ヒーローがいるのに平和な街の表 10

 またまた目を覚ますとそこは見知らぬ空間だった。盛大な音が耳をつんざく。おいおい何だこのパレードみたいな音楽は。お祭り騒ぎ中か、この野郎。

 未だに寝ぼけている自分の両目をこすりながら冷静になって周りを見渡してみた。そこには絶賛稼動中のジェットコースターや、観覧車。回り回るコーヒーカップやメリーゴーランドやらがあった。

 ……ああそうか。俺は遊園地にいつの間にか着いていたのか。

 気が付くと俺が座っているここは白い二人がけのベンチだった。その両横にはまたベンチがあり、完全に休憩専用になっている。

「……ってあれ? あゆみは?」

 今の今までとんでもないものを見ていた気がするが、まあ、あんなもんは夢だろう。しかしやけにリアルな夢だったなぁ。俺が刀銃だということは恐らく間違いではないし、俺が殺人犯だったという記憶は実は徳永切裂の十年前くらいの過去編で、俺に告白してきたあゆみはあゆみの母親の昔の姿だったというオチ。本来ならあの記憶の中にはあゆみの父親というポジションである徳永切裂がいないとつじつまが合わなかったのだが、生憎あれは元が徳永切裂の記憶なので徳永切裂を登場させる訳にはいかなかったのだ……というようなすこぶる程ばらんばらんな夢。

「……まあ、夢……だよな。うん、夢」

 そうやって無理矢理自分を納得させた上でもう一度周りを見渡すと、あゆみが居た。かき氷やシャーベットを売っている店の前に立っている。

 ただし。

 外見を見るだけで、ああこいつ不良だよこれ近寄らない方が身の為だよと子供にいいたくなるくらいチャラチャラした格好をした男性と、かたや反面真面目そうな、昔図書委員でもしていたのではないかというくらいおしとやかな女性。

 その二人が、あゆみに向かって頭を下げていた。頭を下げられているあゆみは、あたふたと慌てている。珍しい表情だった。

「…………って」

 おいこれどういう状況だぁ!

 何で不良とおしとやか美人さんと小学二年生の金髪ツインテールが一カ所に固まってるんだよ!

 しかも何故に小学生に二人が頭を下げてるんだ!

 そう叫ぼうとしたところ、不良とおしとやか美人さんがあゆみに手を振り、去って行った。あゆみも躊躇いながらも恥ずかしそうに手を振って応じる。二人の姿を見送った後、満足そうな表情で振り返ったその瞬間、俺と目が合って「うわぁ!」と大声を出した。

「か、かかかかか刀銃! あなた、何時から起きて……ってあなた! もしかしてもしかして、い、いいいい今の……見てた?」

「お、おう。一部始終とまではいかねぇが、半分くらいは多分見てたぞ」

「きゃ……きゃあああーーっ! 変態が……ここに幼女の行動を観察して付け回す真性の変態が居ますっ!」

「やめろやめろやめろあゆみ!」

 何てことを言いやがる!

 ほら見てみろよ、店員の男の人が白い目で俺を見てくるじゃねーか!

 ロリコン扱いされる悪夢再来か!

「なによ……何なのよ! 肝心なことは無視したくせに、見て欲しくない所だけ見るなんて!重罪よ、重罪!刑法小数点第二十条で罰則を課させてあげるわ! 覚悟してなさいよ!」

「覚悟も何もそんな刑法絶対無いから!」

「刑法小数点第二十条……刀銃を折檻の刑に処す!」

「まさかの俺限定の刑法かよ! てか何だ折檻の刑に処すって! 響きが怖いっての響きが!」

「うるさいわよ! 罪は罪、罪には罰をの精神で魔法律で裁きを降すわ! 訴えて勝つわよ、私!」

 というかそもそも法律ってこの街にあったかどうかを頭の中で思い返していると、「全く」と言いながらあゆみは俺に近寄り、ベンチの前で立った。

「何か私に言うことはないかしら?」

「……えーと、さっきの二人はあゆみとどういう関係なんだ?」

 俺が今一番聞きたいことを聞いてみると、あゆみは「そんなことは今どうでもいいでしょう!」と俺に怒ってきたが、やがてあゆみはため息をつき、諦めたように俺を見て言った。

