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旬のベッドには担当医の長谷川が顔を出していた。細面の真面目そうな男だ。眉間に皺を寄せながら話す。
「甲斐さん、どうですか体の調子は?」
「すこぶる調子いいですよ。もう変なことも考えないようになりました」
「そうですか、それは良かった。薬が効いたのですかね」長谷川もその言葉を聞いて機嫌が良くなったようだ。いつになく笑顔で答える。
「そうなんですかね。それで先生、週末あたりには退院したいんですが」
薬など全く飲んでいない。すべてバッグの中だ。
「分かりました。金曜でよろしいですか」
「はい、お願いします」
「それでは、師長に伝えておきます」
長谷川は上機嫌のまま部屋を出て行った。
よし、これで金曜には退院できる。こんな退屈なところとはもうおさらばだ。でもその前に仕掛けた盗聴器を回収しないといけない。
またあの掃除のおばさんを使うか。でもなあ次はいつ掃除に来るんだろう。
まあまた、食堂ででも見張ってみるか。
午後5時頃、田端恵が黒木の元を訪れた。
「遅くなっちゃって、すみません」
「いや、いいんだ。悪かったね忙しいのに」
黒木は奥の会議室を人差し指で指した。
「あそこでいいかな」
黒木は席を立ち、会議室に向けて歩き出す。恵もその後を続いた。
会議室に入るとテーブルを挟んで二人は席に座った。
「頼みたいことがあるんだが、これは誰にも秘密でお願いできるかな」
「いつものことですよね。でも山口さんに関係あることなんですか?」
恵は今までにも何度か黒木の仕事を手伝ったことがある。いつも黒木に秘密にしろとは言われていることだ。だが、山口は同じ課の社員である。
「そうなんだ。でも山口君が犯罪に関わっているとは未だ決まったことじゃないから。君にとっても同じ課の職員のことだから、頼みづらい事なんだが。お願いできるかな」
「わかりました。何でしょう」
言葉では平静を装いながらも、内心はわくわくしていた。恵にとって黒木からの仕事は好奇心をそそるものがる。コンプライアンス室といえば社員の不祥事や対外的なトラブルを管理する部署である。何かトラブルか事件があったに違いない。自分が良くテレビドラマに出てくる鑑識にでもなったような感覚に浸ることがある。
「ありがとう。まず聞きたいんだが、山口君はどんな人かな。様子がおかしい事なんてないかな」
「いたって普通の人ですよ。いつもは。少し暗い感じはあるけど。でもあまり仕事に熱意は感じませんね。いい加減なところもあるし。あっこれ私が言ったって言わないで下さいよ」
「もちろん言わないよ。で、いつもは普通の人とは?」
「たまーにある、課の飲み会とかでやけに明るいというかハイの時があったんですよ。人が変わったみたいにへらへら笑っちゃって」
まあそんな事ぐらい誰でもあるだろう。黒木はそう思ったが、恵の機嫌を損ねてもと思い話を続けた。
「ほー。仕事はどんな事をしているんだい」
「全社のシステムの管理ですが、端末とか周辺機器とかハードウエア周りの保守や入れ替えとかですかね」
「ふーん。そうなんだありがとう。毎日帰りは早いのかい?」
「いや、私が帰る時にはいつもいるので、結構遅いと思いますよ。だらだら仕事してるし。それに今システムの入れ替えの最中ですからね。来週には第四次の入れ替えも迫っているし」
黒木の会社では大規模なシステム入れ替えが行われていた。5回に分けて全社のパソコンが全て入れ替わる。
「君は大体何時ごろ帰ってるんだい」
「そうですね、夜7時とか8時ぐらいが多いですね。でも時には9時ごろのこともありますよ」
「結構遅くまで仕事してるんだね」
