第1話 誕生

 

 思っていた転生とは勝手が違って参った。


 物心つくころ――あわよくば三歳ぐらいのある程度自由がきく年齢――から記憶がよみがえる、とか。

 せめておぎゃあと生まれた時から始まるものだと思ってたのだけど。


 まさか、胎内から意識があるとは。気が付いた時には身動きもままならない暗闇の中だった。


 それゆえに退屈な日々を過ごした。寝てばっかりいた。

 眠気には困らなかったのが幸いだ。なにせ四六時中眠いのだ。


 おぼろげに聞こえてくる周囲の音。

 聴覚が発達していないのかざわざわと雑音ノイズのようにしか聞こえない。

 目も見えない。体も自由には動かない。


 数か月して、音の聞こえが良くなってきた。会話と物音ぐらいは聞き分けられるようになった。

 しかし、話声の意味がわからない。日本語でも英語でもなさそうだ。そりゃそうだろう。ここは二本でも地球でもないはず。魔界、あるいは異世界なのだから。


 胎内で魔力の使用を試そうかとも思ったりもした。

 こっちの世界でも魔法が使えるのか? 興味は尽きない。時間にも余裕がある。


 が、やめておいた。万が一魔法が暴発でもすれば大事だ。

 無難に過ごすのだ第一なのだ。


 とかなんとかやっているうちにめでたく生まれ落ちた。 

 久しぶりの空気。久しぶりの光の感触。


 しかしながら、やはり眠気に襲われ続ける生活。

 異世界の言語は理解が難しい。はっきりと聞き取れるわけでもないし。

 目を開けてもぼんやりとしか見えない。


 母乳を吸わされるのかと内心心配していたが、どうやらこの家庭、哺乳瓶での育児を推奨しているようだった。

 ただ、中身は結局母乳なのかも知れない。甘酸っぱい。

 こればっかりは慣れるしかない。栄養を取って成長しないことには始まらないんだから。


 また数か月がたった。


 手足がある程度自由に動く。とはいえ、不審な挙動を示して気味悪がられても仕方ない。赤子らしくない動作は人のいない時に、暗闇でのみ行う。

 筋力が不足しているのか、体を持ち上げることすらままならない。

 筋トレ感覚で手足を馴らしていく。

 手を開き、そして握る。そんな当たり前の動作ですら、自由にならない。今じゃんけんをすることになったら、俺はグーとパーしかだせないから、勝率は酷いモノになるだろう。


 話すことができるかこっそり試してみたがダメなようだった。

 舌が上手に動かない。『あー』とか『だー』とか簡単な発声しかできない。


 また数か月。


 やっと一人で座れるようになった。

 この頃になって気づいた。どうやらここは普通の家庭ではないらしい。異世界転生の類にもれず、中世ヨーロッパ風の世界観のようだなのだが。

 一般家庭とは違うという感覚が確信に変わりつつあった。


 母親と思われる人間も、父親と思われる人間もあまり会いに来ない。

 忙しいのだろうか? それとも異世界ではそんなものなのだろうか?

 一日に数回ほど。朝と夜、それから昼間に何度か。

 昼間に来るときは、必ずと言っていいほど客を連れている。


 普段の俺は、召使い? と思われる複数の人間に交代で世話をされている。

 貴族という表現があっているのかどうなのか。

 裕福な家庭なのだと想像する。


『ミルク』や『おむつ』に相当するだろう単語がうっすらとわかってくる。

 あと俺の名前。

『トール』というのがそうらしい。

 必然なのか、偶然なのか。前世での名前と響きは同じだ。

 だが、『トール』と呼ぶのは父親と母親ぐらいのごく少数派。

 多分他の人間は『トール様』とか『トールちゃん』なんて呼んでいるんだろう。

 なんだかよくわからないあだ名のような呼ばれ方をすることも多い。

 

 とりあえず、周りにいるのは人間っぽい。

 人間によく似た他種族の可能性はあるが、見た目はそれほど変わらない。

 まだ、視力が弱く、輪郭もおぼろげなため、髪の毛に混じって耳が生えていても気づかないだろうけど。

 むちゃくちゃな世界に生まれなくて良かったとほっと胸をなでおろす。生まれ変わったら蜘蛛でした! とか、オークやゴブリンとして生まれなかったのは幸いだ。


『はいはい』ができるようになった。

 地道な努力の積み重ね……、ではなく単に成長過程なんだろう。

 筋トレが時期を早めた可能性も無くはないが。


 移動手段を手に入れたが移動範囲は限られていた。

 目がほとんど見えない時期はあちこち連れまわされた記憶があるが、最近はずっと部屋の中。

 たまに散歩で外に出してくれたりするが、ほんとに稀なこと。

 箱入り息子とはこのことだろう。


 退屈していた。

 部屋中をはい回る。部屋と言っても広い。

 二部屋ぐらいが俺のために割り当てられているようだった。

 そこから出ることは叶わない。


 侍女をおちょくること(向こうからすれば俺をあやしているつもりなのだろうが)、与えられたおもちゃの手触りを確かめること(時には舐めたりして、赤子ぶってみたりもする)。

 そんな毎日を過ごす。

 与えられるぬいぐるみや玩具(おもちゃ)も日替わりで入れ替わる。


 相当な金持ちだと認識し始める。


 こっちの世界の言語法則が見えてくる。

 なんとなく会話がわかってくるようになる。


 なにかの祝典だったのだろうか?

 ようやくつかまり立ちを覚え、食事も徐々にミルクからどろどろのスープや野菜のペーストが混じり始めた頃。


 俺はどこかに連れ出された。

 普段から世話をしてくれる優しい侍女に抱かれてかなり長い距離を移動する。

 控室のようなところで、俺は母親の手にゆだねられた。

 豪華なドレスを着ているのだと思う。赤子を抱くには不相応な母親。


 そして……。


 始まったのは、俺が披露――低俗に言えば一般公開――されるイベントだった。

 俺が連れてこられたのは大きな広場を見降ろすように作られた城の一画。

 俺の父親は貴族なんかではなかった。王だった。今日の主賓は王族の正当継承者として生まれた俺だったことを後に知る。


 生後七か月ぐらいの俺は、世継ぎとして大勢の民衆の前に姿を見せることになった。

『万歳』? のような歓声が尽きることなく沸き起こっていた。

 多分、『トール様、万歳』とか『トール殿下、万歳』とかそんなニュアンスのシュプレヒコールの嵐。


 何万もの人々から喝さいを浴びながら俺は思った。

 これは、無難とは程遠い生活に放り込まれてしまったな……と。

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