第17話:混乱②
犀聖会北東総合病院。
総敷地面積10万平方メートルを超え、ベッド数1000以上を誇る、巨大病院である。
地上18階、地下4階の病棟には、内科から精神科まで、あらゆる病に悩む人々が、最先端治療を求めて入院している。
その屋上階の一室、医院長室の窓から街の明かりを眺める男、多島修三の表情は、暗かった。
ふと、その背後に、禍々しい巨大な気配が一つ、現れる。
「御前、警察に放っていた屍が倒されました」
多島は振り返り、頭を下げると、北東区王子警察署で起こった出来事を、報告する。
「言わずとも気付いておる……屍にしては、良く出来たモノだったのだがな」
姿を見せぬ、御前と呼ばれた気配だけのモノは、さして驚くこともなく、応えた。
「修錬丹師、仙道霧子と、見抜く女……時を置かずして、ここへ攻め込むものかと」
多島が、焦燥した表情で、言葉を継ぐ。
「それだけではなかろう? 雑魚のような警官隊と、浄山から零れた小石が一つ……」
御前は、多島の表情を嘲笑うかのように、言葉を足した。
「いかがいたしましょう?」
多島が額の汗をぬぐう。
「我が出れば、すぐに片付くであろうが、それでは面白くあるまい?」
御前は戯れるように笑った。
「まさか御前、私にやれと仰せですか?」
その微笑みに凍り付く多島。
「冗談はよせ、ただの人間なぞに、期待してはおらぬ」
御前は、ゴミを見るような視線を多島に突き刺す。
「で、では……」
「黒依にやらせよ。そろそろ血肉、それも極上の味を覚えても良い頃であろう」
御前が言う。
多島は、その言葉に新たな恐怖とプレッシャーを感じた。
「黒依様に? しかし、黒依様はまだ……」
御前を必死に止めようとする。
「未熟……と言うのかえ?」
その時、多島の背後に一人の女性の影が姿を現した。
漆黒の衣を身に纏った、凍るように冷たい瞳を持つ、怪しく、美しい少女。
「く、黒依様?」
「多島……お前、我ら一族の力、値踏みするほど傲慢ではあるまいな?」
「いえ、決してそのようなことは……」
多島が恐縮して、少女に頭を下げる。
「母上様、酷月の黒依、参りました」
黒依と呼ばれた少女は、御前を前に恭しく首を垂れる。
「来たか、我が子よ……どうじゃな、市井の居心地は?」
「至極退屈にございます。我が爪も、牙も、試す相手がございません」
御前が尋ねると、黒依はそう言って苦笑した。
「ならばその力、試す場を与えようぞ」
御前が、言う。
「修錬丹師、でございますね?」
黒依は、その言葉を待っていたかのように、御前に問い返す。
「然り、思う存分、遊ぶが良い」
御前は、冷たい笑みを浮かべた。
そのやり取りを、恐怖を覚えながら呆然と見守る多島。
「御意……しかし母上様、この黒依、それを為すには少々空腹にございます」
「それは我も感じる所……多島、夕食じゃ、案内せい」
御前と黒依、二人は、いつものように多島に指示を出す。
これまで何度、同じことを繰り返したことか……しかし、こればかりは、何度繰り返しても馴れることはない。
「は、はい、では、ICUに……」
多島は、胃の痛みを抑えながら、言った。
「否、それだけでは、足らぬな」
御前が、言う。
「今宵、病棟の患者も攫わせてもらうぞ」
黒依が、その言葉を継いだ。
多島の心に、絶望が宿る。
「全員は、全員はやめて下さい! それでは、私の病院は潰れてしまいます!」
必死に懇願する。
「安心せい、我らが喰らうのは、死ぬ直前の命のみよ。それに、死別が耐えられぬ者には、吾子なり、屍なりを、あてがってやる、いつもの事ではないか」
御前は、そんな多島を憐れむこともなく、ただ悪戯に笑って、答えた。
「我らは、この世の誰よりも慈悲深いのじゃ……のう、母上様?」
黒依も、御前に寄り添いながら、笑う。
「患者が減れば、病を振り撒けば済む事。まこと、我らに感謝するが良いぞ?」
御前が言う。
自分たちに逆らうな、という意思を込めて。
「は、はい……ありがとうございます」
多島は、ただ頭を下げる事しかできなかった。
やがて、御前と黒依は医院長室から姿を消す。
「畜生! 何でこんな事に!」
多島は、自慢の執務机の盤面に、拳を力の限り叩きつけた。
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