ヒーローがいるのに平和な街の裏 十

「それはね、栄作。暗闇の空間の奴らの仕業だよ。いじられた記憶が徐々に戻ってきているんだ」

 今までのある程度の話を聞いたヒーロー夫人が発した言葉はこんな感じだった。実際には「熱いねぇ、ホント。ほのじだねぇ、ホント」という言葉が入っていたけれど、無視して僕はヒーロー夫人と高梨君との会話に興じようとする。

 ここは地下。僕は叶さんと和解をして別れ、この場所に帰ってきた。

 エレベーターの前で待っていた高梨君の先導でエレベーターに乗り、移動する。因みに今は夜六時。大声で放った高梨君の「ウォーターメロン!」という言葉は電柱にとまっていたカラスを逃がしたのはまた別の話。

 エレベーターに乗りながら「どうですかー、叶さんって人とロクヨンしてきましたかー?」とかいう高梨君と会話をしていたのだけれど、生憎叶さんとはロクヨンしていなかったから「……それヨロシクじゃないですか?」としか言いようがなかった。わざとかなと思っていたのだけど、高梨君が「アハハ、何言ってんですか佐藤さん。ロクヨンはロクヨンでしょう」と言い切ったのでもう笑うしかなかった。

 エレベーターの扉が開く。そこで待っていた準備中という札をカウンターに置き、その前で両腕を枕にしてスヤスヤと眠っているヒーロー夫人だった。ていうかどんだけ眠かったんだろう。日曜日だったらおかっぱ頭の小学生がダミ声で喋っている時間帯なのに。

「ヒーロー夫人。起きて下さい」

 高梨君が小走りで近寄りあらわになった白い綺麗な肩を揺らすと、ヒーロー夫人は「う……うう……」と唸りながら起きた。

 そして僕を見て、こう言う。

「何で帰ってきたんだいあんた。徳永切裂を殺しに行くんじゃなかったのかい。ああ返り討ちにあったのかい。それなら納得だね。なんだい、じゃあ今のあんたは幽霊か。暗闇の空間の奴らに寝返るったのかい。はんっ。じゃあ今からあんたは私の敵だ。銃を抜け、栄作!」

「どうしたんですかヒーロー夫人!」

 高梨君が尋常じゃないくらい驚いていたのだけど、それも仕方がないといえば仕方がなかった。何故なら、言いながらヒーロー夫人は「銃はどこだ」と着物を脱ぎ始めたからだ。

「……何で?」

 何これ。

 どういう状況?

「ボーっとしてないで佐藤さんもヒーロー夫人を抑えるの手伝ってください! ってうわっ、酒臭っ!」

 言われてヒーロー夫人の左腕を抑える。うーうー唸って僕の方向にがんつけしてくるヒーロー夫人の口からはアルコールの臭いしかしなかった。言われてみれば確かに、ヒーロー夫人は酔っている。表情は普段通り冷静で肌も若々しいのに、口からはアルコールの臭いとおかしな言葉が飛び出してくる。この人……酔ってもそんなに外見が変わらない人なのか。

 ……ってあれ?

 何で、ヒーロー夫人が酔っているんだ?

「何なんだいもう……心配かけて……あんたに死なれてもらっちゃ困るんだよ……前までは邪魔だったから死ねとか思っていたけどね……今じゃ私はあんたを死なせたいなんて思わないっ」

