ヒーローがいるのに平和な街の表 8
俺の異変に気付いたのは先生の言い付け通りに机を運ぼうとした時だった。紙飛行機を開く時は何も感じていなかったのだが、いざ先生に睨まれながら机を運ぼうとしたその時、俺は俺の異変に気が付いた。
――俺の左腕が動くようになっている。
何があったかどうかはわかったもんじゃない。とにもかくにも、俺の左腕が動くという事実そのものが明らかに異常だった。
何時からだ?
何時から、俺の左腕は動くようになっていた?
思い出せ……思い出すんだ俺……。まず朝の紙飛行機の時にはもう動いていた。その前というと……嵐の中、あゆみを助けた時か……いや、あの時はまだ俺の左腕は動いていなかった……もう少し最近……路地裏であゆみとヒーローに出会った時…………あ。
そうだ。
あの時――あゆみにメモ帳の紙を渡す時には既に、俺の左腕は動いていた……!
あの時。そう、あの時だ。
俺が一回、死んだ時だ。
「刀銃? ほら、起きなさいよ」
誰だ、俺を刀銃という名前なんかで呼ぶ奴は。そうじゃないだろ。俺の名前は、そうじゃない。
路地裏からの俺の記憶は二手に分解されている。
一つは、左腕を動かなくしたのが両親の銃弾で、しかしながらそれでも今まで通り馬鹿話をして平和な街で生きていく普通の記憶。
もう一つは、左腕を動かなくしたのが俺を捕らえようとした警察官が撃った銃弾で、そのまま俺は実験体へと地位を移し、叶が実は俺と同じような罪を犯した幽霊で成仏し、それを見送った後、俺を俺自身の手でけりをつけた記憶。
そして……この二つの内正しい方がどちらかと聞かれたら、迷わず俺はこう断言出来る。
俺の名前は徳永切裂。
警察の追っ手から逃げながら人を殺していた昔は風呂にも入っていなかったので髭面だったが、どうやら科学者集団か誰かが俺を綺麗にしてくれたらしい。まあそんなこと、今はどうでもいいが。
「ほら、刀銃。もう着くって言ってるじゃない」
うるさいな。全く、一体全体俺を揺らす奴は誰なんだ。今忙しいんだよ。黙っていてくれ。
……そう。俺の名前は徳永切裂。一度は自殺した筈の徳永切裂が何故生きているのかという疑問には、『俺の記憶が俺を徳永切裂と言っている』としか答えようがない。これが問いに対する答えになっているかどうかはわからないが、とにかくそういうことだった。
俺は連続殺人犯――徳永切裂。
恐らくだが、叶の方も正しいだろう。幽霊云々は確実に間違った情報だとしても、少なくとも叶が快楽殺人犯ということには間違いがない。
さて……それではここで、もう二つの疑問だ。
俺が徳永切裂という犯罪者だというのには間違いがない。仮に俺が『刀銃』という平和な街に住む住人だとしても、結局はここでこういう疑問が生まれる。
だから言わせてくれ。
何故、俺の左腕は突然動くようになったんだ?
更に、何故俺や街の住人は今の今まで動くようになった左腕に気付くことが出来なかったんだ?
「……へぇ、そう。私の揺らしに対しても何の反応を示さないの……流石ね、刀銃」
……ったく、うるさいって言ってるだろさっきから。頼むから黙ってろ、誰だか知らない奴。多分、今の俺の心理状況は無茶苦茶重大なところなんだよ。二時間ドラマなんかだと十分もかからない内に終わってしまう場面なんだろうけど、それでもCM跨ぐくらいはおてのものみたいな場面なんだぞ。
「本当に起きないの? 私がこうやって揺らしてるのに? …………あら?ちょ、ちょっと待って……案外……こ……これってチャンスなんじゃ……」
だからうるさいって言ってるだろ。そもそもお前誰なんだよ。小学二年生女子みたいな声しやがって。しかもなんだチャンスって。何する気だ俺に。
……あーもう!
「うるさいって言ってるだろうが! 黙って俺を静かにさせてろこらぁ!」
思わず厳しくなってしまった俺の大きな叫び声だったが、しかしこのおかげで俺は今の状況を理解することが出来た。
今俺は平和な街唯一の電車の中に居る。この電車には一応窓があることはあるが、太陽の光りはあまり見ることはできない。この電車は街全体を囲む二つの壁の中に造られていて、そしてその二つの真ん中で走る電車の上には何も構築がされていなかったので、太陽の光りは上空から注がれる。外の世界には地下鉄という真っ暗闇の中走る電車があるらしいが、こう中途半端に明るいよりそっちの方がよかったのかもしれないな。まあ地下と言ったらこの街には門番と地下の住人がいるので、地下鉄は無理な話な訳だが。
休日だというのに周りには誰もいない。いや、休日だからこそというべきか。よくわからないけれど。ん? ということは、俺は今の今までほぼ一週間前の月曜日の話をずっと回想していたのか。凄いなそれ。今は土曜日なのに。
……って、え?
