聖なる夜へ駆け抜けて

龍々山ロボとみ

聖なる夜へ駆け抜けて

※※※ START ※※※



 駆ける。駆ける。ひたすらに。


 駆ける。駆ける。真っ直ぐに。


 咽喉が熱い。肺が焼ける。心臓が、痛いくらいに鼓動する。


 冷たい風が肌を切る。

 乾いた風だ。

 大きく吸い込む。


「――――!」


 口腔内が張り付くような錯覚を覚えた。

 粘つく唾液が、舌といわず、内頬といわず、絡み付いている。

 気持ち悪くて飲み込もうとするが、上手く飲み込めない。


「――! はあっ! ああっ!!」


 仕方なく、吐き捨てた。

 舌でこそいで、咳き込むようにして咽喉奥から剥がす。

 そうしたモノを、口の中で丸めてから、横の植え込みに吐き出した。


 汚いな、とは自分でも思う。

 でも、そうしないと走れない。


 脚を動かす。

 軽く、薄い靴底から、アスファルト路面の固さが伝わってくる。

 路面を蹴る。

 前に進む。

 蹴って蹴って、ひたすらに。


「――――!」


 隣を走る男に目を向ける。

 チクショウ、まだまだ余裕そうじゃないか。

 独特の、ストライドを大きく取る走り方。

 背が高く、脚も長いこの人には、ピッタリの走り方なのだろう。


 前だけを見て走る隣の男。

 このために鍛え上げられたであろう肉体は、俺から見ても美しいと思える。

 ユニフォームから覗く太腿は引き締まり、ふくらはぎなんて、同じ高校生とは思えない。

 これで、俺とは一学年しか違わないのだ。

 まったく、嫌になる。


 俺だって、鍛えてきた。

 だけど、ここまで違うものなのか。

 知らず、たすきを握る手に力が入った。


「はあっ、はあっ、――だああ!!」


 いけない。

 気を抜くと、置いていかれる。

 余計な事を考えている暇はない。


「くっそ、なんで……!」


 それでも、思考は逸れてしまう。


「俺は、こんな日に……!」


 なんせ今日は、十二月二十四日だ。

 午前中、終業式をやったばかりなんだ。


「学校で――駅伝やってんだろうな!?」




 ――遡れば、今年の春、入学式まで遡る。




「ねえ、タクマ、部活動どうするの?」

「んー、……いいよ、帰宅部で」


 途端に、「えー!?」という声が響く。

 どうでもいいが、うるさいって、ハルカ。


「なんでよ! 中学ではあんなに頑張ってたのに!」

「なんでって、ハルカも知ってるだろ。頑張りすぎて肘壊したの」


 小学生のときからやってたテニス。

 三年の夏大会に向けて頑張りすぎた。

 だましだましやっていって、とうとう駄目になった。

 大会が終わった後だったのがせめてもの救いだったが、高校では続けられないと、医者からはっきり言われてしまった。


 高校でも一緒にやろうぜ、と言ってくれていた皆には申し訳ない。


「知ってるけど! それなら別の事やればいいじゃない!」

「別の事って……、そうは言うけど、じゃあ、何をするの、って話だろ?」


 こんな、故障した人間を使いたいトコロなんて、そう簡単にはないよ。


「むむ、そうね、ちょっと待ってて!」

「あ、おい!」


 俺が止めるのも聞かず、教室を飛び出していくハルカ。

 しばらくすると、大量の紙束を抱えて帰ってきた。


「それは?」

「勧誘のチラシよ!」

「もしかして、部活動の? これ全部?」

「もちろん!」

「……」


 三十枚くらいあるじゃないか……。

 よく集めてきたな、というか、この学校部活動が盛んなんだな。


「さあ、好きなのを選ぶといいわ!」

「と、言われても」


 一枚一枚めくってみるが、ものの見事に運動部のものばかりだ。

 文化系のものは一枚もない。

 おそらく、運動系の部活のものをかき集めてきたのだろう。


「吹奏楽部とか、ダメ?」

「ダメよそんなの! 見ててつまらないじゃない!」


 吹奏楽部の皆さんごめんなさい。

 あとでよく、言い聞かせておきますから。


「……うーん」


 しかし、そうか。

 そうなると……。


「それなら、これにしようかな」

「どれどれ? ……駅伝部ぅ?」


 なんだ、その不満そうな顔は。


「えー、だって、駅伝ってただ走るだけでしょ」

「お前それ、駅伝部の前で絶対に言うなよ?」


 まったく。

 もういい。これに決めた。

 口には出さないが、俺だってハルカと似たような思いはある。

 駅伝なんて、決められたコースをひたすら走るだけの競技だろ、って。


「ま、やるからにはちゃんと頑張るよ」

「そう。それじゃあ、私もマネージャーとして入部してあげる!」

「ええー?」

「そのリアクションは何よ!!」


 そのときは、ハルカのノリに乗せられて気軽に決めてしまった。

 そして、入部届けを出し、初めて部活の練習を見たときに気付いた。


 あれ、滅茶苦茶レベル高くね?


