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「旬、ゆのかそれとも由香ちゃんに、山口が店に来たら連絡くれるように頼めねえか」

夕刻、戻ってきた旬は佐久間に言われた。

「大丈夫だと思いますよ。まあ、ゆのさんに聞いたんで、ゆのさんがいいかと思いますけど」

「やつらの写真がほしいんだってさ」

「はあ、でも土曜日ですよ。奴が来るのは。また土曜日仕事ですか」

「ばかやろう。経費で呑めるなんてこれ以上いいことねえだろ」

「まあそういうことにしておきます」

「じゃあゆのに頼んでおいてくれ」


 朝10時に湯本沙織はコンプライアンス室を訪れた。

 近くにいた職員に黒木の席を教えてもらい、黒木の席の前に立った。

「湯本ですが」社員録では27歳となっていた。おとなしそうではあるが、凛としたロングヘアの女性だった。

「悪いね。わざわざ来てもらって。あっちで話そう」

 黒木が席を立ち、後から湯本が続き、会議室へ入った。会議室へ入り、席に座ると黒木は印刷された投稿を湯本に見せた。

「これって君の投稿だよね」

「ええ、まあそうですけど。本来匿名で投稿できるはずですよね」コンプライアンス室ということもあるのだろうか沙織は少しおどおどした表情をしながら尋ねてきた。

「まあ、そうなんだが。事件になってからでは遅いんでね。申し訳ないが調べさせてもらったんだ。もちろん君からの投稿ということは秘密だ」

「はあ」

「それで、詳しいことが聞きたいんだ」

「詳しいことと言われましても、そこに書いてあることが全てですけど」

「これはいつごろの事だい?」

「1ケ月ぐらい前でしょうか」

「そんなにおかしな感じがしたのかい」

「はい。それまで早期退職者の面接が続いていて、吾妻課長もずっと塞ぎこんだりしてたんです。それなのに急に元気というかハイになったというか。本当にまるで薬でもやったかのような。目もおかしかったんです」

「その時だけかい」

「その前の1ケ月ぐらい前にもそんなことがあったんです。それでこれはおかしいと思って投稿したんですけど」

「なるほど。そのあと入院してしまったんだ」

「ええそうなんです」

「君以外にも気付いている人はいなかったのかい」

「人事の女子社員の間では少し変だねというような噂にはなりましたね」

「それで君が代表して投稿したということかい」

「はい。本当に薬でもやっていたら大変だから、私投稿してみるねとはみんなに言いました」

「ありがとう。助かるよ。それでお願いなんだが、これからまた吾妻課長の様子がおかしい時にはメールでいいんで、直接連絡をくれないか」

「わかりました。いいですよ」

「宜しく頼む。それと君は吾妻課長の部下だよね」

「ええそうですけど」

「早期退職者勧告リストも関わっているのかい」

「いえ、あれは課長が一人でまとめています」

「ああそうなんだ」

「それが何か?」

「いや、いいんだ。今日はありがとう。もう戻ってもいいよ」

「はい」

 沙織は黒木に一礼をして戻っていった。


 今日も旬は事務所の仕事を終えると、クラブジーンの送迎のバイトをしていた。今日はゆのだけだ。ゆのが仕事を終え、店から出てくると旬の車に乗り込んだ。

「お疲れ様です」

「旬ちゃん、お疲れ」

「今日は忙しかったんですか」車を発車させながら、旬が聞いた。

「それほどでもなかったかな」

「そうなんですか。あのう、この前言ってた山口さんいるじゃないですか」

「うん。山口さんがどうかした?」

「山口さんが店に来た時教えてもらえませんか。僕の携帯番号教えるんで」

「いいわよ。でもLINEの方がいいかも」

「そうですね。この携帯でID交換しておいてもらっていいですか」旬は自分の携帯を後部座席のゆのに渡した。

「了解。でもいつも私いるとは限らないわよ」

「土曜は大体出てますよね」

「まあ、そうね」

「なら、ゆのさんいる時だけでいいですから」

「いない時は由香ちゃんに言っておこうか」

「いいんですか?」

「いいわよ」

「ありがとうございます」

これで万全だ。旬はゆのは自宅まで送り自宅に戻った。


 黒木は仕事を終え、帰宅しようと腕時計を見ると夜8時をまわっていた。エレベータで1階へ降り、ロビーから玄関を出ると、もう辺りは陽も暮れてロビーの明かりだけが外に漏れている。玄関横の関係者入り口付近には何台かのトラックが止まっていた。