「そうなんですよ。システム入れ替えも手伝わされるし、他の部署からも色々言われて」
「悪いね。本当に」
「いや黒木さんに言ってるわけじゃないんですけどね」
「なるほどね」
「それだけですか」
「いや、実は人事の吾妻課長のメール、この前調べてもらっただろ。その吾妻課長と山口君のメール履歴を追えないだろうか」
「できますけど、いつまで遡って調べるんですか」
「いつまで遡れるんだい?」
「1年ぐらいならすぐ遡れますけど、それ以上になると一度バックアップから持ってこなくちゃならないんで面倒なんですよね。最高5年ぐらいまでなら遡れますけど」
「とりあえず1年でいいよ。いつぐらいまでにできる?」
「明日中にはできると思いますよ」
「そうか、そんなに早くできるのかい。頼むよ」
「まかせて下さい」
「もうひとつお願いできるかな」
「何ですか?」
「目安箱サイトあるだろ?」
「ああ、社内のチクリサイト」
「ああそれそれ。それのある投稿の投稿者が誰かわかるかな」
「まあアクセスログを追えばわかるとは思いますよ。でもそのサイト、私権限がないので中身を見ることはできないんですよ」
「出来ないって事?」
「いいえ、そのページの投稿日時と文書IDってページに表示されると思うんですけど。それが分かればログから誰の投稿か追えますね。それだけ教えてもらえます?」
「分かった。メールで送るよ」
「でも大量のログから探さないといけないので2日ぐらいもらえます?」
「もちろんいいよ。両方一緒に今週中に調べてもらえればそれでいい」
「了解しました」
「悪いね。宜しく頼むよ」
黒木が席を立つと恵も席を立ち、コンプライアンス室を出て行った。
黒木は席に戻り、恵に言われた吾妻の件の投稿日時と文書IDを調べ、メールを送信した。
旬は食堂に出向き、佐久間に電話を入れた。
「もしもし、甲斐ですが」
「あー旬くん。元気」愛衣香の声だ。
「愛衣香ちゃん。元気だよ、もうすぐ退院できるんだ。」
「あーそうなの。良かったねー。」
「ところで所長いる?」
「あーちょっと待っててね」
いい加減あの所長も携帯電話ぐらいもってほしい。そう思いながら佐久間を待った。
「もしもし、佐久間だが旬か。何か用か」
「所長、金曜で退院できることになったんですけど、入院費出してもらえるんですよねえ」
「あー。立て替えておけ。後で払ってやるから」
「そんな金持ってないですよ。持ってきて下さいよ」
「そうか、仕方ないな。明日にでも愛衣香に持たせるよ」
「お願いしますよ。ほんとに」
「あーそうそう、旬、お前週末も仕事な」
「えー、勘弁して下さいよ」
「ダメだ。絶対仕事。じゃないと金持っていかねえぞ。金曜退院したら、こっちに顔出せ。いいな」
「仕方ないな。手当つけてもらいますからね」
特に予定はなかった。スポーツジムにインストラクターの詩織の顔と体を拝みに行くぐらいだ。
旬は憂鬱になりながらも電話を切った。
翌日、旬は食堂で本を読みながら、過ごすことにした。
10時頃だろうか、あの清掃のおばさんが奥の部屋から掃除をしているのが見えた。やったな。
「おばさん、おはようございます」廊下で奥の部屋に向かおうとしているおばさんに話しかけた。
「あら、甲斐さんだったわね。おはよう。この前はありがとう」
「僕、今週で退院なんですよ」
「あら、良かったわね。おめでとう」
「ありがとうございます。だから、今日も手伝わせて下さい」
「そんなこといいのに」
「いいんですよ。部屋にいても暇なんで。今日は全部屋手伝いますよ」
これで最後だ。大盤振る舞いだ。
「ありがとう。あなたみたいな患者さんもいるのね。おばさん嬉しくなっちゃっうわ。それじゃあ男性の部屋だけお願いしちゃおうかな。さすがに女性の部屋はいいわ」