 と。




 ――我が校が、県内の駅伝大会で常勝している強豪校だと知ったのは、それからもう少し経ってからだった。




「――はああっ! くそ!」


 一年生チーム対二年三年の連合チーム。


 この両者による、毎年恒例の走り締め駅伝レース。


 一人につき学校周回コースを二周走り、次のメンバーにたすきを繋ぐ。

 一周およそ三キロメートル。

 途中一箇所大きなアップダウンがある以外は、ほとんど平坦なコースだ。


 それだけに、力の差が歴然と現れる。


「――離、されて」


 相手の先輩の背中、俺の五メートルほど先にある。


「たまるかっ!!」


 なんとか、喰らい付く。

 これ以上離されないように。

 まだ一周目だ。

 半分も終わっていない。


 距離を空けられないように。

 必死で脚を動かした。


 やがて正門が見えてくる。

 スタート地点であり、ゴール地点だ。

 やっと半分か。


「頑張れーー!!」


 ジャージを着て、必死な様子で応援してくれているハルカの姿が目に入る。

 そんなに大きな声を出さなくても、分かってるって。


「負けるなーー!!」


 負けないって。

 空元気でもそう思うことにする。




 ――入ったばかりのころは、負けてばかりだったんだから。




 最初の一か月。

 ただただ走るだけの毎日に心と体が悲鳴を上げていた。


 ただ走るだけなんてとんでもない。

 それだけを延々とこなすことが、どれ程の苦行だったか。


 もともと、テニスをしていた時もランニングはしていた。

 体力がなくては大会で勝ち残れない。

 みんな当然のように走っていたし、俺も走り込みは欠かさなかった。

 中三の秋からは、受験だったりのせいで運動量は減っていたけど、それでもちょっと走ればすぐに取り戻せると思っていた。


 取り戻すどころではなかった。

 それ以上のレベルを、平気な顔で求められた。

 全体練習で、同学年にすら置いていかれた。

 十周、二十周と走るごとに、周回遅れにされた。

 走り終わったあと何度も倒れ、そのたびに、水道の水を頭から被って次の練習に挑んだ。


 そんな日々を、二か月、三か月と続けた。


 夏休みの合宿なんて、本当に死ぬかと思った。

 気温四十度を越える中で、朝から晩まで何十キロも走るんだ。

 頭がおかしいとしか言い様がない。


 毎日のように吐いていた。熱さとキツさにやられていた。

 このまま死ぬんじゃないかと、本気でそう思ってた。


「マジで、死ぬ」

「タクマ、そこのボトル取ってくれ……」

「大丈夫かよ、セイヤ」

「ミズキとかカツヒコよりはマシだよ……」


 同学年の連中も、同じように吐いていた。

 その頃には、俺も皆に遅れずに走れるようにはなっていたし、仲良くもなっていたんだが。


「そういえば、リョウタは明日退部届け出すってさ」

「嘘だろ? アイツがかよ」


 少しずつ、入部当初から比べれば、同学年の数は減っていっていた。

 練習の厳しさに付いていけなくなったんだ。

