第133話 閑話 教皇庁の人達

 その報せが届いた時、教皇キストル二世ことユゼは、総大主教ジデジルとお茶を楽しんでいた。


 ふくふくとした様子のユゼは、史上初の女性教皇だ。しかも在位が今年で十六年目。


 歴代教皇の中でも、最長の三十八年には遠く及ばないものの、十分長い期間教皇という激務をこなしている。


 彼女の前に座す大主教ジデジルは、ユゼと並ぶと祖母と孫程の年齢の開きだ。


 ユゼが総白髪なのに対し、ジデジルは見事な黄金の髪を伸ばし、上の一部のみを結う、いわゆるハーフアップの髪型にしている。


 この髪型を教えたのは、異世界から召喚された神子ユーリカだ。彼女に教えてもらって以来、ジデジルはずっとこの髪型にしている。


 そんなまったりとしたお茶会に、水を差す者が現れた。


「御前失礼いたします、聖下。神子様の件でご報告が」

「神子様の!? どんな事です!?」


 知らせに来た従者が引く程食いついたジデジルに、ユゼは苦笑するしかない。


「落ち着きなさいジデジル。神子様に見られたら、笑われてしまいますよ?」

「し、失礼いたしました、聖下。それで? 神子様の件とは?」


 ユゼに窘められたジデジルは恐縮し、従者に向き直る。


「は、はい。それが……」


 従者がもたらした報告は、ユゼとジデジルを驚愕させるものだった。




 ローデン王都は、晴れ渡っている。その空に映える美しさの王城を見つめながら、ジデジルは不穏な笑みを浮かべた。


「ふっふっふ。さて、あの男共はどんな言い訳を並べるのでしょうねえ?」

「ジデジル、落ち着きなさい」

「いやですわ、聖下。私は十分落ち着いています」


 笑っているのに目だけが笑っていない表情で、ジデジルはユゼに向き直る。


 そんな彼女に、ユゼは苦笑するしかない。


「本当に、あなたは神子様の事が好きなのねえ」

「当然ではありませんか!」


 ユゼの言葉に、ジデジルは食い気味で答えた。


「神が使わしたこの世で最も尊き方! あのお姿! あのお声! あの笑み! 全てが麗しく素晴らしいものです! ああ、きっと私はあの方に出会う為にこの世に生を受けたのですよ」

「ほほほ……」

「なのに!!」


 ジデジルは、拳をぎゅっと握りしめた。今彼女が何も持っていなくて幸いである。今の彼女なら、鋼鉄製の品でも腕力でへし曲げる事が出来るのではなかろうか。


 とはいえ、従者から報告された話が真実なら、彼女が怒るのも理解出来る。


 教会側が神子ユーリカの婚姻を認めたのは、ローデン側からの強い申し出があったのと、南ラウェニア大陸の主立った国からの後押しがあった事。


 何より、神子ユーリカ本人の希望があったからこそである。


 なのに、わずか二年で夫であるヘデック王子が不貞を働き、それに怒った神子ユーリカが王城を飛び出たとは。


 しかも、その事を教会側に隠した形跡がある。これは許しがたい事だった。


 情報を得た後、教会独自の方法で調査すると、さらなる事実が出てきたのには驚く。


 あれ程熱望して迎え入れた神子ユーリカを、ローデンの宮廷はないがしろにしていたというではないか。


 出自を嘲り、礼儀のなさを蔑み、社交界でも酷い扱いをしていたという。その報告書を読んだジデジルを押さえるのに、ユゼは大変苦労したのだ。


 そして本日。一足飛びに教皇庁からローデン王国王都へとやってきた。見せかけの教皇一行を国境付近に置いておき、隙を突いてジデジルと少数の従者のみを連れ、ローデン王都の大聖堂へと「飛んだ」のだ。


