第6話 魔術
俺は、庭先でパルシから魔法の講義を受けていた。
「殿下……っと……、ではなく、ルートくん。
わかりますか? これが闇です。
闇は特殊な属性なのです。
闇系統の魔法というのはほとんど使い手がおりませぬ」
王家の元跡取りという身分を
そんなパルシの指先には周囲と比べてほのかに暗い球状の領域が出来ていた。
さすが、大魔道師と呼ばれていただけはのことはある。
ほぼほぼ使い手のいない闇魔法を
「だーっ?」
と俺はわかったようなわからないような返事をする。実際はわかっているのだけれど。
一歳児のふりを続けるのはなにかと気を使う。
が、パルシはあまり気にしない。マイペースで説明を続けてくれてありがたい。
「何故使うことが難しいのかといいますとな、闇という存在は直感的に理解しにくいからなのです」
「あぶあぶ……」
「水や、土は手に取ることができましょう。
火や風は肌で感じることができましょう。
光は、視覚、つまりは『おめめ』で受け止めることができます」
「いぃーのっ!」
子供相手なんだから、もっとわかりやすく説明してくれたらいいのにとも思うが、生真面目な性格なのだろう。
なんとなくは聞いているふりを続ける俺に向ってパルシは続けた。
「だからですな、闇系統を操りたいのであればまずは初歩の闇の魔術を覚えて闇を操る感覚を手に入れるのが先決なのです。それでもその結果は才能に左右され、身に付けられる者はごくわずか」
「ぶー、ぱー!!」
「これから、お教えするのは闇属性のごく初歩的な魔術。
簡単な詠唱を
闇属性を攻撃に転化させるということは、相手の命の輝きを奪う、削り取るということです。
闇魔術を極めれば、対象の体を一切傷つけることなく簡単に命を奪うことができるでしょう。
生命力に作用する系統なのです。まあ、水や光と違ってマイナスの方向へのみですが……。
ここまではよろしいか?」
「ぶ、ちゃ、ぶー、ちゃ!」
「もちろん、今からお教えする魔術には命を奪うほどの威力はありません。
成功すれば、相手の疲労を誘います。気力を少しだけ減少させます。
その程度の魔術です。
遠慮はいりませぬからわたしを相手に、使用してごらんなさい。
では行きますぞ。
最初の言葉は、ザー。
ルートくんもご一緒に。ザーですぞ」
「じゃー……」
「惜しい! 殿下!
ジャーではなくてザーです」
「ざー?」
「そうです! 次もザー。
その次は少し難しいですぞ。スクーです」
「しゅくぅ?」
詠唱を間違えたらどうなるのか、発音の正確さがどれだけ大事なのかは、わからないけれど、一発で成功させてしまうのもどうかと思い、一歳児として大丈夫そうな微妙なラインを心掛ける。
失敗したらその時はその時で、何度か繰り返し教えてくれるだろう。
時間はある。無難に成長しよう。
「まあ、いいでしょう。それを続けて唱えるのです。
わたしの命を削り取るイメージを保ちながら。
ザー」
「じゃー!」
「ザー」
「ざー」
魔力が高まってくるのがわかる。
パルシの体の奥に輝く命の結晶。そんなものが頭に浮かぶ。
それを削り取る。ほんの少し。欠片だけ。
できそうだ。あっちの世界の魔術とは勝手が違うが、根本は同じだ。
イメージを膨らます。
そのイメージに魔力を乗せる。こちらに来てから通じ合えるようになった精霊たちの声に耳を澄ませる。
いや、イメージが膨らんできた。命の結晶体を削るのではなく、『砕く』。
粉々に……。
不可能ではないはずだ。それをしてしまうとパルシは死んでしまうが、大魔道師だ。赤子にやられるほどな間抜けではない……はずだ。
生まれて一年の俺の初歩の魔術――しかも詠唱が赤ちゃん言葉――なんて通用するわけがない。
試してみるか……?
「最後は【スク―】」
あと一声で発動というその時だった。
「ちょっと! パルシ様!!
ルートになにを教えてるんですかっ!
