第3話 平日

 俺は一歳になろうとしていた。

 王城での暮らしとは豹変。山小屋と表現してもいいような小さな木造の家屋。

 そこでの三人暮らしが始まって数か月が経っていた。


 ゴダードとシンシュアと俺。

 俺の面倒を見るのは主にシンシュア。手慣れたもので、安心していられる。さすが元子守専用の侍女。

 ゴダードは子育てが苦手なようで雑多な世話はシンシュアに任せっきりで。俺の遊び相手の選任者と自覚しているようだった。

 不揃いな面子ではあるものの、それなりに楽しく暮らせてはいる。

 内心がっかりしているのは食事面。

 シンシュアが料理が下手とかそういう問題ではないと思う。

 彼女はそれ相応に家事をこなしている。料理の腕もそこそこなはず。

 問題なのは、食料、食材の入手が困難だということ。


 家の傍にはゴダードが世話をしている小さな畑があり、そこで獲れる野菜は、味が濃くてまあ美味しい。

 が、どうにも種類が少なく、レパートリーに制限が付く。

 調味料も少ないようだ。これは異世界が故なのか、金銭的な問題なのか今の所不透明ではあるが。


 で、パンだ。俺の主食はパン粥だったはずなのだが、王城を離れて以来、美味しいパン粥には出会えていない。

 パン的なものはシンシュアが毎朝焼いているようなのだが、どうにも……。

 おそらくバターとかミルクとかが使われていない。というか使えない状況。

 風味も減ったくれもあったもんじゃない小麦粉の塊のようなものを薄いスープで煮込んだ料理。


 そのスープも野菜出汁がメーンのようでどこか味気ない。

 ミルクの入手は困難らしく、ミルクに浸したパン粥は滅多に食べられない。

 あの甘くて、美味しいパン粥はどこかへ行ってしまった。


 あと肉。

 ゴダードがどこかへ出かけて手に入れてくる兎や野鳥。

 癖があって正直好みとは程遠い。

 ゴダードやシンシュアは焼いて塩を掛けただけのそれを不満にも思わず食べている。


 もちろん、俺は肉の塊なんて食べられないから、コトコト煮込んで柔らかくなったものを口に運ばれるのだが、臭みとかが気になって仕方ない。

 思わず吐き出すこと数回。

 そうこうするうちに、肉はあまり食べさせられなくなった。

 もう少しの間、菜食主義者でいようと思う。 




 ここが何処なのかさっぱりわからない。

 家の外には出してもらえるが、遠くまでは連れて行ってもらえない。

 逃走を図ろうにも、よちよち歩きに毛の生えた俺の今の脚力じゃあ、脱走即捕獲が関の山だろう。

 逃げ出して一人で生きていくことも不可能だ。


 多分山の中。それも結構深い。近くには川がある。大人の足で3分くらいの距離。

 それぐらいの情報しかない。


 基本的には、シンシュアとゴダードしかいない生活。

 たまに、訪れる客――男だったり女だったり、若かったり結構な年齢だったり? が新鮮な食料を置いて帰ってくれる。それから数日間の間だけ食卓が豪華になる。

 だが、俺へのメニューはさほど変わらない。せいぜいミルクが飲めるぐらい。

 パン粥もどきと野菜の煮込みで生きているのだ。


 これまでの間、ゴダードとシンシュア、それにたまに訪れる客との会話でわかったこと。


 簡単に言うと、ギルドとやらが反乱を起こした。ギルドというのは冒険者と依頼者の橋渡し的な仕事も請け負うが、どちらかというと元の世界の役所に近いようなイメージだ。いろいろと守備範囲が広い。

 で、俺の父親は暴君だったらしい。

 民衆の不満が溜まりに溜まっていたところで、ギルド長のマクナスという人物が指揮を執った。

 王家直属の親衛騎士団にまで入り込んでいたギルドの息のかかった騎士たち。

 充分な根回しの上でほぼ無血開城。

 王族や、上層陣は幽閉。

 消えた王子やゴダード達の行方は目下のところ捜索中。そんな感じ。


 それが俺達がこんな山奥でひっそりと暮らしている理由。

 事前に情報を得ていたゴダード達が、俺を連れ出した理由はただ一つ。

 王家の復興などと大それたことは考えていない。

 ただ、俺の人生を獄中で過ごさせるのが忍びなかったということだった。




 俺の一歳の誕生日が近づいているらしい。


「おとうさん、ルートの誕生祝いにはフルーツは手に入るかしら?

