ヒーローがいるのに平和な街の裏 三

「本当に、台風が来てるんですか?」

「はい。地下じゃ全然わからないもんでしょう?」

「というか、そんな情報をどうやって知ったんですか」

「ああ。それはですね、テレビです。地下にも電波は微かですが届いているんですよ」

「……意外と地下って不自由ないんですね」

 僕はヒーロー夫人と夜の時間になるまで話した後、高梨君に地下に泊まる旨を伝えた。高梨君は「佐藤さん泊まるんですかー。どうぞどうぞ、歓迎しますよ」と快く受け入れてくれ、自分が住む部屋まで連れて行こうとしたが、ヒーロー夫人も含めた地下の人達はそれを止めた。所詮僕はよそ者だ。流石に地下の全てを把握させては貰えない。

 となると僕はどこで寝泊まりすればいいかヒーロー夫人に聞くと、「ここだね」と言い、酒場を示した。ヒーロー夫人の目は冗談を言っている様ではなかった。嘘だろ。こんなお酒臭い場所で寝れる訳がない。大体、全員が全員この場から離れるのだから僕は広い空間の中一人で寝ることになる。流石の僕も心細かった。

 そんな風に心配にしていると、ヒーロー夫人と高梨君が右手を挙げた。何の為の挙手かと思ったら、どうやら僕と一緒に酒場で寝るという意思表示だったようだ。僕としても願ったり叶ったりだったので、甘えさせてもらった。

 ヒーロー夫人に目をつむるよう言われる。言われた通りに両手を両目に覆い隠せて五分。長い間閉じていた目を開けると、酒場からはヒーロー夫人と緑色の寝袋を三人分持ってきた高梨君の姿があった。五分の間に今までどんちゃん騒ぎをしていた人達が全員居なくなったようだ。一体全体、どこに行ったのやら。

 それから寝袋に僕と高梨君は入った。机と椅子を端にどかせて、地べたに横になる。ヒーロー夫人は寝袋に入らずに、椅子に座って寝た。着物が崩れたら困るからね――とのことだ。まあ、極道の妻のようなヒーロー夫人が寝袋を使って寝るというのもなかなかにシュールで見たかったシーンではあったのだが。

 寝袋に入りながら、僕は色々なことを思い返していた。亜希子のこと――母さんのこと――父さんのこと――そして、徳永切裂のこと。

 僕が結婚を急いでいたのは、亜希子を忘れようとする為でもある。やっぱり永遠に一人の女性に囚われているのも馬鹿な話しだと思うし、何より僕が永遠に独り身だと亜希子が悲しむと思うからだ。

だが……それでも……そうは思っても、心の奥底では亜希子を忘れられない自分がいる。その為に、女性と全く付き合おうともしない自分がいる。亜希子が悲しむに違いないのに。

 そのせいもあって、僕は徳永切裂に復讐しなければならない。これは僕の人生がかかっている復讐なのだ。

 そんなことを悶々と思いふけっていると、誰かに頬をビンタされる感覚が僕を襲った。何事かと思い体を勢いよく上げると、高梨君が笑顔で僕を見て、ヒーロー夫人がカウンターでキセルを右手に持ちながら口から煙りを出している光景が目に入った。

「朝ですよ、佐藤さん。地上では大雨暴風洪水警報発令中です」

 こうして、現在に至る。

 まず僕は、腕時計で時刻を確認した。現在午前五時。起こすのには早過ぎるんじゃないかと高梨君に文句を言ったら、酒場が午前七時から開くらしいので、この時間に起きないと後々マズイそうだ。

「いやでも、それでも流石に早過ぎるんじゃないですか? 後二時間もありますよ?」

「うるさいね」

 僕がこう言うと、高梨君ではなくキセルを手に持つヒーロー夫人が応対した。

「私は朝食を済ますのに三十分かかるんだよ。これくらい、我慢したらどうなんだい」

「…………」

 よく見てみると、ヒーロー夫人の目は暗くやつれていた。朝に弱い人なんだろうか。苛々しているようにも見える。

 じっとヒーロー夫人の顔を眺めていると、ヒーロー夫人はそんな僕をいぶかしく見つめ、こう言った。

「……それに、七時からは皆が来ちまうからね。あんたに鍛える気があるんなら、この時間に起こすのがちょうどいいんだ」

「へ?」

 いきなりのヒーロー夫人からの提案に口をポカンとしてしまった僕を背に、ヒーロー夫人はカウンターのすぐ側へと近付いた高梨君にキセルで指示した。高梨君の手には、黒く描かれた外心で形成された丸い円が、三重に存在する持ち運び用のホワイトボードと、茶色いガムテープがあった。ホワイトボードの四辺を、僕から離れた青い壁にガムテープで丁寧に貼る。

