【超人覚醒】
ツムリは心でつぶやいていた。
これは死んだな。
そりゃ死ぬよ。
足から落ちたんじゃなくて背中から落ちて全身を強打したんだからこれは助からないよ。即死じゃないかなあ。
あれ? でもそんなに痛くないな。そんなにっていうかぜんぜんなんともないよ。ぜんぜん痛くないよ二階から落ちたのに。
そうか、もう死んだあとなんだから痛みなんて感じるはずがないんだ。
それにしては目に見える景色がまったく同じだなあ。自分の家を見上げているなあ。あいつらまだ僕のこと窓から見下ろしているなあ。
そんなことをぼんやり考えていると、やがて二階の窓からふたりのタツノオトシゴ仮面が身のこなしも軽くひらりと飛び降りてきて、玄関からは背の低い男と、セリにやられた最初のふたりが出てきて、計五人の敵が倒れているツムリのまわりを取り囲んだ。
ノーダメージでむっくりツムリが上体を起こしたものだから、寄与瀬スピュータム学園の五人の不良どもは驚いた顔をした。
「こいつ……」ケロッとした顔のツムリを敵一同が睨みつける。
立ち上がったツムリは不良どもをキョロキョロ見回すと、
「なんともないみたい」と、まるで友だちにいうみたいにいった。
「トボけたこと抜かしやがって。ミタラシ様、やっちゃっていいスか」
「待てコラ」ミタラシと呼ばれた背の低い男は子分を制するとツムリに、
「さてはおまえ……」
何かいいかけてやめた。
(確かにまったくダメージがないなんて変だな)
とツムリも思ったが、急に自分が尻の割れ目に塩鮭を挟んでいた事実を思い出した。
(そうだ、確かそうだったよ。挟んでいたんだよ鮭を。そのおかげかな。そのおかげで助かったのかな。ナズナセリのいったことは本当だったのかな。でも変だな。二階から落ちた影響でどこかに落としたみたいだよ、鮭を)尻に何も違和感がなかったのでそう思った。
確認のために尻に手をやる。
「あれっ? ある」
塩鮭の切り身はまだ律儀にツムリの尻の割れ目に挟まっていた。
最初の異物感はどこにいったんだろう。今じゃすっかり尻になじんでるじゃないか。まるで生まれた時からすでに挟んでいたかのように。何も挟んでないのとまったく感じが変わらない。
これはツムリにとって驚きの発見だった。慣れもあるのだろうか、あれだけブリーフの中でガサガサしていたものが、今やまったくなんの不快感も感じなくなっていたのだから。もちろん手を離しても塩鮭はお尻の割れ目から落ちない。決して逃げない。お尻の割れ目をクイッと締めると、まだそこに切り身が律儀に挟まっているのがわかる。しかもお尻の筋肉がつるほど力を入れなくてもだ。汗と脂でブリーフにくっついたんだろうか。肛門が吸盤と化したんだろうか。ともあれ塩鮭の切り身は時間とともにすっかりツムリの尻の割れ目と一体化したのは事実だった。
不思議なもので、この事実がツムリを躁状態にさせた。なんだか急に元気が出てきたのだ。
「おい、おまえコラ」
明らかに様子の変わったツムリを見てミタラシと呼ばれた背の低い男が声をかけるが、恐怖の感情がパッタリ消えたツムリは、敵に取り囲まれている事実をまったく意に介していないかのように、急にその場でピョンピョンとジャンプしはじめたのだ。
「えっ」
意表をつくその行動にスピュータム学園の連中は呆気に取られている。
何度ピョンピョン跳ねても、やっぱり鮭は尻から落ちない。
(完全にくっついてる……)
まさに驚異的だった。ツムリは鮭を尻に挟んでいるにもかかわらず自由自在に動けるのがうれしくて、なんだかこれまで自分を縛っていたありとあらゆるものから解放された気持ちになった。
同時に勇気もむくむくとわいてきて、なぜか自分が誰にも負けないスーパーヒーローになったかのような気がしてきた。
ふと我に返って見回すと、自分を取り囲むわけのわからん敵たち。さっきまで恐れていたはずなのに、今ではなんだか連中が滑稽に見える。何だあのタツノオトシゴのお面は。
「あっ、こいつ今、バカにした目で俺たちを見たぞ」
「ふざけがって。虚勢を張るのも今のうちだ」
「かかれ!」
「うりゃーっ」
タツノオトシゴ連中が一気にツムリに襲いかかろうとしたその時、
「やから待てコラ」
ミタラシと呼ばれた背の低い男が一同を制する声をあげた。
その声とともに、連中はピタリと動きを止めた。
「ミタラシ様」
「もうおまえらには無理じゃコラ。たとえ束になってかかってもこいつには勝てへんぞコラ。やから止めたんじゃコラ」
「ミタラシ様」
「ミタラシ様」
「落ち着かんかコラ。ここは俺にまかせろコラ。おまえらはそこでこのミタラシオサム様の大いなる力に固唾を飲みながら刮目してろコラ」
そしてミタラシオサムは何を思ったか後ずさりしはじめた。
(きっとこれから何かを仕掛けてくるんだ)ツムリは冷静に状況を把握している。なんにしても負ける気がしない。
ただしその前にもとより戦う気がしない。ツムリは生まれてこのかたケンカなんかしたことがない。ヘタレのせいもあって争いごとはいつも避けてきた。花と蝶を愛するやさしい父も、クマのぬいぐるみを愛するちょっと痛い母も同じだ。夫婦ゲンカなんか見たことがないし、その血をたっぷり受け継いだ兄もそうだった。兄はちいさな頃には女の子の格好ばかりしていて、繊細で穏やかでやさしい性格はその後もずっと変わらなかった。もちろん兄弟ゲンカなんかしたことがない。平和を愛するツムリ一家だった。
「観念しろコラ」ミタラシオサムがスゴんでくるのだが、ツムリはちっとも臆した様子がなく、
「あの、ちょっと聞きたいんだけど……」
「あ?」調子の狂ったミタラシはちょっと前のめりにつまづきそうになる。
「だいたいきみたちはなんでこんなことするの?」
「寝ぼけるのはそこまでじゃコラっ」
そういうと、ミタラシオサムはいきなり口から赤くて細い触手のようなものをスルスルッと吐き出したのだ。
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