ヒーローがいるのに平和な街の裏 七

「何やってんですか、佐藤さん」

 校門の前。夕暮れに黄昏れる中、呆れた様な表情で、高梨君は久貝田大学と書かれた大理石の近くの青いゴミ箱の中からいきなりガコンと顔を出した。当然、僕は驚く。

 ゴミ箱の中に外見不良の男。

 緑色の土管の中から出て来るヒゲのおじさんよりもシュールな画だった。

「……それはこっちの台詞なんですけど」

「勘違いしないで下さい。これは隠れて佐藤さんを監視する為ですよ」

 それにしたってもっと何かいい場所はあっただろうに。

 何がどうしたらゴミ箱に隠れようなんて思ったんだろう。

 そう思ってるのを、表情をよんでわかったのか、高梨君は「とにかく」と話を切り替え、ゴミ箱から出て真剣な表情になると、言った。

「何考えてんですか、佐藤さん。初対面かどうか微妙な人にいきなり大声でまくしたてるなんて、ただの変態ですよ、それ」

「……手厳しいな」

「そりゃそうですよ」

 僕の反応に、高梨君は怒った様な口調になった。

「佐藤さんの今日の目的は何ですか?」

「大学に行くこと」

「佐藤さんの最終目的は何ですか?」

「徳永切裂を……捕まえること」

 一瞬、戸惑ってしまった。

 僕は警察の人間だ。つまり、僕は徳永切裂を――憎むべき復讐の標的を――捕らえなければならない。捕らえるということはすなわち――絶対に殺してはいけないということになる。警察に雇われている人間が、犯人を裁ける訳がない。裁くのは裁判官の役割だ。僕達警察の役割じゃない。

 じゃあ、僕はどうする?

 捕まえるか。それとも、殺すか。

 警察として徳永切裂の前に立つのか。それとも、復讐者として徳永切裂の前に立つのか。

 答えは……わかりきってるけども。

「そうです。佐藤さんがこの街に居るのは徳永切裂っていう奴を捕まえる為の筈です。それなら、叶香里とかいう訳のわからない女をたぶらかしてる時間は無いでしょう? それなのに、何です、こんな時間に待ち合わせまでして。どうすんですかこれから。ヒーロー夫人も待ってるんですよ? どう説明つけるつもりなんですか?」

 僕の心境など関係無しに、高梨君は僕に説教をし始めた。どうやら、本当に怒っているらしい。高梨君が怒っているのを見るのはこれで二度目だなぁ。結構長い間一緒に暮らしているのに、怒ったのはたったの二回だけ。不良っぽい外見なんて、やっぱり関係ないのだろう。

 そう、外見なんて関係ない。

 顔や声や体格や髪の質や大きな目や綺麗な肌や色々な音が聞き取れそうな耳やふっくらした唇やその他諸々なにもかもが亜希子に似ていても、性格が全く違うであろう叶さんは、亜希子とは関係がない。

 それなのに、やっぱり気になってしまう。

 それくらい、叶さんは亜希子に瓜二つだったから……。

「……ヒーロー夫人には、僕から話をつけます」

「へ?」

 説教中、考えことをしていて閉ざしていた口を開いて言った僕の言葉に、高梨君は驚きを隠せない様な顔をした。

「いくら怒られたっていいんです。とにかく、僕は叶さんと、もう一度……もう一度でいいから、話しをしてみたいんです。夜には帰ります。次に僕がこの街の地上に来る時は、徳永切裂を……殺す時です。叶さんには、二度と会うことは無いでしょう。だから、僕は叶さんと話しをしたい。お願いです、高梨君。お願いだから……見逃して下さい……」

「な……叶香里って何者なんですか……? そこまで佐藤さんが会いたがる人って、一体どんな……」

 ……そうか。高梨君は、僕が叶さんにつかみ掛かった理由を知らないんだ。そういえば、高梨君にも――ヒーロー夫人にも――地下の人にも誰にも僕の殺された彼女の名前を言っていなかった。

