第8話 推薦状

 時間つぶしがてら――そういう心構えがダメなのかもとも思うが――店番をするも、客はやはり誰一人来ない。


 この通りを歩いているのは他の店の店主の知り合いとかばっかり。

 買い物をするでもなく、世間話をしに来るお年寄りが多い。

 編み物屋のおばあちゃんなんか、かれこれ2時間は顔見知りのおばあちゃんと喋っている。


 そろそろ店じまいかな? という時間になって、やっぱりムルさんに逃げられてっしまった? という疑惑が頭をよぎり始めた頃。


「遅くなってすまんな」


 とムルさんがやって来てくれた。とりあえず一安心だ。


 てっきりというか当たり前のように一人で来るもんだと思っていたのだが、連れが居た。


 無愛想な若い女の人。年齢は……わからない。二十代の前半か……もっと若いかな?

 ムルさんと同じく年齢不詳だ。

 ちょっとたれ気味の大きな瞳に、ぷっくりした厚めの唇。

 銀髪を後ろで結ってポニーテールのようにしている。

 全身をマントで覆っているから、ボディラインはすっかり隠れてしまっているけど、なんとも色気のあるお姉さんという感じだ。

 愛想はよくなさそうだけど。とか思ってたのは第一印象と一言目だけ。


「このコ? なんだ、ほんとにガキじゃない?」


 その女の人の第一声がそれだった。


「だから、そう言っただろ? 何を期待していた?」


「だって……」


 と体をくねらせながら残念さをにじませる。


「まあ、いい。ルートくん。

 紹介するよ。こいつは俺と同じ冒険者の、ベル……、ベル……、なんだっけ?」


「ベル・ビアーズよ。アイスソードさん」


 ベルさんのその口調には、名前を忘れんなよ! という怒りは込められていない。

 なんとなく、この人も偽名で世の中を渡ってそうな気がする。


「そうそう、ベル・ビアーズだな。ちょっと前から、ここしばらくは」


 ムルさんの言葉で、俺の想像が的を得ていたことを確信した。


「まあ、腐れ縁というかなんというか。

 一緒にパーティを組んで仕事をすることも多い、いわば旅仲間というか……、同業者でもあり時にはライバル。そんな感じの奴だ。

 ギルドでのランクは低いが、評価以上の実力は持っている。

 ただし、普段の素行は最悪だ」


「ちょっと、こんな小さな子供におかしなことを吹き込まないでよ!

 あたしのイメージ崩れるじゃないっ!」


「ほらそうやって。お前の考えなどお見通しだ。

 こいつの10年後を想像して、その顔の奥では『にまにま』してるんだろ?」


 にまにま? にやにやってこと? ちょっと要注意人物かな?


「そんな……、見くびらないで!

 10年だなんて! そんな月日は必要ないわ!

 8年……いえあと5年あればなんとか。

 3年? ええ、神速の貴公女として、3年で成就させてみせるわ!」


 とわけのわからないことを口走り始めたベルさんの後頭部にムルさんが手刀を見舞う。

 いや、つっこみは不発。ベルさんはそれを白刃どりの要領で受け止めた。

 背後からの鋭いつっこみを、軽くいなすとは……。

 もちろんムルさんも本気じゃないだろうけど。


 と、そんな冒険者としての実力の一端をどうでもいいところで発揮したベルさんだったが、


「ほら、ケツがガラ空きだ!」


 と、お尻ではなく、太ももあたりにムルさんの鋭い蹴りを食らって体をよろめかせた。

「なにすんのよ! ひどいじゃない!」

 

