ヒーローがいるのに平和な街の表 1
俺が住む街にはヒーローがいる。
名前は『ヒーロー』。
職業『ヒーロー』。
そんな彼が日夜行うことはパトロールが主だ。たまにおばあさんをおぶってやったり、道案内をしたりする。歩いてだ。空は飛ばない。
これだけ切り取って聞いたら警察と変わらないだろう。だがそれは違う。確かに俺の街に警察はいないが、違うのだ。
ヒーローがいる。
警察はいない。
ならば、何故ヒーローは怪物や悪の組織などと戦わない?
答えは単純明快。
俺の街には悪がいない。
正義はいても、悪はいないのだ。
なので警察はいらない。故に独りよがりとなってしまい、ヒーローは暇を持て余している。
「どうだい刀銃君。ここのカフェラテは絶品だろ?」
日曜の昼。
大学がないので暇だからという理由でいきつけのカフェに行き、十分くらいぼんやりと俺が好きな作家の新作の本を読んでいると、同じく暇だったのかヒーローが俺の目の前に現れた。手にはコーヒーを皿と共に持っている。客や店員からキャーキャー言われ、にこやかに手をふっていた。
「久しぶりだなヒーロー。あんた、なんでここに?」
「はっはっは。僕はヒーローだよ? 街中の人達の名前と顔は全て把握してるのさ。今どこに誰がいるのかも、それどころか住所もだよ。好き放題出来るんだよね、これが」
「……って、そんなもん体のいい変質者じゃねぇか!」
「何を言うんだい。人聞き悪いよ、刀銃君。……まあ、刀銃君なら僕は赤ん坊の頃から知っているけどね」
「いやあんた何歳なんだよ!」
ヒーローの見た目は俺が判断する限り普通にメタボリックな五十代だと思うのだが、いかんせん俺が最初に見たヒーローの姿が今の姿と全く変わっていない為、正直な所判断に困る。なんだこのおっさん。不老不死かよ。
ああ。因みに今ヒーローが言った『かたなじゅう』っていうなんだかおっかなびっくりな固有名詞は俺の名前だ。刀に銃と書き、そのまま刀銃。おうよ畜生。絶対変えてやる。
そんな風に俺がヒーローの実年齢と俺自身の名前の不幸さについて考えていたところ、ヒーローがいつもはもっと喋る俺の反応に少し戸惑ったのだろう。珍しく、こんな失言をした。
「当たり前だが君の両親の子供時代も知っているよ――っておっと。ごめん、軽率だった」
「ん……」
昔の話だ。
俺は昔、昼間っぱらからこんなコスプレにしか見えない恥ずかしい赤マントや赤いヘルメット、赤いサングラス等を装備している変なおっさんに命を助けて貰ったことがある。
刀銃というイケイケな名前をつけた俺の両親。
街では最後の悪と呼ばれている二人だった。
虐待を受けた。熱湯を浴びた。罵声も浴びた。殴られた。蹴られた。唾を吐かれた。やかんで殴られた。フライパンで火傷ができた。寝させてくれなかった。夜が長かった。友達にあることないこと吹き込まれた。スタンガンをくらわされた。ストレスを発散された。
――どこからか買ってきた拳銃で左肩を貫かれた。
「待てぃ悪党ども!」
そこに、ヒーローは現れた。その姿は俺の約十年経つ脳裏に未だ残っており、俺が最も尊敬する偉人と称してもいいくらいヒーローは神々しく、カッコよかった。
……のだが、その命の恩人は現在こうして俺の前で、俺が今さっき読んでいた本を片手にカフェラテを飲んでいる。読みながら、「うん。この作者の文体は独特だよね。一番僕が好きなのは世界シリーズかな。三作目のあの繰り返しネタは本当に最高だったよ」と一人で語っている。世界シリーズなんて知らねーぞ、俺。何だよ繰り返しネタって。頼むからネタバレはするなって。
だけどもまあそれでも図らずしも昔を思い出した俺は、なんだか感慨深くなってしまった。
今思うと、ヒーローがあの時助けてくれなければ、俺はここで本を読みながらカフェラテを飲むことも不可能だった訳か。
「……ありがとうな……あの時ばかりは本当に感謝している」
「え? いやいや頭を下げないでくれよ。ただ単に、僕はヒーローとしての使命を果たしただけだからさ。というより、謝るのは僕の方だよ。変なことを言ってゴメンね」
「そんなこと、昔の話だろ。全然大丈夫だって。気にするな」
「そう言ってくれると助かるよ」
今更だけど相席してもいいかい? と言われたので、断る理由がない。どうぞ、と返したらヒーローは何故か立ち上がり、再びよっこらしょ、と言って座った。今の全くもって意味がない一連の動作は一体何なんだ。ヒーロー特有の儀式か、こら。
「刀銃君。最近、腕の調子はどうだい?」
「ああ。動かねぇよそりゃあ」
俺の左腕は銃弾によって神経を奪われ、動かなくなっている。これは後遺症というものらしい。治そうとしても現在の科学では不可能なんだとか。
「違う違う。僕が言っているのは左じゃないよ。右の話しだって」
「右腕? なんともないけど、なんだ? なんかあったのか?」
「うん。昨日、刀銃君の腕にチタンをはめ込んでおいたから調子はどうかなと思ってさ」
「暴走したマッドサイエンティストかあんたは!」
嘘だろ! と思って触ってみたらマジかよ心なしか固く感じる!
