第472話 負けた気分

 日本に帰れる。それは、とても嬉しい言葉のはずなのに、何だか酷く違和感のある言葉だった。


 あの世界に帰れる、しかも時間を巻き戻して。じゃあ、私は十五才からやり直せるって事? それって、いいのかな……


「……か? おい、聞こえてるか?」

「……あれ?」


 考えに没頭しすぎて、回りが見えてなかった。デッキチェアに座る私を、銀髪さんが覗き込んでいる。


 心配そうな顔。そういえば、最近ずっと一緒にいるね。


「本当に大丈夫か? 様子が変だぞ。具合が悪いようには見えないが」

「あー……大丈夫、です」


 多分。さすがにあの言葉は衝撃が大きかったからなー。帰れないと思っていた場所に、帰れるなんて。


 銀髪さんは、夕食の時間になっても来ない私を迎えに来たらしい。


「大方また夢中で何かを作ってるんだろうと思ってたんだが」

「しばらくは、もの作りはお休みです」


 街なんてでかいものを作ったからね。これ、旧ジテガンとかキルテモイアはどうなってるんだろう? 崖の上の別荘は、割と普通の出来だったのに。


 どけんさんとたてるくんの方向性がわからない。




 食堂代わりの集会場にいくと、もう皆揃っていた。


「お、遅くなりました……」


 待たせてごめんなさいと謝る。今日の夕飯はカレーらしい。カレーはキルテモイアで手に入れたレシピ。


 あの国、フルーツや砂糖だけでなくスパイスも豊富で、その結果カレーが出来上がったらしいんだ。料理の名前は違うものだったけど。


 で、それを元に検索先生が色々手を入れてくれて、日本で食べていたような欧州風カレーにしてもらったって訳。


 カレーの時はナンをつける。ナンもおいしいよね。今日のカレーはチキンカレーらしい。鶏肉、とーるくんが色々取ってきてくれるから、在庫が豊富なのだ。


 ほっとくんが作ってくれたおいしいチキンカレーを食べつつ、和やかに時間は過ぎていく。


 食後はここに残りたい人、自分の家でゆっくりしたい人、それぞれで過ごしている。


 いつもなら、私もじいちゃんやユゼおばあちゃんとのおしゃべりを楽しむんだけど、今日は検索先生からの爆弾発言で精神的に疲れてるから、おとなしく家に戻って寝ようっと。


「なんじゃ、帰るのかの?」

「うん、今日はもう寝るね。おやすみ」

「うむ、良い夢をの」

「良い夢を、ユーリカ」


 じいちゃんとユゼおばあちゃんに挨拶して集会場を出る。ジジ様はリーユ夫人と、侍女様方は三人で集まって何やら話し込んでいたので、軽い挨拶だけしてきた。


 ウィカラビアの日は長い。時刻は夜の八時過ぎだけど、まだ夕方くらいの明るさだよ。


 この街には暗くなると街灯が灯る。それがなくても、不審者は近寄れない場所だから、暗い中歩いても危険はないけどね。


 なのに、後ろから銀髪さんがくる。


「送っていく」

「いりませんよ? ここはどこよりも安全なんだから」


 ある意味、私の持つ砦の中を歩くようなものだ。街の周囲や山の周辺は護くんが巡回してるし、とーるくんが魔獣を端からデストロイしてる。


 おかげで今も、亜空間収納の中には魔獣素材が溜まっていってるのだ。そろそろどこかに卸すか、何かを作らないと在庫過多になってるくらい。


 断っても、銀髪さんは無言で付いてきた。私も、何も言わずにまだ十分明るい道を行く。


 集会場から私が使っている家まで、徒歩三分。殆ど目と鼻の先だ。街自体が狭いので、当たり前かも。


 何せ、端から端まで歩いても二十分程度なんだから。


 すぐに到着した家の前で、後ろを振り返らずに礼を言う。


「ありがとうございました」

「話がある」


 ……いつもなら、こっちにはないですって断るんだけど。何だか、今日はその気力も湧かない。


 無言のまま中に入れて、居間として使ってる部屋で向かい合わせに座る。目の前には小さいダイニングテーブル。


