ヒーローがいるのに平和な街の裏 九
「……へ?」
「やっぱりそういう反応になるよね。うん、そうなの。有り得ないんだけど、今まで動かなかった左腕が動いてたのよ。しかも皆それに対して何も言わないのさ。どういうことなんだろ、これ」と、これまた困ったような表情で言う叶さんの話しは、僕の耳に全く届いていなかった。
……どういうことだろう?
久貝田大学に刀銃という偽名を使っている徳永切裂が潜んでいると思ったら、その刀銃という男の人の左腕は動くようになったらしい。
徳永切裂の腕は言うまでもなく二度と動かない代物だった。僕の同僚が撃った銃弾が左肩を貫いたんだ。当時から全国に向けて指名手配されていた徳永切裂が医者にかかることが出来るなんてことは不可能に近い。
つまり、徳永切裂の腕は治らない。
それなのに、叶さんが言う刀銃という人の腕は治っている。
「…………」
要するに……刀銃は徳永切裂じゃない?
「……って、どうしたのさ。そんな怖い顔して私を睨みつけるってどういう意味?」
そんなことを考えていると、叶さんが心外とでも言いたげな顔で僕の顔を見た。どうやら叶さんは僕が考えている間、ずっと喋っていたらしい。駄目だ、門の時と同じだ。全く聞いていなかった。とりあえず、頭の中に残っている突然治った左腕の疑問に答えることにした。
「いや、なんでもないです。えっと……その、刀銃っていう人の左腕が動かなくなった原因は何なんですか?」
すると叶さんは、溜息を一つついて僕にこう言う。
「……あのさ、今何の話しをしてるかわかってる?」
「…………すいません。わかりません」
やっぱり僕がボーっとしている内に話が変わってしまっていたらしい。どうなってるんだ僕の頭は?情緒不安定にでもなっているのだろうか?
暗い顔で俯いた僕を見て、「全くもう」と溜息をまたついた後、叶さんは僕の方に目を向けた。
「だから言ってるじゃん。今私がしてるのは、『誘拐犯罪起こすのに一番適切な場所はどこなんだろね』って話よ」
「そんな話してたんですか!」
これは……不必要過ぎて涙が出るとかそういう次元じゃない話の題材だぞ!
というより男女が二人寄り添って歩きながらする話でそのチョイスは一体全体どういうことなんだろう!
僕がこう思ってるのを悟ったのか、叶さんはシュンとうなだれた。その子供っぽい仕種もまた亜希子に似ていて、ドキリとする。
「そうだよね……やっぱりこの話はマズイよね……刀銃の左腕が動かない理由は――今さっき――わかったからもうよかったんだけどさ、その代わりの話に誘拐話は失策だったかな……」
そう言って叶さんは本格的に悲しい顔をし始めた。どうやら叶さんにとってこの話は重大な話だったらしい。ただでさえ僕は今までの言動で叶さんを悲しませているんだ。少しでも、叶さんを楽しませたい。
「そ、そんなことはないですよ。とても大切な話です。寧ろ、叶さんよりも僕の方がその話に関して興味を持っていると言っても過言じゃないですよ」
「何で?」
「え、何でって……」
「何で?」
「…………」
叶さんを楽しませたいから――なんて浮ついたセリフを言える訳がない。
僕がまた沈黙を開始したのを見ると、叶さんは「アハハッ」と笑い、明るい顔で僕の顔を覗き込んだ。近い。僕の目と叶さんの目の距離がこれでもかというくらいに近かった。視界の中には、叶さんの顔しかない。まあ、それ以外に必要かと聞かれたら、迷わず僕は要らないと答えるだろうけど。
だから僕に不満はなかった。
あるとしたら、叶さんの鼻息がかかる距離に対する心臓の鼓動への心配だけだ。
「……何ですか?」
「んー? いや、何でもないよー」
「何でもないなら歩きましょうよ……。そんなに近くに寄られたら歩こうにも歩けませんし」
「んじゃ、私を歩かしてよ」
「……何を言ってるんですか?」
「手取り足取り、さ。私を乱暴に扱ってみて」
そう言うと叶さんは一旦僕の至近距離から離れ、両手を腰につけて直立不動の状態になった。ただし、さっきまで僕にかかっていた鼻息を荒げて。
……うん。
やっぱり、この人は僕の知っている亜希子じゃない。