「了解しました」
旬は、一番奥の自分の部屋の707号室からおばさんの後をついてごみ箱を片付け始めた。
吾妻のいる703号室には旬から入った。吾妻に声を掛ける。
「すみません。ごみ箱片付けます」
「ああいいよ」吾妻はテレビを見ている
カーテンを開け、ごみ箱を片付ける。ついでにベッドの裏の盗聴器も.....はずせた。よしこれで完了だ。
男性部屋を全て終えると、おばさんに一声かけた。
「それじゃあ、おばさん。これで終わりですね」
「本当にありがとう。助かったわ。退院しても頑張ってね」
「ありがとうございます」
旬は食堂で缶コーヒーを買うと、椅子に腰かけコーヒーを飲んでいた。そろそろ昼食だ、そのまま食べていこう。
周りを見渡すと、小上がりに座っているのは見たことのある男だ。今週同じ部屋に入院してきた男だな。少しぽっちゃりぎみの女の子と話している。女の子というよりは女だろうか。時々見るなあの二人は。うらやましいもんだ。
そんなことを思っていると、隣のテーブルで車椅子のじいさん同志が言い争いをしだした。おいおい頼むよじいいちゃん。ナースセンターから飛び出してきた看護師が止めようとするがやめる気配はない。周りを見てもじいちゃんばあちゃんばかりだ。
もしかして俺か?老人たちは今にも掴み掛らんばかりになってきた。おいおい。仕方なく旬は立ち上がり二人の間に割って入った。看護師がその間に二人を引き離した。
じじい、世話焼かせるなよ。旬は椅子に腰かけ、残りのコーヒーを一気に飲み干した。
夕方には愛衣香が金をもってきてくれた。
「旬ちゃん。お金持ってきたよ」
「ありがとう。わざわざごめんね」
「いいよ、別に。おじちゃんからバイト代ももらってるし」
「そうなの?いつも事務所にいるのはバイトなの?」
「そうだよ。受付兼雑用。暇なときだけ」
そんな都合のいいバイトがあるのかよ。一体所長とはどういう関係なんだろう。というよりそんなバイト雇うだけ稼げてるのか?あの事務所は。
「はいこれ」
愛衣香が銀行名前の入った封筒を手渡した。
「ああ、ありがと」
中を確認すると20万程入っているようだ。
「余った分は返せよだって」
「分かってるよ」
愛衣香は金を渡すと帰って行った。
金曜午後、黒木は恵からのメールを受け取った。
吾妻と山口とのメールはわずか一通だった。それも約1年前だ。タイトルは面接の件とある。内容を見ると、日時と第三打ち合わせ室にてとあるだけだった。
吾妻と山口の間で面接?何の面接だ。昇進についてかそれともやはり退職勧告なのか。昇進においても人事の課長との面接など聞いたことが無い。どういう事だ?
投稿した社員については、人事部の女性社員の名が記されていた。
旬は病院を退院し一度自宅に戻ると夕方4時頃、事務所に顔を出した。
結局、吾妻には奥さんと人事部長、山口という男以外の見舞客はいなかった。まあ精神科という病棟の特性上そんなものなのだろう。だがこれで成果があったのだろうか。
「こんちわ」
「おお、旬。お疲れ」
「本当に疲れましたよ。もう二度と行きたくないですね。ああそれと、これありがとうございました。余った金と領収書」
「ネコババしてねえだろうな」
旬は茶封筒に入った金を佐久間に手渡した。
「しないですよ。確かめて下さいよ。それよりも手当よろしくお願いしますよ」
「わかってるよ。それでな、山口という男いただろ」
「吾妻さんの所に来た人ですよね」
「ああ。あいつがな週末、どういう行動しているか明日から張ってくれ。これがあいつの住所だ」
佐久間は山口の住所が書かれたメモを渡した。
「朝からですか?」
「まあ、あいつがいつから行動を起こすか分からんからな」