「何を……」

 言葉足らずな疑問をそのまま口にしてしまったが、それには理由があった。遠くから過程を見ている分には訳がわからなかった高梨君の行動だが、全て終了した時、ようやく意味がわかった。

 これは、『的』だ。

「栄作。あんた、拳銃持ってんだろ? あの的の中心目掛けて撃ってみなよ。ガムテープは特別製で、ホワイトボードは、まあ壊れるけど、その向こうの壁は壊れない仕組みになってるからさ。今から二時間……中心だけを撃ち続ければホワイトボードはそこから離れないよ」

 ヒーロー夫人が、淡々と言った。作業を終えた高梨君が、不安げな目つきで僕を見る。

 ……成る程。ルールはわかった。要は、二時間――僕は一つの地点だけを狙い続けなければならないということか。少しでもズレると、ホワイトボードに二つ目の穴が出来てしまう。

 僕は、服の内側にしまっていたリボルバー式の拳銃を取り出した。

「どうして僕が拳銃を持ってるとわかったんですか?」

「私を舐めるんじゃないよ。服の膨らみを見れば、一瞬でわかるさ」

 言うとヒーロー夫人は、カウンターの足場から、銃弾が山ほど入れられたビニール袋と銃を一つ取り出した。目算だが、三十はあるだろう。

「弾はまだまだある。銃も言ってくれれば少しだけ予備はある。好きなだけ撃ちな。音調整備はバッチリだから、隣で寝てる奴らに迷惑かけることもないだろ」

「……ありがとうございます」

「礼を言うにはまだ早いよ。徳永切裂を捕らえてから、言っておくれ」

「……はい」

 僕はヒーロー夫人とカウンターに隠れた高梨君に感謝をしながら、仮説トイレによって来た入口まで下がった。ここからホワイトボードまでは通常の射的練習の距離の二倍はある。

 普通の心境なら無理だと判断するだろう。

 だが、僕は拳銃を手にとり、構えて、引き金の前に人差し指を置いた。僕は両目を開けたまま銃を撃つ。片目を閉じたらそれだけ集中力が落ちると思っているからだ。

 そして、狙いを定める。今の僕には、何も聞こえていない。視界には、拳銃の上部と、的しか入っていなかった。無意識のまま呼吸を止める。ピタリ、と張り詰めた空気を感じた。

 僕は、自分の狙いを信じて迷わず引き金を引いた。銃を構えた左腕が勢いを殺す為に上へと持ち上がる。加速する弾が銃口から発射され、一直線に着弾点へと向かった。

 銃弾は、円の中心を捉えていた。

「す……凄いですよ、佐藤さん!!」

 高梨君が歓声をあげるのがわかった。気持ちは有り難いが、まだまだ時間はある。少し静かにして欲しかった。ヒーロー夫人は「左利きだったとはね」と言っただけで、高梨君を静かにするよう促した。そのままカウンターの奥へと入って行った。朝食を食べるのだろう。高梨君も名残惜しみながらカウンターの奥へと入った。

 ……さてと。リボルバーに込められた銃弾は六発。とりあえず残りの弾が無くなるまで撃ち続けよう。それを終えたら、あの袋を持ってくればいい。

 僕は拳銃を構えて、撃った。


 そうして――この一連の動作を何回も繰り返して――一時間五十分。今の所僕は執念で一撃も中心から外さないことに成功している。人間の集中力というのは一時間が限界だ、というような話しを聞いたことがある。そんな話、僕には関係のないことらしい。袋は二つ目だ。ヒーロー夫人と高梨君が静かにカウンターに置いておいてくれたお陰で助かった。そのヒーロー夫人と高梨君というと、カウンターでじっと僕と的を眺めている。

