ヒーローがいるのに平和な街の裏  一

 この街にはヒーローが居るらしい。赤い服を着て赤いマントを翻し、赤いヘルメットを被り赤いサングラスをかける――小太りで、話しも弾む陽気なおじさん――そんなヒーローがいるらしい。

 これらは全て、目の前にいる門番を名乗る若い女性と、その育成を担当している――小皺が少し目立つ小柄な女性に聞いた話しだ。

 今、僕は青い壁に囲まれた薄暗い空間にいる。周りを見渡しても、壁しかない。

 ――二人の女性と、僕の横幅の軽く五倍――僕の背丈の軽く七倍はある、巨大で圧倒的な存在感を放つ異質な『門』を除いて。

 先刻まで居た入街管理局へと続く、下り切るのに二十分もかかった階段はもう見えない。どういう原理かわからないが、既に壁に阻まれてしまっている。

 ここは地下。

 しかし、僕の目的地は地上にある。

 僕はこれから、そのヒーローが統治しているというこの街に、外界からの来客として初めて移住する。

 というより、潜入する。

 僕の目的はこの街に紛れ込んだと情報提供があった、『徳永切裂』という指名手配犯の逮捕だ。『切裂』と書いて『きりさき』と読ませる人物が本当にこの世の中にいるとは未だに信じられないが、まあ その辺はご愛嬌というところだろう。

「佐藤さん。聞いていらっしゃるのかしら?」

 手配書に写っている徳永切裂のげっそりとした髭面を自分の内心をギリギリで抑えながらじっと眺めていると、小柄な女性が苛々しながら話しかけてきた。

 マズイ、何も聞いていなかった。

「すいません……何の話しでしたっけ……?」

「……どうやら私達門番を舐めているみたいですわね。外からこの街に入るということが、本来ならどれ程時間と手間をかけなきゃいけないか、あなたはおわかりなのかしら? いえ、どうせわかってないんでしょう。わかりました、ええわかりましたとも。これから私が手取り足取り教えてあげますわ」

「よしえさん……抑えてください……」

 よしえさんというらしい小柄な女性がどんどん瞳を鋭くしていく様を見て恐怖感を抱いていると、門番の女性が困った様に言った。それを聞き、よしえさんは「……仕方ないですわね」と呟き、渋々話しを元に戻そうとする。危ない。あの目は本気の目だった。

 ゴホン、と一回咳ばらいをすると、よしえさんが隣に立つ若い女性を口でけしかける。どうやら女性は緊張しているらしい。よしえさんの催促を受けた後、僕の顔を見て真っ赤になりつつも僕に話し始めた。

「えっと……とりあえず、佐藤さんはどこまでお聞きになりましたか?」

「おじさんのヒーローが居るという所までですね」

 僕の言葉を聞くと、若い女性は唖然とした。そういえば、このうす暗い空間に入ってから……一時間は経っている。腕時計の短針が一周していたから間違いない。となると、僕はほとんどの話しを聞いていなかったのか。

「じゃあもう最初から説明した方が早いんですけど……よしえさん、どうしますか?」

 若い女性がそう言うと、よしえさんは俺の顔を嫌悪感溢れる目つきで見ながらこう言った。

「箇条書の要領で説明しなさい」

「え……大事な部分だけをかい摘まんで話せってことですか……?」

「不必要な部分だけをかい摘まんで話しなさい」

 何でだよ。

 どんだけ嫌われてるんだ僕は。

「……わかりました。じゃあ、HUNTER×HUNTERのレオリオの必要性について話します」

「そんな話ししてたんですか」

「やっぱり初期ではそれなりに活躍していたのですが、キメラアント編になってよくよく考えてみると、正直要らなかったんじゃないですかね。トンパをレギュラーにすれば解説係も充分だった訳ですし」

「本当にその話しするんですか……」

 道理で一時間も聞いていないで大丈夫な訳だ。

 不必要にも程があるだろう。

 僕の反応を受けてやっと自分がどれだけ要らない事を喋っていたのか理解した若い女性は、恥ずかしさからか赤面し、僕を見ながらゆっくりと喋り始めた。

「えっと……じゃあかい摘まんで話しますね」

「お願いします」

「まず、この街にはヒーローが居ます。ですが、警察は居ません」

「え? 警察がいないんですか?」

「はい。ヒーローが居るので警察は居ても居なくても同じですから」

 僕の同業者が居ない街か……そんな街、初めて知った。

「ですからヒーローは街の人の全個人情報を持っています。これは外の世界の警察と同じ筈です。佐藤さんの個人情報は既に私達門番がヒーローに引き渡しました。そこだけは理解しておいて下さい」

「わかりました」

 つまり、僕はそれ程大きな動きは出来ないということになるな。下手をしたら、ヒーローとかいうおじさんに徳永切裂の存在を嗅ぎ回れてしまう。

 若い女性は続ける。

「衣食住は佐藤さんには関係ないという話しなので、省かせてもらいます」

 僕は警察から多額の金銭(ちゃんとこの街の通貨だ)と、家を手配して貰っている。住所も理解しているので、衣食住に関しては大丈夫だ。

「後は……金色のガッシュ!! のアニメ版でタイトルを金色のガッシュ・ベル!! にする必要性はあったのかという話しですが……」

「その話しはいいです」

 というよりそれは明らかに必要な話しではないだろう。

 不必要過ぎて涙が出る。

「ていうか私はまずこの『金色』が『全色』に読めて仕方がないかったです」

「普通そこは読みの方で『きんいろ』でしょう」

 まさか漢字の方で読み方に困る人が居るとは。

 しかしこの人……漫画が好きなのかなぁ……さっきからそればっかだ……門番やってても漫画が読めるのか……?

