2 お約束?



「誰だ? 趣味は? 好物は? 家族は何人? 人生の目標は? 昨日何食べた?」

「誰と言われても――」


 いきなり肩越しに振り返ったまま矢継ぎ早に問われて男たちは面食らったようだ。


(むむ。何か間違ったか? おかしいな?)


 人とは互いのことを知りあって親交を深めていくのではなかったか。神々は生まれながらに多くを見知りするのでいまいち勝手が分からない。ケリファは小難しい顔で首をひねった。


「驚いた。勘のいいお嬢ちゃんだ。ちょっとばかし変だが」

「なんにせよ、一人歩きはいけねぇな。変わってても」

「おツムの方があれでも、俺らみたいなのがいるからな」

「何をされても自分の足りない頭を恨むんだな」


 色々と聞き捨てならないことを言いながら茂みから現れたのは、数人の男たちだ。

 手にはよく研がれたというにはほど遠いが人を害するには十分な剣、身につけているのは戦場で拾ってきたのだろうか古びた鎧――どう見ても堅気の職業をしているようには見えない。彼らには人のものを力で掠め取り自堕落に生きている者特有の雰囲気が漂っている。


「汝らは……あれか」


 ケリファは胸の辺で両の拳を握り俯いた。

 それを見て臆したとでも思ったのか男たちの下卑た笑いが色濃くなる。


「世にいう非行中年もしくは年季の入った『どきゅん』というやつだな!?」

「ぐっ! 間違ってはいないがゆえに無性に腹が立つ!!」


 勢いよく顔を上げて男たちに指を突きつけたらなぜか怒った。ちなみに『どきゅん』とは聞いたこともないような言葉をよく知っているあの輝ける大神に教えてもらった言葉である。


「そうか、汝らが『どきゅん』か。実物を初めて見たが、噂に違わぬむくつけき輩どもだ」


 ケリファはどことなく嬉しげに頷いた。言うなれば著名な造形物を実際に目の当りにしたといった体だ。

 男たちが耳にしていたら、さらに怒りをかき立てられたことだろうが、幸運なことにと言うべきか彼らは品定めに夢中で気づいた様子もなかった。


「イカれてるのかもしれんが綺麗な顔してんな。この辺じゃぴか一だ。こりゃ後で高く売れるぞ」

「庶民にゃ滅多にないほど色も白いし、肌も柔らかそうだ。しかもぎりぎり幼い。さぞかし変態どもも喜ぶだろう」

「しかし、胸はないな。真っ平らだ。まるでだだっ広い平原だ」

「本当だな。俺の方がデカいくらいだ」

「というか、本当に女か? まさか、女顔の男っていうオチじゃねぇだろうな。男にしては背が低いが」


 ざくっ。何かがケリファの胸に突き刺さった。ほっそりとした身体がぐらりと傾いたが、曲がりなりにも身は女神(今はもどき)、そこは矜持で何とかその場に踏みとどまった。


「幼児好みの輩にはこれぐらいツルペタの方が受けるだろう。俺は乳牛並みにデカい方が好みだが」

「誰もお前の好みなんか聞いてねぇよ」

「あまりデカ過ぎると垂れるぞ。だらしなく垂れた乳ほど萎えるもんはねぇ。片手で掴んで多少こぼれるくらいがちょうどいい。まあ、絶壁よりはデカい方がいいが」

「結局お前らの結論としては、男じゃないということなのか? 俺は男説を推奨する」

「ええい、もう黙っていよ!」


 とうとうケリファが憤怒の形相というよりは泣き出す寸前の顔で叫ぶ。 


「どこへ行った!?」

「後ろだ!」


 音もなく一人の背後を取ったケリファは、鋭い呼気と共に手刀を繰り出した。

華奢な扇すら壊せそうにない細い手の一撃が、お世辞にも痩身とはいえない男を軽々と打ち倒す 。男は受けた衝撃そのままにずるずると地面に這い落ちた。


「ちっ! なんだ、お前は!?」


 答えることもせずに場数をこなしてきたであろう鋭い突きをギリギリまで引きつけてかわす。勢い余ってバランスを崩した一人に肘鉄をくらわし、上段から振り下ろしてくる別の一撃は飛び退がって避ける。空しく地を抉った剣を見て舌打ちするその横面に回し蹴り。

 あっという間にまた二人が地に沈んだ。

 横薙ぎの攻撃は自ら地に深く沈み込んで回避すると足払いをかける。足をやられて倒れた男の鎧を足で踏み砕くと、その手から離れた剣を拾い上げて間合いを取って様子を窺うもう一人の男に向かい投げ放つ。一陣の風と化した剣は狙い違わず男の衣を串刺して近くの木に縫い止めた。余程恐ろしかったのか、男は口から泡をふいて失神している。


