【燃えるツムリ】
(……そうか、あいつは僕がいくら最大限のパワーを発揮してダメージを与えても、それをタンコブにして食べることで僕を越える力を身につけることのできる体質だったんだ。それがあいつの能力だったんだ)
モミノコヂョーに投げ飛ばされ、ものすごいスピードで大気を裂き空を突っ切っていきながらツムリはわりと冷静に分析していた。
もちろん、本当は今のツムリにそんな余裕はないはずだった。
だいたい今、どこを飛んでいるのか見当もつかない。飛んでいるのも自分の意志じゃない。ヘタすればこのまま荷本列島を越えていくんじゃないだろうか。
それにしてもヂョーのやつ、いったいなんて力なんだ、さすがにあれじゃ勝てっこない。こっちが力を出せば出すほど相手はタンコブを食べてそれ以上に強くなれるのだから。
(まったくこれだから暴力はいやなんだ)うんざりしながらツムリは思った。
スズナを守るためにしかたなく塩鮭で得たパワーを発揮してみたものの、結局スズナを助けることもできず、さらにその上、自分じしんも戦いに敗れてこうして空中高くどこまでも飛ばされている。しかもすごいスピードだ。
すでにツムリの体は大海原の上にあった。
(ここは、太塀洋だろうか……)
キラキラと光る青い海がどこまでも続いている。ここもやっぱりいい天気だ。
と、思ったら、あっというまに陸地が見えてきた。
(あれは……コール天ゲートブリッジ?)
タメリカ大陸まで飛ばされてきちゃったよ。ツムリはそのままさらに大陸を横断していった。
(タメリカって……都会の部分はほんの一部で、ほとんどが田舎なんだなあ……)
などと、のんびり考えている余裕はなかった。
ツムリのまわりの空気の圧縮度合いがすごいせいで、激しい熱が発生しているからだ。
実はさっきから全身が熱くてたまらない。
(ああっ、体が燃えるように熱くなってきたぞ!)
燃えるように、ではなく、じっさいにツムリの体は燃えはじめていた。ほとんど隕石か、墜落する人工衛星さながらだった。
(なんだこれ! 熱い熱い熱い!)
自分の両手のひらを見ると真っ赤に燃えている。
(!)
これはさすがにもうダメだ。スピードも落ちない。
気がつくとツムリは全身火だるまになっていた。タメリカ大陸の上空で、ツムリはこの時自分の死をはっきりと自覚した。
(……結局、これで最後なのかな)
薄れゆく意識の中でツムリはぼんやり考える。
(ごめんよスズナちゃん。僕はきみを救うことができなかった。塩鮭の切り身をお尻に挟もうと何しようとヘタレはやっぱりヘタレなんだ。ああ、シリコダマギンガがどんなやつかわからないまま、一歩も近づけないまま死んでいくのか。ナズナセリは大丈夫なんだろうか。ミタラシオサムは? 竜巻はあれからどうなったんだろう。あそうだ、家を留守にしたままだったよ。父さんも母さんもビックリしただろうな、ガラス戸がメチャメチャに壊されてんだから。人のぶんまで塩鮭を焼いちゃってごめんよ。あれじゃ食べられない人がひとり出てくるね。その鮭は今、僕がお尻の割れ目に挟んでるんだ。食べものをそんなふうに扱うなんて、罰当たりだよね。兄さん、最近はずっと会えなかったけど、僕のぶんまで父さんと母さんを大事にしてね。ああどうやら体がこのまま燃えつきようとしてるみたいだ。みんなさようなら)
そうして火の玉と化しどこまでも上空を飛ばされていったツムリは、結局のところ何ひとつ解決できないまま、やがて燃えつき、この世界から完全に消えてしまった。
~おわり~
じゃなくて、ツムリは夢を見た。
それは、死ぬ瞬間に脳裏をかすめたほんの短い映像だったのかもしれない。
それにしては長い夢だったような気がする。
ツムリはもうとっくに空を飛んでいない。
空の旅は終わり、今はあおむけに地面に倒れている。どこかに落下したんだろう。タメリカ大陸のどこか? わからない。全身黒こげ状態で、そのまま死んでいこうとしている。いや、たぶんもう九十九・九%死んでいる。
そんなツムリをひとり、上から見下ろしている人物がいた。
スズナだ。
スズナがひとり立ち、ツムリを見下ろしている。
最後の意識の中で、ツムリはスズナのことを見上げている。
(これは夢じゃないぞ)ツムリはぼんやり思う。(これは現実なんだ)
悲しそうな顔のスズナ。きっとツムリのことを哀れんでいるのに違いない。
(ほんとにここはどこなんだ。スズナちゃんがどうして僕のそばにいるんだ)
でも、それにしたって、スズナちゃんだけでも助かってよかったなあ、とツムリは思う。あのままモミノコヂョーに連れ去られてしまったんじゃ自分も死ぬに死ねないからなあ。
(あれ? そういえばモミノコヂョーのやつがこの場にいないな。どこに行ったんだろう)
やがてスズナは、左手の袖をまくり、白くてほっそりした自分の手首を見つめた。
何かのおまじまいかと思って見ていると、どこにしまってあったのか、スズナはおもむろに剃刀の歯を取り出した。
どうしてそんなものを持っているんだろうと思うまもなく、スズナは剃刀で左手の手首を切りはじめたのだ。
(あっ、スズナちゃん! 何をするんだ、やめて!)
声なき声でツムリは叫んだ。彼女を止められない自分がもどかしい。
少し痛そうに顔をしかめるスズナ。
すると手首の切り口から出てきたのは、血ではなく、黄金色の蜜だった。彼女は地面に横たわるツムリの上に手首をかざすと、とろりとした粘度の高い蜜が、まるで伸縮自在の生き物が体のかたちを変えて移動するかのようにツムリの頬に達した。それはやがてツムリの顔ぜんたいを覆い、次にスズナは自分の手首を少しずつ動かして、ツムリの全身にまんべんなく自分の蜜を垂らし続けた。
体じゅうがスズナの蜜まみれになったツムリは、そのうち自分の中にみずみずしいエキスのようなものがゆっくりとしみ込んでくるのを自覚した。赤ん坊が母親の胸に抱かれている時の安らぎの感じがツムリを至福へ誘い、夢見心地にさせた。かさかさにきしんでいる全身の炭化した皮膚は、癒しの滋養分を吸い込むことによって徐々に水気と張りを取り戻していき、ほとんど灰になっていたツムリの体は、はっきりと生気を甦らせていった。
しかしツムリの意識は、むしろ逆にさらに遠のいていった。ただしそれは生き返るために踏む必然的な過程なのかもしれなかった。
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