【ブラックホール】


 今、兄の肛門は蛇がウサギを飲み込むがごとくその黒い穴を巨大洞窟の入り口のように拡張させ、縁取っている肛門皺の片隅の疣痔にツムリが必死になってしがみついている格好になっている。

 

 引き続き、肛門は兄の背中を飲み込みはじめていた。


「あっ! そうだ! そうだよ!」


 ツムリは突然気がついた。

 僕は一度スズナちゃんと一緒にブラックホールに入っていく決心をしたんじゃなかったのか。その気概があればこの疣痔をねじ切れるはずだ! 疣痔と一緒にブラックホールに吸い込まれてしまうかもしれないけれど、うまく行けばその前に兄さんがふつうの人間に戻って宇宙の法則は元通りになるはずだ!


 どうして早く気がつかなかったんだろう。ツムリはおのれの機転のきかなさに情けない気持ちになったが、せっぱ詰まったこの状況を鑑みればそれもしかたのないことだった。


 でもこの疣痔をそう簡単に取り去ることができるんだろうか。兄の肛門の圧倒的な吸引力で自分じしんの体もろくに自由がきかない状態なのに。


「何いってるんだ!」ツムリはその場で叫んでみずからを鼓舞した。


「この時のためにこそ僕は塩鮭を挟んでいるんじゃないのか。そうだ、そうなんだ! 今この時こそが塩鮭パワーを発揮すべき一番のタイミングなんだよ! おまえはなんのためにこれまでずっとお尻に塩鮭を挟んできたんだ。今この時のためじゃないか!」


 絶叫しているうちに自分の中で塩鮭パワーがもりもりわいてくるのをツムリははっきりと自覚した。久しぶりにお尻の筋肉に力をいれ、律儀に鮭の切り身が割れ目に挟まったままであることをツムリは確認した。塩鮭がツムリに力強くうなずきかけてきた気がした。もはや眼前の兄の体は腰の上まで消えている。一刻の猶予もならなかった。


「ぐおーっ!」


 ツムリはデスヴォイスのような雄叫びをあげると、それまで自分が抱きついていた疣痔の根っこに今度はヘッドロックをかませた。両腕の筋肉が数倍に盛り上がり、ツムリの形相もさながら仁王のように峻烈なものになった。塩鮭の切り身の潜在的パワーが皮膚の表面に煮立って泡立つ感覚だった。


「ぐおーっ! ぐおーっ! ぐおーっ!」


 ツムリの塩鮭パワーにより疣痔はさらに赤黒く膨れ上がってくる。それは太い腕に首をしめられて息もできない苦悶の表情を思わせるものがあった。すぐに疣痔は二倍の大きさにまで肥大し、破裂寸前の様相を呈してきた。根っこの部分はツムリの必死の締めつけでますます細くなってきている。決壊は時間の問題だった。


 そうこうしているうちにも兄の体はもはやこの世のものとは思えない有り得べからざる姿になっていた。まるで腰から下だけの怪物だ。さらにゆっくりと肛門はグビグビと兄の体を飲み込み続けている。時間がない。


 その時だった。


 軽くいなされたかのようにツムリは急に宙でバランスを失った。

 同時に全身が茫漠とした空間に投げ出された。ツムリの顔から腕にかけては膿なのか漿液なのかよくわからないものでびっしょりと濡れている。

 強烈な吸引力でツムリの体はくるくる回転しながら肛門近くの兄の体に張りついた。


「……やった、のか?」


 疣痔はとうとう破裂したのか? そうとしか思えない。患部に目をやりたいが、もうツムリは体の自由がきかない。兄の体にペッタリくっつくようにしてそのまま巻き込まれる感じで体が肛門に吸い込まれていく。

 せめて疣痔がどうなったかこの目で見たい。もし駆逐されていたならこのままブラックホール行きは免れるはずだ。兄の能力の源泉を断ち切ったのだから。

 しかるに肛門はツムリ兄弟を吸い込むのをやめない。ツムリは下半身からどんどん埋もれていく。


 今、視界のはしっこにミニ惑星の輪っかが肛門の奥に消えいく姿が見えた。

 確かに疣痔はなくなったんだ! 消えたんだ!

 だったらどうして兄さんの異能がそのままなんだ?

 考えをあれこれ巡らせている時間などまったくなかった。

 思うまもなくツムリの体はあっというまに兄の肛門の中に飲み込まれてしまった。

 さすがの塩鮭パワーをもってしても、ブラックホールの力に抗することは不可能だったのだ。


 続いて肛門は兄の腰から両足を吸い込んでしまうと、最後に肛門が肛門を吸い込み、ツムリ兄弟はふたりとも、完全に消えた。


 そこにはもう、ついに何もなくなった……。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る