第8話 包囲
結論からいうと考えが甘かった。甘々だった。
後から聞いた話だが、結界の外に出るときにはゴーダと一緒というお約束の意味。
何もゴーダが強いから魔物に襲われても退ける力を持っているというだけではなかった。
もちろんシンチャは知ったうえで、俺の希望を叶えるために結界の外に出たのだろうけど。
剣気というのだろうか。いわゆる殺気。
帯剣したゴーダからは常にそのようなものが放たれているらしい。
衰えても元騎士なのだ。それも王国指折りの。
そのせいで、野生動物や魔物は不用意に近寄っては来ないらしい。
ゴーダのような人間はその存在自体が一種の魔物除けということなのである。
しかし、今は違う。
ゴーダは居ない。戦闘経験のない若い娘と三歳児だ。
魔物たちからすれば絶好の得物だ。
街の近くで魔物の数は比較的少ない状況。
よほど運が悪くない限り遭遇しないだろうという確率の問題。
だが、所詮は確率。20面体のサイコロで1が出る確率はわずか5%。
それでも、たった一度で1が出てしまうこともある。
目当てのイチゴを見つけ、必要量十分な量だけを慎ましく集めていた俺たちの背後で草むらがガサリと音を立てた。
慌てて振り向いた時に、そいつと目が合った。
中型の犬のような獣。というか、その野生味あふれる姿はどう見ても狼だ。
「あっ!」
と俺は思わず声をあげた。
「ダガァウルフ!」
その声で獣の存在に気が付いたシンチャが小さく叫ぶ。
明らかに狼狽しているのがわかる。
だが、シンチャも肝が据わった人間だ。
「逃げるわよ、ルート」
と俺の手を取り走り出そうと立ち上がりかける。
結界の中へと逃げ込めれば、それ以上は追って来ない。そのはず。
が、状況は思わしくなかった。
気がつくと囲まれていた。
気配を消してそっと近づいて来ていたようだ。
その数は、わずか5匹程度だが、等間隔に周囲を囲まれてしまえば八方ふさがりと言うのに十分だ。
静かに近づき包囲網を完成させてから、じっくりと得物を狙う。既に俺達は奴らの戦術に囚われている。
ダガァウルフについては聞いていた。この辺りで最も厄介な魔物の一種。
ちなみに魔物と野生動物の違いは、明確な線引きがされているわけではないという。
一般的に人を襲うものが魔物。あと食べても美味しくない。
加えて言うと、竜の形質を受け継ぐものが魔物と呼ばれているらしい。しかしそれも諸説云々。研究者によって意見が分かれることも多々。
境界は曖昧模糊としている。
ダガァウルフは魔物に分類される。
左右から一本ずつ突き出た長く鋭いキバは不自然なほど研ぎ澄まされている。鋭利な刃物、いやそれ以上の危険度。
ダガァ(短剣)と言う名の由来でもある。
そして背中にある二つのこぶは、かつて翼を持ち、大空を羽ばたいていた頃の名残であるといわれている。
ここで問題なのは、ダガァウルフが集団行動に長けた種族だということ。
群れでの行動を好む。
知能もそこそこ高く、遠吠えや鳴き声でコミュニケーションも取れるらしい。
だから、近づいて来れば気配がわかると思っていたのだけれど、こんな隠密行動もできるなんて。
そしてダガァウルフは非常に好戦的でもあるという。
仲間の死を厭わない。
群れのほとんどが倒れても、一匹でも生き残れば勝ちだというある意味潔い行動指針。
単体では脅威ではないが、群れを相手にするとなると並みの騎士や冒険者では敷居が高い。
もちろん相手は獣である。
プライドや漢気がそうさせているのではなく、単に本能による行動なのだろうけど、それは力を持たない俺たちにとってはどっちにしろ脅威でしかない。
「魔法で驚かして、その隙に……」
と無い知恵絞った打開案を、シンチャにぶつけてみるが、
「だめよ。わたし達の足では逃げ切れない」
と否定的なシンチャによって却下される。
今は向こうも警戒しているのか距離を取ってこちらの様子をうかがっているだけだ。
だが、隙を見せれば一斉に飛び掛ってくることも考えられる。
獣の瞬発力では一瞬の距離だろう。
シンチャには悪いが彼女には期待できない。戦闘力は皆無と言ってもいい。
足は今の俺よりは速いだろうから、足手まといは俺の方かも知れないが。
なんとか今の俺の力で打開策を打ち立てられないか?