「そ、それはともかく、佐藤栄作さん。今からあなたはこのヒーローがいる街に入ることになりますが、覚悟は出来ていますか?」

 話しを戻した若い女性が、今度は大真面目な表情で話す。

「覚悟? 何のことですか?」

「平和な街に入る覚悟ですわ」

 と、いきなりよしえさんが話しに入ってきた。喋ろうとした若い女性を顎を払う動きで抑える。

「ここから先は、絶対に犯罪を行ってはいけない世界ですわ。現に、街ではヒーローが全ての悪――ここでは犯罪者としておきますけど――捕えた後の数年間、一度も犯罪は起こっては起こってはおりませんのよ。おわかりかしら? あなたがもしそそうをしたら、街の平和が乱れることになります」

 一呼吸置いて、よしえさんが再度念を押す。

「絶対に……絶対に、街の平和を脅かすことのないようにお願いするわ。もしそんなことがあった場合、私達街の住人は……外の人間を一切合切許しませんからね」

 目元が心なしか暗いのに笑っているよしえさんの言葉に、僕はこう反応した。

「大丈夫です。僕は絶対に、犯罪をおかしません」

 当たり前だろう。

 ――僕はこれから、その平和を脅かそうとするかもしれない人間を捕えるのだから。

 徳永切裂。連続殺人犯。

 だが、徳永切裂の異常性はそんな肩書だけではおさまらない。

 徳永切裂は、見つけた人間を手当たり次第斬りまくった。

 切った、ではない。

 斬った、だ。

 徳永切裂の得物は――日本刀。

 その武器一つで、僕ら警察をかわしきったのだ。

 だが、僕達警察も無力ではない。何とか警察も、奴に深手を負わした。

 ――銃弾によって左肩を負傷させた。

 そして、今。

 左腕が動かないであろう徳永切裂はこの街に存在する……らしい。

「そう……ならいいわ」

 よしえさんは一回頷き、若い女性に「じゃあ開門してちょうだい」と言った。

 若い女性は巨大な門の真正面に立ち、こう言う。

「オープンセサミストリート」

 ツッコミ所満載な呪文だったが、僕はあえて言わないことにした。

 巨大な門が僕達が居ない方向に『ギ、ギ、ギ……』と大きな音を起てて、ゆっくりと開かれる。

「ようこそ、私達の街へ」

「佐藤栄作さん。あなたを歓迎致しますわ」

 二人の女性の激励を受けて、僕は門が開いた向こう側に見える上り階段へ向かった。開いた門のてっぺんを見ながら、青い壁に囲まれた空間から去る。

 階段に一段足をかけた瞬間、音を起てずに青い壁が閉じ、僕は二人の女性の元に戻ることが不可能となった。見えるのはこれまた段数が多い階段と、足元を照らす微かな光りだけ。

 徳永切裂のことと、これから僕は何をすればいいか考えながら、ひたすら僕は歩き続けた。まずは家とお金の確認だろう。警察はお金を銀行に預けてあるらしいから、まず残高を知らなければならない。

 そして、先刻と同じく二十分。少し息を切らしながらも、白い壁に到達した。街を囲んでいる外壁というものだ。しかし壁が多いな、この街は。さっきから壁ばっかりだ。

 僕がその壁の前に立つと、壁は僕の縦幅横幅の分の長方形だけ存在を消し、街から漏れる太陽の光りが僕を照らした。

 さあ、行こうか。

 指名手配犯を、この手で捕まえる為に。

 そう決意し、僕は街へと一歩踏み出した。瞬間に目に入ったのは、バラバラな場所に確認出来る大きなビルとマンション――その建物の下に存在する普通の一軒家と――一人の若い男の姿だった。目つきが悪く、髪を金色に染め、両耳にピアスをし、おしゃれの為か足を短く見せるブカブカのズボンに両手を入れ、白い髑髏が真ん中にある黒い服を着ながら、その上に白い特攻服を両腕を入れずにただただ羽織ってるだけの――いかにも不良というような姿の若い男の姿がそこにはあった。辺りには他に誰も居ない。

 不良の目は、僕の方を向いていた。

「待っていましたよ、外の人」

 そんなことを言って、僕を見据える。

「き……君は誰ですか? 僕に何の用ですか?」

 溢れ出る疑問をそのまま口にすると、不良は少し口を濁しながら、僕にこう言った。

「……えー、すいません、俺、口下手なもんで。移動しながら喋るんで、とりあえず何も言わずに俺についてきて下さい」

「いや……そんな勧誘でついていく訳にはいかないんですけど……」

「そ、そうですよね……」

 不良は困った様に「うーん……どうしたもんか……」と呟きながら、考えにふける。その姿を見て、僕はこの不良がいい性格をしているんじゃないかと、少しだけ警戒を解いた。

 数秒経った後、不良は「そうだ!!」と何かを思いつき、もう一度僕を見る。

「俺はあなたにとって、とてもいい情報を持ってます。それを聞いたら、俺についてきてくれますか?」

「それは、情報の内容によりますよ」

「……ハハハ、大丈夫です。多分、いい情報の筈ですから。じゃあ、言いますね。これを聞いたら僕についてきて下さいよ」

 だからそれは情報によりますってば――という言葉をのみこんで、僕は不良の言葉を待った。

 そして、不良は言った。

「この街に侵入した刀を持った男……どこに居るか知りたくないですか?」

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