 僕がそう思った矢先、いきなり酒臭いヒーロー夫人が着物がくずれて下着のような包帯が巻かれた中途半端な大きさの胸で僕に飛び掛かってきた。

「うわっ、ちょ、ちょっとヒーロー夫人」

 慌てて振り払おうとするも、「栄作ー、馬鹿ヤロー」と言いながら離れようとしなかった。というよりヒーロー夫人の力が純粋に強い。こんなの離そうにも離せられないって。

「……どうやらヒーロー夫人、朝からビール飲んで酔い潰れてたらしいですね」

 そう言う高梨君の右の人差し指は、カウンターの裏を指していた。

「ほら、見てくださいよ」

「……成る程」

 そこには、大量の缶ビールが落ちていた。当然中身は空だ。ありすぎて足の踏み場がない。

 そうか……ヒーロー夫人はこんなになるまで僕を心配してくれたのか……。高梨君にしたってそうだ。エレベーターの前で、僕を笑顔で待っててくれた。

 僕はやっぱり、いろんな人に迷惑をかけて生きている。僕が復讐者だろうと関係ない。人は、生きていればそれがどんな人間でも他人に迷惑をかけて生きているんだ。

 だから僕は、謝るんだろう。

 だからこそ、僕は謝れるんだろう。

 人との関わりを持っていないと、迷惑をかけるどころか、謝ることすら出来やしない。でもそれは逆に、人との関わりを持っているから出来ることなんだ。

 『私の知ってる奴はね、謝ったことがほとんどないのよ』

 叶さんは、その生き方を凄いと言っていた。

 だけどそれは、人との繋がりがあまりないってことじゃないだろうか。

 もしくは、その誰だか知らない叶さんの知り合いが、何処かで壁をつくっているからかもしれない。

 とにもかくにも、叶さんはああ言っていたが、僕は人に謝る人生も別に悪くはないと思う。

 だから、こう言おう。

 徳永切裂のことが終わる前の――とりあえずの和解の言葉を。

「勝手なことばっかり言って、すいませんでした、ヒーロー夫人」

「……栄作!」

 なんかこのやり取りデジャブっぽいな……と思ったら、やっぱりヒーロー夫人は僕を押し倒してきた。そしてなんと、そのまま僕の胸の上に頭を乗せて寝てしまう。

「……抱かれてばっかりだなぁ、今日の僕」

 こう呟くと、今までのヒーロー夫人の一挙一動にあわあわと慌てふためいていた高梨君が「えっ!」とこれまた大きな声で驚いた。

「抱かれまくりなんですか佐藤さん! マジですか! あの叶って人だけじゃなく! どんだけヤッてんですか!」

「どんだけも何だけもやってませんよ!」

 もう一度慌てふためく高梨君と、「栄作ー、えっえ栄作ー」と奇妙なテンポを小刻みにつけて盛大に キャラを壊しているヒーロー夫人を見ながら僕は、フゥ、と安息の溜め息をついた。

 あー、平和だなー……と、素直にそう思った。

 酔い潰れたヒーロー夫人の服をととのえて寝袋に入れて寝かしつけ(和服姿の極道の妻が寝袋に入るシュールなシーンがこうして実現した。顔だけ見れるのがまたこう、一味出している)、僕と高梨君は一晩中語り合った。まあ高梨君からの嫁自慢ばかりだったが、それも楽しめた。

 そして翌日の朝。早朝の射的訓練をするとヒーロー夫人が目を覚まし、寝袋に入った自分の状態を見て、「何だいこれは」と僕の方を睨みつけてきた。一旦射撃を止め、「おはようございますヒーロー夫人」と挨拶した。

