第16話:混乱①

 いつからだろう、それが判るようになったのは。

 最初に感じたのは子供の頃、人に対する漠然とした違和感。

 何となく気になる、程度の感覚だった。

 しかし、成長と共に、その感覚は鋭敏になって行き、16歳になる頃には、はっきりと、それが判るようになっていた。

 人の社会に紛れる、人の姿をした、人ではないモノ。

 その得体の知れない存在に気付いてから、興味本位に観察を始めた。

 そして、目撃してしまう。そのモノが、人を殺し、喰う現場を。

 それから先は、自分の能力をひた隠しにした。

 自分が、この恐ろしい奴らを見分けられるという事が、他人、それも奴らに知られたら、自分の命が危ない。

 自分のこの能力は、誰にも知られてはならない。

 自分に固く言い聞かせ、そのモノと接触しても、見て見ぬふりをする毎日が続いた。

 見て見ぬふりさえしていれば、自分は安全だ。

 奴らの事は見抜けるのだから、近付きさえしなければいい、その筈だった。

 事実、数年は、その姿勢で安泰に過ごせた。

 奴らに遭うこと自体が稀だった事もあって、自分はこれで良いのだと、言い聞かせて納得していた。


 あの日が来るまでは。


 あの日、いつものように自宅に帰った時の事。

 そこに待っていた両親の姿を見て、愕然とする。

 その両親は……紛れもなく、人ではないモノ、奴らだった。

 昨日までは、普通に接していた両親。

 優しい両親、尊敬する両親、その両親が、今はいない。

 今、目の前にいるのは、両親の姿をした、人ではないモノ。


 分かっていなかった。

 自分は判るだけで、奴らの生態までもは、理解していなかった。

 奴らは、いつ、いかなる時でも、人間と入れ替わることが出来るのだ。

 それを悟り、優しく接する両親の姿をしたモノを振りほどき、無我夢中で逃げた。


 あらゆる交通手段を駆使して、何日彷徨ったか、覚えてはいない。

 ただ、精も根も尽き果て、とある神社の境内で倒れていた所を、宮司に助けられ、そこで初めて、自分の能力を他人に明かした。

 幸運な事に、その宮司は、修錬丹師だった。

 宮司は、その身柄を保護するとともに、修錬丹師としての修業を積むこと、強さを身に着けることをを勧めた。


 もはや帰る場所はない。

 他に選択肢もなく、宮司に弟子入りすることを決意した。


 そして、修業すること数年。

 生来の「見抜く感覚」に加え、霊医術の才能を芽吹かせ、一人前の修錬丹師となることが出来た。

 錬丹術のおかげで、見抜く能力も格段に進歩し、半径数百メートルの範囲で、聖魔が潜んでいるか、判るようになった。


 その、少女だった女性が、今、ここにいる。


 正宗菊、26歳。

 妖檄舎の医療担当、人に紛れる聖魔、その胎児さえをも100%の確率で見抜く女。


 それが、彼女である。


「ねえ、魔窟って、どんなんなのかな~」


 ふいに、菊が疑問を呈する。


「さあな、だが、どうせ聖魔が支配する世界だ、この世の地獄には違いないだろう」


 霧子が答える。


「私たちって、魔窟は見たことも経験した事もないものね~」


 事の行く末を不安げに語る、菊。


「知りたいですか?」


 少女が、口を開いた。

 一同が、少女の次の言葉に耳を傾ける。


「魔窟に囚われた人間は、聖魔の餌となります。でも、聖魔は人間を食べ尽くしたりはしません……食べ尽くしたら、餌が無くなってしまいますからね。人間は、厳重な管理の元、飼育されるんですよ。餌となる子供を、強制的に、産み育てさせられ続けるんです。ライフサイクルを考えた場合、人間は成長が遅いですからね、子供が早く育つよう、品種改良もされるでしょう。結果として、姿こそ人間ですが、その本質からはかけ離れた別の生き物、ただの家畜になってしまうんですよ……それが魔窟、人間にとっての、真の地獄です」

