【強敵】


 爆音が響き、大地が揺れる。


 煙が引くと、地面にアリジゴクの巣のような巨大な穴が穿たれており、その底に人間の姿に戻ったボテフリゲンタロウがうつぶせに倒れているのが見えた。


 鉢王子の焦土は、ふたたび静寂を取り戻した。


 ツムリとスズナは、そこから少し離れた位置に抱き合うようにふたりして呆然と立ちすくんでいるところだった。

 ツムリはもう自分がどのように空中でスズナを受け止め、どのように無事に地面に着地できたのかよくおぼえていない。何せ塩鮭を挟んでいるのだからこのくらいのことはできてとうぜんなんだろうと、あまり深く考えたりもしなかった。


 スズナはすっかり目がさめていて、ぽかんと周囲の光景を眺めている。

 そこは最初にふたりが倒れていた空き地の真ん中だった。ふたりは今、おびただしい数の屍の海の中心にいる。いや決して屍ではないが不良ども全員がそれぞれ相当なダメージを受けており、戦闘不能という点では似たようなものだった。


(……結局はこうなんだ。戦いなんて最後には虚しさしか残らない)


 確かに体を張ってスズナを助けた。その点はまったく問題ないはずだった。でもなんだろう、このやりきれない感じは……。


「もう大丈夫? スズナちゃん」ようやくツムリはスズナの顔を見ていった。


「はい、私は大丈夫です」スズナは答えた。彼女にも目力が戻ってきていた。


「ずいぶんな目にあっちゃったもんだね」


「私たち、ずいぶん遠くまで飛ばされてしまったみたいですけど、セリさんともうひとりの方は大丈夫なんでしょうか」


「みんなバラバラになっちゃったなあ」


 こうして敵地に入ってしまったということは、より一層スズナの身に危険が及びやすくなったということだ。南多魔エリアの不良軍団をとりあえずほとんど殲滅したとはいえ、残党はまだたくさんいるはずだし、どこからギンガの命を受けて彼女をさらおうとするやつが現れるかわからない。大ボスのギンガがみずから乗り出してくるかもわからない。セリたちとはぐれた今、自分はひとりでスズナちゃんのことを守らないといけない。


「スズナちゃん、帰ろう」


「はい」


「待てよ」


 またしてもどこからか声が聞こえた。

 誰だ。


 ツムリとスズナは悶絶した何百人もの不良たちの絨毯をあちこち見回した。誰がいったんだ。まだそんな元気のあるやつがいたのか。


「こっちだよこっち」


 見ると、一番最初にツムリにやられたはずの金髪の男が五メートル先に立っていた。


 さっきあれほどのダメージを受けていたにもかかわらず、顔の陥没はきれいに元に戻っており、タンコブもなくなっている。歯もすべて生え揃っている。最初から何もなかったかのような余裕の薄笑いを浮かべている。


 金髪は何やら饅頭のようなものをムシャムシャとかじりながら、


「なんだよ、俺の顔に何かついてんのか」


 ツムリはハッとなった。金髪が食べているのはひょっとして……自分のタンコブなんじゃないか?


(あいつ、ふつうの人間じゃないぞ)心のアラートが赤く点滅しはじめる。


 そういえば最前、不良たちの誰かがいってたな。モミノコの兄貴がやられた、と。この男は学園牧なんだろうか、鉢王子ヴォミティン学園の。

 するとツムリの心の中を見透かしたかのように、


「そうさ。俺がヴォミティンの学園牧、モミノコヂョーさ」


「やっぱり」


「てめえ、ただもんじゃねえな。いったいここに何しに来た」


「違うんだ。僕らは竜巻に巻き込まれてここまで飛ばされてきただけなんだよ」


「竜巻ぃ? 立皮フィーシーズ学園のコテマリアザミだな。なぜだ。なぜてめえらがアザミに襲われた」


「それは……」


 やっぱり金髪は……モミノコヂョーはギンガからの指令をまったく受けていないようだった。となるとこっちから進んでギンガに狙われているということをわざわざバカ正直にいうわけにはいかない。


 モミノコヂョーは、タンコブをきれいに食べ終わるとポケットに両手を突っ込み、ズイと一歩前に踏み出してきた。


「ワケありだなてめえら。なんにしても人様のエリアにズカズカと踏み込んできたんだ。このまま黙ってお通しするわけにはいかねえんだよ。わかるだろ? 人ん家の庭を無断で横断すんのはマナーに反するし、それを見すごしたんじゃ示しもつかねえだろ、あ?」


「……じゃ、どうすればいいの?」


「だからぁ、その女を俺によこせっていってんの」


「それは……できないよ」


「できないじゃなくて、よこせっていってんの」


(やっぱり話してもムダみたいだな。でも、これ以上の暴力はもうこりごりだ)


 ツムリはふとスズナに目くばせした。スズナがこくんとうなずく。

 と、いきなりふたりはモミノコヂョーに背を向けてダッシュした。ツムリはスズナの手をしっかりと握り、スズナも離すまいとしっかり握りかえし、互いに全速力で廃墟の地帯を駆けていく。


「おいおいおい、いいトシしてかけっこなんて疲れるだけだぞ」


 信じられない跳躍力でジャンプしたヂョーは、一気にふたりの手前にストンと着地した。

 ツムリたちはピタリと止まり、驚いた顔で眼前に突然現れたヂョーを見る。


「ゲヒャヒャヒャヒャごくろうさん」


 さっきは簡単にやられたというのに、この余裕はなんだろう。ツムリはさらに警戒し身構えた。この男が学園牧なら尻に何かを挟んでいるのは間違いない。でも今のところ、どんな能力を持っているのかがわからない。さっき一撃でツムリにのされたのも単に油断していたからだろうか。自分のタンコブみたいなものを食べていたけど、あれはなんだろう。