 パソコンなどをトラックから運び出している。そういえば田端恵が今週システムの入れ替えがあると言っていたな。こんな遅くまで大変だな。

 そう思いながら見ていると、その中に一台のトラックを発見した。良く見ると中古パソコンジャンクと隅の方に社名が書かれている。中古パソコンジャンク.....山口が出入りしていたというパソコンショップの名だ。取引先ではなかったはずだが...おかしいな。陰に隠れて少し見ていると、青色の作業服に帽子を被った従業員とおぼしき人物二人がパソコンを荷台に運び込んでいる。黒木はスマホを取り出し、なるべく顔が撮れるようにズームアップして撮影した。


 翌朝、黒木は恵に内線電話を入れてみた。

「情報システム部社内システム課田端です」

「もしもし、コンプライアンス室の黒木です」

「ああ、黒木さん。どうしました?」

「いつもいつも申し訳ないんだけど、情報システム部の取引先リストって入手できるかな」

「会計システムのマスターでよければ」

「メールで送ってもらえるかな」

「いいですよ。10分ぐらいで送ります」

「ありがとう」

 10分程待つと、恵からのメールが送られてきた。

 添付されていたリストを開けてみた。やはり中古パソコンジャンクという取引先はリストにはなかった。

 もしかして、山口は社内の不要になったパソコンを横流ししているのか?山口を呼び出して直接聞き出した方がいいのか。それともそのショップに出向いてみようか。両方とも口を割るまい。どうしたらいいものか。

 

 土曜の夜旬のLINEにメッセージが入った。ゆのからだった。

"山口さん来てるよ。他に3人連れて"

旬はメッセージを返信した。

"ありがとうございます"

