塩鮭の戦士

北口踏切

序章

【発端】

 ツムリケンジは迷っていた。


 放課後の下校途中、路地裏の突き当たりでツムリと同じ絵戸川ヒカップ学園に通う一年Y組の女生徒、スズシロスズナが見たことのない他校の不良生徒たちに絡まれ、ぐるりと取り囲まれているのを助けに行くかどうかで。

 このままじゃ何をされるかわからない。ほっとくわけにはいかない。しかし多勢に無勢、自分が彼女を助けられるかどうか自信がない。かといって見て見ぬふりなんてできない。どうすればいいっていうんだ。


 スズシロスズナは最近何者かによるSNSへの写真投稿がきっかけで、またたく間にネット上で話題騒然となったいわくつきの美少女だった。もちろんスズナの名前や通っている学校名などはネット民によりすぐ拡散された。

 同じヒカップ学園の生徒なのに、ツムリもスズナのことはネットで知った。こんなかわいい子が自分と同じ高校にいたなんてぜんぜん気がつかなかった。

 とうぜん彼女のことを一目見たさに学園周辺をうろつく者、無断侵入する者はあとを絶たなかった。


 しかし今スズナに絡んでいる不良連中はそれまでの若者たちとは一線を画していた。彼女に対してあきらかに危害を加えようとしていたからだ。


 あの不良たちはいったいなんなんだ。どこの高校なんだ。あんな制服見たことないぞ。背中一面にマンドリルやアナコンダの刺繍が入ってる。


 やっぱりこのままにしておくわけにはいかない。男としてピンチに陥っているか弱き乙女をなんとかして救い出さないといけない。そうして自分の株を少しでも上げておきたいというよこしまな考えも同時に浮かんでくる。

 ゆくゆくは公認の彼氏となり、学園の男子生徒を出し抜いて彼らを嫉妬の渦に巻き込むおいしい思いをしてみたいものだとツムリは妄想した。妄想したいわけじゃなかったが、勝手に頭の中にわいてきた。もちろん登下校はいつも一緒、並んで歩く時は手をつなぐ。お昼も中庭の花畑のとなりでなかよく弁当を食べる。このへんは鉄板だろう。スズスロスズナはツムリのためにわざわざ早起きして一生懸命に手作りの弁当を作る。なぜなら命の恩人ツムリのことが好きだから。いったい何を作ってくれるんだろう、ツムリは毎朝たのしみでしかたがない。授業中、頬もゆるみっぱなしでうわの空。頭に何も入ってこない。先生に怒られる。でも気にしない。あの学園一の美少女スズシロスズナが自分のために弁当を作ってくれるなんていう幸福にくらべれば、学校の成績とか教師の評価なんてものはまったく値打ちのない紙くずみたいなものだ。人生の幸福はそんなところにない。でも成績が落ちていくことを彼女に心配させるのはよくないかもしれないなあ。スズナに心配かけるようなことはするべきじゃない。なぜなら彼女が責任を感じて別れ話を切り出してこられでもしたら元も子もないからだ。これで仮に別れることにでもなったりしてみろ。たちまち男子生徒どもからのザマァの嵐、天国から地獄へ一直線、そのうちスズナがほかの誰かと手に手を取ってなかよく登下校なんていう場面に出くわすという悲劇。そんなことにでもなろうもんなら、夜な夜な枕をガジガジかじりながら今度はこっちが嫉妬の濁流に呑まれて溺死するということのてんまつ。そうならないためにもちょっとくらいはまじめに勉強しようかな。


「おい、おまえ、おまえ、おまえ、おまえ」


 見回すと、いつのまにか不良たちはスズナではなくツムリケンジを取り囲んでいたのだった。


「おまえさっきから何見てんだ」


「えっ……、いや別に僕は」


 間近から見る不良連中はそろっていかつい顔つき、高校生のくせにグラサン着用、頬に傷のある者、顔面にタトゥーのある者、瞼にピアスしてる者、鼻フックの者と見た目だけでもとんでもない学校からやって来たイタさと威圧感満載だった。


 ツムリは泣きそうになってきた。この時彼は自分がどうしようもないヘタレであることを思い出したのだった。

 最初から勝てるわけがなかった。

 ちなみにツムリの外見はといえば、まんまるメガネの坊ちゃん刈りだった。

 

