【セリ】
するとその時、いきなりものすごい力の渦がツムリの周囲で炸裂した。
一瞬にして風景が変化している。
ツムリを押さえつけていた連中がひとり残らず目の前から消えている。
急にツムリは自由になった。
なんだ、どうしたんだ。何が起こったんだ。わからない。
ツムリはハッと気がつくと、あわててジッパーを上げた。
どうやら間一髪で下半身むき出しの刑は免れたようだった。それにしてもいったい何がどうなったっていうんだ……。
よく見ると、ツムリを押さえつけていた不良連中は残らず狭い路上に重なるように倒れていた。全員が気を失っている。ただひとり、スズシロスズナだけが脇でわなわなと震えていた。
そうしてツムリの眼前には、スズナとは違う別の女生徒がひとりすっくと立っていたのだった。
彼女か。彼女がこの不良どもをやったのか。どうもシチュエーション的にはそうとしか考えられない。
ツムリはぽかりと開いた口でその女を見上げた。
仰ぎ見た女生徒は背が高くてスラリとしている。スタイルはかなりいいほうだ。どこから急にあらわれたんだろう。彼女も他校の生徒だ。ヒカップ学園の制服じゃない。スカートの丈が地面に引きずるように長い。
「きみは……誰?」
相手は何も答えない。険しい表情でしばし虚空を見つめている。
「助けてくれたの?」
「あなたじゃないわ」
スタイルのいい女生徒はツムリに冷たくいい放つと、まだずっとおびえた顔をしているスズナに向かっていった。
「あなたがスズシロスズナさんね」
「あ、はい。ありがとうございました。あの、どちらさまでしょうか。この方たちとお知り合いなんですか」
しかしセリはスズナの質問には答えず、
「……確かに究極の美少女って噂はまんざら嘘でもないようね。これならシリコダマギンガが目をつける理由もよくわかるわ」
「……あの」スズナはとまどっている。
「シリコダマギンガ……」
ツムリはその名前を反芻するようにつぶやく。
まさに三多魔エリアの学園抗争を終結へと導いた、超極悪不良高校である奥多魔ダイアリア学園を支配する最強の不良の名前がシリコダマギンガだった。
奥多魔ダイアリア学園は国が定めた未成年矯正プログラムの一環として第二多魔湖三百メートルの湖底に建造された事実上の収容所だった。そこに全国から集められた手のつけられない不良どもを閉じこめ、いわば臭いものに蓋をする政策が取られていたのだ。しかしそれは逆に治外法権を生み出し、突然頭角を表したギンガによって学園ぜんたいが占拠されてしまったのだった。自由に湖を出入りできるようになったギンガは抗争状態にあった三多魔エリアの高校をすべて支配し、おのれの狂った欲望を満たすべく自分だけのハーレムを作りはじめ、支配下に置いたそれぞれの高校から美少女たちを選ばせ集めまくっているのだった。
この不良たちも第二多魔湖の湖底からやってきたんだろうか。シリコダマギンガがスズナちゃんの写真を目にして、そのあまりの美少女ぶりにわざわざ子分を寄越して連れ去りに来たんだろうか、三多魔エリアを遠く離れたここ絵戸川区まで。ツムリは外されたベルトを拾い上げ、クイとしめた。
「できれば」
スタイルのいい女生徒はスズナに忠告した。「あなたはしばらく学校に来ないほうがいいかもしれないわね」
「えっ、どうしてですか」びっくりしたスズナが聞いた。
女は地面に倒れている不良どもを見回し、
「一度目をつけられた限りあなたはこれからもずっとつけ狙われ続けると思うわ。かわいそうだけど。うっかり外を歩いていると今みたいにギンガの子分どもに連れていこうとされるわよ」
「そんなあ」
横から唐突にツムリが声を上げた。
眉をひそめて長いスカートの女がツムリを見る。
「じゃ、家から一歩も出るなってこと? それはいくらなんでもかわいそうすぎるよ。せっかくのたのしい学園生活を棒に振らなきゃいけないなんて」
ツムリにしてみても、スズナの姿が見えなくなってしまったらこれから学園に来るたのしみも生きる活力さえもなくなってしまいそうだ。そら困る。もちろん彼女が第二多魔湖の湖底に拉致されるのも困るが。
「いつか」スカート丈の長い女生徒は深刻な顔で「いつか私が必ずギンガの支配を終わらせてみせるわ」
その目には悲愴な決意がこめられているように見える。