「もういいわよ……こうなったら私がして欲しい質問にたどり着くまでとことん答え続けてやるわ! まずあの二人は私が財布を拾って渡してあげたの! はい終了! 次いきなさい!」

「お、おうよ! んじゃ次! 俺はいつから気を失ってたんだ!」

「わ……私が重要な質問をしてからパタリよ! 何を言ってもうんともすんとも答えないくせにちゃっかり私についてくるんだもの! オリマー? 私オリマーなの?」

「それだったら俺ピクミンになるじゃねぇか!」

「当然よ! 刀銃は青ピクミン並の力しか持ってないけれど!」

「溺れないだけかよ!」

 あんなもんオリマーだって持ってる能力じゃねーか!

 じゃあお前は白ピクミンだ!

 毒があるなんて、あゆみにピッタリ過ぎるじゃねーか!

 そこまで叫び合うと、あゆみは「疲れた! 帰るわよ、刀銃!」と言って大股で歩き出した。まあ大股と言っても元々の足が短いからそこまで……というよりか全然速くない。追い付くのに全く苦労しなかった。

「帰るって俺ら全く乗ってないじゃんかよ。ジェットコースター乗ろうぜ、ジェットコースター」

「身、長、制、限! 考えて提案しなさいよ、刀銃!」

「……なんか、すいませんでした、あゆみさん」

「謝った程度じゃ済まされないわよ! 私だって乗りたかったわよ! キャーキャー刀銃に言わせたかったわよ!」

「俺にキャーキャー言わせたかったのかよ!」

「なのに肝心の刀銃は放心状態だし揚句の果てに私は身長が足りない? ふざけるのも大概にしなさいよ! この私を舐めないで欲しいわ!」

 完全に俺の話しを無視しながら小さな体の内部に溜め込む毒を吐きに吐くあゆみ。あー……もうこの勢い止まりそうにねーなぁ。どうやったら機嫌なおるやら。

 真剣に考えながら、あゆみの暴言を頷きながら応答して歩き続けていると、遊園地の出口に差し掛かった。今気付いたことだが、俺の右腕に何だかよくわからない緑色の紙みたいなものが巻き付いている。と思ったらどうやらこれはこの遊園地のフリーパスらしい。前方にいる男の子が右腕の付近を係員に切らせてもらっていた。てかデカイなあのハサミ。デカすぎだろ。一般男性の平均身長の四分の三はあるぞ。それなのに何故男の子は怯えてないんだ? 両腕をめいいっぱい使っている男の係員の顔が笑顔なこともまた恐怖の一因を担っていた。

 あのハサミの二つ名はマインドレンデルだな、と何の意味もなく勝手に考えていると、「何ぼーっとしてるのよ。早くしないと西山を始めるわよ、私」というあゆみの声が聞こえてきたので我を取り戻し、「すまんすまん。じゃ、行くか」と言ってあゆみの横を歩いた。

 フリーパスを切って貰い、出口を通る。

 目の前には、『如月駅』という名前をデカデカと掲げた駅が広がっていた。

 ふいに、一つの考えに至る。

 おい……ちょっと待て。俺、今日のこのあゆみとの外出の中で、財布を開いたことが一度でもあったか……?

 駅の切符を買う時も。

 遊園地に入る時も。

 フリーパスを買う時も。

 俺は、ずっと何かにとりつかれたように放心状態だった。当然、全くその間の記憶がない。

 気が付くと横には既にあゆみがおらず、遠くの方で「少し待ってなさい、刀銃」と俺を横目に見て言いながら、改札口の前でデカイ金色の財布を小さな手で探っているあゆみの姿があった。

 ……まさか。

 俺、今まであゆみにお金を払わせていたのか?

 喋りかけても何にも答えない……そんなつまらない男の為に、あゆみはかいがいしいくらい声をかけてくれ、仕舞いには全額負担してくれていたのか?

