第528話 泣かせちゃった
とりあえず、ローデンからの抗議に対する返答は、書状で送る事になった。
「陸路で、時間をかけてゆっくり行ってもらうよ」
叔父さん陛下、大変いい笑顔です。相手が返事を待っているのをわかっていて、わざと時間かけて持っていかせる気だな。
しかも、使者に立つのはまだ若い子爵家嫡男。当主ですらないっていうね。その子爵家、例の王都自白大会で前当主が盛大に自家の罪を暴露した家だってさ。
何だろう、体のいい厄介払いに見える……生きて帰ってきなよ、子爵家嫡男。
「向こうが動くのなら、先程サーリが提案した方法を採用しよう」
つまり、厚顔無恥にもダガードまで文句を言いにくるのなら、こっちも周辺諸国の人達招いて歓待するよって事?
あのヘデック始め、ローデンの連中だからなあ。罠だと知りもせずにのこのこ来ると思うよー。
来たら来たで、公衆の面前で渾身のパンチをお見舞いしてくれる。やっぱり、ティアラ投げつけた程度じゃ収まらん。
「落ち着け。鼻息荒いぞ」
「おっと、しまった」
つい、ローデンでの日々を思い出したら……ね。よくあんな場所で我慢してたよなあ、私。
あそこを出たら、生きていけないくらいに思ってたんだろうなあ。今考えると、本当バカみたい。
「ともかく、向こうからの反応が来るまで、少し間があるだろうね」
少し、なのかねえ?
「なら、俺達はお婆さまのところにでも――」
「あ!」
「どうした?」
ジジ様で思い出した! ウィカラビアには、ニルがいる。うわあ、ローデンよりも大きな問題だよこれ。
「母上に、何かあったのかな?」
「いえ、ジジ様ではなく……」
「ではミシア? でもなさそうだねえ。スワシェニルかな?」
もう! 叔父さん陛下ってこういう時は本当しつこいな! そして、あっという間にニルの事がバレました……
「そうか……あの子がねえ」
「俺は別に何もしていないぞ?」
「スワシェニル嬢にしてみれば、初めて優しくしてくれた異性といったところではありませんか?」
乳母の夫も優しかったんだろうけど、あっちは既婚者だからね。それに年も離れていただろうし。どちらかというと、擬似的な父親として慕っていたんではなかろうか。
その点、隣の人はねえ……
「どのみち、君達二人がそういう関係になったのなら、いつまでもスワシェニルに望みを持たせるのは可哀想だよ?」
それは、わかっているんですけど……ニルの泣く顔、見たくないな……
何だかもやもやした思いを抱えたまま、ダガードからボートでウィカラビアへ向かう。
船室では、二人きり。剣持ちさんはデッキにいるってさ。
「浮かない顔だな」
「それは……まあ……」
この状態でニルの前に出れば、一発でわかっちゃうだろうし。その場で逃げられるか、泣かれるかの二択じゃないかな。
「そんなに嫌か?」
「嫌って訳じゃ……ニルを泣かせるのは、嫌だけど」
でも、繋いだこの手を放す方がもっと嫌。我が儘だよなあ。ニルが泣くか、自分が辛いか。私は自分が可愛いから、ニルが泣く方を選ぶ。嫌だけど。
それはわかっていても、やっぱりきつい。これから来る場面を思い描いてはうんうん唸っていたら、隣から声がかかる。
「ああ、そうだ」
「何?」
いきなり言い出すから、何かと思えば。
「お前、いい加減俺の事は名前で呼べよ」
「そこか」
「当たり前だろうが!」
えー? そんなに嫌かな? 銀髪さんってあだ名。
名前……名前かあ……どうしようかな。
「……い、おい!」
「ふえ?」
「聞いてなかったのか?」
「あー、えーと……そう! 名前! ですよね!?」
「はあ……また俺の名前を忘れてた、と言うんじゃなかろうな?」
「えーと、カイド……でしょ?」
「よし」
うん、まあ前の旦那の名前は何度も言ってるのに、新しい相手の名前を呼ばないってのもアレだしね。
でも、名前……なあ。
「どうした?」
「名前、私のも呼んでくれますか?」
「サーリ、か?」
やっぱりそうだよねえ。うん、よし、決めた!
「私の名前、本当はエリスって言うんです。松本エリス。松本が家の名で、エリスが個人の名前ですね」
「エリス・マツモトというのか。何故、サーリと名乗ってたんだ?」
「こっちで初めて名乗ったのは、ユリカなんです。あ、祖母の名前ですよ。で、こっちの人は発音出来なかったので、伸ばしてユーリカ。それが神子の名前として定着しちゃったから、神子だとバレないようにさらに偽名をですね……」
「それが、サーリだと?」
「そう」
本名のエリスをもじってもじってひっくり返した名前だ。でも、たくさんの人に呼んでもらったから、サーリって名前が自分にしっくりくる感じ。
でも、やっぱり大事な人には本名を知っておいてほしい。
「エリスなら、発音出来そうですか?」
「似た名前がこちらにもあるから、問題ない。他の連中にも、その名で呼ばせるか?」
うーん、どうしよう。公的にはエリスでいいと思うけど。
「皆には、今まで通りサーリと呼んでもらいます」
いっそのこと、サーリをセカンドネーム的にしようか。エリス・サーリ・マツモトって感じで。
ぐは。何かすげー小っ恥ずかしい。
そんなやり取りを船室で繰り広げていたら、あっという間にウィカラビアに到着。
下りて街に入った途端、迎えに来ていたミシアとニルに遭遇。ニルは、繋いだ私達の手を見て逃げていってしまいました……
「ニル! 待って!!」
ミシアは、ニルを追いかけて行っちゃうし。あー、これ、後でミシアに責められるパターンかも。
それでも、戻った事をじいちゃんやユゼおばあちゃん、ジジ様達に伝えない訳にもいかず。
近場にあるじいちゃんの家から挨拶回り。
「おお、戻ったか……それで? その繋いだ手の説明はしてくれるのかのう?」
「えーと、その、そういう事になりました」
「そういう事って何だ」
「だって」
他に何て言えばいいのさ。お付き合いする事になりましたーっていうの? これまた小っ恥ずかしい!
「とりあえず、形としてはまだだが、婚約した」
「え!?」
婚約? いつの間に? いや、嫌じゃないけど、本当、いつ決まったの?
「え、とは何だ。叔父上も、そう言っていただろうに」
叔父さん陛下が? 婚約だのなんだのって、話題に出たっけ? ……ああ! 彼女を妻に、とか言ってた、あの下り!?
そっかー、あれだけで婚約成立なのかー。びっくりだわ。
「まあ何じゃ。お互いにそれでいいのなら、形式は後ででもいいじゃろうて」
それもそうか。いきなり婚約とか言われて驚いたけど、ただそれだけだもんね。
その後、教会にユゼおばあちゃんと一緒にジジ様もいたから、二人にもご報告。お祝いの言葉をもらいました。
「おめでとう、サーリ」
「おめでとう、二人とも。カイド、サーリを幸せにしないと、承知しませんからね」
「わかっております」
「よろしい」
相変わらずジジ様には頭が上がらないんだね。ちょっと笑ったら、じろっと睨まれた。
その日の夕食は、帰還と婚約祝いの席に早変わり。ニルは欠席するかな、と思ったけど、真っ赤に泣きはらした目で祝福してくれた。
本当に、強い子だな。彼女のこれからに、幸多かれ。
『神子の祝福が、スワシェニルになされました』
マジで!? いや、それでニルが幸せになるなら、いっか。
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