「分かりましたよ。やればいいんでしょ。やれば」
「おう、それでいいんだ。」
「ああそれと、借りてたもの返します」
旬は、盗聴器、盗撮カメラ、そして耳栓をバッグから取り出した。
「いやーこの耳栓めちゃくちゃ役に立ちましたよ。このおかげでぐっすり眠れました」
「そーだろ。俺が作るものは高性能品ばかりだからな。感謝しろよ。それやるよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「後のふたつもこれから使うかもしれないからお前が持ってろ」
「そうですか、わかりました」
「それじゃ、呑みにでもいくか」
「またですか、明日の朝早いんでしょ。俺は」
「まあまあ、軽くだよ、軽く」
事務所を後にした二人は、近くの焼き鳥屋に入った。
「一体何を追ってるんですか。いい加減教えて下さいよ」旬は佐久間に尋ねた。
「詳しいことについては、言っちゃいけねえってあの黒木のだんなから言われてるんだ」
「そんな、俺だって誰にも言いませんよ。訳わからず追ったって仕方無いじゃないですか」
「それもそうだな。本当に黙っておけよ」
「はい」
「あの吾妻って男が薬をやってるんじゃねえかってことだ。それで逮捕でもされてマスコミに広がったら会社のイメージダウンになるからその前に何とかしようってことらしい」佐久間は声を潜めて、旬に言った。
「薬って覚せい剤ですか。へえ。あの真面目そうな人が。あの山口って人は?」
「何でも、同じ会社の社員だが、部署が違うらしい。わざわざ違う部署の社員が見舞いにくるなんておかしいだろ。最初は部外者との接触を見張ってたらあいつが来たってことだ。」
「そんなもんですかね」
「それで山口のルートから薬を入手してるんじゃねえかってことだ」
「なるほど、それでそれを探れと」
「そういう訳さ」
「いやあでも疲れましたよ。入院も。退屈で退屈で」
「まあ成果があったんだから良しとしなくちゃな。もっと稼げるかもしれねえしな」
「そういえば、愛衣香ちゃんには2度も病院まで来てもらってすみませんでしたね」
「いいんだ、あいつにはバイト代も渡してるからな」
「愛衣香ちゃんと所長の関係ってどういう関係なんですか?」
「知り合いの娘だよ」
「へえ。そういうことですか」
「愛衣香に手出すんじゃねえぞ。俺が怒られちまう」
「出しませんよ」
「それじゃ、そろそろ行くか」
結局また3時間程クラブジーンに付き合わされた。
翌日、旬は山口の家の近くの公園脇で、車の中で見張っていた。車は事務所の軽乗用車だ。
朝9時から張っているが、まだ出てくる様子はない。それとももう出てしまったのか。もう1時間近く経っている。昼飯用に買ってきたアンパンはをひとつほおばる。
その時、山口が玄関から出てきた。ラフな格好である。デイバッグを抱えている。玄関から出ると脇にある駐車場から車に乗り家を出た。車は白のBMWだ。
豪勢なもんだな。旬は後を追った。
20分程走ると、山口はスポーツジムの駐車場に入っていった。何だよジムかよ。またここでも時間潰しをしなければならない。旬もジムの駐車場に車を停めた。車から出た山口はジムに入っていった。
念のため、旬はジムに入る山口をスマホで写真に撮った。
1時間程で山口はジムを出てきた。山口は近くにあった吉野家の駐車場に車を停めた。昼食を済ませるらしい。旬も吉野家の駐車場に車を停め、残りのカレーパンを口にした。
昼食を済ませ、車を発車させた山口の後を旬は追いかける。30分程走らせただろうか、山口は一軒の中古パソコンショップに車を停めた。店名は中古パソコンジャンク。車から出た山口は店の中に入って行った。