「嘘だろ……おい……」

 呆然としながら、俺はあゆみを見た。

 あゆみ……お前は確か、ほんの数日前まで物凄く高飛車な奴だったよな?

 それが……そんなお嬢様が……あゆみが……俺の為に、全力でサポートしてくれていた。

 いや……それだけじゃない。あいつは見ず知らずの二人組の財布を拾ってあげたりもした。

 感謝され、恥ずかしがっていた。

「…………おい」

 それに比べて、何だ俺は?

 最悪? 最低? 外道? 性悪?

 その全てをかけて更に二乗してもまだ足りないくらい醜悪な奴じゃねぇか、俺は……俺は……!

 どこまで馬鹿野郎なら気が済むんだ!

 無我夢中であゆみの方へと近寄ると、あゆみは息を荒げた俺に戸惑いながらも「はい、刀銃。帰りの切符よ」と伏し目がちに手渡してきた。

 その仕種が、何とも言えないくらい可愛かった。

「あゆみ!」

「な、何よ!」

「映画館に行くぞ!」

「え……映画館? いきなり何を言い出すのよ」

 俺の突然出した提案に戸惑いを隠せないあゆみ。そりゃそうだよな。今までろくに質問にも答えなかった男が何言ってるのよ、って感じだよな。

「すまなかった、あゆみ! 本当にすまなかった! せっかくの外出なのにろくに会話もしないで金も払わなかった! すまなかった!」

「ひゃん! ちょっと、いきなり私の両手を握らないでよ!」

「そうか? スマン」

「あ、ヤダ! 離さないで……は、離さないで握ってなさいよ!」

「お、おお」

 言われて両手で包み込むようにあゆみの両手を握ると、どんどん温かくなっていった。柔らかくてスベスベで、何より小さい。赤ん坊がしっかりしたみたいな手を握っている感じだった。

 何故だか知らないが顔を赤くさせるあゆみに向かって、俺は叫んだ。

「映画館に行ってスリーDの大迫力の画質を見よう! 本屋に行って漫画を立ち読みしまくろう! CDショップに行って雨の日以外に仕事をしたことがない死神みたくミュージックを楽しもう! もっともっと色んな所に行って喋りまくろうぜ、あゆみ!」

「ふぇ……ふええ?」

 擬音を発するあゆみに気にせず俺は感情を爆発させる。

「さっきっていうかどのくらい前かわからないが俺に言ったよな、あゆみ。『叶だったらもっと楽しみにしてたんじゃないか』ってよ」

「え……ええ。言ったわよ」

「答えは『んな訳ないだろ』だ! 年中絶倫な叶なんかよりもお前と外出の方がよっぽど楽しみに決まってるだろが! だから……」

 あゆみの両手から手を離し、あゆみが買ってくれた切符を通して、今ちょうど来た電車をバックに俺はあゆみに言った。

 他でもない、あゆみに。

「今日はとことん遊ぼうぜ!」

「あ……当たり前よ! 今度私に気をつかわせたりしたら許さないんだからね!」

 俺がこう言うと、あゆみは全力で走り、改札口に切符を通して俺に近づいていた。

「さあ、さっさと乗るわよ! 映画館なら二つ向こうの駅に大きいのがあるわ! 切符が勿体ない気がするけど別にいいわよ! だって刀銃のオゴリだものね!」

 そう暴言まがいのことを言いまくるあゆみだったが、そんなあゆみの顔はとても晴れ晴れしいものだった。

 電車が止まり、目の前で扉が開く。位置の関係上、俺が先に乗らせてもらった。楽しい休日に今度こそはさせるぞとあゆみをエスコートとしようと振り返ったその瞬間。


 今までの前兆が、事件へと移行する。


 ――声が。

 本来聞こえる筈のない聞き慣れた声が。

 俺の体を通過した。

「刀銃……今ヒマ……じゃないけどまあいいやー」

 プシューと頼り無い音がして、電車の扉が閉まろうとする。

 俺の目の前には。

 何処からともなくいつの間にか現れた運動着の叶と、叶の右腕で完全に動きを封じられているあゆみの姿があった。

 何で……どうしてどうやってどういう理由で……叶……お前があゆみを連れ去ろうとしてるんだ……?