 ここからは、王城は目と鼻の先である。ローデン王国側は、いきなり現れた教皇一行に驚いている事だろう。それもこちらの計算のうちである。


「とにかく、ローデン国王親子に手を出す事は禁じます」

「そんなあ……」

「ジデジル。真相がどうであれ、もしあの二人に対し恨みを晴らしたいと神子様がお思いなら、きっとご自身の手で行いますよ」

「それは……」

「その為にも、あなたが手を出してはいけません。全ては神子様の為です。いいですね?」

「はい、聖下」


 思い込みの激しい性格だけれど、神子ユーリカへの敬愛は本物だ。だからこそ、彼女の名を出してジデジルを牽制する事にした。




 通された部屋は、趣味のいい調度品が置かれた部屋だった。落ち着いた雰囲気の中、ユゼの隣に座るジデジルだけが爆発寸前である。


「ジデジル」

「わかっております。神子様の為、我慢するのは当然です。ですが、あの方のお手を煩わせるのも、如何なものかと」


 そう言って指をバキボキならすジデジルに、ユゼはにっこりと微笑む。


「その場合、後で神子様にお叱りを受ける覚悟があるのでしょうね?」

「う!!」


 こういうところが、ジデジルの可愛い面だ。さて、これからやってくるであろうローデン国王親子は、どんな面を見せてくれるのだろう。


 その前に、言っておくべき事がある。


「ジデジル。何も物理的な攻撃のみが、相手に痛手を負わせる訳ではありませんよ?」

「聖下?」

「神子様も仰っていたではありませんか。心をえぐる攻撃もある、と」

「ああ!」


 先程までの煮え立つような様子が一瞬で消え、代わりにどす黒いものがジデジルの背後に燃え立つ。


「ふっふっふ。神子様の仰った『言葉の暴力』というやつですね」

「そうです。目に見える形でなければ、いくら痛めつけても問題ありません」

「感謝いたします、聖下」


 結局、ローデン王国側の仕打ちに怒っているのは、ジデジルだけではないという事だ。


 部屋に入ってきたローデン国王親子は、最初から顔色が悪かった。


「ご無沙汰しております、聖下」

「そうですね。ご子息の婚儀の時以来でしょうか」


 ユゼの軽い嫌味に、国王よりもヘデックの方が表情をこわばらせる。まだまだ青い証拠だ。


 そこに、ジデジルが追い打ちをかけた。


「早速ですが、神子様はお健やかでお過ごしでしょうか?」


 にこやかに問うジデジルに、ヘデックは答えようとしない。「あの」だの「その」だのと言うばかりで、段々ジデジルのイライラが貯まっていくのが感じられる。


「何故、お答えいただけないのですか? ヘデック殿下。あなたの妃となられた神子様の事を、お伺いしているのですよ?」

「それは……」


 ジデジルに問い詰められ、ようやく口を開いたヘデックだが、言葉が続かない。


 彼女が追撃をしかけようとしたところに、横からローデン王が慌てて口を開いた。


「み、神子は現在体調を崩しておってな! 寝付いている故、この場には出られぬ。総大主教殿が心配していたと、後で伝えさせよう」

「体調をお崩しに!? まあ、それは大変。聖下、私、このまま神子様のお見舞いに向かいます!」

「い、いや! その必要はない!!」


 ジデジルの言葉に顔色を変えたのは、ローデン国王だ。口から出任せを言ったら、とんでもない方向に話が向かったのだから当然か。


 だが、彼の発言はジデジルの怒りを煽る。


「必要がない、ですって?」

「い、いや、だから――」

「神子様が寝付いておられるというのに、神に仕える私が見舞いにも行けぬとは、一体どういう事でしょうか?」


 怒りをぎりぎりに押さえているせいか、ジデジルの様子は鬼気迫るものがある。それに中てられたか、ローデン国王親子は真っ青になった。


「ぜひ、お答え願いたいものですね。ローデン国王陛下」

「お、おおお落ち着かれよ」

「あなたの方が落ち着きなさいな。一体、何をそんなに怯えているのですか? 別にジデジルは、あなた方に何かをする訳ではありませんよ。ただ、神子様の身を案じているだけなのですから」


 にこやかに告げるユゼに、縋るような目を向けるローデン国王親子だが、続く言葉に絶望の表情を見せる。


「ですから、一目神子様の姿を見て、私達を安心させてほしいだけです」


 既に神子ユーリカはこの王宮にいない。十日以上前に出奔している。


 そして、ローデン国王親子が婚姻証明書を使った呼び戻しの儀式を行った事も、既にユゼ達は掴んでいる。


 それが、失敗に終わっている事も。


 馬鹿な連中だ。あの時、あの婚姻証明書の術式を教会側が了承したのには裏があるのに。


 証明書に書かれる名前は、「正式名称」でなくては術式が発動しない。証明書に記された神子の名は「ユーリカ」。


 当然だ。召喚された際に彼女が自分でそう名乗ったのだから。だからこそ、ローデン国王親子は何も疑わなかったのだろう。


 だが、ユゼ達はそれが偽りの名だという事を知っている。彼女の祖母の名で、しかも表記が大分違ってしまっているという。


 それではあの証明書は意味をなさない。だからこそ、教会側は了承したのだ。神子の足枷にならないとわかっていたから。


 目の前で青を通り越して紙のように白い顔になっている親子を見て、ユゼの心は静かに凪いでいた。


 教会の力を使えば、神子ユーリカの消息を知る事はたやすいだろう。何せ神子の持つ力は強大で、それを検知する方法が教会にはあるのだ。


 それでも、もうしばらくはそっとしておこうと思っている。ジデジルなどは、今にも神子の所在を調べて飛んで行きかねないけれど。


 神子にも、休息の時間は必要なのだ。




 その後も「神子に会わせろ」という内容でしばらく親子を言葉でなぶったユゼ達は、ようやくその矛先を引っ込めた。


「まあ、いいでしょう。あなた方が何を隠そうが、私達には意味がありません。それだけは、憶えておくように」

「な、何を言って……」

「心当たりは全くないとでも?」

「ぐ……」


 神子を妃に迎えながら、たった二年で不貞を働いた愚か者な息子と、神子が社交界でつまはじきにされても何の手立ても講じなかったローデン国王。


 そのどちらも、ユゼとジデジルから見れば大変罪深い。叶う事なら、今この場で断罪してしまいたい程だ。


 だが、神子不在の影響はこれから出てくる。おそらく、ゆっくりと、でも確実に。


 でも、この事をローデン側に教えるつもりはない。彼等が気づいた時には、もう手遅れになるだろう。


 それはある意味、神の子をないがしろにしたこの国への神罰だ。王侯貴族の不始末のせいで苦労をするだろう国民は哀れだと思うけれど、こればかりは致し方あるまい。


 ユゼに出来るのは、ローデンの教会を通じて貧民への炊き出しの回数を増やすくらいだ。


 この国がこの先どうなるかは、まだ誰にもわからない。ただ、これまでのような栄華を誇る事はもう二度とない事だけは、確かだった。

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