パソコンオタクなのかな。旬も車を停め、30分程待つが出てこない。様子を見ようと旬は店に入ってみた。
店は中それほどの広さでは無い。所狭しと中古のパソコンやプリンタなどの機器が置いてある。だが山口の姿はそこには無かった。
どういうことだ?事務所の中に入っているのか?取引先なのだろうか?店を出た旬は店の外観をスマホに撮った。それから車に戻り、念のため少し離れた公園の駐車場に車を置き、山口が出てくるのを見張った。2時間程経ったころだろうか、店の駐車場から山口の車が出てきた。旬も後を追うが山口はそのまま自宅に戻っていった。その後も見張っていたが山口が出てくることは無かった。
翌日も1日旬は山口の自宅を見張ったが、その日は1日外出することは無かった。
月曜、事務所に顔を出し、佐久間に週末の状況を説明した。
「スポーツジムとパソコンショップだけか」佐久間は旬から説明を聞き、少し肩を落とした。
「ええ。両方とも写真撮っておきましたから、メールで送りますよ」
「ああ頼む」
「それにしても豪勢なもんですね。新品のBMWですよ。真っ白な。サラリーマンてそんなに貰ってるんですかね」
「さあな。他になんか気付いたことはなかったか。それが、パソコンショップで2時間も粘ってたんですよ。それも多分事務所で。店に入ってみたんですが、店の中にはいなかったんですよ」
「ほう。顔なじみなのか」
「そうなんですかね。それか仕事の取引先とか」
「なるほど。一応それも黒木さんにメール打っておくか。ありがとな旬」
「はい。ところで今日からはどうしましょう?」
「そうだな、こっちの浮気調査でもやっててくれ」
佐久間はクリアファイルに挟まった資料を取り出し、旬に渡した。
佐久間は週末の山口の行動を時間毎に列挙し、旬の撮った写真とともに、黒木宛にメールした。
黒木は恵に内線電話を掛けていた。
「田端さん、先週はありがとう。助かったよ。すまんが、今日暇な時間が出来たら、また寄ってくれないか」
「今からでもいいですよ。あと5分後ぐらいに行きますね」
「ありがとう」
メールを確認すると、佐久間からのメールが届いていた。中古パソコンジャンク?取引先か?
5分後丁度に恵がやってきた。
黒木は手招きし、自分の机に呼んだ。
「悪いね。ちょっと見てくれないか、このリストなんだが」黒木は自分のパソコン画面に表示された早期退職勧告者リストを見せた。
「中身は厳重秘密なんで、見ないことにしてくれ」黒木が続けて言った。
「はい」
「このリスト、半年前ぐらいに更新されているはずなんだが、その前のものって見ることはできないのかい?」
「アクセス権があれば、多分できるんじゃないですか」
「どうやって?」
「アドレスの中に通し番号になっているところがあるはずなんで。ここかな」恵がURLアドレスの一部を2から1に変えてリターンキーを押した。
リストが表示された。表示されたリストには山口 豊の名前が......ある。
「ありがとう。すまないね」
「これだけですか?」
「ああ、あと中古パソコンジャンクというパソコンショップってうちの取引先かい?」
「中古パソコンジャンク?聞いたことありませんね」
「そうか、ありがとう。今日はそれだけなんだ」
「わかりました。そういえば、山口主任の所へ今日吾妻課長来てましたよ」
「本当かい」
「ええ」
「なにか渡したとか見てなかったかな」
「さあ?少し席が離れてるんで」
「分かった。ありがとう」
田端恵は、一礼をしてコンプライアンス室を出て行った。
一体どういうことだ。早期退職者勧告リストから外されるということはあり得ないはずだ。そうだやはり最初にあのリストを見たときに見た名前だったんだ。各部署で作られたリストが、人事部で外された?
