ヒーローがいるのに平和な街の裏 八

「…………」

「…………はぁ」

 沈黙。沈黙。

 僕はこれでもかというくらいの沈黙を続けていた。溜息をついたのは叶さんだ。夕暮れを呆然と眺める叶さんの横顔は僕が知っている亜希子そのものだったが、この人は亜希子ではない。何とも言えない不思議な気分がするが、今の僕にとってはもっと重要なことがあった。

 僕の右に並んで歩く叶さんの横顔は、明らかに怒りに満ちていた。

「……あの」

「何? ああ、安心してね。君とあのヤンキーっぽい人の交流は広めないから。ていうか広めたくもないしねー、あんな生々しいやつー。ホント、何で私は君と一緒に帰ってるんだろ」

「…………」

 叶さんは、未だに僕と高梨君の関係を誤解していた。

 というか交流って。

 そんな嫌な表現は止めてほしい。

「……何回も言ってるんですけど、さっきのは誤解なんです」

「誤解? そりゃどういう意味の? 朝っぱらからいきなり肩を揺さぶられて、その上校門の前に待たせた揚句、見たくもない光景見せられた女の子を納得させられる話があるのかな?」

「いや……あれはそもそも高梨君が興奮して僕に掴みかかってきただけで」

「充分じゃん」

「え、いや、あの……興奮っていうのはそういう意味じゃなくて……高梨君は奥さんの話で興奮したっていいますか……」

 半ば頭を下げながら、叶さんの機嫌をとろうとする僕。それでも、叶さんは頑として不快さを隠さなかった。……こんなところも亜希子そっくりだ。昔、僕が先輩の婦警さんと話しを少しした一部始終を見られた時の亜希子の反応と、これでもかというくらいに似ている。叶さんと横に並んでいると、自然に叶さんの目が、僕の目の前にくる。つまり叶さんは、亜希子と身長も酷似しているということだ。そう思うと、何だか目頭が熱くなる。

「……何泣きそうな顔してんの?」

「あ、これは……その……」

 そう言うと僕は、顔を見られないように頭を少し下げた。普通に恥ずかしい。そんな僕の気持ちなんて関係無しに、叶さんの視線は僕を刺した。

 そして叶さんは、「はあ」と溜息をつく。気付くと、僕の頭にポンと柔らかい手が置かれた。

「わかったよ。私が言い過ぎちゃったね。まさか私が虐める側に移るなんて……ちょっと反省しちゃうなぁ……。ああ、でもそんな私が恥ずかしい気持ちいい……って、ゴホン。ゴメンね。えっと……朝の話しの続き、聞くよ。アキコって誰? 女の人?」

 言いながら、叶さんは僕の頭をもう一度優しく叩く。僕が顔をあげると、そこには満面の笑顔の叶さんがいた。この人は……得体の知れない――しかもホモ疑惑までかかっていた――認めたくないけど変質者な僕に対して、こんな笑みを向けてくれるのか。

 しどろもどろになりながらも何とか弁解しようとしていた僕を、溜息をついてから見る亜希子の顔にまた似ていた。

 この人は……本当に亜希子じゃないのか……?

 いや、答えはもう出ている筈だろう。

 そう、僕は見たんだ。家のリビングでバラバラに斬られた、無残で残酷な母さんと父さんと――亜希子の死体を。三人の骨を、箸で箱に移した。お墓もたてた。

 だから断言出来る。

 この人は……絶対に亜希子じゃない。

「……亜希子は……僕の恋人です」

「……へー。そうなんだ。じゃあ君は恋人をほったらかして私をたぶらかそうとしちゃったってこと?」

 亜希子が僕の恋人だと言った瞬間に、ビクリとした叶さんだったが、引き攣りながらも笑顔の状態を保ち、僕におかしな疑問を投げかけた。

 ていうか違うし。

「そういう訳じゃありません……。亜希子は今……この世には居ませんから」

「……え? それってまさか……」

「はい。亜希子は、もう死んでます。そして、叶さん。貴女は亜希子に似ているんです……物凄く」

「…………ふーん。そういうこと」

 笑顔を崩した叶さんは、うかがうように僕の顔をじっと見つめた。やっぱり怒らせてしまったか。それはそうだろう。いきなり、自分が『死んだ恋人』に似ているなんて言われたら、誰だって困惑する。というかいい迷惑だ。