 とヒステリックに叫ぶベルさんを無視してムルさんが言う。


「まあ、こんなやつだが……」


 その『こんなやつ』の部分を意訳すると『こんな健全な青少年の前に出すのは憚られる色情魔』とでもなるのだろうか? やっぱり危険だ。警戒を怠ってはいけない。


 そういう思いで見てみると確かに、ベルさんからは夜の匂いがプンプンする。


 ムルさんが構わず続けた。


「腕のある冒険者であることは確かでね。

 信頼されている人間からはそれなりの支持を得ている。

 まあ、どれだけの相手が枕営業の成果なのか知らないがな」


『枕営業』については知らないふりをしてキョトンとしてみた。

 俺にできる精一杯の演技。

 あどけない6歳児ですからね。


「失礼ね! あたしは、自分の気に入った男としか……もにょもにょ。

 あたしのストライクゾーンは低め……もにょもにょ……。

 言っておくけどショタじゃあ……もにょもにょ……。

 もにょもにょもにょもにょ……」


 と、ベルさんの台詞の大半を俺に聞かせるべきではないと思ってくれたムルさんが、口を塞いで黙らせようとする。

 それにもめげずにベルさんは言いたいことだけは最後まで言いとおした。

 ほとんどもにょもにょになってて聞こえなかった。幸いにして。


「でな、脱線ばかりで悪いんだがな。

 こんな奴でもお前の力になれそうだから、気分を悪くするのは承知で連れてきちまった。で、本題だ」


 いや、まあ正直……、ベルさんがどんなキャラでどんな嗜好の持ち主でもいいや。

 これぐらいで気分を害していたら、この先やっていけない。

 ふたりっきりだとちょっと怖い気もするが……。


「本題?」


 と俺は繰り返す。話が見えてこないからだ。


「ああ。

 おい、こら!?

