3 サットン村滞在記1


 サットン村は生活感溢れる普通の村だった。実際に村人が生活しているのだから当たり前といえば当たり前だ。

 人口は近隣の村と比較しても多い方らしく集落の規模も大きい。村の周囲には椰子の木がそびえ立っており、硬そうな実をいくつもつけている。パヴァルナでは、人家の近くには必ず椰子があるのだとライナーマが教えてくれた。

 村人たちの住居は高床の建物で、入り口には簡素な階段が設けられており、出入りにはそれを利用する。高床の下は生活に必要な道具の置き場や、今は放牧に出ている牛たちの寝床となっているらしい。

 穀物を入れておくための倉庫も住居と同様の作りになっており、ネズミ対策であろうか、倉庫の周りにはのんびり寝そべる猫の姿があった。


「こ、こんなところに本当に大蛇が出るのか?」


 馬を降りてひとしきり村の様子を眺めたケリファは馬上のシャルアンの衣を引っ張った。どこをどうみても怪異の類が現れるような雰囲気はない。穏やかそうな犬や堂々とした鶏ならそこら辺をうろちょろしているのだが。


「正確には、この村の近くの池だ」

「池と言ったって、この感じからして普通の池では?」

「ただの池ではない。神池ターカだ」

神池ターカ?」


 聞き慣れぬ言葉を耳にしたケリファがシャルアンに問い返したところで、恐れや戸惑いに満ちた表情の村人たちの中から村長と思しき老人がよろよろと歩み出てきた。

 青ざめた村長は現実が信じられない様子でしきりに王子ですかと確認し続け、シャルアンを10回ほど鷹揚に頷かせてやっと事態が呑み込めたらしく震え上がった。


「お、恐れながら、本日はどのようなご用向きでお越しに?」

「気にするな、野暮用だ」

「や、野暮用でございますか?」

「ああ、野暮用だ」


 あなたは何しにサットンへ? 野暮用って? あの檻はいったい?

 ――様々な疑問が村長の顔に表れては消えるのが見えた。


神池ターカに用があるだけだ。お前たちに特に用はない。気にせず、捨て置け」

「は、はぁ」

「よいか、シャルアン様の検分が済むまでの間、神池ターカの周囲に近づくことを禁じます。破ればどうなるか分かっていますね?」

「か、畏まりました」

(ライナーマがこんな強い調子で何か言うのを初めて見た)


 いつも穏やかで控えめな性質の乳母子ダナイェンが少し高圧的ともとれる物言いをしたことにケリファは驚いた。猟奇的な王子の奇行を村人たちの目に触れさせないようにするためだろうか。だとすれば巷にシャルアンの正体が広まっていないのにも合点がいく。


(こんなに目立つ歩く人間凶器なのに)


 ケリファが馬上のシャルアンを睨めつけていると急に彼が振り向いた。慌てて自身では完璧なつもりの何気ない素振りで明後日の方向を向いたのだが、何やら察知されたようで身を屈めた王子に高い位置でまとめた髪を引っ張られた。

 小さく文句を言いながら頭を押さえたケリファは、視線を逸らせた際に発見したものが気になって歩き出した。


(なんだろ、あれ?)


 ある家の陰から半径1ユナルほどの竹製の柵が顔を覗かせている。その近くには籠に入れられた数羽の鶏の姿があった。


(普通の鶏とは少し違う?)