 そんなことを言っても、どうしようもならないのは僕自身が一番よくわかっている筈なのに。

「すいません……なんか、変なこといっちゃって。すいません。僕、もう帰りますね。やっぱり叶さんに迷惑がかかりますし。本当にすいません。僕の……」

 言いながら、知らない間に僕は涙を流していた。頭の中では理解していた亜希子の死……だけど、心の中では全然受け入れられていない亜希子の死。それを今、他でもない僕自身が自分の口で肯定していた。苦しい。頭が痛む。自然と頭に思い出したくない映像と、憎むべく復讐の相手を思い返す。それでも、言わなければならない。叶さんに謝らなければならない。

 亜希子に似ている、叶さんを苦しませたくない。

「……泣かないでよ。泣かれても困るよ、私」

「……でも……僕は、叶さんに辛い思いをさせてしまって……」

「私にとって本当に辛いことなんて、少ししかないんだよ。気安く私の全てをわかった気でいないでよ」

 涙を拭いた僕の前には、今までとは違う形相で構える叶さんがいた。ああ……これも亜希子に似ている。

 これは、本気で怒っている顔だ。

「はっきりいって本当に迷惑なのよ。いきなり死んだ恋人に似てるって言われても私にどうすればいいの? いきなり泣かれても君の事を何も……何も……何も……知らない……? 知らない……知らないのよね、私、君のこと……あれ……?」

 自分の記憶を疑うくらい僕のせいで混乱している叶さんは、やがて諦めたように「とにかく」と言い、話しを続ける。

「君のことを何も知らない私は、何も君にしてあげられることはないの。わかる、そこら辺?」

「……はい。すいません」

「謝らないで」

「……はい」

「……君さ、私の知ってる奴と正反対なんだね」

「……はい?」

 突然話を変える叶さんに驚く僕だったが、いつの間にか僕の少し前を歩いて夕日を見つめていた叶さんは、僕の心境に気付かなかった。

「私の知ってる奴はさ、どんなことがあっても謝らないの。どんなに厳しい言葉を浴びせても謝らないし、どんなに酷いことをしても私に謝らない。……まあ私だからっていうのもあるんだろうけど……とにかく、私はあいつが謝った姿を見たことがないのよ。でもね……それと同じで、私はあいつに謝ったことが少ししかないのさ」

 『あいつ』と称して僕の知らない誰かを語る叶さんの顔は、とても嬉しそうな笑顔をしていた。さっき僕に向けた笑顔とはまた違う、綺麗な笑顔。

「それって凄いと思うんだよねー、私。だってさ、謝らなきゃいけないようなことをしてないんだよ? 凄くない?」

「……ああ、はい」

「……何その冷たい反応……だから君はあいつと正反対なんだよ。もっと堂々としようよ、堂々と。亜希子って人にも言われてなかった?そんなようなことをさー」

「…………」

 言われてました。無茶苦茶言われてました。「栄作は凄いんだけど凄くない」みたいなことを。

 黙って下を向く僕を見て、「やっぱりね」と呟いた叶さんは、僕に向かってこう言った。

「だから私が虐める側になるなんておかしなことが起きるんだよ。お願いだからさ、私に君を虐めさせないでくれるかな?対等な関係になろうよ。死んだ恋人に似ている私と喋るんじゃなくて……同じ大学に通うミス久貝田の私と」

 ああ……やっぱり、叶さんは亜希子に似ている。何度でも言おう。本当に、叶さんは亜希子に似ている。

 だけどそれは――『似ている』だけだ。

 だったら、叶さんは違う。亜希子じゃない。叶さんの言うように、対等に接しよう。そうしないと、叶さん……ましてや亜希子に失礼だから。

「ミス久貝田なんて自意識過剰過ぎですよ。よくて準ミスくらいです」

「……へー」

 僕がそうツッコミを入れると、何故だか叶さんは、何かに納得したような顔付きになった。「何がへーなんですか?」と聞くと、叶さんはこう返した。

「いやね、何か……君、私の知ってる奴に少しだけ似てる……」

「え、そうですか?」

「うん。似てる…………ツッコミをしてるよ!」

「まさかのツッコミの話ですか!」

 何でこの流れでツッコミの話!

 明らかに反応間違ってる!

 そんなことを心の中で叫んだ僕を尻目に、叶さんはこう口で叫んだ。

「そうそれ! そんな感じ!」

「及第点貰っちゃいましたけど!」

「うーん、私さ、仲が良い人にしか自分の性癖言わないんだけどね……君には言うよ!私、実はMなのよ!」

「いきなり何言ってるんですか叶さん! え……Mって……服のサイズですか……?」

「……やっぱり君、刀銃に似てるっ!」

「何処聞いてそう判断できたんですか!」

 というか『カタナジュウ』って何!

 まさか人の名前!

 ……物騒過ぎるでしょうその名前!