土曜日って、何か約束してなかったっけ?
あ……そういえばあゆみと遊ぶって……。
気付いた時にはもう遅かった。というよりか、今のこの状態の時点で気付くべきだった。
もう一度……今度は周りじゃなく、目の前の状態だけ描写するとしよう。まあいいだろ。どうせ二行くらいで終わる描写さ。
では、描写開始。
俺の目の前には、目を開けたまま唇を尖らせて顔を赤くした急接近中のあゆみがいた。
俺の大声で、ピタリと固まるあゆみ。元々赤くさせていただろう小さな顔が、みるみる内に赤くなっていった。頬についている水滴は俺の唾かなと思っていると、その上にまた一筋の水が流れた。あれ?こいつ、ひょっとして涙を流している?
……あゆみが寝ていて無防備な俺に何かをしようとしていたのは間違いないが、今重要なのはそこじゃない。
「へ……へへ、へぇ……ふーん……刀銃……あなた、私に大声を出して怒るなんていい度胸してるわね……」
「い……いやいやあゆみさん……ちょっと落ち着こうぜ……あの……すいません」
俺が謝ったのを見ると、あゆみはガバっと頭を上げ、腕を組んで仁王立ちになり、小さな背丈を存分に伸ばして俺を見下そうとした。実際はほぼ同じ目線だけども。というか危ないぞ。まだ電車は動いている。手摺りにつかまれ手摺りに。
「……何でもう少し寝てないのよ」
「ん? 何か言ったか?」
「な、何でもないわよ! ったく、何で私がこんなにうろたえなきゃいけないのよ!」
「そりゃ、電車が動いてるのに仁王立ちで構えてるからだろ」
「そういう意味じゃないわよ!」
「…………」
初めてだった。
初めて、俺は他の人からツッコミをされた。
思えばいつもいつも俺は大声でツッコんでいたなぁ……俺以外に変態が多過ぎるから自然とツッコむしかなかった俺の人生だが……そういえば、あゆみは変態が多い平和な街(なんだか矛盾しているような気がするが気にしない気にしない一休み一休み)で、割りとましな部類だった。
だから俺にツッコミが出来るのだろう。そう思うと、目の前で顔を赤くしながら涙を拭う小さな少女の存在をなんだか感慨深く思えてきた。
「何なのよ、もう! 今私達がどこ向かってるかどうせわかってないんでしょう!」
「わかってるよ。ソウルソサエティ……だろ?」
「私達誰を助けに行くの! 刀真っ白の小柄な死神さん! それともオレンジ色の髪した巨乳美人!」
「俺は……あれだな、小柄な巨乳美人なんかがいいな」
「あなたの好みなんて聞いてないわよ! って、え! 今あなた、何て言ったの!」
そう言ったあゆみだったが、ふと何かに気付いたのかハッとなり、もじもじとし始めた。
何なんだこの「言っちゃった」的なOLの反応は。
よくわからないが、もう一度言うことにした。
「俺は……あれだな、小柄な巨乳美人なんかがいいな」
「な、なら……あの……えっと……きょ、巨乳って……Aカップも入る?」
「Aカップが巨乳なら人類全員巨乳じゃねーか!」
女性どころか男性からも巨乳の人が出るぞ!
というよりかAカップが巨乳ならFカップの人とかどうやって表現すればいいんだろうな!
サインコサイン超ボインってか!
くだらねー!
ってしまった! ついツッコんじまった!
ああああ……もういい! やっぱり俺にはツッコミ待ちなんて有り得ない!
決めたぞ!
ツッコミ王に、俺はなる!
「だから、俺が言う巨乳ってのはF……ないしはせめてDくらいは欲しいんだよ!」
「リアルな反応じゃないのそれ……」
するとあゆみは、進行方向に造られた俺が座る二人用の椅子の手摺りに左手で掴みながら、右手でなにやらおもむろに腹より上らへんを擦り始めた。
な……何やってんだこいつ?