 旬は事務所に電話を入れた。佐久間は事務所にいると言っていた。今日は既に送迎のバイトは休むと伝えてある。

「所長、山口がジーンに顔を出したみたいですよ」

「そうか。それじゃあ先行ってるから、後からおまえも来い。盗聴器と盗撮カメラを持ってな」

「わかりました」

 旬は盗聴器と盗撮カメラ、iPadをバッグに入れ、スマホを手にすると、アパートを出た。

 佐久間は旬からの電話を切ると、黒木の携帯に電話を入れた。

「黒木さん、山口が何人かでクラブジーンに現れたみたいですよ」

「そうですか。写真撮れますかね」

「多分大丈夫だとは思いますが、黒木さんも来ますか?」

「いや私は顔が割れてるので、私が顔を出すと山口も警戒するでしょう。佐久間さんにお任せします」

「わかりました」

「期待しています」

 佐久間は電話を切ると、事務所を後にした。


 旬が店に入ると、佐久間は既に店で呑んでいた。入り口に近い席だ。店を見渡すと、奥のコーナーの席で山口のグループが呑んでいる。

 佐久間には由香がついていた。

「遅いじゃねえか、旬」

「すいません、タクシーで来たんですけど道が混んでて」

「それより、席が遠くて様子がわからん。どうにかしねえとな」

「どうしましょう」

「盗聴器を出せ」佐久間が言うと、旬がバッグから盗聴器を取り出した。

 佐久間は由香に向かって言った。

「由香ちゃん。さっきまであの奥の席にいただろ。ご指名かい」

「そうなの、所長に指名されたからこっちに来たけど、また戻らなくちゃいけないの」

「えー寂しいな」

「ごめんね。所長」

「仕方ないなあ。それでな、ひとつお願いがあるんだけど」

「なあに」

「これをさ、こっそり、ソファの間にでも挟んでくれねえかな」

「何これ?盗聴器?」

「実はさ、あのうちの一人がさ結婚詐欺働いているかもしれなくてさ、調べてんのよ」

「あら、本当?山口さんと時々来てくれる人達だけど。」

「メンツ分かるかい?」

「どこだっけ?ちょっと有名な会社の主任の山口さんと、山口さんから社長って呼ばれている人。会社は違うみたいだけどね。それとそこの従業員さん。あと社長さんの取引先の外人さん。フィリピンだっけどこだったかの人、日本語しゃべれるけどね」