何度目かになるかわからないこの自問自答だけど、今の僕には重要なことだった。
この人は、叶香里さん。
ヒーローがいるのに平和な街に住んでいる、ポニーテールが特徴的な、ちょっと変態な女子大生だ。
「……ここで僕が「わかりました」とか言って、叶さんの胸やら尻やらを触った場合、僕はどうなりますか?」
僕がこう言ったら、叶さんは一瞬キョトンとした表情をしたかと思うと、直ぐさまこんなことを言った。凄く輝かしい笑顔で、その上大声で。
「そんなことを君がする訳ないじゃん!」
電線にとまっていたカラスや、電柱の前で用を足していた野良犬が、体をびくつかせ、颯爽とその場を去って行った。僕は一つ溜息をつき、トコトコと先を歩き出した叶さんの背中を見た。
全くその通りだな、と僕は素直に思った。
こうして一悶着あった後、下らない話しをしながら(効果的な運動の仕方とか、友人の誕生日会をどんな風にするかとか、ヒーローは具体的にどんな人なのかとか、本当に下らないことばかりを喋った)歩き、叶さんはそれまで会話をしていた話題をいきなり中断し、「あ、ここだよここ」と言ってある場所を指さした。
夕暮れが映える中、叶さんの人差し指の先には校舎があった。
勿論、大学の校舎じゃない。かといって高校の校舎でもないし、中学校の校舎でもなかった。
それは、小学校の校舎だった。そして、鉄で出来た横スライド式の――両開きの校門が、四階くらいはあるかもしれない校舎の斜め横にある。
その側に――下校時刻はずっと前に過ぎた筈なのに――一人の少女と、やけに長い黒色のリムジンが居た。
赤いランドセルを両肩にかけ、汚れが一切ないツインテールの黒髪を少しも動かさずにじっと、遠目からでもわかるくらい無愛想な顔で校門に背中をつけていた。背丈から予想するに、小学校低学年くらいだと思う。それにしても、歳には見合わない冷たい表情をしている。彼女の過去に何があったのだろう――と警察官である僕は不審に思ったが、そういえばここは平和な街。彼女の過去に何かあるなんて有り得ない話なので、僕は彼女自身の素なんだろうと一人で勝手に納得した。
問題は、少女の前で広い道路の横幅の半分を占領しているリムジンの方だ。
ここは平和な街。ヒーロー夫人から、予め『車や電車や飛行機は撤廃された』ことを聞いてあった僕は、驚いた。
「何でリムジンが?」
「うーん、なんかね、あゆみちゃん家は特別らしいんだよ。よくわかんないけど」
ほぼ無意識で発したこの疑問を、叶さんはこう返してくれた。でも僕は納得出来ない。そんな僕の顔を見ながらも、あゆみちゃんと言うらしい少女が叶さんに向けて笑顔で手を振ってくるのを見て、「ごめんね」と僕に言い、少女の方へ駆け足で向かった。
「……あ」
ここで、ふと、僕は気付く。周りも暗くなってきた。叶さんはあの意味不明なリムジンに乗って帰るのだろう。運転手の人と、少女と一緒に。
そして……そして?
僕と叶さんの関係は?
……そして、ここで終了だ。
明日から、僕は一歩も外に出られなくなる。そうなったら最後。叶さんが居るであろう大学にはもう行けなくなる。
そして……僕は叶さんに会うことが二度と出来なくなる。
最初で最後の対面。
簡単に言ってしまえば、そんな所だ。
「んじゃねー! また明日、大学で会おー!」
リムジンに乗る寸前、僕に向けてブンブンと大きく手を振った叶さんは、僕との再開を全く疑っていなかった。
違うんだ、叶さん。
僕はこの街の人間じゃない。
僕の目的は、徳永切裂を殺すこと。その為には、腕を上げないといけない。
大学なんて――例え叶さんに毎日会えるとしても――行っている時間なんて割けない。
だから、もう会えない。
叶さんには……もう会えない。
僕の視界には、土の地面しかなかった。叶さんの「おーい、返事はー?」という声が聞こえていたが、僕の耳には騒音にしか聞こえなかった。
……別れに悲しんでいじけるなんて、僕はどこまで甘い奴なんだ。
なんて思いながらも、やはり納得出来ない僕がいる。納得出来る訳がない。
もし、僕が復讐を完遂したとする。徳永切裂を殺し、僕の心は満たされ、この街を去る。
そして……どうなる?