「さぁ、残るは汝のみだ」


 男たちのうめき声を背後に最後の一人を見据えたケリファは、息一つ乱していない。

 戸惑ったように固まっていた男が我に返った。

 彼が振り下ろしてくる剣を気負いのない動作でかわすとその腹部に掌打を叩き込む。さして強くも思えなかったケリファの打撃は大の男を声もなく軽々と打ち倒した。


「しばし、そこで反省していればいい」


 ふん、と鼻を鳴らし、疲れているわけでもないが一息つくように目を閉じる。


(第三の目を封じられたからどうなっているかと思ったが、今のところ人相手の戦いに支障はないようだな……問題は――問題は)


 務めて冷静さを保とうとしたのだが、保ち切れなかった。ケリファは何か音が聞こえそうなほどの勢いで眦を決する。


「だ、誰が、だだっ広い平原で! ツルペタで! 絶壁で! お、おおおおおお男だと言うのだ! バカッ! バカバカバカバカバカッ!!」


 本当なら倒れて痙攣している悪漢ども目がけて怒涛のように罵詈雑言を投げつけたいところなのだが、怒りのあまり言葉が出てこないのだった。その代わりに荒れ狂う心の内を晴らそうとするかのように大地をだんだんと踏みつける。


「…………汝は?」


 ケリファは少しの間、肩で息をしていたが前触れなく振り向く。


「先程の者たちの知り合い?」

「……いや、俺は別段あれらと親交があった訳ではない」


 どこからやって来たのか、大木の陰から鷹揚な足取りで男が姿を現した。暁の涼やかな目にどこか愉しげな光を宿す白皙の男だ。


「ほーう、あの者たちと面識はないと……」

「ああ。面識はない。面識はないが……どうだろう? お手合わせ願えんか?」


 絹の如き銀の髪をかき上げて男はうっすらと微笑んだ。嬉しくて嬉しくて仕方ないといったような表情だ。


「理由が必要なら、あれらの仇討でも構わん。面識は全くないが」

「は?」


 上質の弦楽器のような声音に聞き惚れる暇もなくケリファは口をぽっかりと開けた。いまいち何を言っているのかよく分からなかったのである。というより、理解することを拒否したといった方が正しい。


(……世の我こそはと思わん者は、か弱い女子の窮地を救うべく颯爽と現れて悪を打ち倒すものではないのか?)


 ――どこに助けるべき相手に戦いを挑む者がいるというのか。

 ところがどっこい、挑む男は別段か弱くはない元女神の様子を意にも介さず、危なげのない仕草でゆっくりと腰間の剣を抜き放った。

 ただひたすらに嬉しそうな男を前に口を大きく開けたままケリファは目を点にした。




 銀の髪の男――シャルアンの手にあるのは、優美な反りと鋭い切れ味を持つクハンだ。これは彼の趣味で打ったもので、その出来は、老練なる森の賢者にして鍛造の魔術師、鉄の民クイーリエをも唸らせるほどだった。

 ――今宵も剣が血に飢えておる。

 一般に知られてはいないが、パヴァルナの第四王子は、ものぐさな上に大の刀剣愛好家(実践型)という危険人物であった。先程までの見事にだらけきった姿からは想像もできないほど、今のシャルアンは水を得た魚のように生き生きとしている。

 本人に弁解するつもりがあるのかないのかは分からないが、危険人物ながら彼も高潔な武将の端くれである。普通なら武器も持たぬ婦女子に剣を向けるという暴挙は冒さない。

 しかし、この少女は別だ。シャルアンはその夜明け前の空のような目でじっと彼女を見つめた。


(流星が見えたので珍かなる鉱石が手に入るかと思って来てみたが、面白いものに出会うとはな)


 年は十代の半ばに達するか達さないかといったところか、ぬばたまの闇を閉じ込めたかのような艶やかな髪と対照的な真白の肌を持つ華奢な少女だ。小作りの顔に光る大きな目は黒瑪瑙に炎が揺らめいているかの如くで美しい。

 一見すると深窓の姫君に見えないこともないが、そんなわけはない。


(あの戦いぶりただの婦女子であるはずがない)


 何しろシャルアンの血が歓喜に打ち震えて彼女が良き相手だと告げているのだ。


「さぁ、来るがいい」


 ゆったりとした長衣ユオルム姿ではあったが、それは少しも彼の動きを妨げるものではない。ある意味優雅といってもいい仕草で構え、シャルアンは少女を誘いざなう。相手の事情を無視して自分本位に事を進める――根っからの王族気質であった。


「断る。わたしには慈しむべき美しい存在ものをゆえなくぼかすかぶん殴る趣味はない」


 言いながら少女は「しっしっ」と手を振る。

 慈しむべき美しい者? 思わずシャルアンは吹き出した。ここに普段の自分を知る人間がいたら随分とびっくりするだろうなどと頭の隅で考えながら。実のところ声を上げて笑ったのは本当に久しぶりだ。


