Day10

 朝、亮介が朝食をとりに食堂へ出向き、部屋に戻ると甲斐が荷造りをしている。

 そうか今日は金曜日かと思いながらベッドに腰を下ろすと、師長が部屋に入ってきた。

「甲斐さん、今日で退院ね」そう言いながら、窓のカーテンを開け始めた。

「どうもお世話になりました」

「すっかり体調は良くなった?」

「はい、もう大丈夫そうです」

「お大事ね」そう言うと師長は部屋を出て行った。

 退院するのか、結局一言も話すことは無かった。退院に立ち会う人もいないようだ。荷造りが終わった甲斐は部屋を出ていった。どうせなら、いびきのうるさい隣の男に退院してもらいたかったが、そうは言えない。

 喧嘩している老人の間に割って入った素早さといい恰好といい、一風変わった男だったな。そう思いながら、涼介は朝食を済ませた。


 明日からはまた風呂には入れない。涼介は風呂に入ることにした。もう傷もほぼ治りつつあるのでビニールを巻く必要もないだろう。風呂に入り、体を洗い、髭を剃った。

 1時間ほどした頃だろうかカーテンが開き、吉沢が顔を見せた。

「薮内さんちょっと二人でよろしいですか?」

「はい」

 吉沢は部屋を出て、廊下を進んだ。亮介も後を追った。

 ナースセンター隣の部屋で吉沢ドアを開け、亮介を中へ促した。亮介は入るとソファに腰を下ろした。

 吉沢も向かいのソファに腰を下ろすと話を始めた。

「気持ちのほうはどうですか」

「大分落ち着いてきたとは思いますが、でも眠れない時はいろいろ考えてしまいますが」

「どんな?」

「自分が生きている価値があるのかとか」

「消えたいとか?」

「まあそんなことも。でも薬のおかげでしょうか、だいぶ楽にはなりました」

「そうですか、薬も効いてきているのですね」吉沢が微笑んだ。。

「でもまだ眠れませんか?」

「そうですね」

「空きベッドの部屋も確認したのですが、やはり無くて。すみません」

「そうですよね。いえいえ、こちらこそご面倒おかけしてすみません」

「いやそんなこといいんですよ。それよりも、お母さんとは仲直りはされたのですか」

「え?」

「以前、妹の優さんに、あのメモ見させていただいたんです。診療の参考のために」涼介が最後に書いた遺書のようなメモのことだ。

「...ああ、大丈夫ですよ。姉や妹からお袋のことも聞いてますし」

「そうですか、すみません変なこと聞いちゃって」どこか安堵した吉沢の表情が見て取れた。

「いやいいんです。先生、それでできれば退院したい気持ちもあるんですが」これ以上入院していても、入院費も嵩むばかりだ。税務署の対応もしなければならない。

「大丈夫ですか?ご家族とは相談されましたか?」

「いや、まだ」

「ご家族と相談されてはどうでしょう」

「そうですね。相談してみます」特に相談する必要もないと思うが、香にでも相談してみるか。

「無理はしないでくださいね」

「はい。ありがとうございます」

「先生、まだ売店には一人で行くことは無理でしょうか」軟禁状態でも売店ぐらいは行ってもいいのではないか、そんなことを思い聞いてみた。

「一人では無理ですが、ご家族と一緒なら大丈夫ですよ」

「そうですか。わかりました」

 亮介はそう言うと、立ち上がり部屋を出て行った。

 部屋に戻ると、珍しく向かいの宮本に見舞客があるようだった。カーテンの中から声がする。話し方からすると母親なのだろうか。

「しっかりしてよね、美紀ちゃんなんて、京都大学出ていまじゃ弁護士してるし、一雄君だってお医者さんやってるし」

 見た感じ宮本は涼介よりいくつも上の歳のように感じたが、賢い親戚と比べられてあげつらわれているらしい。母親が病院まできて言うことなのだろうか。

 聞いてられないなと思い、スマホのイヤホンで音楽を聴きながら昼食までの時間をつぶした。一日一日が長く感じられる。


 昼食を済ませた涼介は食器を返しに食堂に出向いた。いつもの小上がりでで佳奈がスマホを片手にイヤホンを耳にしている。

 食器を返し、佳奈の方に歩み寄った。

「ああ、涼ちゃん」涼介に気付いた佳奈が、イヤホンを取りながら言った。

「どうしていつもここにいるんだい?」小上がりに腰かけながら涼介は聞いた。

「音楽聞いてると、ついつい音が大きくなっちゃうんだよね。イヤホンから聞こえるしゃかしゃか音、周りの人に迷惑かなって思ってさ。ここなら気にならないでしょ」

「なるほどね。世の中みんなが佳奈みたいに人に気を使う世の中ならいいのにな」

「どうしたの?」

「いや、そろそろ退院しようかと思っているんだ。ここから出てまた日常に出たらいやなことも多いんだろうなと思ってね」

「あっ、そうなんだ。私も子供達のこともあるしそろそろ退院しようと思ってたんだ。私もまたいやなことがたくさんあるんだろうね」

「人は利用する人間か利用される人間の2種類しかいないのかもしれない。両方になることもあるんだろうけど。利用されている人間も自分は利用されている側じゃないと偽ってでも生きているんだよな」