命を削るって!!」
血相を変えて飛び出してきたのは洗濯物を干しに外に出ていたシンシュアだった。
「いや、なに、殿下……ではなくルートくんに魔術の手ほどきを……」
シンシュアは、俺を庇うように抱きかかえながらパルシに向って言う。
ギュっと抱きしめられてちょっと苦しい。
「それは、あのようなことが起きないように、ルートには早めに魔法の使い方を覚えさせたほうがいいというご意見には賛成しましたよ」
「そうなのです。普段から魔力を使用していれば、制御方法も身に付き、先日の暴走のようなことが起こることも無くなるのです。
ですので、こうしてルートくんには魔法を教えているのです」
「基礎的な魔法を、とお願いしたはずです。
それが、なんですか。危険な闇属性、それも魔術だなんて!」
「いえいえ、ほんの触り程度ですよ。
なにしろルートくんは飲み込みも早く、闇以外の属性はすでに基礎はマスターしてしまいましたから」
「ルートにはまだ早すぎますっ! 一歳なんですよ!
今日はもう魔法の稽古はお仕舞です。
もっと、健全な遊びをなさっていてくださいっ!」
パルシはシンシュアに怒鳴られてシュンとなってしまった。
少し責任を感じてしまう。俺も調子に乗ってしまったようだ。
反省。
もう少し地道にやっていこうと小さく決意する。
地道に無難に。
その後は、散歩や、土遊び、葉っぱをちぎっては川に流すなどといった、俺にとってもパルシにとっても退屈な時間を過ごした。
子供相手でも楽しんでくれるゴーダ達と違ってこのおじいちゃんは魔法、魔術関連のこととそれ以外で目の輝きが変わってくるのだ。
結局、パルシがここに泊まり始めて8日ほどが経っていた。
俺の物覚えの良さ、魔法のセンスに惚れ込んだパルシは、何事にも優先して俺に魔法の手ほどきをしてくれていた。
初めこそ手こずったが、要領を掴んでしまえば後は簡単だった。
地水火風光の初歩はマスターし、大人でも使いこなせないほどの魔法を使う術を学んだ。
その勢いで魔術へと段階が進んでしまっていたのだ。
俺もそうだが、パルシも少しやりすぎた。お互いに反省しよう。
「そうです、ルートくん。
競争をしましょうか?
この葉船」
と、パルシは二枚の葉っぱを組み合わせて帆船のような形にした船を二艘、川に浮かべた。
「どちらが早いか、競争です。風の魔法で速度を上げるのです。
的が小さいですから、風のコントロールのいい修行になりますぞ」
懲りないおじいちゃんだ。まだ俺に魔法を教えようとする。
「だーっ」
と俺は小さく首を振った。
時間はある。焦る必要はない。
シンシュアを怒らせると怖い。
無難が一番。
その三点が拒否を示した理由である。
昼食を終え、俺はお昼寝タイムだ。
幼児の肉体の為せる技か、寝転がっているとどうしても自然に眠りに落ちてしまう。
特に食後はそうだ。
気力を振り絞って寝たふりをする。情報収集には絶好の機会なのだ。
意識の続く限りは大人たちの会話を盗み聞きするために。
食事の後片付けを終えたシンシュアが椅子に腰を下ろしながら、パルシに尋ねた。
「パルシ様はいつまでこちらにおられるのでしょうか?
ルートが、またあのようなことになるかも知れない……。
ということなのでしょうか?」
「まだ、危険な状態は去っていないと?」
とゴダードが言い添えた。
慌ててパルシが首を振る。
「いえいえ、もう大丈夫だと思います。
ルートくんは、既に魔力の制御方法を身に付けました。
今後は、異常な量の魔力が体に溜まることのないでしょうし、そうなったとしても自らの力でコントロールできましょう」
「そうですか」
「それはなにより」
と、シンシュアとゴダードは心底安心した表情を浮かべた。
パルシはまるで自分のことのような自慢げな口調で、
「いやあ、殿下の才能はすごい。あのお歳で既に、魔法を極めてしまったといっても過言ではない。
多大なる魔力に恵まれ、それを統制する才にも
このまま成長すれば、わたしなぞをはるかにしのぐ魔道師になれましょう」
「それほどなのですか?」
とゴダードが声を大きくする。我が子の素質を喜ぶ親の気持ちか?