 何で、苦しそうにもがいているあゆみを抑えながら、そんなに幸せそうな顔で俺を見るんだ?

「最も最適な誘拐場所はやっぱり駅の中だと思うんだよねー。栄作とも喋ったけど、駅の中が一番だよ、うんうん」

 アハハハハ……。

 アハハハハ……。

 叶は、静かに……だけども不気味に笑う。俺は、その笑い方を知っていた。

 徳永切裂の記憶に住まう最もイレギュラーな存在。

 予感はしていた。俺の中に入れられた徳永切裂の記憶。その中に叶の存在を入れなければ話が成り立たないのはわかるが、その叶を凶悪犯の幽霊にする必要性は全くといっていいほどない。寧ろ要らない手間だろう。

 それなのに、暗闇の空間はそんな叶を俺の中に入れる徳永切裂の記憶の中に入れた。

 つまり……そうしなければこの後に起こる展開の理由がつかないから……。

 俺の目の前にいるのは、今まで仲良く喋って笑い合っていた、ド変態の叶じゃない。

 凶悪犯にて幽霊――叶香里っ!

「あゆみ……!」

「おっとっと。駆け込み下車はおやめ下さーい」

 慌てて飛び出そうとすると、叶はスニーカーを使って蹴りを繰り出しきた。あまりの衝撃に周りの風が唸る。

「グハッ!」

 俺の体が反対方向の扉に強制的に押し付けられる。痛みに堪えながらも何とか立ち上がって寄ろうとするも、既に扉は閉まっていた。

 右手を振ってニコニコ笑う叶。

 右手を力の限りのばし、俺の助けに縋るあゆみ。

 その姿が、嫌でも心に残った。

「クソ……がぁ……!」

 突然の事態にも慌てたらそこで終了だ。まずは冷静に起きた出来事を整理し、そこから打開策を組み立てろ。

 あゆみが叶に誘拐された。

 それに対応する為にまずはしなければいけないこと。

「それは……この電車から降りて急いであゆみを探しに行くことだ!」

 善は急げだ!

 もう何も考えるな!

 あゆみと叶との思い出が走馬灯のように駆け巡る。

 かまうもんか!

 今は電車を止めることだけ考えろ!

 走って車両を移り、先頭車両へと向かう。土曜日にも関わらずまるで人払いでもされたように誰もいなかったが、今の俺にその理由を考える術はなかった。

 ようやく先頭車両にたどり着く。運転している人が居る筈だ。こうしている間も景色はどんどん移り変わる。大至急その人に話しをすれば電車を止めてくれる筈……。

 そう考えていた俺が甘かった。電車なんて今日初めて乗った俺だからしかたがないというつもりはないが、それでも愕然とした。

「無人電車かよ……!」

 考えてみれば当然だ。運転を機械に任せておけば何も危険性はない。だからさっきあゆみが誘拐された時もすんなりと扉が閉まったのだろう。

 表裏一体。

 長所もあれば短所もある。

「畜生……どうすれば……どうすれば電車は止まるんだ!」

 急がないとどんどんあゆみから遠ざかる。考えろ、考えろ俺。今ある全ての情報で適切な答えを導き出せ!

 早くしろよ!

 早くしないとあゆみが……あゆみが……!

 ――その時。

 俺の右ポケットに入っている携帯のバイブが作動した。

 俺が俺の携帯の電話番号かメールアドレスを教えているのはたったの三人。

 叶香里。

 西山あゆみ。

 そして……ヒーローだけだ……!