一人事課長の権限ではできないはずだ。人事部長も絡んでいるのか。
旬はキャバ嬢の送迎のバイトを復活させていた。そろそろキャバ嬢達が仕事を終えて店から出てくる時間だ。
今日はゆのと雪菜の2人を家まで送って行く。二人が一緒に店から出てきた。店の前に停めていた、旬のレガシイの後部座席に二人が乗り込む。
「お疲れ様でした」旬が二人に声を掛ける。
「あら、旬ちゃん。戻ってきたのね」ゆのが声をかける
「また、宜しくお願いします」旬は後ろを見ながら応えた。
「もう眠い」半分酔っ払っている雪菜がシートに座るやいなや眠りだした。
「雪菜ちゃん、今日は呑まされてたからねえ。指名もたくさんあって」ゆのが呟いた。
「そうなんですか、今って雪菜ちゃんがNo.1なんですか?」車を発車させながら、旬が聞いた。
「どうだろ。今月はそうかもね。誕生日もあったし。旬ちゃんは誰が好きなの」
「いや特にはいないですよ」所長と店に客として来る時も、指名なしでいつも呑んでいた。
「本当?彼女がいるの」
「いやいないいですよ。彼女なんて」
「どれどれ見せてみなさい」
助手席に置いてあった旬のスマホをゆのが勝手に取りあげた。
「ちょっと、何にもないですよ。そんなの見たって」
面倒くさいのでパスワードロックも掛けていなかった。ゆのが勝手に保存されている写真をスライドしていく。
「何この病室の写真とかパソコンショップの写真とかろくなもの入ってないわね」
「そりゃそうですよ。ずっと入院させられたんですから」
「あれ?この人」
「誰ですか?」
「このスポーツジムに入って行く人、山口さんじゃない」思わぬところから山口の名前が出た。
「ゆのさん山口さん知っているんですか?」
「うん。うちの店、良く来るよ。私も席についたことあるし。土曜日が多いかな。結構お金使ってくれるんだよね」
「そうなんですか。一人で来るんですか?」
「一人の時もあるけど、3・4人とかもあるわね。なんか東南アジア系の外人と一緒に来たこともあったわ」
「そうなんですか」
「まあ大体指名は由香ちゃんが多いけどね」
「へえ。そうなんんだ」
旬は二人を自宅まで送り、アパートに戻った。既に深夜2時をまわっていた。
翌朝、旬は佐久間にゆのから聞いた山口の事を伝えた。
「所長、山口って男クラブジーンに出入りしているらしいですよ」
「本当か」
「ええ、ゆのさんが言ってました。結構金使っているみたいですよ。BMWといい金持ってますね。指名は由香ちゃんみたいですけど」
「何い、俺の由香ちゃんを。エロサラリーマンが」
いやいや、あんたの方がエロ親父だろ。旬は思ったが黙っていた。
「ああ、それから東南アジア系の外人が一緒の時もあったと言っていたので、そいつから薬買ってるんじゃないですか」
「なるほどな。黒木の旦那に報告しておこう。こりゃ充分報酬もらえるぞ」
佐久間は席に戻り、黒木に山口メールを送った。
黒木は人事課の湯本沙織に内線電話をしていた。吾妻の件の投稿をした社員である。
「はい人事部人事一課の湯本です」
「コンプライアンス室の黒木ですが、突然すまないが、今日か明日あたりで時間を取ってもらえないだろうか」
「いいですよ。明日の10時ぐらいなら大丈夫だと思いますけど」
「それじゃあ明日10時にコンプライアンス室まで来てもらっていいだろうか」
「わかりました」
黒木は電話を切った。人事部長と人事課長、そして山口。どういうつながりなのだろう。思わぬところから妙なつながりが出てきたな。そうか入院していた吾妻の所に来た人事部長も仕事の話だけではなかったのか。あの時盗聴器があれば。
メールをチェックすると、佐久間からのメールが受信された。それを見ると、佐久間へ電話を掛けた。
「もしもし黒木ですが」
「ああ黒木さん」
「メールありがとうございました。あのメールの件ですが、山口がその店に行くのはどのぐらいのペースなのでしょう?」
「ちょっと待って下さい」
佐久間は受話器を手で覆い、出かけようとしている旬に声を掛けた。
「おい旬、山口ってどのぐらいのペースでジーンに来てるって?」
「良く来るって言ってましたよ。土曜日が多いらしいですけど」旬が応えた。
「サンキュー」
受話器を覆っていた手をはずし、黒木に応える。
「良く顔出すみたいですよ。土曜日が多いらしいですけど」
「数名で今度来た時にメンバーの写真撮れないですかね」
「できると思いますよ。次いつ来るかは店のキャバ嬢から来た時教えてもらえばいいでしょう」
「すみませんが、お願いします」
「了解しました」
黒木は電話を切った。大分近い所まで来ている気がする。あの探偵事務所も使えるな。
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