第3話:仙道霧子③

 ぐう……


 仕事を終え、一人夜の街を歩く、霧子の腹が鳴った。

 先刻からタクシーが来るのを待って歩いているが、今日に限って1台も通らない。

 パトカーで送ってもらえば良かったと、後悔の念が尽きない。


「腹減ったなー……でも、プリンがあるからなー……我慢して、もうしばらく歩くか」


 夜食のプリンは、霧子の特権だ。

 誰もその聖域を侵すことはできない、筈だった。


 だがしかし、シャリーン!と、霧子のスマホが鳴った。

 メールだ。

 差出人は、海堂二郎。

 いやな予感がした。


『ごめーん、腹減ったから、霧子のプリン喰っちゃった! カネは払うから、代わりに何か自分で買ってきて、お願い!』


 ぶち!


 霧子の額の血管が切れる。


「シェルボンのカスタードプリンだぞ! 10個限定!! ふざけるな、ジロー!!!」


 深夜の闇夜に、霧子の叫びが鳴り響く。


 だが、もはや時は遅い。

 霧子のプリンは、既に海堂二郎の腹の中なのだ。


 霧子は、がっくりと肩を落とした。


「うーん、畜生。しかし、こうなったら、なんか喰って帰るか」


 うつろな視線を、宙に向ける 


「あー、でもなぁ……」


 霧子の今歩いている場所からファミリーレストランに向かうには、ホテル街を通らなければならなかった。


 この時間のホテル街を女一人で歩くのは、さすがに気が引ける。


「背に腹は変えられん、か」


 空腹に負けた霧子は諦めて、ホテル街、その先にあるファミリーレストランへと足を向けた。

 ピンクや紫の看板が並び立つ狭い路地を、一人とぼとぼと歩く。

 その街の中心街の角を曲がろうとした時、突然。


 ど! 


 と言う鈍い音と共に、何か黒い塊が雪崩れ込んできた。

 

 流石に不意をつかれ、ひるむ霧子。

 よく見ると、それは二人の人間の影。

 仰向けに倒れた男の顔の上に、小柄な少女が乗っている。


「な、なに、なんだ!?」


 状況が飲み込めない霧子を尻目に、少女が呟く。


「おかしい……」


 少女は、誰に語るともなく呟き続ける。


「都会の男は、女の子に声をかけては、ご飯を奢ってくれるものだと聞いていたのに……何で、宿屋に連れ込むんだろう?」


 男の顔に乗っかったまま、遠いどこかに視線を向ける少女。


「でもまあ、いいか……こいつ何か持ってませんかね?」


 少女は、そう言って男の身体をまさぐり始める。

 そして、左の尻ポケットから財布を取り出した。


「おお、これは財布! これがあれば、ご飯が食えるかも知れません!」

「どれどれ、なんだ、紙ばっかですね? これ本当に金子? 三途の川の渡し賃みたい……」


 抜き取った紙幣を、訝し気に眺める。


「まあいいや、浄財、浄財! 有難く頂きますかねー」


 少女は、さも当然のように、男から奪った紙幣を懐に入れた。


「……おい」


 少女の背後から、霧子がどすの効いた声で呼びかける。

 一瞬ビクンと震えてから、ゆっくりと振り返る少女と、霧子の目が合った。


「見ました?」

「ああ、見た」

「あは、あはははは……さいなら!」


 少女は、慌てて飛びずさり、逃げようとする。

 霧子は、逃げる少女の腕を反射的に掴んだ。


「待て、待て待てお前、ちょっと待て!」

「放して、放してください! 今、捕まるわけには行かぬ!」


 少女は激しく抵抗し、霧子を振り払おうとする。


「やかましい! お前、その年で昏睡強盗か! ふざけるな!」


 霧子も負けじと、少女を押さえつけに掛かる。


「違いますよ! こいつがアタシを宿屋に連れ込で、いやらしい事をしようとしたんですって! だからこれは正当防衛! お金はあくまで、何と言うか、ついで、ついでです!」


 少女の抵抗は激しさを増し、霧子は振りほどかれそうになる。


「だとしても、だ! 子供の非行を見逃せるか!」


 霧子は更に気合をいれ、少女の肘間接を極めに掛かる。


「勘弁してください! 私には、やらなきゃならない使命があるんです! だから放して、見逃して!」 


 肘を極められてもなお抵抗をやめず、暴れ続ける少女に対し、霧子は一計を案じた。


「……そうだ、メシ! メシを食わせてやる! だから大人しくしろ!」


 霧子が叫ぶ。

 すると少女は、メシの一言を聞いた途端、今までの抵抗が嘘のように、しゅんと大人しくなった。


「はい、ご馳走になります、よろしくお願いします」


 霧子に向かってぺこりと頭を下げる。

 霧子は逆に拍子抜けしてしまった。


「あれ? 驚くほど素直だな、おい」


 少女が何とも所在無げな笑顔を浮かべ、言った。


「だって、おなか、ペコペコですから……」


 その素直さに、思わず霧子の表情もほころぶ。


「ああ、私もだ」


 そう言った瞬間、二人の腹が、ぐう、と鳴った。

 思わず二人は、笑いあう。


「よし、じゃあ行くぞ、好きなだけ食わせてやる!」

「あい!」

「でもその前に……これは返してやれ、な?」


 霧子は、少女の懐から紙幣を取り上げる。

 少女は、あ、と言って惜しがったが、霧子は聞かなかった。

 男は気絶している。

 放って置けば誰かが通報するだろう。

 霧子は、少女から取り上げた紙幣を男の身体の上にばら撒くと、そのまま放置して歩き始めた。

 その後ろを、あわてて少女が追いかける。

 霧子と少女は、一緒に並んでホテル街を後にした。

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