そんなこと思っていると、あゆみは一つ溜息をつき、真顔でこんなことを言った。
「わ……私はJカップあるから刀銃の好みに入っちゃうわね」
「お前の判断基準を俺に教えてくれ!」
何言ってんだこいつ!
Jカップなんて化け物見たことない!
真顔で冗談言うんじゃねーよ!
「簡単よ。さっきやったみたいに服の上から右手で触るでしょ? その時に何も感じなかったらAカップ」
「手触りが何も感じられない服はそれ裸の王様が着る服だ!」
「何か……何か、そう……うふふ……何かを感じたらFカップ」
「『何か』って何だよ!」
何かを言う時にためるあゆみが怖い!
何かを言う時に顔を暗くするあゆみが俺は怖い!
「本当……Fカップなんて皆死んじゃえばいいのよ……」
「ボソッと死刑宣告するのをやめろ!」
「ふん。そして……服の柔らかさを感じたらJカップなのよ」
「皆が皆Jカップの素質を持っている!」
この世界すげーや!
全員乳お化けになっちゃってる!
だってお前……あれだぞ、ほしのさんなんて目じゃないんだぞJカップ。魅力通り越して兵器だそんなもん。
「いえ、皆が皆ではないわよ。ちゃんと、Jカップの素質がない人も居るわ」
「え?でもあゆみ、服着てる奴が皆Jカップなんだろ? だったら……」
「そう……服着てない人は……Jカップじゃないわよ」
「そんな奴いねーよこの街に!」
仮にも平和な街だ俺が住んでるここは!
服来てない奴なんている訳が……
「フフフ」
あゆみは。
うろたえる俺を見て、大胆不敵にも笑ってみせた。
「お前……まさか……」
「そう……私は、全裸になりながら私の横を歩いた女性を知っているのよ……」
「だ……誰だそいつは!」
まあ多分……というか確実に予想が出来るんだが……。
こう言うと、あゆみはちょこんと俺の横に座り、俺の耳に口を近付けて小さな声で呟いた。
「決まってるじゃない。香里お姉様よ」
「やっぱりな! てかお姉様!」
叶が犯人なのは大体予想がついたが……香里お姉様って何だ!
どういうことだ!
何で全裸で歩くような奴をお姉様と呼んで崇拝することが出来る!
「何時からだ、叶と仲良くなったのは!」
言うとあゆみは「そんなに怒鳴ることないじゃない。何? ヒステリック?」と俺を罵倒しながらも発言した。
「えっと、今週の月曜日だったかしら。校門でセバスチャンを待ってたら、全裸の人が私に近づいてきたのよ。それが香里お姉様だったという訳」
「どういう訳!」
全く持って意味わかんねえ!
何で叶が帰り道に全裸になってるんだ!
「……ん?」
今、あゆみは何て言った?
今週の月曜日の帰り道に叶が全裸になっていた……?
今週いっぱいの帰り道は、「若い奴はこれだから」とか「なんでこんな年齢まで結婚してないのよ私」とかブツブツ呟く先生の補習で叶と同行することが出来なかったのだが、それでも授業中隣り合わせになったので月曜日の話しを聞くことが出来た。
確かあいつは、「楽しかったよ。久しぶりに栄作と喋れたし」と言っていた。
叶にとっての『楽しかった』。
変質者の名前は佐藤栄作。
佐藤栄作は変質者。
で、叶が全裸になってあゆみに近付いてきた。
この一連の事実が導く答えは一つしかない。
「……佐藤栄作このヤロウ!」
佐藤栄作とやらは……叶を全裸にしやがった!
最悪のヤロウだ! いや、最低最悪極まりない外道と表現した方がいいかもな! ああ感謝しろよ! いくら丸くなったからといって昔人殺しをしていた俺にこう言われるんだ! 光栄に思え!
「栄作……どこかで聞いたことあるような名前ね……」
「そりゃそうだろうよあゆみ! なんせそいつは、俺の友人を汚したヤロウの名前なんだからな!」
「え? 何言ってるのあなた? 香里お姉様は全裸にさせられたんじゃないわよ? 私と一緒に食事したりゲームセンター行ったりする時にはもう服を着ていたことだし」
「……は?」
叶は佐藤栄作に裸にさせられたんじゃない?
「じゃああいつは、何で全裸になってたんだ?」
「そんなの、決まってるじゃない」
そう言うとあゆみは、涙で赤くした顔を真面目な表情にしながらこう呟いた。
「香里お姉様が、自分から全裸になったのよ」
「…………」
はぁ?
どういう状況だ、それ!
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