第292話 ゼヘトという男

 コーキアン領都ネレソール、大通りにある高級宿に入って早三日。同行者であるラヘブンのおっさんは、大分いらついているみてえだ。


「おのれえ……この恨みは必ず晴らすぞ」


 太ったおっさんがぶつぶつ言ってる様は、まあはっきり言って不快としか言い様がねえ。まったく、これだから聖職者なんてものは。


「何を涼しい顔をしておる、ゼヘト! お前も何とか言ったらどうだ!」

「何を言えと? 俺はただ金で雇われただけだぜ?」

「ちっ……イシェード! 貴様もゴロゴロしていないで、少しは動いたらどうだ!」


 おいおい、今度は自分の配下で唯一残ったイシェードに八つ当たりかよ。本当、ろくな奴じゃねえよな、こいつ。


 当のイシェードは、無言でペコペコしている。その様子に少し気が良くなったらしいおっさんは、どこかに出かけていった。


「ゼヘトさん、すみません。ラヘブン様が、あんな……」

「気にすんな。お前のせいじゃねえし」

「ゼヘトさん……ありがとうございます!」


 別に、礼を言われるような事はしてねえんだがなあ。このイシェードも、変な奴だよ。




 俺たちがザクセードの教会を抜け出してから、まだ十日も経っちゃいねえ。


 どうやら、ザクセードの教会ぐるみでやっていた悪事が表沙汰になったらしい。


 いきなりおっさんにせき立てられて教会を後にした時は、何事かと思ったもんだ。


 あのおっさん、自分が危なくなりそうな臭いを嗅ぎつける能力だけは、高いんだよなあ。


 俺としちゃあ、あそこまで派手にやってて、何で今まで捕まらなかったのか不思議なくらいだけどよ。


 ともかく、ラヘブンのおっさんは、失いかけてる教会内での自分の地位を守るのに必死のようだ。


 あ、この辺りはイシェードからの受け売りな。あいつ、おっさんの下にいたもんだから、教会の裏側まで色々と知ってんだってよ。


 イシェードは、ラヘブンのおっさんがガキの頃から面倒みてる、元孤児だそうだ。


 そこだけ聞くと美談だが、何の事はねえ、自分が自由に動かせる駒として、イシェードを飼ってるだけだ。


 最初、イシェード本人はそんな事思いもしなかったみてえだけど、俺があれこれ突っ込んでたら、段々自分の立ち位置がわかってきたらしい。


 ただなあ、おっさんの次に俺にべったりになったのはちょっとどうかと思うぜ。


 今も部屋であれこれ、俺の世話を焼いてる。しなくていいって言ってんだけどなあ。


「ゼヘトさんは、南ラウェニアの出身なんですよね? やっぱり、南にいる人は、みんな魔法が使えるんですか?」

「まさか! そりゃ北に比べりゃ魔法士の数は多いが、全員が使えるって訳じゃねえ」

「じゃあ、使える人は凄いんですね」

「でもねえよ。俺だって、ほんの少し前までは三流魔法士の端くれだった」

「そうなんですか!? 信じられません……だって、グリフォンを一撃で倒したのをこの目で見ましたし……」


 だろうなあ。でも、本当の事だ。ほんの少し前の事を思い出すと、苦い笑いがこみ上げる。


 本当に、おれは三流魔法士だった。南じゃあ、掃いて捨てる程いる奴らだ。


「南じゃあ、どこの国でも三流程度の魔法士は使い捨てでよ、俺も長くあっちの現場こっちの現場って、建設現場を中心に日雇いで働いたもんだ」

「そんな……」

「一流とまではいかなくとも、二流くらいの腕があれば、職探しも楽なんだけどよお」


 二流程度なら、国や領主の抱える魔法士団に潜り込む事も出来る。だから、二流と三流の壁は厚いと言われるんだよなあ。


「俺が今の俺になったのは、つい半年程前の事さ」

「え?」

「こっからずっと南、大陸のくびれにある街で、妙な婆さんに行き会ったのがきっかけだった」


 そう、南に見切りをつけて、北の国なら俺程度の魔法士でも歓迎されるって噂を信じ、北ラウェニアに行く事にしたんだ。


 その途中、大陸のくびれで有り金が底を突き、途方に暮れていた俺に声をかけたのが、あの婆さんだった。


「汚え路地裏で占いをやっていた婆さんでな。てっきり商売の客引きかと思って立ち去ろうとした俺に、妙な薬をよこしたんだ」

「薬? まさか、それを飲んで……」

「ああ、俺の今の力は、それ以来のものだ」


 あの婆さん、妙な顔で「あんたには運が向いてきてる」とか言って、あの奇妙な薬をよこしたっけ。


 小さな素焼きの入れ物に入った、真っ黒い薬。あの時の俺は、どうかしていたとしか思えねえ。あんな怪しい薬を飲むなんてよ。


 でも、薬の効果は抜群だった。飲んだ当初こそ全身を覆う痛みと苦しみにのたうち回ったけどな。


 それが終わった後からは、それまでの俺とは全く違う自分がいた。身のうちにある、大量の魔力。


 術式そのものは知っていても、魔力が少ないから使えなかった規模のでかい魔法も、難なく使いこなせるようになっていた。


「そっからは、お前も知っての通りだ。へ、折角いい足がかりを手に入れたと思っていたのによお、教会の連中も、へまをしたもんだぜ」

「大丈夫ですよ! ラヘブン様が失脚しても、ゼヘトさんの実力なら、誰だって欲しがります! きっと、このコーキアン領の領主だってそうです!」


 力説するイシェードを見て、なんとなくその気になっちまうんだから、俺も安上がりな男だよ。


 だが、そうだよな。何もこのまま、ラヘブンのおっさんと一緒に墜ちていく事はない。


 丁度いい事に、この領は好景気に沸いてる最中だし、いっちょ領主に売り込みにいくとするか。

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