 僕は、力をこめて言った。

「叶さん……彼女は、亜希子――徳永切裂に殺された僕の恋人に……そっくりなんです」

「え! そ、そうなんですか!」

 高梨君がまたもや驚く。僕は、「はい」と言って話しを続けた。

「だから僕は叶さんと喋りたいんです。叶さんと亜希子は別人だけど……別人で、それでもそっくりだからこそ、喋って気が少しでも晴れることがあると思うんです」

「…………はぁ……わかりました」

 高梨君は、大きな溜息をつくと、力が抜けたかの様に頷いた。「俺は逆効果だと思うんだけどなぁ……」と小さくつぶやくと、高梨君はチェーンが巻き付いた黒いジーパンの右ポケットから、何かを取り出した。掌に収まるか収まらないかくらいの大きさの、画面がついた小さなパソコンみたいな機械。よくこんなものがポケットに入っていたなぁ……と思うと、高梨君はそれを僕に差し出した。「何ですか、これ?」と聞くと、高梨君は久しぶりに笑ってこう言う。

「盗聴機です。二人の会話を聞くのは、野暮ってもんでしょう?」

「……でも、いいんですか? 僕の監視をしていなくて。徳永切裂を捜しに行くかもしれませんよ?」

「本当に捜そうと思っている人が、そんなことを聞く訳がありませんよ」

 ヘヘヘ、と鼻の下を人差し指で擦りながら、高梨君は笑う。……本当に、高梨君はいい人だ。素直に、有り難かった。多分、僕は叶さんの前で冷静でいられないと思うから……そんな場面を盗聴して欲しくないというのは、確かに思っていた。

「……ありがとう、ございます」

 そう言って受け取ろうとすると、高梨君は何を思ったか、突然「ただし」と言い出し、盗聴機(?)を頭上にかざした。どういうことだろうと思っていると、高梨君は喋った。

「後で、どんな話しをしたか、簡単でいいので教えて下さい。やっぱり、叶香里っていう人が気になるんで」

「……わかりました」

 高梨君の言うことを了承すると、高梨君はもう一度笑い直し、僕に盗聴機を渡してくれた。

 さて。今の時間は午後五時ちょうど。僕は六限の途中で抜け出してきたので(居ても立ってもいられなくなったからだ)、十分くらい前からこうして学校の敷地から出て、校門に寄り掛かりながら立っては、チラチラと見ながら叶さんが来ないか待っている。そろそろ来るとは思うけど、やっぱりずっと立ってるままだと気が滅入ってしまうので、ゴミ箱をしっかり指定の場所に置いた高梨君と話をしようかと思った。

「高梨君」

「あ、はい。すいません、すぐ帰るんで。つかの間のストロベリータイムを過ごしていて下さい」

 ストロベリータイムって。

 実際に使う人を初めて見たよ。

 どうやら、高さんと僕梨君は叶の邪魔をしないように直ぐさま帰ってしまおうと思っているらしい。

「いや、そうじゃなくて。少し話しませんか?」

「話し? 何をですか?」

「え……例えば……例えば……そうだ、何で高梨君は地上に普通に来れるんですか?」

 話しをふられてたじろいだ僕が苦し紛れに聞いたのは、この疑問だった。思えば、前から疑問に感じていた。それこそ、最初――僕がこの街に初めて来てからだ。高梨君は元『悪』らしい。実際に彼は昔、強姦というれっきとした犯罪を侵したらしい。今の高梨君から想像がつかないが、恐らく、昔、何か事情があったのだろう。そうでなかったら、こんないい人が強姦なんて行為をする訳がない。

 とにかく、そうして高梨君は『悪』と判断され、地下の住人となり、二度と日の目を見ることは出来なくなった。他の地下の人達は、金曜ロードショーのヒロインが獣のような動きをするアニメーション映画を観た感想を言う中で、たまには日光を浴びたいと愚痴を漏らしていた。

 それなのに、何故高梨君だけ地上に出ることが出来るのだろう?

