2 居眠り厳禁
「行き先が決まった。支度しろ」
その日の朝、先程までケリファが寝ていた寝台へと突き立てた
彼の
「人の寝首掻きに来て第一声がそれか!」
「査定だ。腕が鈍っていないか定期的に確認する。ただでさえお前は俺に対し手を抜く傾向にあるからな。他の者よりも厳しめにいく」
「まだ召し抱えられて10日だぞ! 手を抜いているわけではない! 汝に対して危害を加えたくとも加えられないだけだ!」
「ほう、とすれば俺に危害を加えたいと目論んだこともあったというわけだな?」
「ここで是と答えたら『不逞な輩め、手討ちにしてくれる』とか言って、済し崩し的に手合せに持っていく魂胆だな。その手には乗らん」
同様のことを既に数回やられているので、さすがに学習したケリファは冷たく一蹴した。まったく権力の乱用も甚だしい。同僚たちの頭から頭髪が集団で脱走したとしてもおかしくはない悪行三昧であった。
(気の毒なこと。この取扱注意王子は彼らに抜け毛手当を支給すべきだ)
掛け布を体に巻きつけたケリファは、枕を勢いよく元の位置に戻して窓の中に視線を走らせる。蚊帳の中から透かし見ていることを考慮に入れても外はまだ薄暗い。
「よし、二度寝しようっと」
ケリファは糸芭蕉でできた寝台に転がった。この丈夫な繊維を編んで作った寝台は非常に頑丈であり、先程の攻撃にもびくともしていない。目を閉じるとすぐに心地良い微睡みがやって来る。
しかし、心臓を氷の手で掴まれるような悪寒に襲われて勢いよく身を翻せば、再び穴が開いた寝具を茫然と見つめる羽目になった。
「聞いていただろう、早く支度しろ」
「いい加減にしろ! そもそも、こんな朝っぱらからどこへ行くのだ!」
偉そうな犯人を怒鳴りつけてケリファは寝台に仁王立ちする。
猟奇的な王子の端正な顔を見下ろすという滅多にない機会だが、それを楽しむ余裕などない。王子のわけの分からない行動で睡眠を邪魔されて怒り心頭なのだった。
対するシャルアンは悠然たる面持ちで
「宴の準備だ」
「宴の準備ぃ?」
宴とは、おそらくシャルアンの母である王妃に招かれた望月の宴のことであろう。
(確かあれは結構先の話では?)
うっかり自分も参加することになってしまった手前、開催される日時はしっかりと記憶している。それまでのすっぽかしが祟って文でなく王妃直々に出席を促されたシャルアンは自分以上に記憶しているはずであったが――
ケリファが日出ずる薄明りの中、シャルアンの様子を窺うと彼の白皙は何やら非常に楽しそうに輝いていた。
(ますますおかしい。あれほど出席を渋ってぐずぐず言っていたのに)
王妃が去って行った後、二人して思わず黄昏れてしまったのが嘘のように今の彼は驚くほどやる気に満ちている風に見える。
「本当に汝はどうしたのだ? そんなに宴が楽しみだったとは、初耳だ。もしかして頭でも打ったのか? でなければ、なにゆえ、やる気満々なのだ?」
「宴の準備とは楽しいものだ」
シャルアンが清々しいまでに一片の淀みもなく言い切ったので、ケリファは腹の底から嫌な予感がこみ上げてきてため息を吐いた。
「……今度は何を企んでいるのだ、汝は?」
パヴァルナ王国南部の
ヴィンドラの城門を出てドーラー川沿いにひとしきり進み、そのまま道形に背の低い草木と高い椰子の木が両側に立ち並ぶ道を行くと、豊かな実りを育む緑が辺り一面を埋め尽くす水田地帯に出た。
ところどころに作業用の素朴な小屋と田畑をならすための水牛、水田のごみをさらう農民たちの姿がある。強い日差しから身を守るための木陰を作るためであろうか、田の周囲や中にはぽつんと木がそびえ立っていた。田畑の間を縫うように用水路が走っているが、これはドーラー川から引かれているらしい。その水路から各田に設けられている小さな堰を開けて水を引き込んでいる田もあった。
空は晴れてはいたものの、遠くの方では雨季の雲が低い位置に見えるので、もしかしたら一雨来るかもしれない。
(以前に比べるとずいぶん治安が悪くなったと聞いたが、このような風景も残っているのだな。いいことだ)
ヴィンドラの繁栄の証のように続く穏やかな風景を飽くこともなく眺めていたケリファだが、とうとう耐え切れず小さな声を漏らした。
「……尻が痛い」
「文句を言うな」
慣れない乗馬にケリファが根を上げているその後ろでシャルアンがだるそうに言った。彼は自身の姿を目にした農民が頭を垂れるのに軽く手を振って応えながら続ける。
「せっかくこの俺が同乗させてやっているというのに」
「ひ、一人でも乗れる!」
「2、3
「うぅ!」
「しかもその度に泥だらけときている。着替えのためにさらに出発が遅れたのを、まさか忘れたわけではあるまい?」
「ううぅ! その節は皆様に大変なご迷惑を」
ケリファは着替えを手伝ってくれた女官や、新たに仕事を増やしてしまった洗濯物を担当する使用人に重点的に詫びた。
「まったく、お前を前に乗せているからだらけられないではないか」
「わ、わたしはライナーマに乗せてもらうと言ったのに!」
「残念ながらライナーマよりも俺の方が馬の扱いが巧みなのだ。また落馬されて時間を取られては困る」
隣を行く
「今からでも遅くない! 乗せてくれ!」
「いや、ちょっと、それは」
ご遠慮願いたいとライナーマは全身で厄介ごとを拒否る。はた迷惑な主従は、なるべくひとつにまとめておきたい。そんな意図が如実に感じられる。
(あれ? わたしも厄介ごと!?)