「だいたいおまえ誰だ、陰からこっちをコソコソ覗きやがって。文句あんのかオラ。さてはナズナセリの仲間だな」


「えっ?」


 ナズナセリって誰なんだ。そんなのまったく知らないぞ。変なぬれぎぬを着せられるのは困る。さっさと誤解を解かないといけない。


「ぼ、僕はあやしいもんじゃありません。たまたまここを通りがかっただけで。僕は絵戸川ヒカップ学園二年T組のツムリケンジといいます」


 あやしい者じゃないどころか、ツムリケンジは見た目そのままのまじめな生徒だ。ほとんどゴロツキ風味のこの不良たちのほうがよっぽどあやしい。よその高校の通学エリアに堂々と乗り込んできて、どうしてうちの女生徒に絡んでいるのか。


 しかしそのような不満を口にするにはツムリの体ぜんたいはすっかりふるえていた。こんな自分がよく人を助けようかなどと思ったものだ。危機におちいっているスズシロスズナの姿を目撃して一時的に気持ちが高揚していたのだ。


 スズナはおびえた顔でこの状況を眺めている。写真で見た時よりも大人びて色っぽい印象だ。でもやっぱりかわいい。さすが学園一の美少女だけのことはある。

 それにしたって不良どもが僕に気を取られている今のうちにさっさと逃げてくれればいいものを。きっと何をしてもムダだっていうのがわかっているんだろう。それとも足がすくんで動けないのかもしれない、彼女じしんもツムリと同じように、なすすべなくプリンみたいにふるえている。


「おまえナズナセリの仲間じゃないんなら証拠を見せろ」


 不良の中のひとりがツムリにいった。


「しょ……証拠ってなんですか」


「パンツを脱げ」


 一同は顔を見合わせて笑った。


「アカカカそりゃいい。セリの仲間じゃないってんならできるはずだよな」


 別のひとりがいうと、ほかの連中も意地悪そうな笑みを浮かべた。


 ああ、なんの意味もないただのいいがかりをつけられているよ。ツムリははっきり確信した。こいつらはよりにもよってスズナちゃんの見ている前で究極の恥かしめを僕に与えようとしているんだ。


 自分たちの通う絵戸川ヒカップ学園は比較的のどかで目立った不良もいないから安心して毎日を過ごしていたっていうのに、いきなりこんな予想もしない出来事に巻き込まれてしまった。


 確かに、ここから遠い西の三多魔エリアでは、西多魔、北多魔、南多魔を代表するそれぞれの学園間で不良どもの激しい抗争が繰り返されていたのは事実だった。その中の最強の一校が他校を併呑して戦国の雄となり、不良の頭目が独裁者となって三多魔エリアの各学園から美少女を次々に拉致しているという話はツムリも知っていた。二十三区の東のはしっこにある絵戸川ヒカップ学園はずっと無関係だと思っていたが、内心ではみんな、版図拡張のための侵攻の毒牙がそのうちじわじわこちらのほうにも迫ってくるのではないだろうかという懸念を抱いていたはずだった。そこへきて今回のSNSへのスズナ投稿写真の件だ。ひょっとしてさらなる美少女を求めて今それが来たということなんだろうか。都心を飛び越えていきなりこんなところまで。


 不良のひとりが一同に目くばせをしたように見えた。


 次の瞬間、連中が一斉にツムリに掴みかかると地面に押し倒した。ツムリの手足の自由をきかなくさせてから、ひとりがズボンに手をかけた。


 スズナが思わず大きな声で、


「やめてください! やめてください!」と必死に懇願しているのがツムリの耳に届いた。


 汚れを知らない乙女の前でひょっとしたらいいところを見せられるかもしれないと一瞬でも考えた自分がバカだったとツムリは激しく後悔した。いいところをスズナに見せるどころか、お粗末なものをスズナに見られるハメになってしまうとは。っていうかさっさとこの場から逃げてよスズナちゃん。ツムリはいちおう必死になってズボンを脱がされまいと体をよじってみせるが、何しろ手足を押さえつけられているのでほとんどムダな抵抗だった。


 スルリとベルトを抜かれ、ジッパーをおろされた。


「あーっ!」




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