 改めて拳銃を構えて、撃つ。中心に着弾。成功。腕時計は六時五十四分を示していた。次で最後だろう。ちょうど、リボルバーには残り一発込められている筈だ。

 既に、拳銃を持つ両手両腕に感覚はない。それでも、僕はもう一度構えて、狙いを定めた。荒ぐ息を、口を力強く閉めることによって無理矢理抑える。額から流れる汗が、地面に落ちた。

「…………」

 僕は、撃った。

 最後の一発は……中心から、左に少しズレた所に着弾した。ホワイトボードに、穴が横並びに二つ出来る。

「……畜生ッ」

 緊張の糸が切れたのか、はたまた悔しさからか、僕はその場に大の字になった。息が荒い。いくら呼吸を繰り返しても、息は整わない。

「佐藤さん……」

 高梨君の呟きが聞こえた。彼も、息を呑んで僕の行動を見守っていてくれたのだろう。しかし、僕は最後の最後で外した。やっぱり……まだまだだ、僕は。

 呆然と青い天井と光りを眺めていると、ヒーロー夫人の顔がいきなり現れた。

「失敗したね」

「……すいません。最後の最後で失敗しました」

「最後だろうが最初だろうが関係ないよ。失敗は失敗だ。過程なんて関係ない」

「そうですよね……その通りです……」

「悔しいかい?」

「……はい」

「自分の力がどれくらいの物か、把握出来たかい?」

「……はい」

「徳永切裂を今から捕まえに行くかい?」

「……っ、いいえ」

「じゃあ、あんたは大丈夫だ」

 そう言うと、ヒーロー夫人は片手で僕の体を起こした。パン、パン、と背に付いたホコリを払ってくれる。

「好きな時にここに来な。酒を飲みたくなった時でもいいし、もう一度挑戦する為に来たら、酒場は閉店にするからさ。皆には、私から言っとくよ」

 ヒーロー夫人は、僕に向かって微笑んだ。とても眩しい笑顔だった。

「さあ、朝食にしようか」

「……え? 七時から開店じゃないんですか?」

「八時からなんですよ、佐藤さん」

 僕の問い掛けに、高梨君が答えた。

「え?」

「ま、そんな所だね。ゆっくり休むといいさ。上はまだ、荒れてることだし」

 そう言うと、ヒーロー夫人と高梨君は、僕を見て笑う。

「…………」

 二人して……。全く。いせたりつくせり過ぎて、何も言えないじゃないか。

「二人共……ありがとうございます……」

「ヘヘヘ」

「だから言ったろ? それを言うにはまだ早いって」

 いつの間にか整っていた息を確認して、僕は二人に感謝した。

 さてと、用意してくれた朝食を食べさせてもらおう。高梨君がカウンターからトーストを三つ持ってきてくれ、僕はカウンターの近くに机と椅子三つを運んだ。

「食べましょうか、佐藤さん」

「食べましょう食べましょう」

 僕と高梨君が椅子につくと、先程まで僕が撃っていた場所で、ヒーロー夫人がキセルをふかしているのが目に入った。

「何やってるんですか? 早く食べましょうよ」

 高梨君が催促する。だがヒーロー夫人は、こちらへ来ないでキセルを地面に置いたかと思うと、右手を着物の――膨らんだ胸の部分の内側へと入れた。

 ヒーロー夫人の右手には、拳銃が握られていた。

「……ま、久しぶりだから自信はないけど」

 言うがすぐに、ヒーロー夫人は銃口を全てバラバラな方向に向け、一時も止まらずに六発連続で撃った。下、横、上、斜め。その間六秒。一発に一秒程しかかけていない計算になる。

 思わず閉じてしまった目を恐る恐る開けてみると、六発の弾は、全て的の中心に着弾していた。ホワイトボードの下――僕が撃った後の弾の山に、六発分の弾が重なる。

「え!?」

「な……跳弾……!?」

 ヒーロー夫人は、銃口からゆらゆらとあがる煙りを、口元で息を吹きかけた。

「こんなとこかね」

 この人は……ヒーロー夫人は、僕の想像を遥かに越える人物のようだった。

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