【ギンガ】
「何かに掴まって! このままじゃ地球からはじき飛ばされてしまうわ!」間一髪、地面に固定されているベンチに抱きつくようにしながらセリが叫んだ。
ツムリも無我夢中で、気がつくと折れた木の根っこにしがみついて地球の疾走に抗していた。
とにかく想像を絶するスピード、想像を絶する遠心力だった。
「……これ以上は限界、と思っていてぇ」
同じく折れた木の幹に両腕を回していたアザミだったが、その手がしだいにズルズルと木から離されていく。
そんなアザミの姿も次の瞬間には消えていた。
彼女は一瞬にして地上からいなくなり、地球から離れた暗闇の点となり、すぐに点ですらなくなった。
(ああ、これは本格的にマズいよ……)ツムリは本格的にそう思わずにはいられなかった。スズナを探しに行くどころか、自分の体もすでに宙に浮いて地面と平行になっていた。かろうじて地球とつながっているのは木の根っこを掴んでいる両手だけだった。その両手ももはや伸びきっており、遠心力によってこの星から永遠に未知の宇宙に放たれるのも時間の問題だった。
「ハハハハハ、ハハハハハ!」
大地と大空いっぱいに響きわたる高笑いがツムリとセリに覆いかぶさってきた。
「ギンガ!」ベンチを必死で抱きながら鋭い声で虚空を見上げ、セリが叫ぶ。「どこ?」
「とうとう俺は完全に覚醒した」声は夜空にこだまする。
「見たか俺の力を! 一瞬にして二十三区を手中に収めたぞ! もう東恐全域の学園支配などとちいさなことをいってる時は終わった。これからは荷本全土、いや地球ぜんたい、いや宇宙ぜんたいの支配者になるんだ! ハハハハ! ハハハハ!」
やっぱりここは壊滅した東恐だったのだ。
「くそ……」セリはなす術もない今のこの自分の状態を歯がゆく思っているのか、悔しそうに歯がみしている。
(兄さん! 兄さんなの?)
ツムリは大声で呼びかけたかったが、近くにセリがいるのでどうしても躊躇せざるを得なかった。
(それにしてもすごい……すごすぎるよ……)ツムリは妙に深い感銘を受けている。(いったい何をお尻の割れ目に挟んだらこんなことができるっていうんだ)
文字通り究極のアイテムをギンガは発見したのだ。
こんな能力が発揮できるのなら、三多魔エリアの覇者になることなどなんでもないどころか、最初から宇宙大将軍の地位さえ狙えたはずだった。地球どころか全宇宙の女を集めたハーレムだって簡単に作れるだろう。ギンガがみずからの異能に百パー覚醒する前に完膚なきまでに叩いておかなければならなかったのだ。でももう遅い。もうすべては手遅れだった。
たくさんの星空がてんでバラバラに発作的ともいえる動きで夜空を行ったり来たりしているのに加えてこの地球も縦横無尽に宇宙空間を疾走しているので夜空を見上げ続けていると目まいを起こして発狂するレベルの悪夢を目撃することになるはずだったが、さいわいにもツムリとセリにそのような余裕はなかった。各自地球にしがみついているだけで精一杯だった。
狂騒の夜空に、にわかに暗雲が立ちこめた。どす黒い雲は轟音を上げながら渦を巻き、雲のすぐ下では雷鳴があちらこちらで轟きはじめた。
稲妻が光るたび、ネオ国立競技場の姿が亡霊然と浮かび上がった。
まがまがしい黒雲が地球ぜんたいを覆い尽くすと、今度は突然の豪雨が沛然と降り注ぎはじめた。
暗雲は竜がとぐろを巻くかのごとく巨大なうねりを波打たせ、複数の尻尾の先からはひっきりなしに空間を引き裂く激しい雷鳴、落雷を発生させた。
雨のせいでまともに目も開けていられない。ツムリは木の根っこを掴んでいる自分の両手がズルズルと少しずつ滑っているのを自覚した。雷が近くに落ちるたびキャッと両目を固くつぶり、両手を木の根から離しそうになる。
その時、耳元で地球をまっぷたつに引き裂いたようなものすごい音がした。
すぐそばで落雷があった。
セリのいるところだ。
ちょうど彼女に雷が落ちたようだ。
そんな余裕はないのだが無理やりツムリが首を回すと、もうそこにセリの姿はなかった。