 ケーキを焼こうと思うのだけど」


 シンシュアが、言った。


「手配は……してみるが……」

 とゴダードの答えは頼りない。


 この頃になって、ゴダードもシンシュアも俺の前で重要な会話をするのを避けているようだった。

 徐々に言葉を理解していると感じているらしい。

 俺も、そろそろなにか喋りはじめるべきと思い、ゴダードを『ゴージャ』と呼んでみたり、シンシュアを『シーチャ』と呼んでみたり。

 腹が減ったら『まんま』と言うし、外に出たいときは『おんも(おもて)』と。

 意思疎通を徐々に進めている。


 それもあって、シンシュアはゴダードを『おとうさん』と呼び始めた。もちろん二人の血は繋がっていない。俺を普通の子として育てる決意からなのだろう。

 ゴダードとシンシュアは親子。そして俺は拾い子。という設定。微妙な家族関係。

 決してシンシュアは母親にはなろうとしない。


 俺の名前も微妙に変わった。安易と言えばそれまでだが『トール』から『ルート』へ。まあ、本名で暮らすよりかは後々のことも考えると安心だ。なにせ流浪の王子なのだから。


「やっぱり……。なら野イチゴでも摘みに行こうかしら?」


「そうじゃのう、誕生日の前の日。たまにはルートを連れ出してやるのもいいじゃろう。

 三人で出かけるか」




 家からそう遠くはない草原まで歩き――俺はそのほとんどをゴダードに抱かれて移動したが――、野イチゴ摘みが始まった。


「ほら、ルート、これがイチゴじゃぞ」


 ゴダードがイチゴを指さして言う。

 野イチゴというだけあって、三角形の形をした大粒ではなく小さな丸くて赤い実。


「イッゴ?」


 と俺は付き合う。最近では赤ちゃんごっこも板についてきた。


「そうじゃイチゴじゃよ。食べてみるか?」


「まんま、まんま」


「あら、ルートは美味しいものがわかるのね」


 そう言うと、シンシュアはイチゴを一粒もいだ。

 それを掌に載せると、イチゴの周りがキラキラと輝きだす。


 普段何度も見ているこの世界の魔法。

 水を操り、イチゴを洗っているのだ。


「はいどうぞ」


 と、シンシュアがイチゴを俺に差し出す。


「…………」


 俺はそれを無言で食べた。甘酸っぱくて美味しい。


「どう? 美味しい?」


 とシンシュアが聞いてくるので俺は無言で頷いた。

 まだ『美味しい』に相当する赤ちゃん言葉は開発していないのだった。


 イチゴを指さして、


「イッゴ」とシンシュアの顔を見ながら言う。

 もう一個食べたいというアピール。


「あら、気に入ったみたいね。沢山あるし……」


 とシンシュアは、数粒のイチゴをまとめて獲ってまた魔法で洗う。

 丁寧に一粒ずつ俺に手渡してくれる。


 やっぱり美味い。果物を食べたのは久しぶりかもしれない。

 明日のケーキも楽しみだ。




 その日の昼食はそのまま草原で取ることになった。シンシュアが弁当を作って来ていたのだ。

 昼食後、俺は昼寝をしているふりをしていた。

 俺が起きていると二人は、俺に知られてはまずいような話をしない。寝たふりをして聞き出すというすべを俺は編み出していた。


 二人の話は、俺の成長、城を抜け出した時の想い出話や顛末、そしてシンシュアの今後に及んだ。


「のう、シンシュア。お主はこれからどうするつもりじゃ?

 儂は、家族もおらんし、このまま殿下とともに生きる覚悟はできておる。

 じゃが、お前さんは違うじゃろう?」


「いえ、わたしも覚悟の上です。ルートが……、トール殿下が大きくなるまでは……。

 母親にはなれませんが、ご面倒を見させていただくつもりでおります」


「実はの……」


 とゴダードは一瞬言い澱んでから、


「お前さんのご両親から書状が届いておっての。

 なんでもフィアンセがおるそうじゃないか?」


「そんなことを?」


「儂はな、このまま殿下と暮らす。やがて時が経ち、人々の記憶も薄れた頃に殿下とともに山を下りるつもりじゃ。

 影ながら支えてくれるものもおるからの。

 じじいと子供一人ぐらいはなんとか普通の生活に紛れ込めるはずじゃ」


「でしたらわたしも……」


「お前さんはまだ若い。

 自分の幸せを考える権利じゃってあるはずじゃ。

 その婚約者と一緒に国を出て暮らせばどうか? と両親からも言われておったのじゃろう?」


「それは……、両親にははっきりと断ったはずです。

 今は殿下をお育てするのがわたしの使命ですから……」


 とシンシュアはきっぱりと言い切った。

 その様子を見てゴダードは、


「まあ、すぐにとは言わん。今はまだシンシュアの力が必要じゃ。

 殿下にとってもシンシュアがそばに居てくれたほうが何かと都合が良いじゃろう。

 腕白な殿下を儂一人で面倒見るのは心もとないしの。

 じゃが……、じじいと若い娘、それに子供という三人組では目立つでの。

 いずれは、儂かお前さんかのどちらかが殿下の元を離れるべきじゃと思っておる」


「…………」


「心のどこかには置いておいてくれ。

 儂の幸せは殿下の成長を見守ることじゃ」


 ゴダードは俺の頭をなでながら言う。そして、


「じゃが、お前の幸せはそれだけではないじゃろう?」


 結構重たい話を聞きながら、俺はいつの間にか本気の眠りに落ちていった。

 とりあえずシンシュアがすぐにいなくなるのではなさそうだという安心感から。

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