「……そういえば、佐藤さんにはまだ言ってなかったですね。前までは部外者ってことで話すのを止めてたんですけど、ここまで来たらもう高梨さんは部外者なんかじゃないですよね。そんなに隠すようなことでもないんで、言わせて貰います」

 高梨君はそう言うと、じっと僕の目を見た。沈黙の空気が少し流れる。僕は、唾をゴクリと飲んだ。

「俺は、地下に住んでる皆の中で、一番罪が軽いんです。その上、俺はヒーローに俺の技術をかわれています。だから、俺一人だけ地上に出れますし、結婚も出来たんです」

「……高梨君の技術って何ですか?」

 強姦なのに一番罪が軽い理由は何なのか?

 地下に居ると結婚も出来ないのか?

 聞きたいことは他にもあったが、とりあえず優先して聞きたいのはこの疑問だった。高梨君は少し渋りながらも、やがて口を開く。

「俺はですね。昔……まだこの街が平和じゃなかった時、『運び屋』って呼ばれていた――その筋の業界じゃあ結構名の通っていた職業をしていたんです」

「運び屋? タクシーとかですか?」

「そうなんですよ。へいタクシーとか言われましてね、お客様皆の笑顔がタクシー運転手の喜びなんですよ……って違いますよ。タクシー運転手が捕まる訳ないじゃないですか。そうじゃなくて、頼まれたら何でも運ぶ仕事をしていたんです」

 二回目のノリツッコミだった。それも真面目な表情で言うから味がある。ヒーロー夫人じゃこうはいかないだろう。僕がボケても、「ああそうかいそうだね」で終わらせると思うから。

 高梨君が言う『運び屋』とは、何でも運ぶ仕事のことをさすらしい。そこまで言うと、高梨君は暗い表情で俯いてその場から動かずに、口を閉ざした。高梨君の罪状は強姦。地下の住人の中で、一番罪が軽い。そして、運び屋という職業。

 大体、想像がつきはじめた。

 何でも運ぶというのは、それこそ大きな物から小さな物まで運ぶのだろう。

 その中に、『女性』も入っていたらどうなる?

 高梨君は、誰かに女性を運ぶように言われ、その途中でヒーローか誰かに見られてしまったのではないか?

「…………」

 高梨君は何も言わない。当たり前だ。僕が、何も言っていないのだから。これらは、全て憶測だ。全てが正しいとは……正直、わからない。だが、僕はそうであって欲しいと心の底から思った。

「……高梨君」

「…………何ですか」

 暗く低い声だったけど、臆せずに僕は続けた。

「結婚した人は、どんな人なんですか?」

 高梨君の暗い雰囲気を変えようと思って言った質問だ。気になってはいたが、そこまで知りたい情報ではない。だけど、ここで高梨君はパアッと明るい顔になり、「俺の嫁さんはですね!」と、その言葉を待ってましたと言わんばかりに僕に近づいて話し始めた。

「もう本当に綺麗でやさしい奴なんですよ! 少しぬけてるところがあるんですけど、それもどこか憎めない感じで! 週末によく遊園地とか行くんですけど俺の横にちょこんとついてきて手を握ってくるところとかもう最高ヤッフー!」

「ちょっと、高梨君……落ち着いて……」

 次第に大学生が校門から出始めた。そして、僕に至近距離まで近付きながら大声で叫ぶ高梨君と僕、気味が悪い目で見ている。すいません、僕達そういう関係じゃないんです。そう思っても、誰にも通じなかった。

「……君」

 そして、いつの間にか校門から出ていた彼女にも。

 彼女――叶さんは、物凄く冷たい目で僕と高梨君を見ていた。

「待ってるって言うから来てみたら……なんだ、お楽しみ中じゃん」

「い、いや、待って」

「ごゆっくり」

 そう言って早足に駆けてく叶さんを、僕は高梨君を引きはがすと追った。高梨君の「夜まで待ってますからー」という明るい声が、後ろから聞こえてきた。

 叶さんは、より一層早く走り始めた。

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