そしたら……どうにもならない。
僕はただ単純に生きる為の資金を稼ぐ為、がむしゃらに働いて、終わる。
終わり、だ。
何も……始まらない。
その生活に、何の意義がある?
僕は早く死んだ三人のことを忘れ、とっとと誰かと結婚し、とっとと幸せな家庭を築き、とっとと隠 居生活をするべきなんだ。
だ、だけど、だけ、だ、けど、そん、なせい、か、つを、ぼく僕ぼく朴ボク僕撲ぼくぼクぼく撲僕朴牧ぼくぼくぼ、ぼぼぼボぼぼぼくくく句区玖駆くくぼくぼくぼくボク僕僕ぼぼく僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕……、は、ほんと、う、におく、るこ、とが、でき、るの、か?
ほ、
んとうに
?
でき
る
のか?
だって、
亜希子
も
父さんも母さんも
だれ
も かれも か
のじょも かれらも
か
のじょ
らも
だれもいない。
そんな未来を僕は思い描けない。今あるのはそう徳永切裂徳永切裂そうだ徳永切裂だったそうだったそうだったんだねよし徳永切裂だそれしかないそれ以外に何がある何もないだろ徳永切裂しか僕にはない明日は何をしよう徳永切裂だ明後日は何をしよう徳永切裂だあいつーの目をくりぬいてうってうってうちまくってなくしてあいつーの舌を切り抜いてもてあそんでもてあそんであいつーの目の前でうちまくってああそういえばそのときにはあいつーの目はなかったじゃあどうしようそうだうとうあいつーをうってうってそうだそうだその為には僕はーいっぱいとっくんしてヒーロー夫人をりようして高梨君もりようしてりようりよう徳永切裂にりよう再りようりようだりようそうしよう僕は何を甘い事を考えていたんだそれしかないじゃないかこの街に来てから僕は甘くなっていたいやそうじゃない何時からだ何時から僕は甘くなったそうだよだんだん思い出してきたよ僕はせいこうほうでこの街に入って来た訳じゃないじゃないか――
僕は――
上官を脅迫してこの街に入ったんじゃないか――
なら今更何をおそれる事があるもう失うものなんて何もない僕は僕が何者かも今断言出来ない何故なら僕はけいさつかんなのにけいさつかんの上司の上官を脅してそうだそれまでは僕はなりふり構わずなりふり構わなかったのに何時からだ何時から僕は抜けた事をしていた思い出せ思い出せおもいだせおもいだせお、もいだ、せおも、いだせ、いやいや何でおもいだす必要がある何をおもいだす必要がある何かをおもいだす必要があるなら忘れた記憶がある筈だ記憶――
きおく?
きおく?――何かのきおくを僕は忘れている忘れていた忘れさせ――られていた?
頭をほじくり返せ何を忘れた僕はどこをいじられた僕は誰かに何をされた何かをさせられたのかもしれないだから僕は僕は何を忘れたんだわすれたんだわすれたものをわすれた存在を忘れた人のことをわすれた人のことを僕を助けてくれた人がいたその人は何処にそうだ一人欠けている僕の中から一人欠けている大事な人の姿を一人忘れているその人がいたから僕はここまでこれたその人がいなくなったから僕は――いなくなった?
いない?
いな い?
い な い?
い、な、 い?
いないっていないってどういうどういうことなななななんんだ?
その人はもう居ない?