 合宿に参加した一年生は、全部で八人。

 リョウタが辞めたら、七人になるのか。

 なんとか、思い留まってくれないかな。


「厳しいんじゃないかな」

「そうか」

「もう監督と話を付けたって言ってたし」

「…………」


 それなら、仕方ないな。

 アイツの走り方は綺麗だから、密かに目標にしてたんだけどな。


「おーい、大丈夫かー、野郎共ー!」


 ……この声は。


「大丈夫だよ。だからこっち来んな、ハルカ」

「あー! またそんな事言って!」


 ヒョイと顔を覗かせてくる、幼馴染み。

 汗で体に張り付いたシャツと、裾を折ったジャージズボン。

 タオルを首から掛けた姿で手にはバケツを持っている。


「あ、こら!」


 こちとら、上半身裸で水浴びしてるというのに。

 二人くらい、パンイチのままベンチで寝ているというのに。

 そんな格好で来るんじゃない。


「折角氷を持ってきたのに、要らないのー?」

「要る。超要る!」

「うわっ!」


 それならそうと言ってくれ。

 ささっとバケツを受け取ると、ドリンクボトルに放り込んで水を入れる。

 よーく振って冷やして水を、頭から掛けた。


「っあー! 気持ち良い!!」


 生き返る!!


 どれ、他の奴らにも掛けてやろう。


「ねえ、タクマ」

「なんだよ」


 寝てた奴らに、命の水をぶっかけて飛び起こさせる。

 なんだ、気持ち良いなら良いじゃないか。


「リョウタ、部活辞めるみたいだけど」

「……みたいだな、それが?」

「引き止めてこようか?」

「ハルカがか?」


 うん、と頷く幼馴染み。

 そんな簡単に説得出来るとは思えないが。


「まあ任せてよ」


 自信満々に言い切って、ハルカは飛び出していった。



 二十分後、リョウタが俺たちのところにきて、やっぱり頑張ると言い出した時は、嬉しいよりも驚きの気持ちの方が強かった。


 一体、何をやったんだ、ハルカ。


 それと、どうしてその対価として、俺がハルカの買い物に付き合わなくてはならなかったのか。


「どっちの水着が似合ってる?」

「……」

「私としてはー、こっちのピンクの方が好きかなー」


 知るか、そんなもん。




 ――んで、結局その感想は、みんなで海に行ったときに無理矢理言わされた。




 先輩に少し遅れて正門前を通過する。

 ラップは?

 時計に目を落とす。



 ……八分、五十一秒。



 自己ベストには、届いていない。

 先輩だってそうだろう。

 先輩は、俺より遥かに速いんだから。


 それでも、なんとか俺は喰らい付かなければならない。


 全国高等学校駅伝競走大会。

 いわゆる、全国大会だ。


 先輩は、そこで走った。

 三日前。

 今年の大会は、二十一日に開催だった。


 その時の疲れが、まだ完全には抜け切っていないはずなんだ。

 はずだってのに。


「――ペース、落ちねえ!」


 一周目と、ほとんど変わらないペースだ。

 むしろ、速くなってないか?


