Episode5: 息子の星

 ついさっき。夕日が西の空に沈み、夜がやってきた頃のこと。家の近くがぱっと明るくなって、わずかに揺れた。村の人間が少しだけ興奮気味に「星が落ちてきたぞ」と話しているのが家の中まで届いてくる。

 たいていの星は、村などの人が多い場所ではなく、森や野原に落ちる。時には北の険しい山に落ちることもあるという。理由は定かではないが、おそらく人とぶつかる可能性を考えてより安全な場所へ落ちているんだろう。星に意思があればの話だが。

 となると、ずいぶんと酔狂な星が落ちたものだ。小さいとはいえ人々の住んでいる村の、まだ寝静まっていない頃合いにわざわざ落ちてくるなんて。そう思った。

 その星が、今目の前にある。

「ミラさん、ですよね? 息子さんの星です」

 まだ強い光を放つ星は、ひどくいびつな形をしている。差し出してくる少女の手には大きすぎるくらいの、石というより少し小さな岩といったほうがいいんじゃないかというくらいの大きさだ。

「…………イザル、の?」

 息子と呼べるような人間は、たった一人しかいなかった。私の言うことをちっとも聞かない、無鉄砲な息子。四年前に家を飛び出していったきり、一度も帰ってこなかった。

「はい、さっきこの近くに落ちた星ですよ」

「知って、います……」

 戸惑う私をよそに、星拾い人の少女は無邪気に笑う。こんなに近くに落ちるなんてよっぽどおうちに帰りたかったんですね、なんて残酷な言葉を付け加えて。こちらの事情を、何ひとつ知らずに。

 少女の手から星を受け取ると、不思議とそれがイザルだと分かった。私の記憶にあるあの子は、まだ幼い顔で笑っている。今は十八歳だっただろうか。ずしりと重い星を見つめて、ああこの子はもう年を取らないのだと思い知る。

 この子はもう、死んでしまったのだ。

「本当に、親不孝な子どもね……家を飛び出して、ずっと連絡も寄こさずに、こうして、親より先に死ぬなんて」

 自分の声は、思った以上に落ち着いていた。何故だろう。不思議と、素直に涙が出てこない。

 家を飛び出した後、まったく帰ってこない様子からして、イザルは島の外へ行ってしまったのだろうと思っていた。主人を亡くしてからというもの、女一人で立派に育ててやらねばときつく当たっていた私から逃げるように出ていったイザル。もっと別のやり方があったのかもしれないと気づいた時には、もう遅かった。

「連絡もなく……?」

 少女が首を傾げて、小さく呟いた。

「四年前に家を出ていったの」

 苦笑しながら答えた。ごつごつとした星を撫でながら、心の中で「ごめんなさい」と呟く。あなたを親不孝と言う資格は、私にはなかったわね。子どもを、あなたをしあわせにしてあげられなかった私には。

「……星拾い人のお嬢さんとお兄さん、よければ少し、話を聞いてくれませんか?」

 このまま一人になりたくない。ただそれだけの理由で二人を誘うと、少女は嬉しそうに笑って頷いた。青年は少女の反応を見て小さくため息を吐き出したが、結局は少女の決定に従うようだ。彼は淡く微笑みながら、小さく「おじゃまします」と呟いた。



 イザルは、主人にとてもよく似ている子どもだった。

 赤い髪も、頬に浮かんでいるそばかすも、自由奔放で結果を考えずに行動してしまうところも、本当に何もかもが生き写しだった。主人はイザルが五歳の時に亡くなって、父親の記憶なんてたいして残っていないはずなのに。

 私は頭が固くて、融通が効かない人間だった。それは今も変わっていない。時間通りに、規則通りに、きちんと生活しなくてはダメ。毎日ほとんど同じ時間に同じことをする。そうするのが当たり前だった。主人と二人、お互いの不足分を補い合ってイザルを育てられれば良かったけれど、主人はいない。私は妙に重くなった責任を負いながら、この子を立派な大人にしなければとだけ言い聞かせていた。大切なあの人の忘れ形見なのだから。