その人は、もう居ない。
……叶さんに会うことで――亜希子に似ている叶さんに会ったことで、僕はどうやら記憶となりふりの構わなさを思い出したらしい。
そうだった。
この復讐劇に足りない人がまだ一人いる。
徳永切裂の左肩を撃ち抜くことが出来た――僕の同僚。
信じられないくらいの暴虐無人さで、上官を脅迫してまで有休を増やしていた同僚。その姿を真似て、僕はこの街に入ることが出来た。拳銃を持ってこの街に入れた理由はただ一つ。僕は、『徳永切裂を捕まえるスペシャリスト』という名目でこの街に入ったから。お金も住む場所も。全て脅迫して警察側に払わせた。
それもこれも全てはあの同僚のおかげだ。姿も名前も思い出せなくなっているが、同僚のあの勇敢な姿は僕に勇気をくれた。
同僚は。
徳永切裂と――相打ちをした。
徳永切裂は左肩、しいては左腕全体の負傷。
同僚は、死亡した。
さて。
少し落ち着いた所で、周りをよく見渡そう。
まだ時間は経っていない。叶さんは「おーい」とまだ手を振っている。僕はその手を見ながら、小さく手を振り返す。表情を変化させず、ただただそれだけの為に。先程までうじうじ悩んでいた自分が嘘のようだ。最初からこういう感じに生きていればよかった。そうしていたら、復讐のことにあれだけ悩む意味なんてなかったのに。僕の顔を見て、叶さんは表情を冷めた。何か僕の顔についていたのか?いやいや、逆だ。僕の顔に何もなかったからだろう。「なっななななな何もないー、何もないんだよー徳永切裂以外ー。それ以外なんて必要ないのさ僕には。何故ならこの街を去ったら最後、僕に居場所はないから。恐らく指名手配か何かをされているだろう。だからだからだからだーからー、何も恐れる必要はない。とっとと特訓して、とっとと殺して、とっととこの街を出て、とっとと自殺でもしよう。そうだよ復讐さ亜希子の為に父さんの為に母さんの為にー。ふざけるなふざけるなー徳永切裂ー」ふざけるなふざけるなそうさふざけるなあのヤロー殺害せよ殺害せよ未来などなど血に染めてーふっくしゅうだふくしゅうだ予習復讐だー。
――バシン、と。
そんなことを思っていた僕の頬に、いきなり強烈なビンタが着弾した。
……え?
驚いて前を見てみると、そこにはポロポロと大粒の涙を零した叶さんが居た。
「何言ってるのよ栄作! あんた、復讐の為には全部切り捨てるつもりなの? そんなの意味ないじゃん! 亜希子さんも悲しむだろうし栄作のお父さんお母さんも悲しんじゃう! だって……」
どうやら僕はどこかから思っていたことを口に出していたらしい。だから叶さんは泣いているんだろう。
まあでも。
この後に叶さんが叫んだ言葉は、僕の心にきついお灸をしてくれた。亜希子に似た叶さんだからといっても、過言じゃない。そんなセリフを、叶さんは復讐を誓った僕にぶつけてくれた。僕は情緒不安定なんだ。復讐を誓い、同僚が殺され――って、いやそうじゃない。同僚は相打ちしたが、徳永切裂と同じく片腕――左腕の負傷だけだ。まだ記憶に語弊があるかもしれないが、少なくとも同僚は撃ち殺されたのではなく癌で死んだ……って。
こんな話は野暮だった。
潔く、叶さんの言葉を身に染み入らせるとしよう。
まだ叶さんは全く変化しない僕の顔をきちんと見据えている。背丈的にも僕と叶さんは同じくらいなので、叶さんの泣いている顔が目の前にあった。
叶さんは涙を流しに流し、顔を赤くして、それでも僕の顔をしっかりと見て、大声でこう言ってくれた。
大声で。これでもかというくらいの大声で。目の前に壊れた復讐者が居るのにも関わらず、僕だけを見て、こう言ってくれた。
「だって、それじゃあ三人とも、栄作の人生をボロボロにする為に死んだみたいなもんじゃない!」
ドクン、と僕の心に突き刺さってきた。
それは今まで僕が目を反らしていたことだった。目を反らさないとやっていけなかったと言い代えてもいいかもしれない。
復讐。
それ一つの為に、僕は大事なことから目を反らしていたのかもしれない。馬鹿だ。僕は大馬鹿だ。二度と辛い思いをさせたくないと思っていた叶さんに涙まで流させて、こんな当たり前のことを言わせてしまった。
だったら僕は大馬鹿者だ。
何を……今まで僕は何をしてきた?