「そんなことが……」

「まいったな、そこまでするのか」

「怖い話ね~」


 少女の話を聞いて、全員が震えを覚える。


「だから、絶対に食い止めなければなりません。負けられませんよ、この戦いは」


 少女が、意志のこもった熱い眼差しで答えた。


「当たり前だ。そもそも、私たちに負けて良い戦いなんかない」


 闘志だけならだれにも負けない。霧子がさも当然の様に言う。


「がんばりましょ~」


 菊が笑う。だが彼女だけは、この場にいる誰とも違うベクトルに、神経を集中させていた。


「でも、その前に」


 菊が、ふいにまじめな表情になって、言う。


「そこのお巡りさん、あなた、人間じゃありませんね!」


 菊が、扉の向こうで歩哨に立っていた警官を指さし、叫んだ。

 その場にいた一同が廊下に出て、その警官を取り囲む。


「ち、間者か!」


 霧子が言って、左脇の銃を抜いた。


「違う! 私は人間ですよ! 信じてください!」


 警官は、必死に自分の身の潔白を訴える。


「駄目だよ~、嘘を吐いちゃ。私には、見えるんだから」


 菊が、冷静に問いかける。


「警部、信じてくださいよ!」


 警官は、涙目になって、鷲尾に助けを求める。

 鷲尾は……。


「お前とは、10年来の付き合いだよな……いつだ、いつ入れ替わった?」


 感情を押し殺すような声で、警官に話かけた。


「鷲尾ちゃん、撃つぞ、撃っていいか?」


 銃の照準を警官に向けたまま、霧子が問う。


「待て、俺がやる」


 そんな霧子を制しして、鷲尾がヒップホルスターから短銃を抜き、構えた。


「警部……」


 警官が、涙で崩れた視線を、鷲尾に向ける。


「残念だよ、こんな形でお別れになるとはな……」

「う、う、うわあああああああ!」


 突如背を向け、廊下を走って逃げだす警官。

 鷲尾は、その背中に向け、銃のトリガーを絞った。


「あ、あ、ああああ……あああ……あ……」


 鷲尾の銃弾を受けて、地面に崩れ落ちる警官。

 人間なら即死するほどの銃弾を受けて尚、言葉にならないうめき声を上げながら、地面を這い、逃げようとする。

 その姿は人間……いや、この世の生き物の姿ではない。

 本当に、この部下は聖魔に喰われてしまったのだ……鷲尾の胸に、絶望が去来した。


「仙道、とどめを刺してくれ」


 鷲尾が、静かに言う。


「わかった」


 霧子は、構えた銃のトリガーを起こした。


 タァン!


 短い銃声の後、雷撃を受けた警官の姿をしたモノは、黒焦げになる。


「屍ですね」


 死体を検分した、少女が言う。


「鷲尾ちゃん……」


 霧子は、横たわる屍を見つめたまま、ピクリとも動かない鷲尾を見つめ、静かに声をかける。


「Kちゃん、これでこっちの動きが筒抜けになった可能性は?」


 鷲尾が、問う。


「はい、残念ですが、100%かと思います」

「ぐずぐずしてはいられないな」

「はい、今すぐ実行を、ド本命から突いていきましょう」

「部隊を招集する。菊先生、この署に、他に人間でないものは?」


 鷲尾は、毅然たる態度で、問いかける。

「うん、もういないみた~い。ごめんなさい……。屍? そういうのは初めてだったから……」


 菊が、心底申し訳なさそうに、応える。


「いいんだ、菊先生のせいじゃない。むしろ感謝するよ、見抜いてくれて」


 鷲尾は、寂しそうに笑った。


「……弔い合戦だ」

 鷲尾の怒りが、大妖に対する恐怖を完全に振り払う。


「北東区の警察官、全員の力で、この閉鎖空間を突破する!」


 鷲尾が決意を顕にする。

 それは、その場にいる誰もが思う、共通の意識だった。

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