「僕の家を調べてたら結構の量のチタンが何故だか知らないけどあったからね。刀銃君の身を守るという意味で、腕の骨に組み込ませて貰ったんだよ。こう、ガリガリと」
「えげつねぇ! ちょ、俺の右腕大丈夫!」
俺が結構な勢いで困惑していると、ヒーローはかえした状態の右の手の平を俺に差し出してきた。
「ほら。社会人としてお金を払ってくれよ」
「ブラック・ジャックでもそんなの請求しねーぞ! あんた本当にヒーロー!」
「当たり前だよ。面接試験も受けたんだからさ」
「ヒーローに面接って必要なのかよ! てかヒーローの面接試験! やべえちょっと気になる!」
「じゃあ受けてみる? 試験会場は土星だからさ。行ってらっしゃーい」
「そこまで行けたらもうヒーローだよ! 崇められるよ!」
「うん? 違うよ刀銃君。僕が面接を受けたのは宇宙の土星じゃないよ。何を言ってるんだい刀銃君は。バカじゃないのかい。そんな訳ないじゃん。少しは頭を使ってみたらどうなんだい全く」
「言い方がやけに辛辣なのは何故だ! 勝ち誇ってんじゃねー!」
「お前らぁ……人生変えたきゃ東大だ!」
「ドラゴン桜? ……っておいおい相当な勢いで話し逸れてんだけどよ。てことは何だ? どっかの店の名前か?」
「暴力団のアジトだよ。土星組」
「ヒーローを引退しろ!」
「引退するのはまだ早いさ。あと二十年は現役だからね」
「ゴメンホントにホントの本当にあんた何歳!」
「それに、だよ。僕が引退するのは刀銃君と会えなくなることと同じだからね」
どういう意味だよそれ? と俺が問おうとしたときには既にヒーローはカフェラテを完全に飲み切っていた。俺の読みかけの本を「ありがとう」と言いながら俺の目の前に置く。そのまま椅子を引いて立ち上がったので帰るのかよと思っていたら、「あ、そうそう」と言ってヒーローは後ろを向いて俺を真正面に見た。
「その小説の最後。主人公とヒロインが結婚するよ」
「立つ鳥跡を濁しすぎだっての!」
そんな訳で、ヒーローは毎日ヒーローとしてヒーローらしい行動をしないままほのぼのと生きている。
街は平和だ。暴力事件も起きず、交通手段は歩きと自転車と……それから一部の電車だけなので交通事故も起きない。自殺もない。当然殺人もない。当たり前だが盗撮もない。多分というか絶対盗難もない筈だ。
ヒーローがいるのに平和なんてのは、普通は有り得ない話しなのだけども。
昔から俺は不思議に思っていたんだ。
昔からヒーローが街にいるのは知っていた。親に隠れてテレビを見て、空想のヒーローを見たこともある。
テレビの中のヒーローは爆発音と共に怪物を倒していた。
俺がその高揚感に浸っていながら、番組が終わってしばらく待つと、違う番組が始まった。
なんてことはない日常を三人の高校生が飄々と過ごしていくコメディーアニメだった。
その番組ではヒーローが出なかった。もちろん怪物も。
その次も。
その次もその次もヒーローが現れず、怪物は現れなかった。
ちんけな敵キャラは出る。だがそれも運動会でのポイント対決上での敵だ。怪獣のようなとんでもない破壊力を持つ悪訳は現れなかった。
怪物が現れたのはヒーローが活躍する番組だけだった。
――悪が現れたのは正義が活躍する番組だけだった。
幼かった俺はこう考えた。
「ヒーローがいるからお母さんとお父さんがいるんだ」
でもそれは違ったんだ。両親が逮捕された後も――根強い悪が完全に途絶えた街の中に居ても――ヒーローは存在を消さなかった。
「正義は必ず勝つんだ! ヒーローは必ず勝ってくれるんだ!」
両親が逮捕されてからの俺の口癖はこんな感じだったと思う。
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