「さあお嬢ちゃん、こっちにおいで」


 ヂョーは右手をスズナの前に差し出した。

 おびえて体を引いたスズナの前に立ち、ツムリが自分の体を盾にしたその時だった。


 なぜかツムリはいつのまにか宙に浮いている自分の体を見出したのだ。


(あれっ、僕どうして浮いてるんだろう)


 思うまもなく、強烈な激痛がツムリの顔面に浮かび上がった。

 そのほんの一瞬前、ヂョーの拳がこっちに向かって炸裂したことをツムリは思い出した。


(そうだ、僕はパンチを食らったんだ)


 ぜんぜんよけられなかったし、殴られたあとで自分が殴られたことに気がつくというありさまだった。すべて理解した時にはすでにツムリは地面にドサリと倒れていた。


(モミノコヂョーってこんなに強かったっけ? 僕、ちゃんと鮭を挟んだままだよね) 


 顔を左右に強く振って上体を起こすと、ヂョーはいやがるスズナを強引に引っ張って行こうとしているところだった。


「待て」


 ツムリはあわてて立ち上がると両膝を曲げ、その場でタンと地面を蹴るとおもいきりジャンプした。そのままヂョーの肩口めがけて足から急降下していく。振り向きこちらを見上げたヂョーは表情をいっさい変えることなく、簡単にツムリの片足を掴むとポイと前に投げ飛ばした。


「あれっ?」


 まったく相手にならない。自分の力が通じない。さっき数百人の不良を一気に倒したことが嘘のようだ。

 考えているうち、ツムリの体は瓦礫の山に突っ込んだ。


「ツムリさん!」スズナが叫ぶ。


「ヘッ」


 かまわずにヂョーはスズナを引っ張ってこの場からぐんぐん立ち去っていく。

 ツムリが体勢を立て直した時にはもうスズナとヂョーの姿は消えていた。


「……どうして」頭を左右に強く振って痛みを振り飛ばそうとしながらツムリは考える。(どうして急に塩鮭の効果がなくなったんだろう……)


 いや違うそうじゃないぞ。きっと向こうのほうが、モミノコヂョーのほうがはるかに強いんだ。ツムリは思った。さっきあんなに簡単にやられた理由はわからないが。


 どっちにしてもスズナちゃんを取り戻さなくちゃいけないのは同じだ。どこへ消え去った。まだ遠くへは行っていないはずだ。ツムリは近くに建っている六階建ての廃墟ビルに突進していき、壁面を蹴るとそのまま垂直に駆け上がっていった。

 そうして屋上まで来ると鉢王子の焦土を見渡した。


 いた。

 さっきドラゴンが墜落した場所、巨大なすり鉢状に凹んでいる地面のちょうど底のあたりにヂョーがいた。倒れているボテフリゲンタロウを興味深げに見下ろしていた。その手はガッチリとスズナの腕を掴んだままだ。

 ツムリは廃墟の屋上でまたしても両足を蹴り、ヂョーのいるところ向かってジャンプしていった。


 スタッと陥没の底に着地すると、ヂョーは振り返った。


「ケッ、いつまでもしつこいんだよてめえ」


 ほとんど瞬間移動のような速さでヂョーがツムリのまん前に現れたかと思うと、すばやくこちらにパンチを繰り出そうとするのが、今度ははっきりとツムリに見えた。相手の動きに慣れてきたようだ。ツムリはスッと体をかわすと相手の次の攻撃に先んじて拳をヂョーの顔面に叩き込んだ。


「ガッ」


 そのまま吹っ飛んだヂョーは地面に後頭部を強打し、バウンドしてドサリと伏した。

 ツムリはスズナをいたわるように肩を抱くと、ヂョーの様子を見守った。


 ヂョーの後頭部には、またしても滑稽なまでに巨大なタンコブが金髪をかき分けるようにして盛り上がっている。


 やがてゆっくり立ち上がったヂョーは、自分の後頭部に手をやると、おもむろにタンコブをねじ切り、ニヤリと笑うとそいつをかじりはじめたのだ。


「……」ツムリとスズナは絶句している。


 (まるで民話の世界だ……)


 ムシャムシャと自分のタンコブを食べるヂョーを見ながらツムリはぼんやり思った。


 その瞬間、もうヂョーはツムリの眼前に立っていた。


「ああっ」


 身構えるまもなく、ヂョーの蹴りがツムリの顎にヒットしていた。


「ツムリさん!」驚くスズナをよそに、ものもいえずに宙に浮いたツムリの顔面に対しさらにヂョーの左右の連続パンチが炸裂し、さらに回転キックで今度はツムリの体が吹っ飛ぶ番だった。

 体が地面に着地したかしないかのあいだに、もうヂョーはツムリのそばまで来ていて、


「はいごくろうさん、これで終わりだ」


 ツムリの腕を引っ掴んでぐるぐる宙で回しながら砲丸投げのように勢いをつけると、


「うりゃああああああああぁっ!」


 思い切り空の遠くへ投げ飛ばした。


 あっというまに青空の中の点になったツムリは、やがてその姿をこの場から完全に消した。



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