「なるほどな」

 その時一人の黒服が由香を呼びに来た。山口の席に呼び戻されるらしい。

「これ宜しく頼むよ」佐久間が盗聴器を由香に渡した。

「わかったわ」由香は親指を立てて佐久間に笑みを残し、山口達の席に戻っていった。

 由香の代わりにゆのと見たことのない女の子が佐久間達の席に来た。

 ゆのは佐久間と旬の間に座り、その女の子は佐久間の隣に座った。

「所長、由香ちゃんじゃなくて悪いわね」ゆのが佐久間に皮肉を言う。

「ほんとだよ。全く」

「ちょっとー」ゆのが佐久間をつねるふりをする。

「君はなんていうの?」佐久間は隣の子に声を掛けた。

「美緒です。宜しくお願いします」

「まだ若いねー。いくつなの」

「21歳です。女子大生です」

「いいね。いいね」佐久間はすっかり鼻の下を伸ばしている。仕事の事などそっちのけである。

「ゆのさん、ありがとうございました」

「いえいえ。じゃあ何か頼んでいい?」

「もちろんんですよ。今日は所長の払いですから」

「所長さん、いいの?」

「ああいいぞ。今日は経費だからな、いくらでも頼め。美緒ちゃんも頼んでいいよ」

「やったー」ゆのと美緒が同時に叫び。黒服を呼んでいる。何かカクテルを頼んだようだ。

「で、なんか成果あったの?」ゆのが旬に聞いた。

「いやまだこれからなんです」

 旬はスマホを取り出し、アプリを起動し盗聴器の音を確認した。店の中が騒々しいので声が良く聞こえない。

 イヤホンを着けると声が聞こえ出した。旬は録音ボタンを押した。

「山口さん、本当にありがとうございました。また儲けさせて頂きます」社長と呼ばれている男だろう。

「ヤマグチサン、ワタシモオレイイウネ。アリガトウ」外人さんか。

「いや、それよりまたいつものところにお願いします」山口だ。

「わかってますって。いつも通りに来週には入れさせてもらいますよ」

「あとあれは、持ってきてくれましたか?」山口が社長に聞いている。

「それはこいつが」

「モッテキマシタヨ。ゴクジョウヒンデスヨ」

 何かの受け渡しが行われたようだ。薬なのだろうか。

 旬はそーっと山口の席を見ながら、スマホで写真を撮った。

「それより、来週も宜しくお願いしますよ」社長の声だ。来週?なんの事だろう。

「ああ、水曜の夜8時にまた車をお願いします」

「もう、内緒話ばっかりでつまらない」由香の声だ。

「ごめん、ごめん由香ちゃん。もう仕事の話はしないよ」

 それからはキャバ嬢達と銘々にばか話をしているようだった。

 黒服が来て、美緒という女の子に何事か耳打ちする。指名が入ったようだ。

 美緒が、自分のカクテルの上にコースターを置き、席を立とうとする。

「ええもういっちゃうの」佐久間が美緒に声を掛ける。

「所長さん、今度はご指名で来てくださいね」そう言い残し美緒が去って行った。

「旬、どうだ。首尾は」

「まあ、何とか会話も録音しましたし、写真も撮りました」

「そうか、なんか言ってたか、山口は」

「それらしいことは口にしてましたよ」

 ゆのが二人の水割りを作りながら、聞き耳を立てている。

「それじゃあ成功ということだな」佐久間が上機嫌に言った。

「まあ何が正解かはわかりませんけどね」

「いいんだ、いいんだ。今日は飲むか、みんな経費で黒木の旦那に請求しよう」

 そこへ由香が山口の席を離れ、佐久間の隣についた。

「由香ちゃーん。寂しかったよー」

「あら、所長さん。見てましたよ。新しい女の子といい感じで飲んでたじゃないですか」

「そんなことないよ。由香ちゃんがいないから。さあ何でも好きなもの飲んで」

「あら、すいませんそれじゃあ」由香が黒服を呼んでジントニックを頼んだ。

「由香さん、山口さん達の所へは?」旬が由香に聞いた。

「また戻らなくちゃいけないけど、そろそろお開きみたいよ。あの人達」

「そうなんですか。すみませんが、今度戻ったら盗聴器、回収してきてもらっていいですか」

「わかったわ。収穫あった?」

「もちろん、これも由香ちゃんのおかげだよー」佐久間が口を挟んだ。

「それじゃあフルーツセットでも頼んじゃおうかしら。ゆのさんも食べるでしょ。」

「そうね。頂きたいわね」

「いいよいいよ。フルーツセットでもフルーツバスケットでも何でも頼んで」

 旬は結局その日は閉店までジーンで佐久間の相手をした。


 翌日、旬は昨日撮った写真と音声ファイルを自宅から佐久間宛てにメールした。

暇なのかどうなのかはわからないが、佐久間は土曜も日曜も関係なく事務所に出ている。まあ大体はわけのわからない機械を作ったりしているだけなのだが。

旬は着替えを済まし、スポーツジムに行った。


 月曜日、黒木は佐久間からのメールを受け取った。

添付されている写真の中に写る人物と自分のスマホの中の写真の人物と比べる。

 2人は同一人物だ。中古パソコンショップジャンクの人間だ。社長と呼ばれる人物と従業員がその二人だろう。

"来週もお願いします"とは何だろう、今週も入れ替えがあるのだろうか。そうであれば、山口と彼らが接触する現場をおさえることができるかもしれない。

 黒木は恵に内線電話を掛けた。

「コンプライアンス室の黒木ですが」

「ああ、黒木さん」

「先週、システムの入れ替えがあるって聞いたんだが、今週もあるのかい」

「良く知ってますね。今週も水曜日にありますよ。最終の入れ替えが」

「やっぱりそうなんだ」

「山口さん、やっぱり何かやっちゃったんですか?」恵が声を小さくして聞いてきた。

「いや、まだ」黒木は言葉を濁した。

「もし何かやれることがあれば言って下さいね」

「ああ、ありがとう」

 黒木は電話を切った。

 どうすればいいのか。佐久間から送られたこの写真で山口を問い詰めるか。でもこれではまだしらを切られる可能性がある。


 「おい旬、盗聴器回収してきたんだろうな」事務所に顔を出した旬に佐久間が声を掛ける。

「ええ、由香さんが回収してくれたんで、ここにありますよ」旬はバッグから盗聴器を取りだした。

「おう、さすが由香ちゃんだ」

「所長、もうよく覚えてないんでしょ」

「そんなことはねえよ。お前がしっかりと仕事したことは分かってる。黒木の旦那にももうメールは打ったしな。もううちがやることはねえだろ。」

「そうなんですか。もうすぐ給料日ですからね、しっかりともらいますよ」

「わかってるよ。まあ今週ぐらいには決着もつくだろ。黒木の旦那からもたっぷり貰えると思うぞ」

「それならいいんですけどね」

 水曜、黒木は時計を見ると夜8時近い。帰宅する用意をして1階に降り、玄関を出た。やはり中古パソコンショップジャンクの車は関係者出入り口近くに駐車されていた。

 関係者出入口から中に入る、警備員には胸の社員カードを見せ中に入ると、青い作業服を着た2人が廊下からパソコンを手に歩いてくる。1階会議室に集められた不要パソコンを運び出しているらしい。これでは山口との接触は確認出来ない。