「な、何だ? 何がおかしい? かみ……真っ当なヒトとしての心構えだ」

「いや……『しっしっ』ときたか。犬猫のように扱われたのは、生まれて初めてだ」


 未だ笑いの残る声で言い、シャルアンは長い指で目の端に溜まった涙を拭った。


「む。この地の者にとってもやはり失礼だったか。いまいち勝手が分からないのだ」

「この地? その衣……パヴァルナのものではないな。それに言葉は流暢だが、どこか借り物のようだし。お前何者だ?」


 少女がまとうのは大輪の花のように鮮やかな刺繍が美しい華やかな衣だ。腕や首には精緻な細工をこらした腕輪や首飾りが幾つも連なっている。いずれも名工の手によるものではあるのだろうが、一見する限りパヴァルナでは一般的ではない珍しい意匠であった。


「え、あ、いや、ま、まあ、えーと、そのぅ」


 少女はあたふたと先程の立ち回りで乱れた衣を整えたが、そんなことはどうでもいいとシャルアンは構えたままの剣の切っ先を揺らす。


「さあ、来い」

「だから、汝は人の話を聞いていなかったのかっ!?」


 慌てふためく姿から一転し、少女は目を剥いて怒鳴った。ちょっと飛び上がっているのが蚤っぽい。


「……つまらん」


 ぶすっとした顔で呟くとシャルアンはゆっくりと少女に近づいていく。すっかり戦う気はそがれたため、名残惜しく思いつつも愛剣を鞘にしまった。

 そして、だるそうにゆるく腕を組むと明後日の方向を向きながらため息をつく。


「まあ、幼女を斬って喜ぶ趣味は俺にはないのだが」

「幼女っ!?」

「なんだ、お前成人しているのか?」


 小首を傾げてシャルアンは少女の顔を覗き込む。暁と闇色の目が間近でかち合った。


「いやはや、えーと、ちょっ、まあ、その、してる、というか、していない、というか」

「……とりあえず、人の言葉を喋れよ? で? お前は何者だ? どのような用向きでここへ?」


 お前こそ何者だこの辻斬り未遂、などと本来は問われてもおかしくないのであろうが、少女はすっかりシャルアンに翻弄されているようだ。

 彼女はあーとかうーと唸ったり何かを口の中で呟きながら左右を向いたり、空を見上げたりしておろおろしている。

 ぼんやりと立っているのも億劫になってきたシャルアンは、倒れたままのごろつきの一人を大儀そうに跨いで手近な木の幹に背を預けることにした。


「……じ、実はわたしは西方からの貿易船に乗ってきたのだが、この国の港で係累が失踪してしまったのだ……です」


 10ルタルも経った頃、ようやく少女は訥々と語りだした。


「手を尽くして探したところ、それらしき者がこの辺りへ流れ着いたという……のです。しかも盗み取った主人の宝を持って。まったくもって言語道断の様。身内たるわたしが止めてやらねばと思い、こうして罷り越したというわけです」

「ほーう。この辺りでそのような話を聞いたことはないが、な?」

「う、うむ。他愛ない内輪もめなので汝の耳に入るようなことではないのだろう。わたしもこの辺りと聞いただけで詳しい場所まではまだ分からない。こちらには知人もいないし、土地勘もないから。言葉は、如何せん人から学んだのみでこうして実地で話す機会がなかったから、借り物じみているのは仕方ないかと」


 そわそわと落ち着きなく自分の身体を触りながら目を合わせずにまくしたてる少女はとてつもなく怪しかった。


「……真実を述べた方がいいと思うが?」

「な、ななななな、何のことだ。わ、わたしは、う、嘘など言って、なななな、ない!」

「慌て過ぎだろう。それに、だ」


 シャルアンは意地悪く笑い、再び少女に近づくとひょいと手を伸ばして彼女の耳飾りに触れる。慣れていないのか、途端に少女は真っ赤になった。


「この紅玉の飾りといい、衣といい、実に見事なものだ。いや、見事すぎるといっても過言ではないな。お前は貿易船に乗ってきたというからには商人か、もしくはそれにゆかりのある者だろう? これがそのような市井の者の手に入るものか? 仮に手に入るほどの大商人だとすれば、それに見合っただけの器量があるはずだ。だが、どうみてもお前は才気煥発という風には見えん。娘や妾という風にも見えないしな。よって嘘だ。そうだろう。ん?」

「うっ!」


 少女の顔には『嘘です』と大きく書いてある。

 久しぶりに無聊を慰めてくれそうなものを発見したのだ。そう簡単に離してやるものか。シャルアンの目はひどく愉しそうに輝いていた。


「う、ううううううううううううー」


 うめき続ける少女はもはや茹りすぎた蛸のようになっている。


「さあ、楽になってしまえよ」

「ううっ!」


 とうとう茹蛸状態を通り越したらしく少女は意識を失い、地に倒れ伏そうとした瞬間、シャルアンがしっかりと抱きとめる。


「……なんだ? 知恵熱か?」


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