「もしもし! ヒーローか!」

「あ、うんそうだよ僕だよ。どうしたんだい刀銃君、そんなに息を荒げてさ。まあいいや。ねぇ知ってるかな? 今度僕を特集した特番が七時にやるんだけど、観てくれないかな? 視聴率を少しでもいいから上げて欲しいんだけど……って、どうしたの、刀銃君? 元気ないね。何かあったのかい?」

 その、のほほんとした声を聞いて、俺は心の底から安心した。そうだよ。この街には、ヒーローが居るじゃないか。ヒーローならきっと何とかしてくれる筈だ。

「ヒーロー! 単刀直入に言う! あゆみが叶に誘拐された! 今俺は動く電車の中にいる! まだ止まる気配はない! なんとかして電車を止める方法を教えてくれ!」

「……携帯をそのままの状態にして少し待ってて!」

 訳を少しも聞かずに、ヒーローは俺の言葉を信じて動いてくれる。ああ……やっぱりヒーローが居ないと駄目なんだ……俺は……俺は……!

 すると後ろから、ブウゥゥンと言う無機質な音が聞こえてきた。驚いて後ろを振り返ると、そこには二つの物が電車の床に置いてあった。

 ――徳永切裂が使う刀。

 ――田中雄二が使う銃。

「刀と銃……刀銃」

 俺が感動を越えて羨望の域にまで達していると、まだ通話中の携帯からヒーローの声が聞こえてきた。

「僕の知り合いに元科学者の人がいる。その人に頼んで状況を打開出来る物を瞬間移動で運んでもらったよ! 何がいったか教えてくれるかい!」

「刀と銃だ。ありがとよ、ヒーロー……と、セバスチャンさん!」

「え、ちょっと待」

 俺は急いで携帯を放りなげ、足場が依然ぐらつく中、二つの無機質な兵器を取り上げた。

 右手に刀。

 左手に銃。

 徳永切裂は左腕を撃たれた。

 だから右手に刀を。

 田中雄二は誰だか知らない友人の警察官と同じ左利きだった。

 だから左手に銃を。

「これで準備は完了だ」

 二人の記憶を頼りに、俺は行動した。体のベースは刀銃である俺だが、俺の中にある二人分の記憶が本来なら不可能である動きを可能にさせる。

 まず刀を振り、その刃で無人電車の先頭部分へと繋ぐ入口を作った。四角に切り跡ができ、その四角を辿るように境目が切れる。人一人分が通れるくらいの空間が出来る。

 そして銃の引き金をひいた。安全装置は初めから解除されていたので関係ない。狙いを全く定めていない銃口は、放たれる銃弾を生み出し、一直線へとごちゃごちゃした訳のわからない機械達の真ん中に着弾する。

 運がよかったのか、電車は徐々にスピードを落とし、やがて完全に止まった。

「よし」

 しかしまだ喜ぶのは速い。急がないとあゆみが叶に何をするかわからない……!

 大急ぎで先頭から離れ、放り投げた携帯を左手で拾い上げる。拳銃と重ねて持っているがなんとかなった。耳に画面を押し付けながら、刀で出口を斬り出し、とにかく全力で走ろうと思ったが、生憎壁に挟まれていた。

「どうしたんだよ! 大丈夫だったのかい、刀銃君!」

「ああ大丈夫だ! 何とかなった! ヒーロー! 今度は街を囲んでる壁が邪魔だ! ――斬っていいか!」

「な……何言ってるんだよ、刀銃君! そんな分厚い壁を刀なんかで斬れる訳がないだろ!」

 ヒーローが言う言葉ももっともだったが、今こうして刀を持っている俺には確信できた。

「いや、徳永切裂は……やろうと思えばこの壁も斬れる」

「と……徳永切裂? 何で刀銃君がその人の名前を知ってるんだい!」

「今はそれどころじゃない! ヒーロー、答えてくれ! いいのか? それとも駄目なのか!」

 ヒーロー……すまない、話しの腰を折って。ヒーローのその問い掛けにいつかは答えなくちゃならないが、だけどしかしそれは今じゃない。

 今は何としてでもあゆみに近づかなければ……!

