第5話 霊魔


「トール殿下っ!?」


 俺の異変に最初に気づいたのはシンシュアだった。

 それはゴダードやパルシにも伝播し、俺は即座に大人三人に囲まれる。


「これは……。

 いかん、墨と筆をっ!」


 パルシが叫び、


「シンシュアっ!」


 とゴダードの指示より早くシンシュアが立ち上がり駆け出した。


 その間、俺は服を脱がされておしめ一丁の姿にさせられた。

 ふいに、体中の魔力の流れが穏やかになるのを感じる。

 パルシが俺の胸に手をかざしていた。


「これよいでしょうか?」

 

 とシンシュアが差し出した筆をひったくるようにとると、パルシは俺の体に筆を走らせて、なにやら落書きを始めた。

 まあ、この期に及んで落書きではないのだろう。

 筆が進むごとに、俺の魔力の煽動は収まり、徐々に落ち着いてきた。


 ゴダードとシンシュアは黙ってパルシの作業を見つめている。


 手から足から腹から顔、ひっくり返されて背中と体中にいろいろ描かれた。


「とりあえず、これでよいでしょう。

 殿下に服を着させてあげてください」


 パルシの言葉でようやく場の緊張がほぐれつつあった。

 俺が異常を脱したことを感じ、感謝の意味も込めてパルシに微笑みかけたのもひとつの要因だろう。

 最大限の賛辞の気持ちを載せて、覚えたばかりの単語、


「あーと」(ありがとうの意)


 を繰り出したのも効いているはずだ。


「これはこれは、殿下直々にもったいないお言葉を」


 とパルシも冗談交じりに言う。


 俺が落ち着いたのを見て、ゴダードもシンシュアもほっと胸をなでおろす。


「しばらくは様子を見るように」


 というパルシの助言にしたがって、俺に服を着せた後のシンシュアは俺の傍、床に座り込んで遊び相手を務めてくれた。

 シンシュアが積んだ積み木を俺がひたすら崩す遊び。その後はさっき使った筆を使ってのお絵かき。

 こういうの――幼稚な遊び――で喜ぶふりをするのにももう慣れっこだ。人間楽しもうと思えば楽しめるものである。というか俺の一挙手一投足を見てシンシュアが喜んでくれるので、俺も自然と癒される。


 ゴダードとパルシは席に戻り、おそらくぬるくなっているであろうお茶をすすりながら俺の身に起こった事態について詳細を語っていく。


「一体……殿下の身に何が起きていたのでしょうか?」


 ゴダードが問う。さっきのシンシュアもそうだったが、客人が来ているからなのか、動揺しているからなのか、俺の呼び名がルートから殿下に戻ってしまっていた。


「殿下の体の中で、異常なまでに魔力が増幅していました。

 あのまま放って置くと、魔法が……いえ魔術以上の威力を持つ『なにか』が発動していたでしょう。それは燃え盛る炎だったのか、竜巻だったのか。

 それを知る由はありませんが」


「しかし……、殿下は……?」


「左様……、本来ならあり得ないことです。

 もちろん人は生まれたその時から、幾ばくかの魔力を内在させているものです。

 その魔力を使い、念じることで魔法を使用する。

 わたしの知る限り……、殿下よりも小さい乳飲み子が魔法を使用した例も少なからずはあるようです」


「それは聞いたことがありますが……」


「そうです。そういう場合のほとんどは、周囲で魔力を頻繁に使って精霊が活性化しているような状況。魔法ではなく、すぐそばで魔術が多用されているような状態。

 そういった環境で育った赤子は、無意識に精霊に働きかけて魔法を使ってしまう」


 そこで、パルシは考え込むように言葉を切った。


「あっ、お茶を淹れ直しましょうか?」


 と、ゴダードが間を取り繕うように問うが、


「いえ、お気づかいなく。

 失礼ですが、ゴダード殿、それにシンシュア殿は魔術のご習得は?」


「いえ、使えるのは簡単な魔法だけです」


 と、首を振りながらシンシュアが答え、


「儂も……、初歩の魔術はいくつか学びましたが、習得することは叶わず……」


 とゴダードも答える。

 ここは赤子が無意識で魔法を使ってしまうような環境ではないということだ。


「お二人ともご存知でしょうが」


 と前置きしたうえでパルシは、


「魔法も魔術も原理は同じです。地・水・火・風・光・闇。それに精の精霊。命の精霊とも呼ばれますが、これは特別。伝承でのみ語られている力。

 基本的には六属性の精霊に働きかけて、火をおこしたり水を集めたり。

 それは念じるだけで誰でも行うことができます。それが魔法と呼ばれているものです。

 その分、複雑なことはできませんし、日常では役立つでしょうが、戦闘などで使用するまでの威力は持ちえない。そこで威力を高め、使用用途に叶うように開発されたのが魔術です。