「ええ、魔法と魔術は別物です。
ともに、魔力を扱うものでありながら、方向性が異なる。
それは、魔術を使えないお二人にはよくお解りでしょうが、殿下は魔術のセンスにも恵まれているようでしてな。
先ほどは、シンシュア殿に見とがめられて、途中で止めてしまいましたが……」
とパルシはシンシュアを見た。彼女は気まずそうに俯いた。
パルシは続ける。
「実は殿下に魔術を教えて差し上げたのです。
いえ、実際のところ、使用できるなんて思っていませんよ。
遊びの延長……。そのつもりでした。
魔道師を志すものでも、早くて数か月、遅ければ何年もかかり、一生を使っても得られないこともあるものですから」
「そうだったんですか」
とシンシュアは申し訳なさそうに言った。怒鳴り散らしたことを反省しているのだろう。
俺はというと少し残念に思った。なんだか、あと一歩、シンシュアの邪魔が無ければ成功していたように思えた闇の魔術だったが、そう簡単なものではないらしい。
こっそり修行を積む必要性がありそうだ。
「ですが、
驚くことに、殿下は闇の魔術を一度で身に付けてしまわれたようです。
あの時は冷や汗が出ました。
ほんの初歩的な詠唱です。しかも殿下はまだ一歳。正式な発音ができていない。
しかし、そこから発動されようとしていた魔術はわたしの命を奪いかねない威力を持っていたのです」
「なんと!」
とゴダードは単純に驚いたようだったが、シンシュアは違った。
「そんな危ないことを!」
と机を叩いて立ち上がる。
「これ、シンチャ」
とゴダードに窘められて座りなおす。
ゴダードは間を取り持つように言った。
「確かに、危険なことには変わりないでしょう。
ですが、それだけの殿下の魔術センスを知らぬまま育ててしまうよりは、早めにわかっておったほうが対処のしようもある。
そもそも、数日前のあの時、パルシ殿が
今後も、同じようなことが起こるやもしれん。ならば、それを防ぐ手立てを教えて貰って置く必要がある。
そうでしょう? パルシ殿」
「いや、面目ない。
シンシュア殿のご心配ももっともです。
たしかに行き過ぎたことでした。
わたしとしても、あれほどの才能を持った弟子など出会ったこともなく。舞い上がってしまったのでしょうな。
ゴダード殿の心配は杞憂ですよ。この先あのようなことが起こることはないでしょう。気を付けることがあるとすれば……。
やはり、魔術の習得はそれ相応の時が経ってからにしたほうがよい。というのが本音です。
あれだけの才をお持ちの方だ。いずれは自分でもその力に気づき、伸ばそうとなさるでしょう。
ですが、それはやはり物の道理を知ってから。
大魔道師への道はそれからでも決して遅くはない」
なんだか俺の就職先は魔道師に決まってしまうようだ。
それを聞いたシンシュアが涙目で訴えた。
「大魔道師だなんてそんな……。
おと……いえ、ゴダード様とも話していたのです。
ルートには、ごく普通の人生を歩んでほしいと。
都市は今までよりずっと平和で暮らしやすくなったと聞きます。
何も剣や魔術を身に付けなくても、生活の術はあるはずです。
もはや、王家の復興など望む声もないでしょう。
危険や波乱とは距離を置いた平穏な生活。
そんな未来が、わたしとゴダード様、それに支援してくださっている方々の想いなのです」
それを聞いてパルシは慎重に言葉を選ぶように、
「そのお気持ちは十分に理解できます。
しかし……、才ある者にはやはり、それ相応の運命が付従うのが世の常……。
……となれば……もちろん……養成学園からも…………、
……ましてや……」
ゆったりとしたパルシの語り口が子守唄に聞こえてきた。
徐々に意識が揺らぐ。ここら辺が限界……。
眠たい。俺は眠りに落ちていった。
無難か激動か。自分の今後の運命に一抹の不安を抱きながら……。
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