【塩鮭】


「すごい……」


 驚異の早技だった。


 あまりにも素早い身のこなしで敵の攻撃をかわしたセリは、体に巻きつけたカーテンを翻し、あっというまに相手に効果的な打撃を数発与えて簡単に昏倒させたのだった。

 その際、カーテンの下からセリの白い裸身が何度も覗き、純情なツムリの顔が思わず赤くなった。

 まったく気にする様子もなく、セリは床に倒れているふたりを見下ろすとため息をひとつついて、次にツムリに視線をやった。


「……悪かったわね、あなたを巻き込んでしまって。ちょうどあなたの家から鮭を焼く匂いがしたものだから、とっさの判断でこの家にお邪魔したの。夜に塩鮭を焼いてるところは少ないしね」


「???」


「ここがあなたの、ええとツムリくんの家だなんてまったくの偶然だったのよ。私は塩鮭の焼く匂いにつられてこの家に来ただけ」


 セリの説明を聞いてもツムリはやっぱり腑に落ちない。


「よっぽど塩鮭が好きなんだね……」


 そんなことしかいえない。


「もう食べちゃったの? あれは僕の晩ごはんだったんだけど……」


 それには答えず、セリは体をすくませてみせ、


「それより私寒いわ。お風呂に入っているところを急に襲われたものだから」


 ああ、それで髪が濡れてたのか。そんな状態のまま校区の違うこんな遠いところまで夜の街なかをずっと駆け続けていたっていうんだろうか。確かセリは尾梅ジャンディス学園の生徒だっていってたけれど、まさか尾梅市から絵戸川区まで逃げてきたとでもいうのだろうか。しかもその格好で。


 それに、こんなに力が強いのだから逃げたりせずさっさとその場で倒せばいいだけじゃないのか。


「敵はとうとう私の寝泊まりしている場所を嗅ぎつけてしまったの。西多魔エリアから離れて、杉波、戸島、炭田と住処を転々としてきたんだけど、とうとう見つかってしまったってわけ」


「はあ……」


 そういうことか。尾梅じゃなくて炭田区から逃げてきたんだ。


「どうやらマリアが捕まったのは本当のようね。連絡が途切れたから心配はしてたんだけど」


「……それ、誰?」


「私の友人よ」セリは答えた。「彼女はギンガの子分のフリをしてずっと私に情報を提供してくれてたのよ。絵戸川ヒカップ学園のスズシロスズナさんが略取されるっていう情報を最後に連絡が途絶えてしまったの」


「はあ……」


 それにしても僕の晩ごはんは……。


「ねえ、何か着るものない? このままじゃ風邪引きそうよ」


「あ、ああ、そだね」


 母はスタイルもいいし、ファッションセンスも痛いくらいに若いから衣服がセリにちょうど合うかもしれない、とツムリは思う。


「二階の母さんの部屋に行けば何かあると思うよ、着るもの」


「ありがとう」


 そういうと、セリは勝手知ったる自分の家みたいにさっさと階段を上がっていこうとする。

 その背に向かって、


「上がって左の部屋だよ。あんまり散らかさないでね」


「わかった」セリは後頭部で返事をすると消えていった。


(さて困ったな)


 今、ツムリの目の前には昏倒しているふたりの男と破壊されたガラス戸がある。彼らの話によると立皮フィーシーズ学園の連中が今スズシロスズナを拉致しようとしている、もしくはもう拉致したあとかもしれない。いったい僕はどうすればいいっていうんだろう。こんなところでノンビリしてるヒマはないはずだった。


 そこに階段から舞うように、かろやかにスカートの裾を翻しながらナズナセリが降りてきた。あんのじょうセリは踝のすぐ上まである長いスカートを選択していた。ツムリがそのしなやかな身のこなしに見とれていると、セリは開口一番、


「昼間の子が危ないわ。私、今から助けに行ってくる」


 いうが早いか、破壊されたガラス戸からひらりと飛び出していった。


「ちょちょちょちょっと待ってよ」


 あわてて呼び止め、自分も庭に出た。


 スズナのことも気になるが、それよりもまずツムリにとっては家の中で倒れているふたりの不良どものことがある。

 

「あの人たちが意識を取り戻したらどうするの」


 振り返ったセリは立ち止まり、


「……それもそうね。全部この家に逃げてきた私の責任だしね」


 そういうとちょっとだけ考えるふうな顔をし、


「たぶんじきにここにもこいつらの親玉のミタラシオサムがやって来ることでしょう。そうなったらあなたはたったひとりで戦うしかないわけね」


「そんな……困るよ」


 無責任もいいとこだ、そんなの勝てるわけないじゃないか。不満をぶちまけようとして息を吸い込むと、


「チッ、もう来たわ」両耳に手をかざしたセリはスッと攻撃体勢に入る女豹のように身をかがめた。それとは逆にツムリのほうは、


「えっ、どこどこ、何が来たの」とまわりをキョロキョロするばかり。


 そんなツムリの腕をつかんで家の中に引っ張り込んだセリは、何かを見つけ出そうとするかのように間近からしばらくじっとツムリの目を見つめた。


「え……」


 こんな近くから若い女性の顔を見たことのないツムリはすっかりどぎまぎしてしまった。


「こうなったらやむをえない。私はあなたを信じる」顔を離したセリはいった。「ツムリくん、あなたには特別に門外不出の技を教えておくわ。誰にも口外しないって約束できるかしら」


「う、うん」ツムリはうなずくしかなかった。


「じゃ、今すぐ塩鮭を焼いて」


「へっ?」


「塩鮭を焼いて」


「???」


「敵がこの家に来ないうちに早く焼いて!」


「わ、わかったよ、そ、そうか、塩鮭を食べると君みたいに強くなれるんだね」よくわからないけど。 


 ツムリは急いで冷蔵庫から塩鮭の切り身をパックごと取り出した。これは自分のぶんじゃないけど、焼けといわれたんだからこの際しかたがない。


 オーブンに入れ、火を点けた。焼き上がるまでしばらく時間がかかる。


「スズシロスズナさんの家はどこ」セリが聞いてくる。


「僕も正確には知らないけど(つきあってるわけじゃないし)、同じ町内だよ」


「そう……。それじゃ私、もう行くから忘れずに挟むのよ」


 そういうとセリはふたたび庭に飛び出た。


「え、あ……あ……あ……挟むってどういうこと?」


 立ち止まりこっちを見たセリは、


「いうのを忘れてたわ。鮭の切り身が焼き上がったら自分のお尻に挟むのよ」


 いい残すと今度こそセリはすばやい身のこなしで姿を消した。



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