 全力でなくて、この速さ。

 まったくもって、化け物だ。


 そして、そんな化け物みたいな先輩が走っても、二十位にも入れないのが、全国大会なんだ。


 一区を力走した先輩。

 たすきを渡した時点では、六位だった。


 そこから、ずるずる落ちていって、アンカーがゴールしたのは二十七位だった。


 走り終わったあと、中継を見ていた先輩の顔は辛そうだった。

 後に走った人たちの不甲斐なさに怒っているのかと思ったけど、違った。


「……俺がもっと速く走っていれば」


 先輩は、チームの結果を誰のせいにもしなかった。

 ただ、自分の力不足を恥じていた。


 俺には、少しばかり理解出来なかったが。


「……」


 先輩の姿は、とても格好良く見えた。


 俺も、こんな風になれるだろうか、と。


 帰りのバスの中でずっと考えていた。



「はあっ、はあっ、はー!」


 先輩の背中が遠い。

 じわじわ離されていっている。


 これ以上ペースを上げたら、潰れてしまう。

 今でさえ、オーバーペース気味なんだ。


 でも、ペースを上げないと、このまま引き離されていく。

 どうする。

 どうするんだ。


「くっ、ああああ!!」


 いや、どうするじゃない。


 上げるしかないんだ。


 昨日、決めただろう。

 勝ってみせるって。




 ――折角、一年チームのトップを任せてもらったんだから。




 昨日の練習後のミーティングで、監督から今年の学年対抗走り締め駅伝のメンバー発表があった。


 二年三年連合チームで、先輩がトップランナーだったのは、まあ納得出来る。

 先輩は三年生よりも速いし、来年の大会では間違いなくエースだ。


 このチームを三年が引退すればそのままキャプテンに就任し、名実ともにチームを引っ張っていくことになるだろうから。


 しかし。


「次、一年チーム。トップはタクマだ」

「……えっ?」

「どうしたあ、返事せんかあ!」

「は、はい!」


 その先輩に対抗すべく走るのが、俺というのはどういう事だ。

 しかも、セイヤとかリョウタも全く異議を唱えない。

 何故だ。


 俺は、ミーティングが終わったあと、チームの方針を決める話し合いのついでに皆に聞いてみた。

 そしたら。


「だって、お前が一番伸びがあるじゃん」

「伸びってなんだよ」

「お前、駅伝始めたの高校に入ってからなんだろ」

「おう」


 セイヤとリョウタが、顔を見合わせて笑う。

 なんだ、その分かり合ったよな笑みは。


「俺とかリョウタは、小学生のころから陸上競技やってて、中学校で駅伝一筋になってこの学校に来たんだぜ?」

「そうそう。だから、自分の走りには結構自信持ってたんだ」

「持ってたって、今だって俺より速いじゃないか」


 俺は、いまだにこの二人には勝ててないのだ。

 ミズキとかカツヒコとか、ユウセイにレンにコウタロウ。

 コイツらにだって、勝ったり負けたりだ。


「駅伝始めて半年くらいで、そこまで走れるようになったら上等なんだよ。しかも、まだまだタイムは伸びそうだし」

「それなら、早いうちに先輩に当てておいて、良い刺激を与えようってことなんだろうよ」

「……んー?」


 監督から期待されてるってことか?

 それならまあ、良いんだが……。


「でもよ、俺が先輩と走って、それで勝負になるのかよ?」


 はっきり言って、勝負になるとは思えない。

 先輩は、本当に速いのだ。

 俺なんかが、相手になるわけ……。


「大丈夫よ!」

「ハルカ?」

「タクマなら絶対勝つわ!!」


 その自信は、どこから出てくるんだ。


「だって、タクマだもん!!」

「……」


 根拠もクソもねえじゃねえかよ。

 なんだよ、俺だからって。

 流石にそれはないだろう。


「そうだな、タクマだもんな」

「ああ。やっぱりタクマは違うよな」

「待て」


 お前ら、ここぞとばかりに乗るんじゃない。


「とにかく!! 絶対に勝ちなさいよね!!」

「……はあ」

「返事は!?」


 はいはい。


「……勝つよ。頑張って勝つ」

「よし!」

「それならついでに、チームとしても勝とうぜ。お前ら、俺が先に帰ってきてやるから、他の先輩たちに負けんなよ」

「ははは、よっしゃ!」

「任せとけい!!」


「……まったく」


 言っちゃったからな、勝つって。

 冗談半分みたいな感じでも、勝つって。


 言ったからには、頑張らないと。




 ――だから。




「ああああああああああああっっ!!!」



 今頑張らなくて、何時頑張るよ!?