思わず首を捻るケリファと、シャルアンを乗せてぽくぽくと馬は進んでいく。確かにシャルアンの馬術の腕は素晴らしいもので、人と馬が一体といってもいいくらいの滑らかな動きだ。
「あとどのくらいで目的地に着くのだ?」
「もう少しだ」
「もう少しってどのくらい?」
「もう少しは、もう少しだ」
「答える気がないな!?」
「おい、暴れるな。落とすぞ」
また泥だらけになってはたまらないのでケリファは大人しくなった。
しかし、顔全体で不満を表明しているため、気を使ったライナーマが取り成すように微笑んだ。
「このまま行けば村まではあと20
「本当か? そのサットン村とやらは結構遠いのだな」
「そうですね。騎馬のみであれば、もう少し時間を短縮できるのでしょうが」
ライナーマが言葉を切って背後を見やったのでケリファもそれに倣った。
彼らの後ろにはシャルアンの私兵団が十数人ほど騎馬で続いている。これはさして不可思議なことではなかったが、その最後列に奇天烈なものがあった。
「さすがにあの大きさのものを運ぶとなると時間もかかりましょう」
ライナーマの言葉通りかなりの大きさだ。皆が騎乗している馬よりもがっちりとした体格の牛に引かれた荷車に乗せられているそれは、巨大な檻だった。ただし中は空っぽである。
檻については、先程から農民たちの「なんだ、あれは?」というような視線を集めてはいたが、この一般には勇猛で鳴らした王子のすることであるから、何か人に悪さをする獣でも退治するのだろうという好意的解釈を取られているのだった。
「解せん。明らかにおかしいだろう、あれは」
思わずケリファがぼやくとライナーマも釣られて頷きかけたが、シャルアンの無言の圧力で押し黙った。
「ところで、例の話……本当なのか?」
ケリファは子どもたちが用水路にいる魚を捕まえているのを興味深げにしばらく視線で追っていたが、ふと思い出したかのように問うた。
「例の話とは?」
前方を見据えたままのシャルアンが気のない声で返してくる。ケリファがそろそろと彼を見上げれば、今にも大欠伸をしそうな、非常に眠そうな顔をしていた。
「……ここで眠るんじゃない」
「起きている」
「声が完全に眠い感じの声じゃないか!」
「安心しろ、俺は眠っていても落馬することはない」
「やめて! 目を開けて!」
手綱を握るため腹に回されたシャルアンの腕をケリファが必死に揺さぶると、ほぼ閉じかけていた王子の目蓋が開いた。
「なんだ、うるさい奴だな。人が心地よく微睡みかけていたというのに」
「馬上で微睡むな! せめてわたしが乗っていない時にするんだ!」
「いえ、あの、そこは、常時馬上での居眠り厳禁とお諫めして下さらないと」
ライナーマが小声でダメ出ししてくるのを無視し、ケリファはこの我道を爆走する王子に説教してやるとばかりに腕を組んだ。
「だいたい朝も早よから人を叩き起こしておいて、自分は眠くなったら眠ろうとするとは、どういう了見なのだ」
「眠いならお前も眠ればいい。いつなりとこの胸を貸してやろう」
「やめてこわいこわいこわい!」
同乗しているためにどうしても身体が触れ合う形になってしまうのだが、わざと一段と体を密着させてくるシャルアンをケリファは必死で押し戻した。あえなく説教は失敗に終わる。
(……は、破廉恥な!)
ケリファが身震いしていると、笑い混じりの声が降ってくる。
「人の親切を無下にするとは、無礼な奴」
「お、押し売りと言うのだ、あれは!」
「あ、サットン村が見えて参りましたよ」
また益体もない小競り合いに発展しかけたのでライナーマが慌てて割って入ってきた。
ケリファはこの行列を目にして集まってきたらしき村人たちを眺めながらつぶやいた。
「……どう見ても普通の村だが、あんなところに本当に出るのか?」
「出てもらわなければ困る」
独り言に近いつぶやきだったが、真後ろにいるシャルアンにはきっちりと聞こえていたようだ。いつもの物憂げな声とは違うわずかに弾んだ声が返ってきた。
「大人の身の丈を優に超える大蛇?」
ありえない。その言葉をはっきりと口に出すことはなかったが、ケリファの声調子は多分に疑念を含んでいる。
「しかもその大蛇を宴の余興に引き出す?」
なんと、シャルアンはいるかいないかもよく分からない大蛇を王妃主催の望月の宴への手土産にするつもりなのだ。わざわざ檻を運んできたのは、こういうわけだったのである。
さらにありえない。何を考えているのか、この王子は。シャルアンの方へと振り返るケリファの眼差しは目一杯呆れを含んでいる。呆れというか、むしろ偉大なる馬鹿に注がれる讃嘆めいてもいるような、いないような。
(最初にこの話を聞かされた時も驚いたが、今もまだ驚きが尽きないことに驚く)
そんなケリファの眼差しを意にも介さないシャルアンはどことなく得意げである。珍しい生き物を愛でるという自身の趣味が、ちょっと特殊な方向に走っていることに気づいていないみたいだ。
「宴は大盛況間違いなしだな」
――確かに大盛況だろう。悪い意味で。
女性たちの阿鼻叫喚で満ち溢れそうな宴の席を思ってケリファは、ここは身命を賭してでもやめさせるべきか悩み始めた。
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