 ああ、何か飲み物でも出さなきゃ。ここにもスペンサーさんが置いてあるから、何か出そう。


 ふらりと立ったら、手で制された。ありゃ、銀髪さんがスペンサーさんから飲み物もらってる。


 元王様なのに、こき使っちゃった。何か、おかしいの。


「……何があった?」

「へ?」


 話があるって言ってたけど、何があったって……あ。夕飯に遅れた事か。


「思い当たる事があるな? 何か悩み事か?」


 悩み事と言えば、悩み事だけど、内容が内容だから誰にも言えない。


 でも、ぼかしてなら、聞けるかも。


「……絶対に叶わないって思ってた願いが、いきなり叶う事になったら、どうしますか?」


 もう帰れないって言われていた日本に、帰れる。嘘みたいな、本当の話。


「何だ? それは。それが悩み事か? ……願いが叶うなら、いいんじゃないのか?」

「願いを叶える為には、今持っているものをすべて捨てなくてはならないんです」

「え……」

「今か、願いか。どちらかしか手にできません。でも、どちらも捨てがたくて、だから、迷ってます」


 帰るか、残るか。どちらを選んでも、後悔しそうで選べない。だからか、他の人ならどういう選択をするのか、知りたくなったんだ。


 しばらく考えていた銀髪さんは、こちらに向き直った。


「俺なら、今を捨てる事は出来ない」

「……そう、ですか?」


 ちょっと意外。銀髪さんなら、願いを叶える為なら今あるものを全部なくしてもいい、って言うかと思った。


「少し前なら、願いを叶える方を選んでいたと思う。でも、今の俺は手にしているものをなくしたら、多分やっていけない。それに」

「それに?」

「願いは自分で叶えるものだろう?」


 そう言った銀髪さんは、ちょっと眩しく見える。今の私に、彼のようにきっぱり言い切る事は出来ない。


 いつまでも日本への未練を抱えて、かといって今ここにある全てを捨てる事も出来ず、ずっとグズグズと言ってそうで。


「その願いは、今すぐでないと叶わなくなるのか?」

「え? いえ、どうだろう?」

『決めるのは、今でなくても問題ありません』


 うおっと。検索先生、今まで何も言ってこなかったのに!


『お邪魔かと思いまして』


 邪魔って、邪魔って何の!? と、とにかく、選ぶ時期はまだ先でも大丈夫なんですね!?


『そうですね。何なら、神子がこの世界での寿命を終える寸前でも構いません』


 えー、そんな時間をこっちで過ごして、日本に十五才で戻るの? それは何か、逆召喚みたいで変な感じー。


『もちろん、その前でも問題ありませんよ。ただし、奇跡は一回だけです』


 日本に帰れるチャンスは、一度きり。でも奇跡って言うくらいだから、他のお願いに使ってもいいって事ですよね?


『そうなります』


 奇跡は一度。それを日本への帰還に使うか、それとも他の何かに使うか。もう少し、考えよう。


 何だかんだ言って、今日は銀髪さんに色々助けられたなあ。


「ありがとうございました」

「何だ? 急に」


 お礼を言ったのに、どうしてそこで訝しむかなあ。失礼な。でも、今日は怒らないぞ。


「おかげで考えがまとまりました。あー、何かすっきりしたー」

「お前……一人だけさっぱりした顔をして」


 はっはっは。こういう相談事というのは、そういうものですよ。


「あ、そろそろ外、暗くなりますよ。戻った方がいいと思います」

「そうだな。迎えも来てる事だし」


 へ? 迎え? 銀髪さんが席を立って玄関に向かったから、お見送りくらい、と思って後を付いていく。


 ドアを開けたら、そこには剣持ちさん。眉間に皺が寄ってますよー。


「じゃあな。早く寝ろよ」

「余計なお世話ですう。おやすみなさい、良い夢を!」


 そう言い放ってドアを乱暴に閉じた。向こう側から、銀髪さんの笑い声が聞こえる。何か、負けた気分。

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