ヒーローがいるのに平和な街の裏 十六

「ゆ……幽霊?」

「ああそうさ。見ての通り、とっ君は幽霊なんだよ」

 今、ヒーロー夫人は何て言った?

 僕が殺さなければいけない徳永切裂が……実は幽霊だった……って言ったのか?

 幽霊って何なんですかとかどうして徳永切裂と親しい関係なんですかとか聞きたいことはあったけど、この状況で僕が言いたいことはこれだけだった。

「僕は、徳永切裂を……殺せないんですか? 目の前で倒れているのに? 上官を脅して、お金を奪って、無理矢理この街に入って……そこまでしてようやく追い詰めることが出来たのに……僕は、徳永切裂を殺せないんですか?」

「いや、君は私を殺せるよ」

 僕の問いに答えたのは、満身創痍のヒーロー夫人ではなく、僕が殺そうとしている連続殺人犯――徳永切裂だった。

「……はぁ?」

 何、言ってるんだ、こいつ。お前は僕の大切な人を殺した残虐な、人をどうやって殺すかしか頭にない奴なんだろ。同僚の報告書にも書いてあった。徳永切裂のどの情報を見てもそう書いてあった。

 一度逮捕した時の調書にも、そう書き記してあった。

 脱獄か何かをしてもう一度シャバとかよくいうこの普通の世界に逃げてきたのはわかってる。お前がこの街で潜伏して……この街の人間を殺す為に家を破壊していたのもわかって……わかって……え?

 ヒーロー夫人は、徳永切裂について何て言っていた?

「暗闇の空間の大体の場所はわかってるつもりだったが、もうそれも過ぎたことだ。元より、私は君に殺される予定だった。私の名前が西山切裂になった時、唯一私が殺してしまった者達の肉親。佐藤豪州――佐藤三咲――柳田亜希子――彼らの肉親からの復讐が私に迫って来た時、その時が私の死ぬ時だと決めていた」

 言いながら徳永切裂は、足を打ち抜かれた筈なのに――まるで何事もなかったかのように立ち上がり、僕に向かって歩き出していた。

 徳永切裂の顔は、今まで僕がどの人にも見たことがない表情をしていた。

 これが……死を覚悟した人間の顔だってことか……。

 何だよそれ。何だよこれ。どんな茶番だ。僕は、徳永切裂に復讐をしにこの街に来たんだ。僕は、生きてるだけで害になる人間を殺しに来たんだ。

 なのに。

 それなのに。

 僕は、こんな晴れ晴れとした人間を撃たなければならないんだ。

「額だ。ここに、私を司るデータチップとやらが埋め込まれている。額を撃てば、例え幽霊でも不老不死でも殺せることが出来るそうだ」

 言いながら徳永切裂は、僕がいつの間にか下に向けていた右の銃口、右手で自分の額に持ってきた。

 ゴリ、と。

 銃口が徳永切裂の額に当たる感触が、右手を伝う。

「……よしえ、ヒーロー、いっ君、みっちゃん……あゆみ……今まで、こんな殺人鬼に付き合ってくれてありがとう。感謝する。……さあ。殺してくれ、佐藤栄作」

 そうだ。ここで僕は人差し指を少し動かすだけでいい。

 それだけで復讐は完遂され、僕の目的は達成する。ここまで来れたんだ。やっと徳永切裂を殺せるんだ。

 だったら、引き金を引けばいい。

 だけど。

「う……」

 僕は、完全に臆していた。

 徳永切裂が、僕の思い描いていた人物像と掛け離れ過ぎていたのも理由の一つだけど、それよりも何よりも、今この状況が僕の動きを止めていた。

 今、もしこの状況を第三者が見たら。

 徳永切裂と佐藤栄作。

 どっちが『正義』でどっちが『悪』なんだ?

「そうか……ならば、こう言えばいいのか?」

 徳永切裂は。

 僕の顔を拳銃越しに見ながらこう言い放った。

「最高だった……両親と思われる者達が二つに裂かれ臓物をちりばめ、それを支えるように寄り添う涙を流した女性が私に向かって、死ね死ね死んでこいと血気盛んに叫び立てる。気分を悪くした私は女性を斬り、斬り、斬り、だらりと垂れた舌を丹念に舐め、乳房をかじりとり、ふくらはぎを捏ねくりまわし、両目を取り出して」

「…………」

「傷を作りそこから流れ出した血を液体として体に摂取し、唇を切り取って手触りや感触を堪能し」

「死ね……死ねっ!」

 地下の住人が全員暗い顔で俯き。

 ヒーロー夫人が小粒の涙を流しながらもしっかりと、僕と徳永切裂を見て。

 僕が勢いに任せて銃を撃った時。


 徳永切裂は、笑っていた。

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