「あの……」スズナがおずおずと「失礼ですが、お名前はなんておっしゃるんですか」
「……尾梅ジャンディス学園二年G組のナズナセリよ。あなたを襲ったこいつらは立皮フィーシーズ学園の生徒ね」
「あ、そうか。ナズナセリってきみのことだったんだ」ツムリが手を打つ。
尾梅ジャンディス学園は、ネットに流れていた情報では確か奥多魔ダイアリア学園に最初に滅ぼされた高校の名前だ。ナズナセリはたったひとりでダイアリア学園に抵抗してるってことなんだろうか。しかも、こんなに強い。
「あの、ナズナさん、今日は本当にどうもありがとうございました」
スズシロスズナがナズナセリにペコリと頭を下げた。次にツムリのほうを向くと、
「あの、ツムリさんもどうもありがとうございました」
と、こっちのほうにもご丁寧におじぎをしてきたのだった。
「あ、いや僕は」
ツムリは下半身をムキ出しにさせられかけただけで別に何もしてないのだが、そんな自分にも頭を下げるなんてと、スズシロスズナの清純可憐さに改めてすっかり参ってしまった。しかも不良たちに一回だけ名乗った自分の名前をちゃんと覚えていたとは、とても頭のいい子だ。
スズシロスズナはまた視線をナズナセリに向けて、
「でも、私……やっぱり明日からもいつも通り学校に行こうと思います。別に私、何も悪いことしたわけじゃないのに、おびえて家の中から一歩も外に出ないっていうのは絶対に間違ってると思います。つけ狙われたり連れ去られたりしなきゃいけない理由なんてこっちにはありませんから」毅然といい切った。
(あれ? 見かけによらずスズナちゃんて案外ガンコで芯の強いタイプみたいだな)ツムリは意外の念に打たれた。どうやらか弱き乙女といった感じの外見とは一線を画す面を備えているように思える。
「心がけは立派だけどね」セリは困ったといった感じで額に手をやる。
「もちろん私はあなたに何かを強制できる資格はない。でも覚えといて。ギンガとその取り巻きはふつうの人間じゃないってことを」
ふつうの人間じゃないって、やっぱりあの話は本当なんだろうか。シリコダマギンガのもと、人知を超えた能力を持つ不良たちが三多魔エリアにゴロゴロいると。今、目の前でノビている下っぱの不良たちはどうやらただのザコみたいだが。
「特に学校の行き帰りにはじゅうぶん注意することね」
セリがそういった時、ちょうど倒れていた不良どもが息を吹き返し、うーんとうなり声を上げはじめたので、セリはその中のひとりの前にしゃがみ込んだ。
「彼女をどこに連れて行くつもりだったの。あなたたちはギンガの居場所を知ってるの」
「知らない……」不良は苦しげに答える。「俺たちはアザミのところに連れていくつもりだった……それだけだ」
「アザミ……。コテマリアザミのことね。どうして本人が来なかったの」
「……まさか、おまえがあらわれるとは思ってなかったからな」そういうと、またガックリと首を折った。
立ち上がったセリは、まだその場に立っていたスズナに視線を投げかけ、
「こいつらが起き出してこないうちに早く家に帰りなさい」と忠告した。
「あ、はい。それじゃ、あの私これで失礼します。今日は本当にありがとうございました」
スズナはもういっぺんセリとツムリに頭を下げると、彼らに背を向け、路地から出ていった。
「やっぱりかわいいなあスズナちゃんって……」うしろ姿をポーッと眺めながらツムリがふと視線を移すと、そこにいたはずのナズナセリの姿もいつのまにか消えていた。
「あれっ???」
あとに残るのは悶絶して地面に倒れている不良どもだけだった。
そのうちのひとりがまたううーんと結構苦しそうに唸りはじめたので、思わずツムリは、
「大丈夫?」と声をかけていた。
「殺してやる……」
うめくようにその不良生徒はいった。自分にいったのかひとりごとだったのかはわからなかったが、さらなる身の危険を感じたので、彼らがダメージから回復しないうちにツムリもさっさとこの場を去ることにした。
でもその日の夜、まったく予期しないかたちでもう一度ナズナセリに再会するなど、ツムリはまったく考えもしていなかった。
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