「イザル、今日の分の勉強が終わってないでしょう。ちゃんと済ませてから遊びなさい」

 玄関から今にも外へ駆けだしそうな息子を呼びとめて、叱りつける。イザルはゆっくりと振り返った。唇を尖らせて、見るからに不満そうだ。

「だって、友達がまってるし……」

「言い訳するんじゃありません。約束していたなら、ごはんを食べてすぐに勉強していれば良かったでしょう。ごろごろとだらけているからこうなるんです」

「わかった……」

 イザルはぶつぶつと口の中で何か文句を言って、大人しく机に向かう。私はため息を零して洗濯物を干しに行った。こんなやりとりはいつものことで、イザルは何かを理由にして勉強から逃げようとする。森へは子どもだけで行ってはいけないと言い聞かせているのに、冒険だ、探検だと言って泥だらけになって帰ってくる。この間なんて星を探しに行くんだとこっそり夜中に抜け出していた。とんでもないことだ。

 本当に私の息子なんだろうかと思ってしまうくらいに、予想外の行動ばかりをとる。けれどそれは夫の面影を感じさせてくれるものでもあり、少しだけ嬉しくもある。振り回されてばかりで、そんな感情を表に出せるほどの余裕はなかったけれど。

 十歳くらいまでは、私がきつく言ってもしぶしぶと従っていた。けれど思春期と呼ばれる年頃になると、私の言葉のほとんどに反発するようになり、イザルとの親子喧嘩は絶えなくなった。

「イザル、もう夕飯よ。どこに行くの?」

「外。夕飯もいらない」

「ちょっと、イザル!」

 私が話しかけても素っ気なく答えるのがほとんどで、叱りつければ逆に怒鳴られる。それでもこんな日々が続くのは今だけで、そのうちに理解してもらえるだろうと考えていた。自分の愛情がイザルに伝わっていないなんて、考えたこともなかった。私は私なりに、精一杯に愛を注いできたつもりだ。

 だがその愛を、イザルは欠片も感じていなかった。そういうことだったのだろう。


「本当にイザルはお父さんにそっくりね。言うことも行動も、同じなんだから」

 口癖のようになったそのセリフを、何気なく私が言うと、イザルがきっと睨みつけてきた。

「――いいかげんにしてくれよ!」

 声変わりで、以前よりずっと低くなったイザルの声が、家の中に響いた。

「俺は父さんじゃないんだよ! 毎日毎日バカみたいに同じことを言うなよ!」

 まっすぐに私を睨む目には、やさしさなんてない。突然のことに驚いて声が出なかった。

「父さん父さんって、うるさいんだよ! 父さんと同じじゃなくちゃ、俺がやることは何一つ気に食わないんだろ! なんで俺の行動をあんたに決められなくちゃならない! 俺はもう子どもじゃないんだ。自分のやりたいことは自分で見つけるし、自分のことは自分でやれるよ!」

 私を拒絶するような声に、ただ茫然とした。この子は、こんなに大きかったかしら。いつの間にか私の背を超していた。

「うっとうしいんだよ! 息苦しい!」

「イ、イザル!」

 吐き捨てるように叫んで、イザルは家を飛び出した。走り去る背中を見つめながら、日が暮れれば帰ってくるだろうとも思った。お腹を空かせたら、寒くなったら。子どもの頃のようにごめんなさい、と言って。しかしイザルは、日が暮れても、夜が更けても帰ってこなかった。