「だ……駄目だよ!」

 だが、悩みに悩んだ末ヒーローが出した決断は却下だった。

「そこは壊してもらっちゃ困る! だから刀銃君! おとなしくそこで待っててくれ! あゆみちゃんと香里ちゃんの居場所は突き止めたから後は僕に任せ――」

「壊すのが駄目なら……昇ってやるよ……!」

 言うがすぐに、俺は渾身の力を込めて刀の切っ先を壁に押し付けた。コンクリートで出来ている壁だったが、その繋ぎ目に突き立てれば何とか刺さる。

 そして、勢いよく上にあがり、同時に上の方向にある繋ぎ目へ突き刺す。

 上がり、突き刺す。

 上がり、突き刺す。

 この繰り返しを何度もし、ついに壁の頂上までたどり着いた。街の全貌を見渡せるくらい高く、じだんだが踏める足幅が小さい。俺の足の縦の長さの二倍しかない。太陽が照り付ける中、風が弱いことに感謝しつつも前を見た。

「アハハハハ! 頑張ってるねー、刀銃!」

 手がギリギリ届かない距離。

 それなのに目が合う。

 そこには、何かの薬品をかがされたのか――はたまた窒息したのか既に意識を無くしているあゆみを抱えた叶が、何の足場も無い空間に立っていた。

「何でだ……何でお前があゆみを誘拐しようとするんだ!」

「そんなの簡単だよー。私にも徳永切裂のいじられた記憶が入っててさ、ゆっくりゆっくり思いだしてたの。それで、こんなことになりましたー。私はしたいことをしたいだけ。その対象があゆみちゃんだった。ただそれだけ……それだけよアハハアハアハハハハッ!」

 遊園地の音楽なんて目じゃない程に高らかな笑い声を発する叶だったが、その笑い声の種類が残酷だった。

 これは……快楽だ。

 叶の欲求をただただ満たすだけの快楽の笑いだ。

「久貝田大学と刀銃の家の間にある、トイレの横の三つの土管しかない公園に居るから。んじゃねー」

「おい……待てよ叶!」

 俺は何の躊躇いもなく銃を撃とうとした。叶しか見えていなかったから。

 しかし叶はニタリと笑い、気を失っているあゆみの頭を右手一つで軽々と握り、垂らした。まるで身代わりのように。

「……っ」

「その躊躇いが命取りだよ、刀銃」

 先刻までの笑みから一転。冷めた表情で俺を見下した叶は、スーっと立った状態のまま静かに遠ざかっていった。

 俺は、この短時間で二度も叶を逃がした。

「う……うおおおお!」

 叫び、急いで地面へと向かう。降りる方法も上る方法とさほど変わりはない。要は逆をすればいいだけの話だ。

 降りて、突き刺す。

 降りて、突き刺す。

 やがて地面に辿り着いた俺は、全速前進で叶が言っていた場所へと向かった。トイレの横にある土管公園なら覚えがある。小さいくせに入口みたいに開かれた場所が二つあるというおかしな公園だ。幸いレトロな風景が今目の前に見えているので近いっちゃあ近い場所だろう。

 走りながら、携帯を耳に押し付ける。

「刀銃君! 今どこだい! 焦っちゃ駄目だ! 僕らもすぐ向かうからゆっくり向かってくれ!」

 ヒーローが大声で俺にこう言ってくれる。ははは。何言ってんだよ、ヒーロー。焦ってんのはヒーローじゃないか。

「……ありがとな、気にかけてくれて。でも……もう遅い」

「へ?」

「もう、着いた」

 二人分の記憶が、俺の走りを早くさせた。

 冷静だから状況判断が出来るんだ――そう自分に無理矢理言い聞かせて、目の前の状況を確認する。

 三つの土管は公園の真ん中にある。

 土管の向こう側に、相変わらずダボダボのサイズが合っていない青色のジャージを着た徳永切裂と、カジュアルな若者向けのラフな格好をした、知らない……いや、あいつは佐藤栄作か。何やってんだこんなところで。警察の仕事はどうした……ってそうか。

 あいつは徳永切裂への復讐でこの場にいるのか。

 まあ……いいさ。今の俺には関係ない。

 目的の奴は、あゆみを抱えて上空にいた。


 ――叶香里がそこにいた。

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