 動かす。動かす。

 脚を振って、手を振って。


 ピッチを上げろ。

 ストライドもだ。


 体の痛みなんて、今は無視だ。


 肺が燃える。

 心臓が焼き付く。

 酸素、いくら吸っても足りやしない。


 全身の汗が、飛び散っていく。

 この寒さでも、流れ出る汗が。

 走る風圧に飛ばされていく。


 動け。

 動け。

 もっと、もっとだ。


 先輩の背中に追い付くんだ。


「――――っ!!」


 さっき叫んだからか、声も出ない。

 咽喉が死んだか。

 関係ない。

 走っているんだ。


 まだ、走っているんだ!


「――――」


 脚も、手も、限界を越えている。

 膝が笑ってる?

 腰も抜けそうになる。


 それでも脚を緩めるな。


 ピッチを上げろ。

 ストライドを保て。


 コース終盤。

 小高い丘の、アップダウン。


 これを上って下れば、あとは左カーブからの直線だけだ。



 ここで、勝負をかけるんだ!



「――っ! ――っ!」


 掠れる様な呼吸音。

 耳にやけに大きく聞こえる。

 鼓動の音。

 周囲の雑音さえ、消し去るほどに大きい。


 自分の体から出る音しか、耳に届かない。

 それ以外は、何も聞こえない。


 何も。


 何もだ。


 先輩の背中、さっきより近付いた?


 分からない。

 分からないから。


 まだ上げろ。

 まだ出るだろう。


 ピッチを上げろ。

 ストライドを広げろ。


 簡単な事だ。

 先輩より大きく脚を振るか、先輩より早く脚を回す。

 それだけで良いんだ。

 それだけで、先輩より速く走れるじゃないか。


 回せ。回せ。回せ。回せぇ!!


「――あ、ああ、あ゛あ゛ああ゛あ゛ああ゛あ゛」


 獣のように吼える。

 下り坂を、全力疾走して駆け下りる。


 隣を走る先輩。

 どんな顔をしているのか分からない。

 見ている暇もない。

 見る必要もない。


 まだ勝ってない。

 まだ勝ってないんだ。


 勝つって言ったんだ!


 言ったからには、全力で走るんだ!


「――!」

「!!」


 一瞬躓きかけた。


 下りの全力だ。

 そんな事もある。


 何とか耐えて、脚を回す。

 もう、何時転んでもおかしくはないだろう。


 あと少し、もう少し。


 このカーブを抜けたら、後はたすきを渡すだけだ。

 立ち上がりと同時に、たすきに手を掛ける。

 すぐ隣では、先輩も同じようにたすきに手を掛けている。


「――――!!」

「――――っ!!」


 直線。


 次のランナーが待っているのが見える。


 こちらの二番手は、セイヤだ。


 アイツめ、散々勝て勝て言ってたのに、先輩と俺が並んでるの見て、目を丸くしやがって。


「――――!!」

「――――!!」

「――――!!」


 皆が何か言ってるけど、聞こえないっての。


 もう、残り五十メートルもないんだ。


 走る以外に、意識は向けられないよ。


 なのに。



「勝てーーーー!!!」



 なんで、お前の声だけはよく聞こえるんだろうな?