 黒木は関係者出入口の受付の警備員に今日の受付表を見せてもらった。

 中古ショップジャンク 19:50 面会者 情報システム部 山口と記載されていた。

警備員に頼み、受付表をコピーしてもらう。その後会社の営業車の運転席で黒木は待った。

 1時間程すると、ジャンクのトラックが動き始めた。黒木は後を追う。30分程走ると、中古ショップジャンクの駐車場に車を停めた。黒木は近くに車を停め、様子を窺う。

 店内の灯りがついた所を見計らって、黒木も店の駐車場に車を停めた。

 黒木は店のドアを叩いた。

中から60がらみの白髪が混じった男がドアを開けた。

「すみません、今日はもう閉店なんですが」

「社長さんですか?」

「はい。社長の佐々木です。」

「私はこういうものです」黒木は名刺を渡した。男の目には動揺が走った。

「中へいれてもらって宜しいですか」

「はあ」観念したのだろうか、佐々木は黒木を迎え入れた。

「なんで私がきたのかはもう分かってますよね」

「はあ」何とも頼りない返事が返ってきた。

「うちの山口から横流しを受けているんですよね」

「.......」

「どうなんですか。まだトラックにはパソコンは積んであるんでしょう。このまま警察に通報すれば窃盗罪で捕まりますよ」

「いえ、これは山口さんから言われたんで」

「全て正直に話して下さい」

「はい。わかりました」佐々木はうなだれながら答えた。

「山口には金を振り込んでいるんですよ」

「はい」

「振り込みの控えありますよね。全て出して下さい」

「ちょっと待って下さい」男はカウンターの中に入り、10枚程の伝票を黒木に渡した。

 ざっと見ても合計すれば1000万以上の金が山口の口座に振り込まれている。

「他に薬とか渡してませんか」

「いや、それは私じゃなく、うちの取引先の海外輸出のブローカーが渡してるんで、私じゃないんです」

「その男の名前と電話番号をここに書いて下さい」黒木は自分の手帳を開け、男に渡した。

 手帳を受け取ると黒木は言った。

「あのパソコンは返してもらうことになります。このことは警察には言いません。その代り今日のことは山口には連絡しないように。約束してください、」

「はい」

「もし破ったら、山口共々警察にお世話になることになりますよ」

「はい」

「山口君とはあどういう繋がりなんですか」

「もともとはお客さんで来ていたんですが、会社でシステムを担当していると聞いて」

「どちらから持ちかけたんですか」

「最初は、数台山口さんが持ち込んだんです。買い取れないかと。そのうち大規模な入れ替えがあると聞いて、お願いすることにしました。海外へ流せばばれないんじゃないかと思って」