「……」
ツムリは完全にひとりになった。
仲間がひとり残らず、こうもあっさりと地球から吹き飛ばされてしまった今、さすがの塩鮭もツムリのパワーを精神面から支えることはもはや不可能となった。強風にバタバタと激しくはためいている旗状態のツムリは、そうしてとうとう両手を木の根から離してしまった。
「うわーっ!」
大地が、地球が遠ざかる……。
仲間がひとりでも地面に残っていれば、飛ばされたツムリの姿が一瞬にして点となり、暗雲渦巻く暗い空の彼方に消えていったことがわかろうというものだった。
しかし、気を失う前にツムリは自分の体が空中でストップしたことを知った。
気づくと、いつのまにか空を覆っていた暗雲が流れ去っており、元の夜空が星々の光とともに天空から顔を覗かせた。星々の配置はすっかり変わっているが。
両目を固く閉じていたツムリは、おそるおそる瞼を開いた。
空にふわふわ浮かんでいる。
(……あれ? どうしたっていうんだろう)
助かったのか? 何が起こったんだろう。
どうして自分は宙に浮いているんだろう。
「あっ!」
ネオ国立競技場の方向を見ると、今、重厚な動力の振動をツムリの腹の底に鈍く伝えながら、閉じられていたドームの花弁がゆっくりと開きはじめたのだ。
すると、中の光が放射状になって夜空に白くひろがった。禁断の扉がついに開かれたかにツムリには思えた。
「ケンジ……」
開いたドームから残響にくるまれた声が聞こえてきた。
「兄さん……、兄さん!」
空中高く浮遊したままの状態で、ツムリは愕然となった。
「シリコダマギンガの正体はやっぱり……」それ以上言葉を継げない。
かわりに声が答えた。
「そうさ、そのとおり、シリコダマギンガ、この俺はおまえの兄さ」
そうして、ドームの中からゆっくりと、光に包まれた巨大な人影がせり上がってきた。
「ああ……」
それはまぎれもなくツムリケンジの兄、ツムリケンイチの巨大化した姿だった。
シリコダマギンガことツムリケンイチは下から照らされるドームの光に押し上げられるかのようにゆっくりと上昇してきて、弟のケンジと同じく宙でピタリと止まると、自分の大きさにくらべて豆粒ほどのケンジと空中で対峙した。
兄は全裸だった。顔は間違いなく兄だったが、首から下は筋骨隆々、どちらかといえばフェミニンだった印象からは遠く離れてしまっていた。
「久しぶりだな、ケンジ」
「……」
弟のツムリは言葉が出ない。
兄のあの優しかった表情はもう顔のどこにも残っていなかった。目は吊り上がり、口元は悪意に歪んでいる。ふだんはどこか頼りなさそうな雰囲気だったある種のセンシティヴな印象は完全に払拭されており、巨大化のせいもあって鋼鉄のような威圧感に満ちていた。
「どうして……」
ツムリには信じられない。
兄は誰よりも心のやさしい人物だったはずだし、人に迷惑をかけること、ましてや危害を加えるなど絶対にありえなかった。それが学園抗争の覇者となるなどとは……。ましてやハーレムを作るだなんてどう考えてもおかしい。話し口調も完全に別人のそれだし、要するに人間そのものがすっかり変わってしまったとしか思えなかった。何より兄は大学生なのだ。それがどうしていつのまに奥多魔ダイアリア学園の高校生として弟の前に姿を現さなければならないというのか。
「本当に兄さんなの? 兄さんはなんで東恐にいるの? 北階道の大学にいるんじゃないの? どうして名前を変えて高校生になっているの? 別人じゃないの? それとも誰かにあやつられているの? どうしてこうなってしまったの?」
ツムリは大声で叫ぶように巨大な兄に聞いた。
「俺は覚醒したんだよ、ケンジ」
「覚醒……、わからないよ兄さん!」
「……そうだな、弟のおまえには知る権利がある。俺がどうしてシリコダマギンガとして覚醒したかちゃんとおまえに教えてやる」
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