同僚の真似をして上官を脅した? 助けになってくれた同僚まで出して上官を脅した。上官には世話になった。その上官を、僕は脅した。何も考えずに、淡々と、
最低だ。
高梨君とヒーロー夫人を利用した? 二人の優しい行為を、僕は利用した? 二人は善意で僕に協力してくれた。地下の皆もそうだ。皆が皆、僕に笑って協力してくれた。それを、利用?
自惚れるな。
叶さんを泣かした。あゆみちゃんと呼ばれていた女性が近付いて、叶さんを慰めようとしている。叶さんはその手を振り払い、「ごベンね、あゆみぢゃん」と言って涙ぐみながら僕に掴みかかってきた。
「栄作! あんた、復讐もいいけど、あんた自身のことは考えているの! 栄作のことだもんね! どうせ何も考えてないんでしょ! 馬鹿にしないでよ! あんた、何様のつもりなの! 迷惑かけてるだけじゃん! 死んでる人にまで迷惑かけるってどういう意味! ねぇ、答えなさいよ! 答えろ! 佐藤栄作! あんたは、復讐をし終わったらどうする気なの!」
そこまで一気にまくしたてると、僕の体を押して、叶さんは黙った。ハァ、ハァ、という荒いだ息を整え、少女を無意味に抱きしめて、僕の返答を待った。
僕は、もう迷わない。ふっ切れた。今までぐらついて不安定だった僕の地盤。たまに衝撃が与えられると大きく動き出し、僕の行動と心境をふざけた物にしていた地盤。二時間の射的訓練の時、僕が出した結論はなにも『全て考えずに冷静に撃つ』ことじゃなく、『地盤を動かないようにして前を見据えて撃つ』ということだったんだ。
僕の目的は、徳永切裂を殺すこと。
その後は――
「謝ります。色々な人に。迷惑をかけた人全員に。上官にも、同僚にも、高梨君にも、ヒーロー夫人にも、地下の皆にも……叶さんにも」
「栄作……栄作っ!」
僕の言葉を聞くと、叶さんは泣きながら僕に抱き着いてきた。あまりの衝撃に僕はグエッと声を漏らし、頭から地面に倒れてしまった。叶さんに押し倒されてしまった形になる。それでも、鼻水も流れていた泣きっ面を、叶さんは容赦なく僕のお腹らへんの服に押し付けてきた。栄作……栄作……と叫びながら。
僕は叶さんの頭を撫でながら、困惑した表情のあゆみちゃんに笑ってごまかした。
あー……こんな大胆なこと、亜希子にされたことあったっけなー?キスまでだったしな、亜希子とは。それくらいで満足だったっていうこともあったけど。
夕暮れから夜の暗がりまで、僕と叶さんはこうして交流をした。叶さんのおかげで僕はなんとかこうして立ち上がることが出来た訳だし、叶さんには感謝しても仕切れない。
五分くらい経つと、叶さんは目から少し流れる涙を服で拭いながら、僕からバッと勢いよく離れた。
「……へへへ」
「…………」
地面に手を着いた状態の僕を見て、笑ってくれる叶さん。顔はすっかり涙の後で朱くなっていた。
「あー、スッキリした! 今日はありがとね、栄作! んじゃー……また会おう? ね? …………いいよね……? それとも……私なんかに会いたくない……?」
叶さんは、今日の朝から今までで、一番大人っぽい声で、僕にこう言った。もじもじと、もっと顔が朱くなる。僕は立ち上がり、服についた土を両手ではらって、そのまま真っ直ぐ叶さんを見た。じっと、叶さんがしてくれたみたいに。
「は……早く言って……」
次第に叶さんは恥ずかしそうに顔を僕から背けた。けれども、ちらちらと僕を見て、返答を待ち望む。
可愛かった。
今までで一番。
この姿が。
彼女が。
叶さんが。
僕の心をわしづかみにした。
その表情が。その仕種が。僕を立ち直らせてくれた、彼女の全てが。
堪らなく、心地良かった。
「また会いましょう、叶さん」
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