「中のデータはどうしてるんですか」

「それはうちで責任持って消しています。そこからばれることにもなりかねませんから」

「それは証明できますか?」

「データクリアした後のハードディスクのダンプリストを印刷してあります。それは山口さんにも渡してあります」

「そうですか」黒木は少しほっとした。情報漏洩は避けたかった。

「本当に警察には言わないでくれますか」

「うちとしても、できうる限り内々で処理したい」

「すみませんでした」

 黒木は車を置きに会社に戻った。駐車場に車を置き、会社を見上げると、既に窓の明かりは全て消えている。黒木は帰宅した。


 翌朝、黒木は上司である取締役総務部長の木内に内線電話を入れた。

「部長、すみません。お話があるので伺って宜しいですか」

「ああ、いいよ」

 個別の状況については既に毎週報告してある。

 総務部長室を訪れた黒木に木内はソファを勧めた。黒木が座り、遅れて木内が座った。

「実は、吾妻課長の件ですが、ほぼ裏がとれました」

「情報システム部の社員が絡んでいるという話しかね」

「はい。社内で不要になったパソコンを横流ししていた業者からの聞き取りも終えています。まだ社員直接からの聞き取りはこれからになりますが」

「これは業務上横領になります。できれば内々で済ませたいのですが、警察に連絡した方がよろしいでしょうか」

「薬も絡んでるんだろう。そんなことがマスコミにばれたら、うちの株価は一気に沈むぞ。それに企業イメージも落ちるだろう」

「はい。ではどうしましょう」

「人事部長も絡んでるかもしれないといった報告があったが、それはどうなった」

「それはこれから吾妻課長からの聞き取りになります」

「まあ、どっちにしろ人事部長は関連会社にでも行ってもらうほかないだろう」

「はい。では吾妻課長は?」

「自主退職で退職金を出してやればいいだろう。今後警察に捕まってでもみろ、うちの損害は計りしれない。

「情報システム部の山口は?」

「懲戒解雇は免れんだろう。まあ外部に漏らさないという念書で横領で得た金は払える分だけということにしてやってもいい。ばかな事をしたもんだ。吾妻にしろ山口にしろ、こんなことで人生を棒に振るとは」

「はい」

「とにかく、内々で処理してくれ」

「わかりました」

「あと、探偵を使ったんだったな、この案件」

「はい」

「その探偵にも外部に漏らさないよう念を押しておいてくれよ」

「既に秘密情報保持契約は結んでいますが、更に念を押しておきます」

「宜しく頼む」

 部長室を出た黒木はコンプライアンス室に戻った。


 メールを確認すると、人事部の湯本沙織からメールが来ていた。

"吾妻課長、今日はなんだか変です"

 その一行だけだった。

 黒木は人事部へ行くと、吾妻を呼んだ。

「吾妻君すまないが一緒に来てくれないか」

「今からですか」確かに目が据わっている印象だ。

「そうだ」黒木は毅然と言った。

 有無を言わせない表情の黒木に臆したのか、素直に吾妻は黒木の後に続いた。

 コンプライアンス室の会議室に吾妻を入れ、部下の槌田を呼んだ。

「槌田君。すまないがちょっときてくれないか」槌田は警察OBである。

 槌田が会議室へ入ると、二人はテーブルを挟んで座っている。

 槌田は黒木の隣に座った。

「なんで呼ばれたか、分かっているかい」黒木が吾妻に尋ねる

「いいえ」

「君、薬をやっているね」

 吾妻を俯きながら、膝に置いた手が震えている。

「いいえ。やっていません」

「槌田君、すまないが彼の身体検査をやってくれないか」

 槌田は吾妻を立たせ、ポケットを隈なく探した。

 スーツの胸ポケットから出てきたものは、小さなビニール袋に入った白い粉だった。

 槌田は白い粉をなめてみる。

「覚せい剤ですね」槌田が答えた。

 吾妻は椅子に腰を腰を降ろした。

「すみません」吾妻が消え入りそうな声で言った。

 槌田も黒木の隣に座りなおした。

「なんでこんなことをやったんだい」諭すような口調で黒木が聞いた。

「早期退職の面接のストレスに耐えれなかったんです」

「退院したばかりだというのに」

「やはり、会社に着き、ロビーに向かおうとすると足が動かなくなるんです」吾妻は既に涙ぐんでいるようだ。

「そのために薬を」

「はい」

「これは山口君から入手したものだね」

「いえ、それは言えないです」

「彼は君の見舞いに行った。何故山口君が君の見舞いに行くんだね。その時の録音もあるんだよ。それに早期退職勧告者リストから山口君の名前が外されている。これは取引なんだろ。全て話してくれ」

 吾妻は観念したのか、話出した。

「そうですか。実は以前山口君の面接をした時に、あまりにも私が疲れていたのを見兼ねたのか、山口君がいい薬があると言ってくれたんです」

「それで?」

「それで一度やったら気持ちも軽くなって、やばいものだとは認識していたんですが、あの面接のストレスから抜けられるならと、どうしても我慢できなかった時に吸ってしまったんです」