「そうなのかもね。自分を偽ってるうちに私達みたいに壊れちゃってね」

「そうだな、人間って簡単に壊れちゃうんだよな」

「そういえば、この前教えてもらった曲あったよ。日曜日よりの使者。聞いたことある唄だった」

「ああいい曲だろ」

「そうだね。他にはおすすめの曲ないの?」

「おすすめねえ。佳奈にあうかどうか。この前聞いてて思わず涙が出てきちゃった曲はあったけどね」

「どんな曲?」

「中卒の女の子が駅の階段で、少女が女に突き飛ばされて、転げ落ちちゃうのを見ちゃうんだ。でも怖くて逃げちゃうんだ。誰にも言わずに。だから自分の敵は自分だと唄う曲。まるで俺のことだなと思っちゃってさ」

「なんて曲?」

「fight。昔はそんなこともあるなあ、ぐらいでしか聞いて無かったかもしれないけど。この前聞いたら不覚にも涙が出てきたんだ。」

「へえ。また調べてみるね」

「それより佳奈はいつも何を聞いているんだい?」

「古い洋楽とかも多いよ」

「例えば?」

「今はビートルズ」

「珍しいね。そんな若いのに」

「私バンドやってたんだよ」

「ほんとに?何の担当」

「カホン」

「カ・ホ・ン 何それ?」

「スピーカーみたいな箱を叩くの」

「へえ。パーカーッション系ってこと?」

「まあそうだね。ペルー発祥なんだって。昔高校の頃、軽音でドラム叩いてたの」

「すごいんだね」

「で、バンドで一緒だったおじさんとかに教えてもらって」

「そうなんだ。俺も好きだよ。この前のポール・マッカトニーのコンサートも行ってきたよ」

「本格的じゃん。一度中止になった奴でしょ」

「ああ、中止になった時も行っていた。でもどちらかというとジョンレノンの方が好きだけどね」

「なんで」

「なんとなくだけど、ジョンレノンは弱かったんじゃないかと思うんだ。弱い自分を知っていたと思うんだ。俺は弱い方が好きなのかもしれない。圧倒的に強い奴よりも」

「そうなんだ」

「いや、分からない。曲調とか俺が思っているだけ。亡くなっちゃったしね。弱かったからこそ、ビートルズだったりオノヨーコにすがったんじゃないかってね」

「へえ。私にはまだよくわからないけど。でも今度からはそんなこと考えながら聞いてみるよ」

「もうバンドはやらないのかい?」

「わからない。気が向けばね」

「そうなんだ。一度聞いてみたいよ」

 じゃあこれ見てとスマホの動画を見せてくれた。佳奈はバンドのメンバーと楽しそうに演奏をしていた。

「これも見て」今度は翔や茜の画像をスクロールしながら嬉しそうに見せてくれた。

「そうだ。もうじきお別れしちゃうかもしれないんだからLINEのID交換しよ。持ってるでしょ涼ちゃん」

「ああいいよ」LINEのIDを交換し部屋に戻った。

 昼過ぎには、隣のベッドの男の元に奥さんが迎えに訪れた。

「どう調子は」

「ああ、大分よくなったよ。家に帰れると思うと気持ちも落ち着くよ」

 二人は荷物を携え、部屋を出て行った。

 今日は良く眠れるのかな。涼介はそう思いながらスマホのイヤホンを耳にした。

 そろそろ形成外科の外来に行く時間になる。涼介は付き添いの看護師を待った。

 来たのは、和島だった。

「薮内さん、形成外科に行く時間ですね」

「わざわざすみません」

「いえいえ。早く退院できるといいですね」和島は笑顔で答えた。

 涼介はベッドを降りると、和島の後を続いた。

 形成外科に着き、診療を受けた。

 包帯を取り、傷口を見る。そうこの傷口とは一生付き合っていかなければならない。

「もう傷口はだいぶ塞がっていますので、あとはもう外来に来なくても、自分でワセリン塗ればもう大丈夫ですよ。ワセリン多めに出しておきますので」

 形成外科での診療はそれで終わりになった。


食堂に出向き、香に電話を入れてみた。

「明日か明後日のどちらか顔を出してもらえないかな?」

「ああ、明日お母さんの所に行くから、その後行く予定だったわよ。優も来るって言ってたから、一緒に行くよ。何か持って行くものある」

「いや特には無いけど、顔出してよ」

「どうした?寂しくでもなったの」

「売店行きたいけど、一人じゃダメなんだって」

「そういうことね。わかった」

涼介は電話を切った。

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