 ハルカ。


 勝つよ。


 勝つってば。


 だから、そんな。


 必死に祈んなくて良いってば。


 直線。


 直線。


 直線。


 駆ける。


 駆ける。


 駆け抜ける。


 残り二十メートル。


 十五メートル。


 十。


 五。


 三。



 一。



 そして、たすきを渡した俺は。




 ――転げるようにして、生門前の芝生に突っ込んだ。




「…………あ」

「――――んぅ?」


 目を開ける。

 すぐそこに、ハルカの顔が見える。


「目、覚めた?」

「……レースは?」

「なによ、いきなりそれなの?」


 んなこと言われても、まず最初に頭に浮かんだのがそれなんだから仕方ないだろう。


 体を起こす。

 倦怠感が半端じゃないが、起き上がれないほどじゃない。


 て、ちょっと待て。


「……まさかの膝枕か」

「なによ、嫌だった?」

「いや、むしろご馳走様でした」


 そう言うと、満足そうにしたのでよしとする。

 で、レースは……。


「よお、目は覚めたようだな」

「……先輩」


 俺が起きたのを見計らったかのようなタイミングで、先輩がやって来た。

 俺とあれだけ競い合ったのに、ピンピンしてやがる。

 やっぱこの人は化け物だ。


「お前、あんな走り方してたら、いつか体壊すぞ」

「……」


 対して俺は、このザマだ。

 やりすぎて、ぶっ倒れる。

 中学の頃と変わってない。


「すいません。つい、やりすぎちゃうんですよ」

「見てれば分かる。お前は、いつだって全力過ぎる。確か、中学の時もそうやって肘を壊したとか言っていたな。そのやり方は、改めるべきだ」

「……はい」

「……だが」


 先輩は、不敵な笑みを浮かべながらサムズアップ。

 どうでもいいけど、センス古いな、この人。


「そういう根性も悪くはない。自分を大事できるようになったら、お前はもっと伸びるよ」

「…………」

「そういうわけで、今日の勝ちは譲ってやるよ。お前の将来に期待して、な」

「はい。…………えっ?」


 問い返す前に、先輩は他の先輩たちのもとに戻っていってしまった。

 え、勝ちは譲ってやるって……?


「まったく、往生際の悪い人ね」

「え、俺の勝ちって?」

「譲られなくたって、タクマが勝ってたわよ。最後の五メートルで、ちょっとだけ引き離してたんだから」

「……」


 勝ってた?

 俺が?

 本当に?


「……なあ、ハルカ。ちょっと頬っぺた抓ってくれよ」

「いいわよ。えい」

「痛い、痛い」


 夢じゃないのか。

 本当に勝ったのか。


 実感が、湧かない。


 湧かない。けど。


「……ハルカ」

「今度は何よ? って、きゃっ!?」


 もう一度寝転ぶ。


「もっかい、膝貸してくれよ」

「ええ、……ええー?」

「頼むよ、ちょっと、動けそうにない」


 勝ったと分かって気が抜けたのか、さっきまでとは比べ物にならないほどの倦怠感に襲われた。

 もう、指一本、動かせそうにない。


「もう、仕方ないわね」

「サンキュ、ハルカ」

「いいから、体休めてなさいよ。多分、もうすぐアンカーがゴールする頃だから、その後の打ち上げに参加できなくなるわよ」

「それは、困る」


 今日の打ち上げは、焼肉パーティーなんだ。

 折角、肉屋やってるミズキのお父さんが、でっかい肉塊をもってきてくれたのに。

 料理屋やってるカツヒコん家のおばちゃんが、美味しい料理を作ってきてくれてるってのに。


 それが食べられないってのは、非常に困る。


「…………あ」

「…………お」


 と、思ってたら、向こうから歓声が聞こえてきた。

 ゴールしたのかな。

 どっちが勝ったかな。


「どっちが勝っただろうな」

「一年チームよ、間違いないわ」

「なんでそう言えんの?」

「タクマがあれだけ頑張ってたんだもの。勿論一年チームが勝つわよ」


 またそれか。

 根拠もクソもねえな。


「――――なあ」


 ……でも、まあ。


「はいはい、今度はどうしたの」


 それでもいいかな。


「ありがとな」


 別にそれでも、悪くないや。


「どうしたのよ、急に」

「いや、ラストスパートのとき、お前の声だけは聞こえたんだ。あれがなかったら、勝てなかったかもしれないし」

「……そう」

「ああ、それに」

「……?」



「お前に言われてなかったら、駅伝もやってなかっただろうからさ、そのお礼も兼ねて」

「……!」



 ……なんだ? 

