第132話 閑話 彼女が捨てた国の人々
時は少し遡る。
第三王子妃である神子が途中退出した夜会は、普段と変わらずに終わった。それでも、その日の話題は彼女が攫っていったけれど。
「やはり、神子などと言っても所詮は素性も知れぬ者、高貴な血筋のヘデック殿下には合わなかったのではないかしら?」
「まあいやだ。貴女ったらあれ程神子様の事を崇拝してらしたのに」
「あら、私は別に……」
「邪神が封印されたとはいえ、まだまだ神子としての価値はある」
「特に教会に対しては……な」
「妃があのような態度を取ったにもかかわらず、陛下も殿下も何も仰らないとは」
「そこはほら、教会の顔を立てて」
「とにかく、神子は召喚した我が国のもの。あの力は国を栄えさせる為にこそ使わなくてはな」
好き勝手に話す貴族達。彼等彼女等の視線は、会場の端に設えられた王族席に注がれている。
そこには国王夫妻と王太子夫妻に加え、第三王子ヘデックと彼の愛人トゥレアが座していた。
「お加減はいかがですか? ヘデック様」
「ああ、大事ない……」
ほんの少し前、自身の妃である神子ユーリカにティアラをぶつけられたヘデックは、まだ少し痛む鼻に濡れた布を当てていた。
神子の力が加わったせいか、治癒魔法が効きにくく王宮付きの治癒師が首を傾げていた。
ぶつけられた時の痛みは大分治まったけれど、人々の前で行われた仕打ちに対する怒りは消えず、何ならいや増している。
「それにしても、神子様も酷い方ですわ。ご自分の夫君で王子殿下でもあるヘデック様に、この様な……」
「問題ない。だが、そうだな。妃としての教育が足りていなかったのだろう。後でまたしっかりと躾けなくては」
この時、当の神子ユーリカは王宮から飛び立っていたのだが、それを知るものはここにはいなかった。
「父上! ユーリカの姿がどこにも見えません!!」
ヘデックが父である国王にそう訴えたのは、翌日の昼過ぎだった。
「何? いつからだ?」
「侍女の話では、今朝からだそうです」
「そうか」
ヘデックも父である国王も、この場にいる他の誰も、神子の姿が見えない事に驚いた様子も焦る様子も見せていない。
「どこに行っているのやら。婚姻証明書がこちらの手にある以上、逃げる事など出来ぬというのに」
神子とヘデックの婚姻証明書は、本来ならローデンの王都大聖堂にて管理されるものだが、現在国王の手元にある。
これにはある仕掛けが施してあって、術式により証明書に書かれた名前の人物を証明書の力で呼び出す力がある。
かなり古い術式故、当初施す事を教皇含む教会側が渋ったが、神子ユーリカの身を守る為と言われては、了承せざるを得なかった。
だが、国王の真意は神子をローデンから逃がさない為である。今回、その真価を発揮するときが来たようだ。
ヘデックは父である国王の前で卑しい笑みを浮かべた。
「あれはそのことを知りませんからね。私に黙って王宮を離れるなど、あってはならぬ事。戻ったらきつく言い聞かせます」
「そうだな。さて、ではいつ呼び戻すか」
「ここしばらく不機嫌でしたから、少し外で気晴らしでもさせますか?」
「だが、それでは民に示しが付かんぞ」
「あれは民に紛れるのが得意です。民も、神子を身近に感じて王室への思いを強くするでしょう」
「ふむ、なるほどな。では、十日後としよう」
「わかりました」
ヘデックと国王は、お互いににやりと笑いあう。妙なところで似ている親子だった。
彼等が狼狽するのは、神子ユーリカを呼び出す儀式を行った十日後である。
「どういう事だ!? 神子が来ないではないか!!」
「そんな……どうして……」
「ええい! 教会は我等を謀りおったのか!!」
ローデン国王は怒りにまかせて証明書を床にたたきつけた。その側で、ヘデックはおろおろするばかりである。
たとえこの証明書の術式が不完全でも、教会に責任を追及する事は出来ない。そんな事をすれば、夫であるヘデックの不貞が原因で神子が国を出て行ったと教会側に知られてしまう。それはまずい。
そんな中、彼等二人にとってはこの上なく厄介な来客が告げられた。
教皇と総大主教が揃って、神子ユーリカのご機嫌伺いに来たというではないか。
「そ……それは、まことか?」
「はい。既に国に入られて、二、三日のうちには王都に到着される予定です」
「なんと言う事だ……」
青くなった国王は、その場にへたり込む。これで教会側に神子不在が知られたら、必ずその責任を問われるだろう。
二年前の邪神再封印後、神子のこれからをどうするかが近隣諸国の王族と教皇庁とで話し合われた。
教会側は神子の身柄を渡すよう申し入れてきたが、その時には既にヘデックとの婚姻が整いつつあったのだ。
近隣諸国には根回しをしたので問題なかったが、さすがに教皇庁を相手にするのは分が悪い。
そこで、神子ユーリカ本人からヘデックとの婚姻の意思を伝えさせた。神子自身が熱望するのであれば、いくら教皇庁といえど婚姻を阻めまい。
国王の読みは当たり、教皇庁側は引き下がった。それで神子が幸せになれるのなら、と。
そんな経緯がある相手だ。現状と理由を知られた日には、どのような非難を受けるかわかったものではない。
教皇達を、王都に入れては駄目だ。いっそ、大主教もろとも教皇を亡き者にするか。
国王の脳裏に、危険な選択肢が浮かんだ時、再び報せがやってきた。
「失礼します! 教皇聖下ご一行様、王宮に到着なさいました!」
「な! なんだとう!?」
どういう事だ。王都に到着するまでにまだ数日かかるのではなかったのか。
焦る国王に、いい手が浮かぶはずもなく、結局ヘデック共々教皇が通された部屋に向かう事となった。
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