「おはようございますじゃないよ。何だいこれはって聞いているんだ」

「あまり動かない方がいいですよ。青い大きな人面ミミズがうねうね動いてるみたいに見えます」

「……へぇ。あんた、私をミミズだと。いい度胸してるね。いいだろう。ミミズは土の龍と呼ばれてる存在なんだ。あんたを食ってやるよ」

「流石のヒーロー夫人でも無理ですよそれは」

「まあね」

 顔の部分から、よっと右腕を無理矢理出し、寝袋を開けると、ヒーロー夫人は着物をととのえ、何ごともなかったように腕を組んで僕に近付いてきた。

「あんた、何しに帰ってきたんだい? 徳永切裂はどうした? 殺せたのかい? 捜し出せたのかい? 見つけられたのかい?」

「どんどん達成出来るレベルが低くなってきてるんですけど」

「どうなんだい? それともまさか、私にあんなにたんかきっておいて何もなしで帰ってきたのかい?」

 僕の指摘など丸まる聞かずに話を持ち出してくるヒーロー夫人。どうやら二日酔いはしない体質らしい。確実に二桁はあった缶ビールを飲んでおいて凄まじいな、この人。

 ヒーロー夫人の後ろに高梨君が見えた。高梨君の顔は笑っていたので、気分がほぐれた。

 僕は鋭い眼光を浴びせてくるヒーロー夫人に向かって言った。

「何もない訳ないですよ。ちゃんと収穫はあります」

「ほう。何だい。言ってごらん」

「復讐が終わった後、生きる目的を見つけました」

「………………へぇ」

 僕の言葉を聞くと一瞬目を見張ったヒーロー夫人だったが、ゴホンと一つ咳ばらいをして自分を落ち着かせ、僕の目を真っ直ぐ見る。

 そして僕に、こんなことを言ってくれた。

「やったじゃないか、栄作。そんなことを言われちゃあ、私もこれ以上怒る訳にはいかないね」

 そうして。

 ヒーロー夫人は、初めて見る笑顔で、僕にこう言った。

「おかえり、栄作」

 その笑顔は、正直反則じゃないかなと思うくらい輝いていた。




「暗闇の空間って何ですか?」

 それから射的訓練を終わらせ、準備中の札をカウンターに乗せたままヒーロー夫人は『僕のいじられた記憶が戻りつつある』という話しをしてくれた。僕達三人は店の真ん中のテーブルの椅子に腰をかけて座っている。現在八時。いつもならもう地下の人達が来てもいい時間帯なのに、一向に来る気配がない。この準備中の札の効力が凄いのだろう。仕組みはよくわからないけれど。

「暗闇の空間っていうのはこの地下をつくってくれたヒーロー直属の科学者集団のことなんです。彼らのおかげで俺達地下の住人は、安心して過ごせるんですよ」

 言いながら高梨君は天をあおぎながら惚れ惚れとした表情になった。リアクションがオーバーだなぁと思ったいると、ヒーロー夫人さえもうんうんと頷いていたので、その暗闇の空間という団体がどんなに凄まじい存在なのかを認識することができた。

「何となく暗闇の空間っていうのが凄いのはわかったんですけど、その凄い人達が僕の記憶をいじったってどういう意味なんですか?」

 するとヒーロー夫人は「文字通りの意味さ」と暗い表情で僕に返した。高梨君も少し表情を暗くする。

「残念ながら、十五年前の夫の平和活動以来、暗闇の空間の奴らとは音信不通になっちゃってねぇ。夫も私も、血眼になって捜し出してる最中なんだ」

 この街の何処かにはいると思うんだけどねぇ、とボソッと呟くヒーロー夫人。その横で「俺もたまに外へ出て捜してるんです。今週末も遊園地に行って捜す予定です」と高梨君が言っていたけれど、にこやかな表情から察するにどうせ奥さんとデートだろう。いいなぁ、佐藤さん。素直にそう思う。

 でも待ってくれ。

 その科学者集団がどうして僕の記憶をいじろうとしたんだろう?

「わからないよ、そんなの」

 僕の疑問を悟ったかのようにヒーロー夫人はスラスラと答えた。

「ただわかるのは入街審査の時に何かされたのは間違いないってことだけだね。昔の話だけど、暗闇の空間が記憶操作に成功したって聞いたことがある。元々ある記憶を変更したり、誰かから記憶を抜き取ったり――これはどうやら失敗だったらしいよ。肉体の無い人間からなら抜き取るだけじゃなくてコピーして、更にその記憶を変更した上で植え込むことなんかが出来たらしい。まあ記憶操作なんて要は欠陥品らしくてね。この先どんなに技術を積んでも完全に記憶を変更したままにしておくのは無理なんだってさ。徐々に……ゆっくりと戻ってくのさ……元の記憶にね」

「……そういうことだったんですか」

 言われて見れば納得出来た。

 つまり僕は、あくまでも推測だけど――無理矢理この街に侵入したことと――何故だかわからないが同僚の存在を忘れさせられた。その上で僕はヒーローがいるのに平和な街に入ったんだ。