 急に顔が赤くなったぞ。


 今のセリフの、どこにトキメクってんだよ。


 よく分からんやつだな。




 ああ、それで、だ。


 結局。


 今回のレースなんだけど。


 最後の最後、アンカー勝負でまくられたらしくてな。


 要するに。




 ――俺たち一年生チームは、負けたんだってよ。




 そして、夜。

 打ち上げ会も全部終わった帰り道。

 俺とハルカは並んで家路に就いた。


「はあ、これ以上は食えないなー」

「いくらなんでも食べ過ぎよ」


 仕方ないだろう。

 美味しかったんだから。


 それに、打ち上げ会自体なかなか愉快だったしな。


 まず、リョウタのやつ、今回のレースでアンカーだったわけだが。

 「負けた責任取ります!!」とかいきなり言い出して、一・五リットルペットボトルのコーラを一気飲みしてみせたんだよな。


 俺は、全く気にしてなかったのにな。

 全国大会のときの先輩の気持ちが、なんとなく分かったし。


 しかもその後、ゲップをせずに国連加盟国の全国名を暗唱しますとかいうどこぞの芸人みたいなギャグを披露しようとして、案の定失敗してたのには笑ったな。


 百九十四か国も言えるわけねえだろうに。


 まあそれでも百十七か国までは言ってみせたから、先輩たちから拍手喝采もらってたな。


 あれは見物だった。


 他にも、セイヤが空いたジュースの瓶でジャグリングしてみせたり、ミズキがブレイクダンス披露したり、ユウセイとレンとコウタロウがアルなんちゃらのモノマネで星空のなんちゃらとかって曲を熱唱したり、後半はやりたい放題だった。


 俺も一発芸の一つでもやろうかとしたら、お前は大人しくしてろって言われたのは、まあ、残念といえば残念か。


 三十秒似顔絵とか、ルービックキューブ六面完全体とか、めっちゃ得意なんだけどな。


「仕方ないね」

「何の話?」

「こっちの話さ」

「そう」


 おっと、要らん事考えている間に家の前に着いてしまった。

 俺の家が左側、ハルカの家が右側だ。


 今日は疲れたし、さっさと家に入ろう――。


「ねえ」

「ん、なんだ」


 と思ったら、呼び止められた。


「今日、何の日か分かってる?」

「知ってるよ。クリスマスイブだろ?」


 何を、当たり前の事を。


「そうね。だから今日は、頑張ったタクマに、プレゼントがありまーす」

「……プレゼント?」


 俺に? このタイミングで?


「さあ、感謝して受け取りなさい」

「いや、くれるのはいいけどよ――」


 一体何を、と言う前に。


「とやっ」



 ……ハルカが、俺に抱き付いてきた。



「……へっ?」

「何よ、もっと喜びなさいよ」


 いやいや、待て。

 なんだ?

 プレゼントじゃないのか?


「え? プレゼント? ええ??」

「だから、プレゼントよ」

「――え?」


 間抜けなほどに狼狽える俺。

 そこに、ハルカが伸び上がって顔を近付けて――。


「……んっ」



 …………唇同士が、触れ合った。



「…………っ!?」


 声もなく呆然とする俺の耳に、ハルカが離したばかりの唇を近付けて。


「私の家、今日、父さんも母さんも居ないんだけど?」

「…………」


 目の前で、ニッコリ微笑むハルカ。


「泊まってく?」

「――――」



 俺は。



「あ、ちょっと」


 ゆっくりとハルカの体から離れると。


「タクマ」


 家の敷地内に、荷物を放り込んで。


「どこに」


 全力で。


「行くのよー!!」




 ――駆け出した。




 駆ける。駆ける。ひたすらに。


 駆ける。駆ける。真っ直ぐに。


 聖なる夜へと飾られた町を。


 俺は、声なき声で叫んだ。



 馬鹿か、ハルカ!!

 そんなコト、付き合ってもないのに出来るかよ!!



 俺はその日、日付が変わるまで。


 聖なる夜を駆け抜けた。




 尚、翌日俺は、風邪引いて部屋で寝込んだところをハルカに乗り込まれ、


「タクマから告るか私から告られるか、好きな方を選びなさい!」


と、恫喝された。


 熱のせいで頭が回っていなかった俺は。


「……ハルカ、付き合おう」


 と言ってしまっていたらしく、ニコニコした様子で俺の世話をしてくれていたハルカからその時の様子を教えてもらったのは、午後になって熱が下がってからだった。


 まあ、正月になったら振袖着て一緒に初詣行ってくれるそうなので、よしとしようかな。




※※※ GOAL ※※※

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