「しかし、リストから外すのは君だけの権限ではできないはずだ。人事部長も絡んでいるんじゃないのかい」

「いやそれは無いです。部長は関係ありません」

「君はもう辞めてもらうしかないんだ。ただ、退職金は出そう。今部長に義理だてしても、どうしようもないことだと思うけどな」

「そうなんですか」吾妻は俯いたまま顔を上げようとしない。

「実は部長には山口君からの金を渡しました」

「いくらだい?」

「百万です」

「そういうことか」

「本当にすみません」

「部署を移るとか方法はあっただろうに」

「部長にはここまで引き上げてもらったので、部長を裏切るようなことはできませんでした」

「君は、山口君の裏の仕事は知っていたのかい?」

「何のことですか?薬のことですか?」

「いや、知らなければ別にいいんだ」

「何故か金は持っているなと思ったんです。部長の百万といい、薬もただでもらっていました」

「そうなのか」

「すみません。もう宜しいでしょうか」

「ああいいよ。でも早まったことは考えるなよ。再就職先についても相談に乗ろう。但し、薬を切れればの話だが」

「ありがとうございます。大丈夫です」

吾妻は席を立ち、肩を落とし部屋を出て行った。

「薬持っていること知っていたんですか?」槌田が黒木に聞いた。

「いや、一か八かだ。様子がおかしいという情報をもらったから、もし持っていなかったら尿検査をしようと思っていた」

「なるほど」

「君には悪いが、警察には届けられない。会社を守らなければならない。但し、薬の売人は分かっている。時間を置けば通報してもらって構わん」

「わかりました」



 黒木は席に戻ると、山口宛てに内線電話を掛けた。

「情報システム部社内システム課山口です」

「コンプライアンス室の黒木ですが、コンプライアンス室まで来てもらえませんか」

「今ですか?」

「今です」

「いや仕事が」

「重要な事です」黒木は強い口調で言った。

「わかりました」

 コンプライアンス室のドアを開けた山口を黒木は手招きで会議室へ呼んだ。

テーブルを挟んで、二人は腰かけた。

「今日来てもらったのは、どうしてか分かりますね」

「いいえ」

「わかりませんか」

 黒木はクリアファイルから数枚の写真を山口の前に並べた。

パソコンを持ちだしているジャンクの従業員。そしてキャバクラで4人で飲んでいる写真。中古パソコンジャンクに入って行く

 山口はそれを見た瞬間、目が泳いでいる。

「今まで、社内で使用されたパソコンの横流しをしていたんだね」

「いいえ、そんなことしていません」

「もう中古パソコンジャンクの社長の佐々木さんからの聞き取りは終わっているんだ」

 黒木は佐々木の振り込みの控えをテーブルに出した。それを見た山口はうなだれた。

「これは業務上横領になる」

「逮捕されるのですか」

「いや、話を大きくしたくはないので、警察には連絡はしないつもりだ」

「クビになるのでしょうか」

「それは私が決めることではないが、まず振り込まれた金額は会社に返還してもらう」

「残っている分についてはできますが.....」

「まず、その口座の履歴を全て提出しなさい。そして残金は全て返しなさい」

「昨日のパソコンは返してもらうことになっている。その処理は通常通りに処理しなさい。それが君の仕事だ。」

「わかりました」消え入りそうな声で山口が言った。

「それと薬のことだが」

「私は薬はやっていません」

「吾妻課長に渡したんだろ」

「それは、吾妻課長が苦しんでいたから」

「それだけじゃないはずだ。早期退職者勧告リストから外してもらうのと引き換えにしただろ」

「早期退職なんてできないんです。それに今、私の担当が次の人間に引き継がれると横流しがばれてしまう」

「それが理由か。人事部長にも金を渡してまで外させたのは」

「はい」

「薬はジャンクに出入りしている男から入手したんだね」

「店に行くと、あいつがいる時はいつも薬あるよって誘われていたんです。ずっと断っていたんですが」

「まあいい。まず今回のことは口外しないよう念書を書いてくれ。そうすれば残りの弁済は免れるよう働きかけてみる」

「わかりました」

 黒木はその場で念書を書かせた。

「あとは人事から追って連絡があるだろう」

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