 何も持たずに出ていったのだから、頭が冷えれば帰ってくる。自分に言い聞かせて、努めて平静を装った。慌ててはいけない。私がしっかりしないと。

 しかし数日後、家の中からイザルの持ち物だけがいくつか無くなっていることに気づいた。私が留守にしている間に家に戻って、荷物をまとめたんだろう。この時になって、ようやくイザルはもう帰ってくるつもりがないのだと知った。十四歳の彼に何が出来るというのだろう? まだまだ私の庇護下にいなければならない年だというのに。けれど現実は私よりも冷静な事実を伝えている。十四歳でもお小遣い稼ぎに働いている子はいる。私の言いつけを守っていたイザルには、幼い頃からの貯金がそれなりにあった。

 子どもを弱い生き物だと思うのは、親の幻想なのかもしれない。イザルにはどうにか自立できるだけの力があった。本当ならば親元でもっともっと力を蓄えるべきなのに、イザルは早い巣立ちを望んだ。私が望ませてしまった。


「ミラさん、お宅のイザルが家を飛び出したって聞いたけど、大丈夫なのかい?」

「港町でイザル君の姿を見たって人がいたわよ?」

「あら、この間は東の村にいたって聞いたけど?」

 近所の人々は親切にもイザルの情報を教えてくれる。どこで見かけた、何をしていた、それらを聞くたびに私はほっとしていた。元気でいるのね、と思いながらイザルを見つけて連れ戻す勇気はなかった。

「いいのかい、放っておいて」

「ええ、その、あの子も頭が冷えれば戻ってくるでしょうし、これもいい経験になるかもと思いまして」

「そうねぇ、若いうちに苦労しておくべきよねぇ」

 たいていの人は誤魔化されてくれたし、私は困った息子に振り回されている可哀想な母親であった。お宅も大変だね、母一人子一人だっていうのに。そんな言葉に微笑んでおけば、私の犯した罪は暴かれずに済んだ。ひどい母親だとなじられずに済んで安堵していたのだ、私は。愛した人の影を追って、子どものことをちゃんと見ていなかった。そんな愚かさに気づかれずに済んだ。

 妻としては人並みだったかもしれない。けれど、母親としては間違いなく私は失格だった。



 一通りのことを吐き出すと、胸につかえていた何かがすとんと落ちたような気がした。私はずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。家を出ていったイザルが悪いんじゃない、私が悪かったのだ。愛情の示し方を、私は間違えていた。イザルが家を飛び出すまで気づけないほど、私は愚かだった。

「イザルの星だって、私のところよりももっと行きたいところがあるのかもしれないわ。こんなひどい母親より、大切な人はいたでしょう」

 ごつごつした星を撫でながら、私が独り言のように呟くと、星拾い人の少女は首を横に振った。

「いいえ、イザルさんが帰りたいと望んだのは、間違いなくミラさんのもとです」

 そうかしら、という否定的な問いも許さないくらいにはっきりとした口調だった。少女はイザルの星を見つめて、やわらかく笑う。

「きっと、本当はずっと帰りたかったんだと思います。ミラさんが自分を責めるように、イザルさんも反省していたのかも。でも素直に謝るには勇気が足りなくて、家に帰れずにいて」

 死んでしまって、その言葉だけ声が小さくなる。

「だから星になって、真っ先に家の近くへ落ちたんだと思います。星になった人にもある程度の意志があって、落ちる場所に意味があることも多いんです。ミラさんのことを今でも憎んでいたら、こんな傍に落ちるわけがないですよ」

 それは私にとって、すごく都合のいい言葉だった。誰かにそう言ってほしかった。もう聞くこともできないイザルの声を、誰かに届けて欲しかった。

 ぽたりと涙が落ちる。悲しいから流れる涙ではなかった。イザルが、星になっても戻ってきてくれたことが嬉しかったのだ。

「……おかえりなさい」

 ようやく言うことができた言葉は、かすれている。


「おかえりなさい、イザル」


 ごめんなさいもありがとうも詰め込んで、もう一度ゆっくりと、確かに、一番言いたかった言葉を告げる。星はまるでただいま、と言うようにやさしく光った。



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