 精霊を操るために、呪文の詠唱や魔法陣など準備が必要なのです。

 今は広く多くの者が使用するようになりましたが、魔術は元々は神に仕えるもののみに与えられた術でした。

 先ほどの殿下から感じた気配は……。

 もちろん詠唱も魔方陣も無いのですから魔術ではありえません。

 それに周囲の精霊も穏やかでした。魔法が発動するような兆候も見られませんでした。それで気が付くのが遅れたのですが……。

 言ってみれば、殿下の中にある魔力だけで魔術と等しい力を持つなにかが……」


「まさかっ!」


 とゴダードが体を浮かしかける。シンシュアもはっと、パルシの方に顔を向ける。


 その彼らを落ち着くように諌めながらパルシは語る。


「しかし、この現象に近しいものはそれしかありません。

『霊魔術』……。

 魔竜戦役終結を担った英雄、ハルバリデュスが使ったとされる精霊の力を借りることのない魔技。

 建国の祖である初代国王ハルバリデュス二世を含め、彼以来は誰も使用することができなかった力ですが……」


「殿下にはその力が宿っていると?」


 なんだかよくわからないが、俺は特別な力を備えて生まれてしまったようだった。

 転生が原因なのか、遺伝的要素なのか。

 都合が良いと言えば都合が良い。

 無難を心掛けて暮らすのは幼少期まで。と決めている。

 俺は旅立たないといけない。世界を救うために。

 その時に役に立つ力が与えられたのなら、喜ぶべきことだ。

 だが微妙。現時点で制御できないのであれば、それはリスクを伴うのだ。

 そんな俺の思考を余所に、パルシが答える。


「英雄の血を引く殿下です。可能性は無いとは言えません。

 ですが、『霊魔術』はハルバリデュスが、魔術を極めた後に、それ以上の力を求めて編み出したものであると伝えられています。

 魔力の流れをコントロールし、自在に操れたからこそ使用できたわざ


「魔力の流れ?」


「ええ、私自身もそれを感じることはできません。知識として知っているだけです。

 魔力が流れた結果としての精霊の動きは感じられますが……。

 ハルバリデュス曰く、体の中には二種類の流れがあるのだとか。

 血流のように体内を駆け巡る、魔力、そしてもっと深いところを流れる霊力。

 魔力とは、万物の構成要素である精霊を源とする力です。

 当然、精霊から成り立っている私たちの体にも存在しています。

 それから、霊力。これは、物質ではない、魂に宿る力。

 その存在は、ハルバリデュス、あるいは古くから伝わるイェルデ教の経典、神話などで神の奇跡として語られるのみ。

 霊力をもってすれば魔力を精霊と切り離して活用できる……」


「殿下にそんな力が?」


 と驚嘆するゴダードにパルシは断わりを入れた。


「あくまでわたしの想像にすぎませんよ。

 実際に『霊魔術』も『霊力』も見たことも感じたこともないのですから。

 事実として言えるのは、殿下の体に異常なまでの魔力が感じられたこと。

 それが、なんの準備も必要とせずに、魔術を凌駕する力を持って、外界に作用しようとしていたこと。

 ですので、殿下の体に魔力を発散させる呪文を描きました。

 一時しのぎですがうまくいったようです」


 その後、パルシはゴダードとシンシュアに2~3の注意を与えた。


 俺から放出されている魔力の影響で周囲の精霊が活発になっているから魔法を使うときは注意して、最小の力で発動させること。

 また、俺の魔力が枯渇してしまわないように――魔力を発散しすぎると衰弱し、最悪の場合死に至るらしい――常に様子を見ること。

 それと関連して数時間経ったら俺に描いた呪文を消すこと。


 パルシは俺の様子を見るために数日の間、泊まって行ってくれることになった。

 この人も、大魔道師だかなんだか知らないが、普段は結局子供好きのおじいちゃんに過ぎない。

 良き遊び相手になってくれた。

 遊び相手? 違うな。修行相手だ。この場合は俺は完全に知識不足だから彼が師匠にあたる。

 パルシは俺に魔法の初歩をそれとなく、遊びながら教えてくれたのだ。


 俺は、無難? に力を付ける機会を与えられて大いに喜び、そして励んだ。

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