 拗ねてないで、頼むよ」


 とムルさんはしゃがみ込んで砂をいじってイジケているベルさんに声を掛ける。


「はいはい……」


 とベルさんはしゃがんだまま俺の方に歩み寄ってくる。

 アヒル歩き。

 俺の目の前までくると手を伸ばして俺を一気に抱き寄せる。


 小さな俺の体は一気にベルさんの方へ引き寄せられた。

 やわらかい感触。やっぱりこの人はグラマーさんだ。巨乳さんだ。

 シンチャとは比べ物にならない大きさ。

 あったかくてやわらかくて、そしていい匂いがする。


 危うく、思考が変な方向へ行くのを押しとどめる。

 なんたって俺は6歳だから。

 女の色気には負けないというか興味を持ってはいけない設定だ。

 シンチャに抱きしめられていると思えばいい。

 前述のとおり、シンチャはこんなに柔らかい豊満なアイテムは持ち合わせていなかったけど。


 ちょっとだけ苦しい。胸の谷間に顔が埋まってしまっている。

 声を出そうにも……。


「むぐぐ……」


 と漏らすのが精いっぱい。


 そうした状態で何十秒も経っただろうか。


「おいおい……、さすがに……って何やってる!」


 ムルさんが、ベルさんを引きはがしてくれた。

 危ないところだった。両腕の自由を奪われていた俺は、ベルさんに体中を撫で回されていたのだった。

 初めは背中だったから平気だったけど、徐々に手は下に降りていた。間違いなく。

 必要なことなのかどうなのかわからないけど、ムルさんが止めてくれなかったら間違いなくお尻を触られていた。

 いや、もっと……。まあ、それ以上は無かったと思いたい。


「ちょっとぐらいいいじゃない。

 役得よ、役得」


 とベルさんは悪びれた様子も無く言う。


「で、どうなんだ?」


 とムルさんが尋ねる。


「う~ん。歳の割には引き締まってて。わりかしイケるかもしれない。

 ちょっと服を脱いだところを見せて貰わないとなんとも言えないけど……」


「そっちの話じゃない! 魔力だよ、魔力……」


「わかってるわよ。うるさいわねえ。

 あんただって、わかってて連れてきたんでしょ?」


「いや、まあそれはそうなんだが……」


「素質は十分ね。属性のバランスもいい。

 問題があるとすれば……、そうね、体との相性かな」


「えっと……、なんの話ですか?」


 と俺は尋ねた。

 それで、今までのやりとりがようやく見えてくる。


「え? 話してなかったの」


 とムルさんを見上げるベルさん。さっきから地面にへたりこんだままだ。


「お前がいちいち脱線させるからだろう!」


 と苛立たしげな口調になるムルさん。


「あの……」


 と俺は口を挟んでどうにか話を進めてもらおうとする。


「すまんな。こんなやつでも、一応魔術使いとしては一流なんだ」


「こんなやつって何よ!」


 というベルさんの叫びは封殺。


「事後報告で悪いが、君の魔術師としての資質を測らせてもらった」


「資質……ですか?」


「ああ、魔力量や各属性との相性とか。そんなもんだ。

 確かめられるなら見ておいて欲しいという、きみのおじいさんからの頼みでね」


「えっ? ゴー……じいちゃんが?」


「ああ、なんでも冒険者になりたいんだって?」


「ええ、まあ……。ゆくゆくの話で。ムルさんとかをみて憧れもありますけど……」


 それに、この世界を旅してまわる力が俺には必要だった。


「まあ、目標は高く。俺なんかに憧れるんじゃなくてな。

 冒険者になるためには、高いレベルの魔術、あるいは戦闘技術。

 ときにその両方が求められる。

 だけど、それだけで簡単になれるもんじゃない。

 才能だけでもだめ。努力だけでもだめ。

 難しい世界なんだ」


「はい……。おっしゃることは良く……多分ですけどわかります」


「そんなにかしこまらなくってもいいよ。

 軽い話として聞いてくれ。なにもキミの将来は冒険者と決まったわけでもない。

 だが、仮に冒険者を志したとして、簡単になれるものでもない。

 道はいろいろあるが、一番手っ取り早いのは養成学校に入ることだな。

 だが、問題がいくつかある」


 とムルさんは指を4本立てて俺をみつめる。俺は黙って聞いていた。


「ひとつは……、入学するにはそれなりの準備が要ることだ。

 才能だけで入るやつもいないことはないが、普通は入学前から自分たちで努力をしている。

 ふたつめ、こんな危険な商売にも関わらず、人気が高い。競争率は年々上がっている

 入学試験が難関だ。大勢がふるいにかけられて落とされてしまう。

 で、みっつめなんだがな。

 世知辛い話になるが、沢山の金がかかる。

 よっぽど才能があれば学費を免除という制度が作られているが、まともに運用されていない。

 若い頃からギルドで仕事を貰うためには、養成学校を良い成績で出るのが一番なんだがな。

 金を儲けるためには高い授業料を払わないといけない……」


 ひとつひとつ指を折りながら説明してくれるムルさんの手にはあと一本の指が残っている。固唾をのんで見守るが、


「あれ? あとひとつなんだっけ?

 なあベル?」


 とムルさんは頭を掻きながらベルさんに振る。


「知らないわよ。そんなもんじゃない?

 とにかく、そんな難しい障壁をあたしが、ぜーんぶまとめて取っ払ってあげるんだから、一生感謝しなさいよ!」


 ベルさんは立ち上がってマントの中に手をいれると胸のあたりをごそごそとしだした。

「はい。ルートくんって言ったっけ?」


 と若干汗で湿った1枚の紙を俺に渡してくれた。


「これは……」


 ざっと目を通す。


「そう、見ての通りのものだよ。

 冒険者連名での推薦状だ。

 俺達ゃあ、ランクはそこそこだが、腕には自信がある。名前も通っている。

 そいつを入学試験にもっていきゃあ、学費の免除とまではいかないが、かなりの額を軽減してもらえるってわけだ。

 いわばお墨付きってやつだな。

 有効期間は特にない。

 しいていえば、俺達が現役で有能な冒険者として活動している間ということになるんだろうが、キミが入学の年齢を満たすまでのあと数年ぐらいは問題ないだろう。

 俺もベルもまだまだこれから伸びていく年齢だからな。

 もっともその頃には俺は、最上級の冒険者になってるだろうよ。

 逆にプレッシャーだぜ? あの伝説の冒険者の推薦状ってな」


 冗談っぽく笑うムルさんに俺は重要なことを確認する。


「えっと、じいちゃんには……」


「ああ、話はしてある。

 というかあちらから相談されたんだがね。

 キミが冒険者を目指しているようだ。

 だけどウチには金が無いってね。

 いや、こんなことを言うのもなんだけど、聞いててすがすがしかったよ。

 竹を割ったような性格とはああいう人のことを言うんだろうな。

 良い人に育てられている。

 それだけでもキミは幸せに思うべきだな」


 そうか……、じいちゃんが……。

 どんな思いでかわからないけど、俺が冒険者になることを認めてくれて、後押しまでしてくれてる。

 深く感謝だ。


「というわけで、短かったが、キミとはここでお別れだ。

 俺達は明日の朝には出発するからな。

 その準備も必要だし。

 またこの街に寄ったら顔を出すから邪険にはしないでくれよ」


「いえ、とんでもない」


「あと、こいつには出来る限り近寄らせないようにさせるから」


 とムルさんはベルさんに視線だけを向ける。


 俺は小さく、


「助かります」


 と返した。


 俺の前から遠ざかりながら、


「この恩は体で返すのよ! あたしが養成学校の幹部と懇意にしているからこそ威力を発揮する書状なんだから~!!」


 と叫ぶベルさんとそれを引きずって去っていくムルさんの二人を見ながら俺は思った。

 俺に必要な世界を駆け回るための力。

 おそらくはその最短距離である冒険者へのパスポート。

 俺の未来を切り開く、大いなる目的へ向けての重要アイテム。

 それをこの歳で手に入れるなんてやっぱり幸運だ。


 それから……、結局話題に出しづらかったから黙ってたけど……。

 レシピは貰ったよ。今朝ムルさんが汚い字で綴られた魔法薬レシピを渡してくれた。

 これも貴重なアイテムだ。


 だけど……、山分けのはずの百数十万Gは……。

 ピンクポーションの売り上げ金は?

 踏み倒されたのかな? それとも推薦状と引き換えだったのかな?

 ゴーダに聞いてみないと……。

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