 首をすらりと伸ばした鶏は鶏冠が小さく、引き締まった体躯はもちろんのこと、見るからに強靭な脚を持っていた。それに何より他の鶏とは決定的に違うものがある。


(……目が猛者の目をしている)


 籠の中の鶏たちは、なんというかあっちで千人切ってきましたというような風格を醸し出していた。興味津々に見つめるケリファと目があった猛者はゆっくりと頷くように頭を上下した。それがまた歴戦の強者っぽい雰囲気を醸し出している。

 さらによく見ようとケリファが一歩踏み出した時、一人の男が立ち塞がった。いや、立ち塞がったというよりは、休止していた作業を再開させようとしたという体だ。


「あ」


 ケリファが思わず声を漏らすと、男は何の用だとでも言いたげな視線を向けてきた。


(む。なんだか嫌な目)


 男の目は、どんよりと濁っていて溌剌としたところが微塵もなかった。年齢的に溌剌とした年頃ではなかったが、村の同年代の年頃の男たちと比べても明らかに覇気がない。その癖、目の奥には何かしらの暗い熱が熾火みたいに燻っている。


「おい、何をしている。行くぞ」

「なんでもない」


 ケリファはシャルアンの声がかかったのを良いことに元の場所へ駆け戻った。


(な、なんなのだ。あの男は)


 男の目の奥の暗いものは恐らく自分に向けられてはいないだろう。しかし、この世には例え自分とは無関係でも無性に気分の悪くなるものがある。それを目の当たりにしたケリファは無意識のうちに腕をさすった。


「どうした? 風邪か? 馬鹿は風邪を引かないと聞いたが、誤りだったようだな」

「馬鹿とはなんだ! 風邪ではない! 風邪など引いたこともない!」

「では、なんだというのだ」

「……あの男はなぜあんな――」

「ああ、あれか。闘鶏だろう。恐らくあの男は胴元か賭博狂だ。俺の勘では賭博狂だな」


 村を突っ切った先にあるらしい神池ターカとやらに向かうため、馬上へとケリファを抱き上げながらシャルアンは事も無げに言った。どうやら彼も見ていたらしい。


「闘鶏?」

「知らぬのか? まあ、確かに婦女子には好まれまい。お前が普通の婦女子かどうかは別にしても」

「やかましい。それで、闘鶏というのは?」

「専用に交配した種の雄鶏同士を、彼らの激しい闘争心を利用して闘わせるのさ。古くは勝敗で吉凶を占う神事であったが、今となってはただの娯楽だ。俺は好かぬがな」


 背後で辻斬り王子が『他者を、それも畜生同士を闘わせてそれを眺めているだけだぞ? いったいどこが楽しいものか』とかなんとか言っているのを聞き流し、ケリファはもう一度鶏たちの方を見た。

 既に竹の囲いが広場の片隅に引き出され、その周囲に先程までシャルアンらを取り囲んでいたと思しき村の男たちがぞろぞろと集まってきている。中心にはあの賭博狂がいて1羽の鶏を大事そうに抱えていた。

 賭博狂の目の奥の熾火は今や燃え上がり、そこには度を越した執着や制御できない衝動、渇望するもの以外への冷淡さが混然一体となって存在していた。

 それ以外にも何かが潜んでいそうだったが、ケリファには分からない。


「……なんと、まあ、不健全なこと」

「あれの往く道だ。気にするな。この世は気にしても詮無いことで満ちているぞ」

 シャルアンがぽつりとこぼした言葉がケリファの胸に落ちてきて重くわだかまった。




「これが神池ターカ?」


 集落を横断した先に存在するそれは、美しい光景だった。絢爛たるスメールの大宮殿や華と咲く天上の風物を見慣れているケリファが賛嘆の声を漏らすほどに。

 玻璃の世界を思わせる澄んだ水を湧き立たせる池が、大地を潤す天水によって育まれた常盤色の枝葉の宝冠に見守られている。その清げなる様を恋うかのようにシダが垂れ、蔓が帳のように連なっていた。

 静やかなる水面は陽光を浴びるごとに千変万化の神衣の如くに縹色や孔雀青、浅緑に青磁色、はたまた水浅葱と表情を変えた。一切の濁りなく見透かすことができる水底では群れなす小魚の腹がきらり、きらりと輝く。

 冒し難い静寂に包まれた神池ターカからは、ひんやりとした清冽な空気が漂ってきていた。ただ人であってもふと心身が引き締まるだろう、そんな空気だ。


(ふむ……たしかにここは聖なるものに属するところだ)


