第27話:大妖①

 南階段18階、敵の本拠に通じる扉。

 そっと手を添え、静かに開けようと力を籠める。


「あれ、開かないぞ?」

「鍵でも掛かってるんですかねぇ」

「ち、面倒臭せえ!」


 霧子が小機関銃で、扉の鍵を吹き飛ばす。


「お姉さん、ノブは残して下さいって言ったでじゃないですか……これ、引いて開ける扉ですよ?」

「あ、ごめん……」


 ぽっかり穴の開いたドアノブの淵に細い指を引っ掛け、霞は器用に扉を開ける。

 そのフロアは、これまでの病棟とはまるで違う、豪奢な造りで出来ていた。

 フロア一面に敷き詰められたペルシア絨毯、壁にかかった様々な書や絵画。

 見る者が見れば驚嘆するような美術工芸品が、フロアの随所に陳列されている。

 それは権力と、自らの知性をひけらかす、悪趣味な自己顕示欲に満たされた空間だった。

 だがしかし、霧子も霞も、そんな物を愛でたり評価したりするような情緒は、持ち合わせてはいない。


「ごてごてと飾りやがって、大した自己満足だな……」

「本当に、これを買うお金で、どれだけの人の生活が救われる事か……」


 皮肉な笑いを浮かべながら、フロアの中心部に向け、ゆっくりと歩を進めていく。


「所詮、金の巡りなんて不公平なものさ、貧しい者の所には集まらず、より金を持っている人間の所にだけ、馬鹿みたいに集まりやがる」


 霧子が、壁に掛けられた絵画を物色しながら、嫌味たっぷりに呟く。


「お姉さん、ちょっと待って!」


 霞が叫ぶ。


「な……ワイヤー!?」


 霧子の左足、そのふくらはぎ付近に張られた、見えない糸。

 霧子は、その糸に触れ、荷重をかけてしまった。


「伏せて!」


 霞が、小さな身体で霧子に突進し、薙ぎ伏せる。

 霧子の頭上を、数本の針が掠めた。


「おおー……針か……」

「毒針です、一度身体に入れば、全身が溶けて崩れるほどの」

「助かった、すまん」

「迂闊に動かないで下さい、危険です」


 霧子は起き上がり、改めて進路を見据える。

 そこには、何重にも張り巡らされた、糸の罠が待っていた。


「ち、こんなもん……気にして前に進めるか!」


 そう言って、霧子は、無雑作に小機関銃を乱射する。

 糸が弾け、毒針が四方八方に乱れ飛んだ。


「わあ! 危ないじゃないですか!」


 飛んでくる針を切り払いながら、霞が悲鳴を上げる。


「や、お前ならできると思って……問題ないじゃないか、この調子で進んでいこうぜ?」


 霧子は余裕の表情で笑っていた。


「もう、お姉さんは短気でいけませんよ……」


 霞が溜息をつく。

「まあまあ、信頼、信頼の証だよ」


 霧子はそう言って、笑いながら霞の頭を撫でた。


「妖檄舎……修錬丹師の方々とお見受けします」


 霧子達の前に、小柄な老紳士が現れる。

 老紳士は、霧子達に向けて恭しく頭を下げた。


「お前は……多島修三?」

「はい、多島です。医院長室で御前がお待ちです」

「何だよ、お茶でも出してくれるってのか?」


 あからさまに怪訝な表情を見せる霧子。


「それがお望みなら」


 多島は、あくまで畏まった態度で頭を下げる。


「お姉さん、信用できませんよ」


 霞が霧子の耳元で囁く。


「いや、乗ってみよう。天下の大妖様がどんな台詞をほざきやがるか、興味がある」


 霧子はそう言って多島を睨みつけた。


「心配せずとも、罠はありません。私が先導します……こちらへ」


 霧子と霞を連れて、多島がゆっくりとした歩調で、フロアの奥に案内していく。

