して馬鹿にするのを我慢したが、その噴きだしたことだけで十分馬鹿にしている行為だと気づかない。

 水瓶座は水のことは気にしなくても、美と言われた瞬間眼をむき出しにするように二人を睨み付けて、美しい顔は歪んだ。

 美しい顔が歪めば、それは迫力を持ち、二人は少しその迫力に負けないよう睨み付ける。

「不細工の気持ちなんて、二人には判らないんだ! 特に美形の蟹座にはっ!」

「星座一の美形に美形と言われると腹が立つ。鴉、そういうお前はどうなんだ? 赤蜘蛛が此方を見ていたことはお前も知っていたのに黙っていた。奪われても構わないからじゃないからか? 自分はもう、作られたからな? その男はもうどうでもいいか? 世話を焼くのも、口説くのも飽きたか?」

 水瓶座の睨みにもびくつかず蟹座は睨み付けたまま加虐的な笑みを浮かべるだけで、そのまま鋭敏な眼で鴉座を見やる。鴉座は、肩を竦めて、冗談じゃないとため息をついた。

「飽きたなんて、とんでもない。名前を与えてくれたご友人とお楽しみの所、ご友人から折角親切心で情報を貰ったのに、それを無碍むげにすることは出来ないでしょう? それに新しい星座が出来ようと出来まいと痛み虫で、あの方はまた人から遠ざけられる対象に近くなるでしょう? 人が近寄らなくなれば、側にいてあの方が一番に頼る存在は、一番最初から居た私でしょう」

 誰よりも一番に自分を最優先して頼って貰う為に、自分は主人が望む姿で居るのだ。

 主人が安堵するために色々と態度や、役目を考えて行動しているのだ。

 その結果、他の星座以上の信頼は得ている――つもりだ。


(冠座さえ、現れなければな――。相談役を奪われるなんて。忠実で無関心だからこそ、一番相談しやすいのだろうけれど)


 鴉座は歪んだ嫉妬心を、恋敵二人にわざわざ見せる必要がないので、隠したまま、にこりと微笑んでこの二人よりは信頼されている優越感を見せつける。

「私は主人を選ぶんです、これから先、他に主人が出来ても、あの方だけが私を捕らえて放さないでしょう。プラネタリウムの仕組みなんかに負けません」

「君が捕らえて放さないの間違いじゃないの? 随分と鴉は嫉妬深いから、どんな手段も厭わないで、僕らの行動も見通した上で行動するときもあるからねぇ?」

 水瓶座が仕返しとばかりに鴉座を貶すと、蟹座は愉快そうに笑う。

 先ほど思った嫉妬心が見抜かれたようで、鴉座はため息をついて反論しようとしたが、そこで陽炎が「うるせぇ」と小声で呟いたので、一同は少し静かにして主人が再び完璧に眠りにはいるのを確認する。

「……寝たな」

「……寝ましたね。とにかく私たちはお互い仲が悪いですし、むかつくし、顔も見たくない。だけど、この方への願いが同じなのは判っているでしょう?」

「……――痛み虫を集めさせて、誰もが人と認めない程の強靱にして人々に疎外させて、僕らだけに依存させる」

「そのために奪われない、奪わせられないように、こいつを守る――」

 水瓶座と蟹座の言葉を聞いて、鴉座は頷いて、そういうことと微笑むと陽炎の寝顔を見やりながら、苦笑を浮かべた。

 陽炎の寝顔は良い夢でも見ているのか、気の緩んだ間抜けな顔になっていて、穏やかな寝息を立てている。

「私たちは醜い。ただ一人の思い人の為に、こんな酷い手段を使う。……ここまでさせたのはきっと、貴方が最初で最後ですよ、純粋なる主君――」

 愛しそうに鴉座が陽炎が撫でようとしたら水瓶座が制する。それに不機嫌そうに見やってから、二人はプラネタリウムの中へ戻る。

 それを眺めてから、蟹座はにやにやと笑って消えていく。

「主人が望まないのに、神に近い存在へ育てようとは、何と自分勝手な奴らだ――プラネタリウムの効果とは恐ろしいものよ」




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