始まりの時②

そのさとは各地に点在する“天の神の末裔”を称する中でも有名な場所で、元々はよくある小さな隠れ里であった。


しかし、その目的を“天に還る”こと唯一つという“天還り”信仰を唱え、周囲の村をいくつも吸収し大きな郷へと成長していた。



また各地から“天還り”を目指す人々を受け入れたり、行き場の無くなった聖獣達を保護したりするなど、地に残された神々の子孫達の支援にも力を入れていたので、隠れ里というより大きな交易地のような場所だった。



その一方で、“天還り”信仰による偏った一面も持ち合わせていた。


その中でも郷長は信仰の中心となり、絶大な権力を握ることになるため、様々な悲劇を引き起こすきっかけとなっていた。



郷長は最後に“天還り”を果たした一族から選ばれるという絶対的な掟のもと、“天還り”と里長を巡る醜い争いが何度も繰り返されていた。



その醜い争いは天界から見ても目に余る有り様だったらしく、事態収拾のために使者が遣わされたこともあったと伝わっている。








そして地上で任務を兼ねた放浪をしていたイナサの耳に“天還り”による里長争いが起きていると噂が届いた。



イナサは正直、躊躇ためらった。


また巻き込まれるのか……



当たり前だ。


イナサは今まで数多くの“堕ちかけた者”に出会ってきた。


堕ちかけるほど苦悩しているのだから当然だが、彼らは皆、怒りや哀しみに満ちていた。



その感情に寄り添うのはもう辛かった。


少し前の事件で身も心も傷付いたイナサは天界に戻ることも嫌になり、地上を当てもなく旅していた。



ようやく傷が癒えてきた矢先、過去に天界が仲裁に入るほどの事案に自ら首を突っ込むなんて……



躊躇う以外の選択肢を教えて欲しかった。




「はあああ。オレって神様向いてないかも」


深い深い溜め息と愚痴が出た。



だが所詮、組織の末端に拒否するだけの力があるはずもない。




かといって、噂話だけを頼りに調査に向かう訳にもいかず、情報を集めながら徒歩で郷へ向かうことにした。







だが徒歩で里まであと一日、というところまで来ると、山道が左右に別れていた。



『右、進めば里へ』と看板が立っているが、もう一つの看板は『左、進めば』のあとの文字が掠れていて読めなかった。



だが、大体予想はつく。

今までの道も、里への道もある程度手入れされていて、人の行き来も多かった。



正直、今まで見てきた隠れ里への道程とは比べ物にならないくらい人の往来があった。



それが左へ視線を向ければ、全く手入れがされずに雑草やら枯れ木やらの荒れ放題。


何より不気味なのは、朱の鳥居が等間隔で奥へ向かってずっと並び続けているのだ。





イナサの好奇心がくすぐられた。


悩む間もなく左へと歩み出す。



鬱蒼とした森の中、朱の鳥居だけを頼りに進んでいくと、大蛇の喉に呑み込まれていくような変な感覚に捕らわれる。




山道をひたすら登っていくと景色に変化が起きた。


相変わらず鳥居は続いているが、足元の草が石畳に変わって歩きやすくなり、覚えのあるいい香りも漂ってきた。


良く見れば、鳥居の隙間に規則正しく小さな木が植えてあり、かわいらしい桃色の花が咲き誇っていた。


イナサの大好きな沈丁花じんちょうげの花だった。



それに鳥居の隙間からかたわらに急峻きゅうしゅんな山々と集落もいくつか見えた。



景色も香りも今のイナサには身体中を癒やしてくれる薬のようだ。






景色に気を取られながら山道を登っていると、ふっ、と足を取られた。



山道から急に拓けた場所に出たのだ。



正面に顔を向けると今までの山の景色から空気も景色も一変していた。


本当にだだっ広い敷地の中一面に花も香りも満ち溢れ、その中に美しく一際大きな鳥居と立派な社が凛とした空気を纏い存在していた。




えもいわれぬ神々しさに息を呑む。




あまりに圧倒されすぎたのかイナサはしばらく佇んでいたが、ふと我に反ると、中へと歩を進めた。




すると先ほどは気が付かなかったが、敷地の奥に大きな畑があった。


かなり広く様々な種類の野菜と薬草が育てられていて、きちんと手入れされていた。




その、さらに片隅の小さな切り株の上にボサボサの髪をした男がちょこんと腰掛け、ぼーっと空を見上げていた。



彼は突然現れたイナサに驚いた顔をしていたが、視線が合うとにすぐに優しく微笑んで挨拶をしてくれた。



だが、イナサは固まってしまった。


その時点で彼は堕ちかけていたからだ。


穏やかな優しい微笑みの下に抱えきれないほどの憎しみを抱き、今にも破裂して壊れてしまいそうだった。





「ああ……私を消しに来てくれましたか」





彼の微笑みと涙は花の香りと共にイナサの心に深く深く突き刺さった。


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