「とにかくね! 私は虐められるのが大好きな、虐められっ子香里ちゃんなのよ! さあ、君! さあ!」

「さあの次に続く言葉は何ですかね!」

「あれれー? 私に言わせたいのー? もう、この欲しがりっ子め!わんぱく真っ盛りじゃないの、君!」

 そんなことを言いながらくるくると回る叶さんの顔は、輝いていた。今までの暗さとは格別に。

 訂正しよう。

 この人は……ただの変態なんだ!

「正確に言うとそうだね、まず私に『この働き蟻! 女王蟻になれやしなかった働くだけの低俗な蟻なら何も言わずに砂糖運んでろ! ったく、使えねーなぁ!』って大声で叫んで欲しいところかな!」

「それどんなところなんですか!」

 そんなこと言うくらいだったら僕は逃げる! 絶対に!

 僕がそれ以上何も言わないでいると、叶さんは沈黙の空気の中「ほ……放置プレイ二度目……!」と言って一人悦に入っていた。それが異常に艶やかだったのだけど、外見は亜希子そのものだったので……すいません……誰だか知らない皆さん。ここに謝辞をしておきます。

 夕暮れの下、普通に僕も興奮しました。

 そしてそして一分ちょうど。お互いに興奮が収まると、僕は叶さんに今まで興奮していたことを悟られないように「とりあえず歩きましょうか」と言って前を歩くと、叶さんは「はいよ」と言って横に並んで歩いた。

 周りにはやはり昭和な風景が建ち並んでいる。夕暮れの中、街灯の光りが僕達を照らしていた。しんみりとした、いいムードだった。嵐が去った後の静けさとはこういうことを言うのだろう。僕はずっとこんな感じで叶さんと歩ければいいな、と素直に思った。

「あのさ」

 そんな空気の中心で、叶さんは僕に話しかけた。先程の暴走状態とは相反している、シリアスな表情をしていた。「何でしょう」と返した僕に、こう言う。

「私達、今日会ったばかりじゃん?」

「はい。そうですね」

 嘘偽りのない、率直な事実だった。亜希子とは関係なしに、ただ純粋に叶さんと知り合ったのは今日の朝からだ。

「それなのにあんな会話が出来るなんて、珍しいことだと思うのよ。で、ものは相談なんだけどさ。私、君の話を一回聞いたじゃん? その代わりに、何の脈絡もない私個人の話を、君に聞いて貰ってもいい?」

 どうやら叶さんにも何か悩みがあるらしい。他でもない、今日一日に渡って迷惑をかけた叶さんの頼みを、僕が聞かない筈もない。当然僕はこう言った。

「いいですよ。遠慮無く話して下さい」

 僕の返答を聞くと、叶さんは安心したように胸(結構ボリュームがある。ここも亜希子と似ている)をなでおろし、喋った。

「私の友人に刀銃って奴が居るんだけどね。これがまた歳とは違って冷静に私を虐める奴なんだけどさ……本人は何も喋ってくれないんだけど……刀銃の左腕……動いたところをみたことがないのよ……」

「え!」

 今、叶さんは何て言った!

 友人である刀銃という人の……左腕が動かないと言った!

 そうだ……そうだそうだった……!

 徳永切裂の年齢は、二十七歳……!

 無理すれば……大学にも潜りこめる筈だ!

 そして――もし大学に潜伏したとして――徳永切裂が亜希子に似ている叶さんに接触しない訳がない!

 つまり徳永切裂は……久貝田大学にいたんだ!

 そもそも刀銃なんて名前の人物が実在する筈がない。切裂というおかしな名前を持つ『あいつ』の考えそうな名前だ。

 叶さんがその刀銃とやらの褒め言葉か何かずっと言っていたが、今の僕には何も聞こえていなかった。よし。早速今からあいつを殺しに行こう。復讐だ。復讐しかない。無念にかりとられた三人の意識身体躯体切り刻まれ弄ばれた三人の命記憶思い出想い出繰り返される最悪で最低な屈辱の映像あの場所に僕がいればあの場所に僕がいていたらあの場所であいつを殺していたら嫌だ嫌だあいつが生きてる活きてるなんて嫌だあいつを生かすな活かすいかすなイカスナ殺せ動け何も考えずにあいつを死ねしねシネ死死死ししししし死ししし殺殺殺殺死を死を死を殺せ殺し殺す殺れ死ね死ぬ殺せ――!

 混濁した僕の意識何も考えられない徳永切裂への復讐以外そう思ってそう思っていたら。

 ある一言が、僕をこの世に呼び起こした。


「今日さ、刀銃に紙飛行機をぶつけたんだけど……どう見ても、動かない筈の刀銃の左腕が動いてた気がするんだよね……」

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