 二人は、周囲の気配に警戒しつつ、それに従って歩いた。

 やがて、多島はフロアの最深部、医院長執務室の扉を開け、二人を招き入れる。


「御前、修錬丹師のお二人をお連れしました」


 そう言って、執務室の奥の暗がりに向け、最敬礼を捧げる。


「そうか……よくぞ参った」


 その暗がりから、儚げなまでに華奢な身体をした、漆黒の和装に身を包んだ妙齢の女性が姿を現す。


「お前か、北東区を屍地獄に変えた奴は」


 霧子が、ぶっきらぼうに問いかける。


「そう毒を吐くな、我はお主等と平和的な話がしたい」


 女性は、霧子の威圧的な態度に動じることなく、口元に柔らかな笑みを浮かべた。


「平和的な話……だと?」


 霧子が眉を顰める。


「立ち話もなんじゃ、そこに掛けてはくれぬか……」


 そう言って、女性はソファに座るように勧める。

 二人は言われるまま、ソファに並んで腰を掛けた。


「さて、何から話せばよいか……まず我は、自らの事をお主等に知ってもらいたい。善悪の判断は、我の話を聞いた、その後に下せば良かろう」

「良いだろう、私もお前の言い分に興味がある……話せ」


 穏やかな口調の中にも、一触即発の殺気が漂う。

 そのやり取りに、霞は無言で息を呑む。

 霧子は、その豪胆ぶりをいかんなく発揮し、全く動じることなく、御前の言葉を聞いていた。


「我が何故、この地、この施設に巣食うたか……それは、死者に安息を与えるためじゃ」

「ほう、死者に安息を、ねぇ……」


 霧子が怪訝な表情で呟く。


「左様……この施設には、死を待ち病に苦しむ多くの人々が収容されておる。痛み、苦しみ、悲しみに悶える儚き命……我は、それが不憫でならなかった」


 そう言って、御前は瞳を伏せる。


「だから、喰ったっていうんですか」


 霞が問いかける。

 御前は、霞の問いには答えず、静かな口調で、話を続けた。


「その行く先に、もはや死出の旅しかない者たちの背中を、我は軽く押したに過ぎぬ……それは悪だろうか? 我が手により天に召した命、そのすべてが、痛みや苦しみから解放された、安らかな死に顔であったというのに……それだけではない、死別に耐えられぬ者には屍をあてがい、遺族の悼みを和らげてやっておる」


 御前が微笑む。


「こいつ、言うに事欠いて……!」


 霞はテーブルを叩き、今にも掴み掛ろうと、身を乗り出す。

 霧子は、黙ってそれを制止した。


「確かに、聖魔は人間を滅ぼすために生まれたとされておる。しかし我の様に穏やかな聖魔もおるのじゃ……我は人と共存し、この地に永遠の楽園を築きたい、それは決して、悪い事ではあるまい?」

「……分かった」


 霧子が、押し殺すような声で答える。

 その言葉に、霞は、愕然となった。


「おお……分かってくれるか!」


 御前が色めき立つ。

 しかし霧子は、厳然と言い放った。


「ああ、お前とは分かり合えないということが、はっきりと分かった」


 席を立ち、御前を見下ろし、睨みつける。


「死者の安息? 永遠の楽園? 随分と酔いしれているようだが……それは妄想、もしくは詭弁だ」


 霧子は御前を睨みつけたまま、言葉を続ける。

 霞も、霧子の隣で御前を睨みつけていた。


「人間はな、人間として生まれ、人間として生き、人間として死ぬんだ。命が生まれ、死んで逝くその瞬間、いや、死んだ後ですら、人間は人間であり、お前ら聖魔の餌ではありえない……お前のやっている事は、単なる人喰い、醜い化物の、忌まわしい食事だよ」