 最近忘れがちだが、一応女神たるケリファは感心して頷いた。ここに神がいるかいないかは別として、人間が無闇に踏み荒らしてはならない聖なる場だ。この神を宿すという池は、紛うことなく神聖な厳かさに満ちている。

 ただし――


「わー透明だから底まで見えるー」


 ここに蛇神ガナンダの化身たる大蛇など絶対にいないだろう。傍らの木を支えにしてかなり遠くまでを視界に入れたケリファは確信した。

 水の透明度が高すぎてどこかに得体の知れない存在が潜んでいるという気配は全くなかった。どこを見ても、見えるのは小魚や堆積した木の葉や枝々、石だけである。

 万一何か大きな生物がいたとしても動くたびに水底の砂を巻き上げてしまい、その生物は自身の存在を盛大に主張することになってしまうに違いない。

 ケリファはライナーマらが馬を繋ぎに行っている隙にこっそりとシャルアンに言った。


「……悪いことは言わない。早々に見切りをつけて帰ろう。この様子では絶対に何も出ないぞ。然るべきものを母君の宴に持参するなら、ここで時間を無駄にするより、別のものを探した方が賢明だ」


 女性たちの悲鳴地獄を断固阻止すべく立ち向かってみたのだが、猟奇的な王子も然る者、動じた様子もなく口の端を吊り上げた。


「聞くところによると神池ターカの奥には、生い茂る草木に隠された洞の入り口があるらしい。いるとするならそこだろう」

「ま、まさか、潜る気か!?」

「それは最終手段だ。まずは周囲の探索から始める」


 聖なる場所を踏み荒らす気かとケリファが慌てたが、さすがの非常識男もいきなりそんな大それたことを仕出かすつもりはなかったようだ。


(いや、でも、『最終手段』とか言っていたし、結局潜るつもりなのだな。い、いけない。その前に何としても止めなくては)


 密やかに固く心に誓ったケリファは、どうやってシャルアンの暴挙を阻止するか悩み始めた。


(力尽く……は、喜ぶから却下だ。ダメだダメ。うーん。どうしたものか。あ、そうだ。どうせこの王子のことだ。大蛇が出ると聞いて面白がっているのだろうから、何か他の面白げなものを与えてみるとか。例えば、武器を手にした直立二足歩行の亀とか)


 ――それなら大蛇が存在する確率の方が高い。ケリファは自身につっこんだ。


(それとも大蛇を自身の収集物に加えたい一心か? あの収集狂め。それなら代わりを与えても意味がないか)

「…………」

「………………な、なんだ。そ、その目は」


 思索に没頭していたために気づかなかったが、いつの間にか、ゆるく腕組みしたシャルアンがこちらを無言で見下ろしていた。

 王子の銀の髪が、暁色の眼差しが日に透けて幻想的な色合いになっている。彼の目に映る自身の髪や目も常とは異なる色合いになっているのだろうか。ケリファの現実逃避に花が咲いた。

 ――静かな木陰に二人きりといえば聞こえはいいが、ケリファとシャルアンの間に浪漫的なものはまったくない。


「武器を手にした直立二足歩行の亀だと?」

「あっ! こ、心の声を読んだな!? いやいや、まてまて、もしかして口に出していたのか、わたし!?」

「そんなものがどこにいるのだ」

「いや、その、あのぅ、えぇと」

「是非とも連れ帰らねば。ああ、檻はひとつで足りるだろうか」

「いないいない。いないから! やめてこれ以上変な気を起こさないで!」


 俄然燃えてきたらしい希少動物愛好家の腕を掴んでケリファは必死に引き止める。のみならず乳母子ダナイェンらが駒留めに行った方へ向かって叫んだ。


「ラ、ライナーマ! 皆! ご、ご乱心だ! 早く来てぇぇぇぇ!」


 直後、ライナーマをはじめとして私兵団の面々がすっ飛んできたのは、言うまでもない。

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