 そして、僕は記憶が戻ってきている。

「なんか怖いですねそれ……。佐藤さんはもう忘れてることって何もないですよね?」

「いえ。まだ忘れてることがあります」

 心配な表情で問い掛けてくる高梨君に、同様に残念な返答しかできない僕が悔しい。

「病気で死んでいった同僚の姿と名前です。昔は背中越しでも識別出来た同僚を、僕は未だに忘れています」

 いや……言っていて気がついたがそうじゃないかもしれない。

 もしかしたら、他にも何か忘れている記憶があるかもしれない。いじられた記憶があるかもしれない。けれど、それを確かめる手段はないし、確認しようがない。

「……そうかい」

 すっかり意気消沈して俯いた僕なの頭を、ポンポンと叩いてきた。

「大丈夫さ。今はない記憶でも、思い出せる。心配することはないよ」

「……そうですか?」

「ああ。そうさ。あんたは何も心配することはない」

 そこまでヒーロー夫人が言ってくれた時、カウンターの奥にある電話が鳴った。「ちょっと待っててくれ」と言い、ヒーロー夫人がその場を離れる。

 そして三分間。高梨君と僕が朝食のトーストの用意をしようとしたところ、「何だって! わかった! 今伝えておくよ!」というヒーロー夫人の喚き声が酒場を響かせた。何なんだろう……また大学関連かな……なら大歓迎だなぁ……と思いながら待っていると、ヒーロー夫人は「栄作!」と僕の名前を言いながら大急ぎで僕の近くに寄ってきた。

「ど、どうしたんですかヒーロー夫人」

 素直に僕が感想を漏らすと、ヒーロー夫人は「どうしたもこうしたもないよ!」と叫び、こう言った。

「徳永切裂の奴が夫に果たし状を送りつけてきたらしいんだ! 場所は地下への出入口の近くにある公園!今週の土曜日の午後三時! あんた……その時、徳永切裂に会いな!」




 その後、約五日間。僕は猛特訓をした。銃の動きは勿論のこと、昼間は働き続け、動きに動いて体力を出来るだけつけた。あとは徳永切裂の前に立った時に冷静でいられるかどうかが問題だったけど、大丈夫そうだった。

 何故なら、僕には今、未来があるから。

「……おはようございます」

 土曜日の朝七時。いつもより少し遅く起きた僕は、ヒーロー夫人しかいないことに驚いた。

「あれ? 高梨君はどこに行ったんですか?」

「あいつは今、遊園地に向かってるよ。「佐藤さんの邪魔はしたくない」ってさ」

「……出来れば見送って欲しかったんですけどね。頼りになりますし」

「まあ、その気持ちもわからなくはないよ」

 それから僕とヒーロー夫人は喋りあった。今までのことを振り返ったり、時々もっと過去のことを喋ったり。これからの遠い未来のこと、僕達は過去と未来を繋ぐために囲碁をうつんだというようなマニアックな話しもした。昼食はオムライス。ヒーロー夫人が作ってくれたオムライスは、温かくて美味しかった。

 そしてあっという間に午後二時五十五分が過ぎた。

「ついに……だね、栄作」

「ええ。あの……本当に復讐しに行って大丈夫なんですか?」

「ああ。今まで私はあんたが復讐し終わった時、野垂れ死ぬってわかってたから止めてただけだよ。他にも理由はあるっちゃあるけど……私はあんたの味方だ。全面的に応援する」

「……ありがとうございます」

「礼を言うのはまだ早いよ。礼を言うのは徳永切裂に復讐してからさ」

 ……何だか、こうしてヒーロー夫人と話していると感慨深い気持ちになってきた。

 これまで、色んなことで迷惑をかけてきた。意味のないことで怒鳴ったり、訳のわからないところで叫んだり。でもその度に、ヒーロー夫人は僕を手助けしてくれた。

 ヒーロー夫人。高梨君。地下の皆。叶さん。

 僕は亜希子と父さんと母さんの復讐の為に――そして皆に謝る為に、徳永切裂と対峙しよう。

「今日の暗号は『何かいいことでもあったのかい』だよ。行ってきな、栄作」

 パイプをふかしながら、ヒーロー夫人は微笑を浮かべて僕を見送ってくれる。

「何かいいことでもあったのかい」

 扉が開くと中に入り、振り返り、ヒーロー夫人の顔を頭に刻み込みながらしっかり見た。扉が閉じ、ヒーロー夫人の顔が見えなくなる。上へと移動する中、僕は考えた。

 ……何かいいことでもあったのかい、か。

 その問いに肯定出来るよう、頑張ろう。時計を見たらちょうど午後三時だった。

 やがて頂上につき、エレベーターの扉が開く。降りて、僕はゆっくりと右にある公園を見た。スローモーションになったように感じる。胸の鼓動が激しい。服のあちこちに隠してある拳銃と銃弾が零れ落ちないか心配になった程だ。

 そして僕は見た。


 ――連続殺人犯徳永切裂の姿を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る