【初体験】


「あっ、あの、お尻に挟むって?」


 今焼いてる塩鮭を?


 もっとちゃんと説明してほしいが、セリの姿はもう見えない。

 わけがわからない。からかわれたんだろうか。


 ひょっとして……すべて冗談?


 あのナズナセリが下ネタ? まさか。しかも下ネタにしては相当バカバカしい。


「ってことは……」


 突然ツムリは気がついた。

 つまりナズナセリもお尻に塩鮭を挟んでいるってことなのか?

 それならいつも長いスカートをはいていることの説明もつく。

 それに、風呂場で襲われたのは、塩鮭の切り身を挟んでいない時を狙われたってことだったのか?


 ウソか本当かはともかく、急にツムリはドキドキした。塩鮭の切り身をお尻に挟んだセリのイメージがいきなり浮かんできたからだ。


(きっとトイレの中で挟んだんだ)


 しかもあれを焼いたのは僕だ。僕が焼いた塩鮭を今、あの美女が……。


 ツムリは「ああ」と声をもらしてそのまま悶絶しそうになった。確かあの塩鮭は焼きたてでアツアツだった。それを彼女は自分のお尻の割れ目に……ああ。


 しかしそうやっていつまでもひとりでクネクネ悶えているわけにはいかない。セリのいった通り、新たな敵が数人、どうやら表のほうまでやって来たからだった。足音とざわめきが耳に入ってくる。ツムリは食べるにはまだあまり焼けていない塩鮭の切り身を急いでオーブンから箸で取り出すと皿に乗せ、あわてて二階に駆け上がった。自室に入りドアに鍵をかける。二階の自室に閉じこもったツムリの耳に、壊されたガラス戸からドヤドヤ入ってきた侵入者の声が聞こえてきた。


「ケッ、あんのじょうだ」


「ノビてやがる、情けないやつらだぜ」


「ナズナセリはどこじゃコラ」


「いないようです」


「探せコラ」


 マズい。本格的にもうダメだ。


 ツムリは部屋の中をウロウロしたがとうぜん逃げ場所はない。窓を開けてみたが、いかんせん二階なので飛び降りることもできそうにないし、外に見張りが立っていないとも限らない。手元に目をやると手に持った皿の上にはちょっと焼けた塩鮭。困った。やがてひとりがドスドスと階段を上がってくる足音が聞こえてきた。


(クソッ、こうなりゃどうにでもなれ)


 あわててツムリは皿を机の上に置くと半ばヤケクソにズボンのベルトをはずし、思い切ってズルリと膝をあたりまで下ろした。セリが去りぎわにいい残した一言が本当なのかどうかはわからないが、しかしもうここまで来るとどの道逃げられそうにないし、逃げられないんなら一応試してみるしかない。何を試すかって? 決まってる、焼いた塩鮭の切り身をお尻の割れ目に挟むのだ。そうしてツムリはまだ暖かい塩鮭を右手に持つと、急いでブリーフのお尻のほうにすべり込ませた。


 とうとうツムリは塩鮭を尻に挟んだ。なんだか妙に哀しい。バカげてる。いったい僕は何をしてるんだ。なんともいえない変な感触。油が尻の割れ目ぜんたいにじんわり染み通るのがわかる。


 思ったほどヌルヌルした感じはなかったが、ただしちょっと問題があった。たとえ切り身でもお尻の割れ目に塩鮭はサイズが大きすぎ、上からはいたブリーフででうまい具合に固定されるかと思えばそんなことはなく、ちょっとでも動けばすぐにポロリとお尻の割れ目から外れて落ちそうな不安定な感じだったからだ。ツムリは切り身が落ちないように慎重にそろそろとズボンを上げるとベルトを締めた。


 と同時にドアのノブをガチャガチャいわす音がした。


 来た!


「おい、出てこいオラ!」


 乱暴にドアを叩く音と怒鳴り声。


「ここに誰がいるぞ!」


 階下に向かって声を上げたようだ。

 ドスドスドスと複数人の階段を上ってくる音がする。


(ああもう本格的にダメだ! なんてバカだったんだろう。いわれた通り塩鮭をお尻に挟んだのに何も体に変化が感じられないじゃないか。やっぱりからかわれたんだ!)


 ツムリはまた泣きそうになってきた。


 塩鮭は塩鮭で、うまい具合に尻の割れ目のあいだで固定してくれない。あわよくばツムリの尻からスルリ逃げようとしている。ツムリはお尻の両頬に力を入れすぎ、思わず筋肉がつりそうになった。トイレをガマンするみたいにずっと手で押さえていなくてはなんともならなかった。


「開けろ! 開けろこの野郎!」


 罵声がドアを叩く音がひとしきり続いたかと思うと、急にシンと静かになった。


 次の瞬間、ドアぜんたいがドスーンという衝撃に見舞われた。


 誰かが体ごとぶつかってきたようだ。ドアを破壊しようとする腹らしい。

 ツムリは右手で尻を押さえたままヘコタンヘコタン部屋の中をウロウロし、なんとか事態を収拾する方法を見つけ出そうと焦った。やっぱり窓から飛び降りるしか方法がないのか。考え込んでいるそのあいだにも鮭の油がますますお尻の割れ目にじんわりとしみこんでくるのがわかる。よく考えてみればこんなものいつまで挟んでいるんだ、機敏にも動けないし、さっさと今のうちにブリーフの中に手を突っ込んで取り出しまえばいいじゃないか、てなもんだが、しかしこの時ツムリは完全に冷静さを失っており、まったくそのことに考えが及ばなかった。


 とうとう鍵は破壊された。


 バタンといきなりドアが開いたかと思うと、そこには三人の不良が立っていた。さっきと同じ寄与瀬スピュータム学園の生徒だろう。短いマントを羽織っている。両端のふたりはやはりタツノオトシゴのマスクをかぶっており、真ん中の、肩幅が広くやけに背の低い男はいかにも目つきの悪い表情でツムリを睨みつけた。


「……ここ、おまえの家かコラ」


 背の低い男は冠西地方の訛りでツムリに聞いた。


「……は、はい」


 おびえながらツムリが答える。


「ナズナセリはどこじゃコラ」


「あ、あの、もう帰りました」


「要するにおまえはセリの仲間やったってことやなコラ。マリマリアと同じセリの協力者かコラ」


「あ、いえ」彼女がいきなりこの家に逃げ込んできただけです、ツムリはそういおうとしたが、それをさえぎるように、


「おまえがセリとどういうつながりがあんのか知らんが、このまま見逃すわけにはいかんなコラ」


「だ、だから僕は」ナズナセリとは知り合いじゃありませんといおうとしたが、またしても相手はすべていわせようとはしなかった。


「シラ切るんやったらこっちもこれ以上容赦はせえへんぞコラ。ギンガ様に刃向かう敵として処罰させてもらうぞコラ。やれコラ」


 背の低い男がふたりの子分に命じると、子分どもはそれぞれ手にしていたサスマタをサッとツムリに向けた。


 ツムリが反応する間を与えず、ふたりの子分は二本のサスマタをさらにツムリの前にグイッと突き出した。


「あっ!」


 後退したとたん体が宙に浮いた。まるでスローモーションのような不思議な感覚に襲われたが、じっさいには一瞬のあいだにツムリはさっき開けたままの窓からうしろ向きに地上に墜落していったのだ。


 窓から見下ろしている三人の不良どもが目に捉えられ、それが次第にスーッと遠のいていき、ツムリは仰向けに地面に激突した。




 ……死んだ。




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