ひたすら隠れて行っていた魔法修行の成果を思い出す。
魔法の同時発動……。
ぎりぎりのライン。比較的扱いやすい火属性の魔法で威力を犠牲にしたとして、5発が限界。
魔法の連続使用……。
これは駄目。同時5発も打てば次の発動までに少し間を取らなければならなくなる。
単発で連発していけば、一発一発の間のライムラグは少なくなるが5発撃ち終わった頃には俺達の体はオオカミの牙でずたずたになっているだろう。
魔法の威力……。
これが絶望的だ。
はっきりいって、魔法で奴らに致命傷を与える自信がない。
一瞬ひるませたり、目くらましにはなるだろう。
だが、足止めにすらならない可能性が高い。
「ゴダード……」
無意識なのか意識してなのか、そう漏らしたシンチャの身体は小刻みに震えている。
それでも俺を庇おうとしっかり抱きしめてくれている。
この異世界では無力な三歳児にしか過ぎない俺は頼りにならないのだ。保護対象なのだ。
自分の力の無さが情けない。三歳児の体力の無さを悔やむ。
元居た世界での力があれば……。
こんな状況は、一瞬で片が付く。危機でもなんでもない。
魔法でだろうが、体術でだろうが。例え素手であってもだ。
シンチャに見られるとまずいとしても方法は幾らでもあった。
わざと隙を見せて、ダガァウルフに攻撃の機会を与える。
シンチャは悲鳴を挙げるかもしれない。目を閉じるかも知れない。
その瞬間に当身。シンチャの意識を
直後に、狼たちを葬り去る。あるいは退ける。
それからシンチャを担いで帰り、適当に嘘を並べて誤魔化す。
何故か狼が逃げて行ったとか、夢中で炎を放ったら驚いて去って行ったとか。
しらじらしい嘘でも構わない。
だが今の俺では話にならない。
まず第一にシンチャの意識を奪うだけの攻撃力なんて備わっていない。
それができたとしてもシンチャを担いでなんて歩けない。それについては意識の回復を待ってから二人で歩いて帰ればよいのだが、それ以前の問題。
今の俺には、狼――ダガァウルフを撃退する
と、悩んでいても仕方ない。
ゴーダが運よく通りかかって助かった……なんてご都合主義な幸運は訪れてはくれないようだ。
俺は決意した。
ぶっつけ本番だが仕方がない。シンチャにみられることを覚悟で魔術を使わざるを得ない。
今の俺に切ることが
一歳の頃に覚えた闇の魔術。
俺の使える唯一の魔術。
大魔道師パルシをして己の命を奪いかねないとまで言わせた威力だ。
ダガァウルフにだって通用するだろう。
問題は、シンチャの目の前でということだが、背に腹は代えられない。
非常事態なんだから、シンチャだって許してくれるだろう。
呪文もたまたま覚えていたと言えばいい。
俺は無難に生きる多少記憶力に秀でた三歳児なのだ。
意を固めた俺は詠唱を始めた。
「ザー・ザー・……」
ダガァウルフの中にある命の輝きを探りだすイメージ。
大丈夫だ。あの時と同じ、うまくいきそうだ。
……そこではたと気付いた。
この魔法って単体攻撃用じゃないか!?
狼ごときを相手にならば即死効果は得られそうなものの、結局一匹一匹倒していくことしか出来そうに無い。
5匹を? 反撃を食らわずに?
ぶっつけで五連発? それはさすがにハードルが高そうだ。
魔力切れといった問題はなさそうな感触だが、時間的に困難を伴う。
何か……、何かこの危機を無難に乗り切る他の方法はないのか?
俺は再び思案を重ねる。
徐々に、ゆっくりとだが、狼たちは包囲の輪を縮め始めた。
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