「お主、我を醜いと申すか!」


 御前が憤慨して立ち上がる。

 霧子は、さらに乱暴な言葉を投げつける。


「ああ、醜い、反吐が出る程にな。酷月の黒依……だったか? お前はあいつに何をさせた? 人を喰わせ、土地神を喰わせ、畏れ神としてこの地に君臨させようとしていたんじゃないのか? あいつからは、人間の血肉の匂いしかしなかったぞ……」


 御前の身体の芯から、憤りが沸き上がるのが分かる。


「さて、話し合いは決裂した訳だが……どうする? 大妖様」


 そんな御前を、霧子が挑発する。


「我が崇高なる行いを理解できぬのであれば……死んでもらうしかあるまい!」


 禍々しいオーラを身に纏い、御前がその本性を現していく。

 霧子は、両脇のホルスターから、小機関銃を抜く。


「最初からそう言えよ……でもな、十分に有意義な話し合いだったぞ? おかげで菊や警官隊の諸君が、無事に避難できた」


 そう言うと、霧子は不敵に笑った。

 霧子の左耳に装着された小型インカムは、2フロア下で分かれた警官隊の避難状況を、逐一彼女に伝えていた。

 御前の話に乗ることで、その避難が完了するまでの時間稼ぎを、霧子はやってのけたのだ。


「お主、最初から……!」


 霧子の計略にまんまと乗せられ、御前の表情に怒りと憎しみの念が浮かぶ。


「悪いな、私はずる賢いんだ……K、やれ! お前の力、今こそ見せる時だ!」


 霧子はそう言って、霞に霊具を使えと命令する。


「え? でもここ、最上階ですよ!?」


 突然無茶振りをされて、戸惑う霞。

 霞の霊具の力、それは地震だ。

 地殻にまで深く達する力……最上階でそれを使うという事は、建物の完全倒壊を意味する。

 そんなことをしたら、霧子は勿論、霞自身もただでは済むまい。


「私の事は、責任を持ってお前が守れ! 遠慮はいらない!」


 霧子が叫ぶ。

 それは、霞に全幅の信頼を置いた、究極の丸投げだ。


「もー……勝手なんですから……知りませんよ!」


 霞は、半ばやけっぱちになって叫ぶと、腰の短刀を抜いた。


「鷲尾ちゃん、撤退しろ! 全隊撤退! デカイのが来るぞ!」


 霧子が、インカム越しに叫ぶ。


「な、仙道!?」


 事態を呑み込めない、鷲尾の素っ頓狂な声が響く。

 しかしもう遅い、事態は取り返しのつかない方向に動き出していた。


「スピードスター……五行周天! 大・振撃斬!!」


 霞が、フロアに向けて短刀を突き刺す。

 轟音と共に床に亀裂が入り、一瞬のうちに建物内に伝搬した衝撃波によって、周囲の全ての物が砕け、沸いた。


「な……!」


 足場を失い、瓦礫の中に消えていく御前。


「ははははは! 見たか、これが人間の力だ!」


 霧子もまた、瓦礫とともに落下しながら、高らかに笑う。

 轟音と粉塵、地響きが周囲の空間を支配し、無限に広がっていく。

 地上18階を誇る北東総合病院の主病棟は、わずか数秒で灰燼に帰した。


「ぶは!」


 その瓦礫を押しのけ姿を現す、霧子と霞。


「もう、お姉さん……小鉄さんの護符がなかったらアウトでしたよ!?」


 二人を守ったのは、霞の霊力と小鉄の護符の力だ。

 護符による強力な守護結界に注入された霞の霊力が二人を包み、崩れ落ちる瓦礫からその身を守っていた。


「それがあったから、やれって言ったんだ。どんな周到な罠を張ろうが、巣ごと壊しちまえば、あとはガチンコしかないだろう?」


 霧子がニヤリと笑って、親指を立てる。


「お姉さんの発想は、自由過ぎます……」


 霞は、心の底から深いため息をついた。


「さて、リングも広くなった事だし、始めようぜ……大喧嘩って奴を!」 

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