【悲喜劇】


「……ダメだ、もう限界だ。あとは頼んだぞ」


「えっ、どうしたの」


「ぐわーっ」


 叫びを残し、ミニ惑星は一気に尻の穴に吸い込まれていった。それまでずっと必死で吸引力に抗していたのに違いない。きっと輪っかを外したことで急激にパワーダウンしたんだろう。


「くそーっ!」


 ミニ惑星の自己犠牲を無駄にしてはいけない。ツムリは塩鮭が与える最大限のパワーを発揮して、輪っかをさらに疣痔の根もとまで一気に押し込んだ。 


 ガチッと輪っかが疣痔の根っこを縛った。


「やった!」


 しかし次の瞬間、ツムリは重大なことに気がついてしまった。


「父さんがいってた。疣痔がポロッと取れたのは一週間あとだって。ああ、これから一週間も待たなきゃいけないっていうの?」


 うかつだった。疣痔のアポトーシスまでまだ一週間もあるのだ。それまでここにしがみついたままでいることなんてできっこない。

 抱きかかえている疣痔は、輪っかで根っこを縛られたおかげでドクンドクンと鼓動している。心なしか少し膨張したようにも感じられる。


「ケンジ、何をした!」


 見ると、兄ケンイチの巨大な顔が股のあいだからこっちを覗き込んでいた。ちょうど自分の肛門を見るように上体を曲げてきたのだ。


「おまえ、まだそんなところにしつこく残ってたのか」


「兄さん、兄さん、兄さんはなんともないの?」


「あ? 何をいってるんだおまえは」


 ダメだ。手弱女のスズナちゃんは結局兄さんの益荒男に接することができなかった。ただ単にブラックホールに吸い込まれて無駄に命を落としてしまっただけなんだ。


「くそぉ……、僕は……、僕は……許さない! 兄さんを許さない! いや、おまえはもう兄さんじゃない! やっとわかったよ! おまえは悪魔だ! 地獄に堕ちろ!」


「いいねぇハハハハ」兄ケンイチは笑った。「やっとおまえの中の益荒男が暴れ出したな。でも、もう遅すぎるんだよバカ。地獄に堕ちるのはおまえのほうだ。いつまでもそんなところにしがみついてんな。そこをどけ。おまえが俺の疣痔にはめたものを取るから、おまえそこをどけ」


「いやだ! おまえの疣痔は一週間後にアポトーシスするんだ!」


「はあ? 意味不明だな。どかないんなら俺が直接おまえをブラックホールに放り投げてやる!」


 そういうと、兄ケンイチはおもむろに右手を伸ばしてきてツムリを捕まえようとした。


「ああーっ!!」


 しかし叫んだのは兄のほうだった。

 伸ばした右手が自分の肛門に吸い込まれはじめたからだ。


「クソ、やめろ! やめろーっ!」


 もはや完全なひとり相撲だった。兄ケンイチは、右手首を肛門に突っ込んだかたちになり、やがてそれはズブズブと肩まで飲み込んでいった。


「や、やめ……」


 肩に引っ張られるようにして、とうとう肛門は兄の頭をも吸い込みはじめた。

 疣痔にしがみついているツムリと兄の目が間近で合った。

 兄は悲しそうな目をしていた。

 ツムリはハッとなった。


(僕は何をしてるんだ。助けなきゃ!)


 突然そう思った。

 それはもう理屈ではなかった。ツムリの中に生まれた憎悪と殺意の炎は、命を失おうとしている者を目の前にして一気に吹き消された。醜いヘイトに支配されるのは間違ってる。ましてや実の兄ではないか。僕ら家族はもともと人々が憎しみ合うのがいやだったはずじゃなかったのか。争いごとなんかきらいだったはずじゃなかったのか。心ならずもたくさんの不良を傷つけてきたけれど、そのつど胸が痛んだんじゃなかったのか。もう無駄な命のやりとりはごめんだ。ツムリは一瞬でも憎しみのかたまりと化してしまった自分を反省した。


「兄さーん!」


 ツムリは片手を巨大な兄に差しのべた。

 一瞬、兄は驚いた顔になった。


「兄さん! 掴まって!」


 さらに身を乗り出し、めいっぱい腕を伸ばす。


「……」


 しばらく弟を見つめていた兄はやがて、ごく自然に、ゆっくりと左手をツムリのほうに伸ばそうとするしぐさを見せた。


 しかしその手は自分の臀部を突っ張る役割を担っていたものだから、つっかえが取れたかのように彼の肛門は一気に兄の首から上を飲み込んでしまった。兄はあわてて左手を元の位置に戻し、自分の臀部を押さえて首を引っこ抜こうとしたが、もう遅かった。


「ああっ、兄さん!」


 どうすればいい? どうすればいい? 顔がズブズブめり込んでいってしまったぞ! このまま兄さんも自分もブラックホールに吸い込まれてしまうのか? 



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